この眼鏡っ娘マンガがすごい!第143回:新谷明弘「未来さん」

新谷明弘「未来さん」

アスキー『月刊コミックビーム』1997年~98年

眼鏡っ娘は、どうして眼鏡をかけているのか? どうしてそんな当たり前のことを考えるのかと不思議に思うかもしれない。が、そんな疑問を改めて考えさせるのが、この作品である。

主人公は、高橋亜鉛子さん。眼鏡っ娘の大学生だ。
と言葉で説明してみても、この作品について何も語れていない。「読者を選ぶ作品」という微妙な言い回しが日本語にはあるわけだが、それで片付けたくないような、他に類がない作品であることは間違いない。マンガ図書館Zで無料で読めるので、読んでみて欲しいとしか言いようがない。

まあ、一言で言えば、SFである。SFといっても、ロケットやロボットや宇宙人が出てくるわけではない。取り立てて大きな事件が起こらない、日常SFである。生命科学と人工知能が発達して「生命」に対する常識が更新された世界、いわゆるサイバーパンクという表現手法を通じて「生命」という得体の知れないものの本質に迫っていくような作品だ。そんな不思議な世界観に、眼鏡がよく似合う。眼鏡が似合う?

亜鉛子は、どうして眼鏡っ娘なのか? なぜ彼女は普通に眼鏡をかけているのか? 本作を通じて、この疑問が常につきまとう。主人公が眼鏡っ娘であるという事実に対して、これほど真正面から向き合わなくてはならない作品は、実は他にあまりない。なぜなら、ちょっと考えれば、彼女が眼鏡っ娘であることが不自然なことに気がつくからだ。というのは、こういうふうに生命科学が進化した世界においては、近眼は遺伝子操作で克服されているはずで、視力矯正器具としての眼鏡は必要なくなっているはずだからだ。亜鉛子は、近眼が克服されたはずの世界において、それでも眼鏡なのだ。
眼鏡に関するエピソードは、作中に一つだけある。

このエピソードで少年が「眼鏡なんてレトロなもの」と言っていることから分かるように、この世界ではすでに遺伝子操作によって近眼が根絶されている。亜鉛子も眼鏡をいじって「資力10.0にまでなる」とは言っているが、それが眼鏡をかけている理由ではないだろう。それは、右耳のイヤリングの問題とリンクしている。右耳のイヤリングは、外部情報を取り入れるためのコネクタの蓋として機能している。コネクタの蓋がイヤリングでなければならない必然性がないのと同様、眼鏡をかける必然性もない。それでも亜鉛子は、イヤリングをしているし、眼鏡をかけている。では、眼鏡とは何か。なぜ、彼女は眼鏡をかけているのか?

おそらく答えは出ない。そして答えを出せないこと自体が、この作品全体の雰囲気を象徴する。独特の世界観の中に存在している亜鉛子の眼鏡が、合わせ鏡のように独特の世界観を象徴する。亜鉛子の眼鏡は、この作品自体の捉えにくさそのものを凝縮して示す、特異点のようなものになっているのだ。眼鏡は認知の特異点の象徴だからこそ「どうして眼鏡なのか?」という問いには論理的な答えが出ない。そこに気がつくと、この作品に散りばめられた認知の特異点の数々に対して、一気に視界が開けていく。高橋亜鉛子が眼鏡っ娘であるということを突き詰めることが、捉えきれない本作を捉える鍵になるのだろう。

書誌情報

同名単行本全一冊。マンガ図書館Zで、無料で読むことができる。
この作品が商業誌で出てくれたことは、眼鏡的に言って、奇跡的な幸せだったのかもしれない。あの頃の『コミックビーム』だからこそ可能だったのかもしれない。
【マンガ図書館Z】新谷明弘『未来さん』
【単行本】新谷明弘『未来さん』アスキー、1998年

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