この眼鏡っ娘マンガがすごい!第142回:松川祐里子「シンデレラ志願」

松川祐里子「シンデレラ志願」

白泉社『シルキー』1996年1月号

ある誤解と勘違いが、世間にはびこっている。「少女マンガでは、眼鏡を外すと美人になる」という勘違いである。本コラムは、そんなバカげた勘違いを修正するために活動してきたわけだが、まだ言い足りない。いくらでも具体例を出して、正しい認識を広めていきたい。正しくは、「少女マンガでは、いったん眼鏡を外したとしても、幸せになるために眼鏡をもう一度かけなおす」だ。それを定式化すると、「眼鏡っ娘起承転結」構造となる。

というわけで、本作も眼鏡っ娘起承転結構造を示してくれる良作だ。
主人公の眼鏡っ娘、名波はるかは26歳、彼氏なし。小さい頃から真面目で堅い眼鏡っ娘だった。これが起承転結の「起」。

しかし、ちょっといいなと思っていた男性が、女性を外見だけで判断していることにショックを受けて、綺麗になりたいと思ってしまう。そこにつけ込んで、莫大な金を使わせて服や化粧品を買わせ、自分の価値観に眼鏡っ娘を巻き込む友人。いちおう、見た目はハデになる。これが起承転結の「承」。少女マンガはここで終わると勘違いしている人が多いわけだが、ここまでは起承転結の起承に過ぎない。本題は、ここからだ。眼鏡を外して人生がうまくいくわけがない。

はるかは、綺麗になったと思って有頂天になり、イケメンの男性にホテルに誘われてノコノコとついていくが、無理しているのがバレバレだ。男性には「そんな格好やめちゃえよ、似合わないよ」と言われる始末。これが起承転結の「転」。

男は、はるかを街に連れ出して、もともと持っていた魅力を引き出していく。このときの男のセリフがかっこいい。「慣れないコンタクトなんて外して。君の眼鏡は?」と言いながら、自ら眼鏡をかけてあげるのだ。これだ。眼鏡をかけ直した瞬間、もはや勝利の予感しかしない。こうやって再び眼鏡をかけてハッピーエンドへと向かっていくのが起承転結の「結」だ。

畳みかけるように男は言う。「眼鏡の方が自然だよ。似合ってる」。まさにまさに。全国民の言葉だ。それでも自信がもてない眼鏡っ娘には、こう言うのだ。「それでも僕は、本当の、こっちの眼鏡の方が好きだよ」。一人のメガネスキーが、一人の眼鏡っ娘を救った瞬間だ。素晴らしい!

こうして眼鏡っ娘は、本物の自分を取り戻す。眼鏡をかけ直すことは、「自己実現」の象徴なのだ。確かに眼鏡を外したら、外見は派手になって、一瞬はチヤホヤされるかもしれない。しかしそんなものは、マヤカシの幸せに過ぎない。本物の、本質的な幸せを手に入れるためには、自分を偽ってはならない。眼鏡とは、「ほんもののわたし」を象徴するアイテムなのだ。

確かに自分を変えていく必要はあるかもしれないが、眼鏡っ娘の言うとおり、「まるっきり自分を変える必要」なんてない。変えていけないのは「自分の本質」だ。眼鏡こそ、自分の本質を象徴するものなのだ。

しかし、人間というものは、なかなか「自分の本質」には気づかない。むしろ自信を失って、自分を完全に変えてしまいたくなるときだってある。眼鏡を外すとは、そういう状態の象徴だ。しかし、自分を偽って、無理をしても、うまくいくわけがない。そういうとき、「無理しなくていいよ。そのままの君でいいんだよ」と言ってくれる人がいてくれたら、なんてありがたいだろう。しかし一方、自分を偽ってうまくいかなかった経験があって、初めて「自分の本質」を深く理解することができるようになるのかもしれない。これが「人間としての成長」というものだ。これには、男も女も関係ない。「眼鏡っ娘起承転結」は、そんな「自己実現」の有り様を見せてくれる。つまり人間の成長というものの普遍的な様式を表しているのだ。だから、「眼鏡を外して美人」などいう物理法則にも人文科学の法則にも反しているバカバカしい迷信は、人類のために消え去っていただきたい。

書誌情報

32頁の短編よみきり。単行本『学園スクープ・キッズ』所収。
ちなみに単行本表題作の「学園スクープ・キッズ」は、ショタ系メガネ男子がヒロインとなっている。

【単行本】松川祐里子『学園スクープ・キッズ』白泉社、1997年

 

 

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