この眼鏡っ娘マンガがすごい!第76回:酒井美羽「通り過ぎた季節」

酒井美羽「通り過ぎた季節」

白泉社『花とゆめ』1978年9号~80年7号

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全ての人類に読んでいただきたい。眼鏡を外してコンタクトにしてはならないという教訓が込められた、超絶眼鏡傑作。単行本全3巻にわたって徹頭徹尾素晴らしい眼鏡っ娘マンガだが、特に全人類必読なのは2巻収録の「コンタクトレンズ騒動記」だ。
物語冒頭、眼鏡っ娘女子高生の亜紀子にコンタクトの魔の手が迫る。体育の授業中にクラスメイトのコンタクトが落ちて騒動が発生したのをきっかけに、亜紀子がコンタクトの存在を意識してしまうのだ。

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そこで亜紀子は自分もコンタクトにしてみようと思うのだが、もちろん友人たちは反対する。そうだ、がんばれ! 眼鏡を守るのだ!

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しかしそんな友人たちの態度にむしろ反発し、亜紀子はいよいよコンタクトにしようと決意が固まってしまう。なにやってんだ、この役立たずどもが、もっと眼鏡をちゃんと褒めろよ!
まあ、ここで亜紀子がコンタクトにしようと思った理由が、ちょっとおもしろい。亜紀子は決して眼鏡が容姿を損なうなどとは思っていない。むしろ、眼鏡をかけていた方が「ひきしまって見える」と自覚している。このあたりは「メガネが似合ってる」と言う友人たちと評価が一致している。しかし亜紀子は眼鏡を外さなければいけない場面を想像して、今のうちから眼鏡無しの顔に慣れておいた方がいいと考えてしまったのだった。なんでそんな捻じれた思考に!?マイガッ!

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そしていよいよコンタクトにしてしまった。うううう。しかし友達の評価は的確だ。「やっぱ亜紀子メガネの方がいいよ」とか「なんかちょっと足りないのよねー」という評価は、まさにそのとおり。「なにか足りない」と思った時は、だいたい眼鏡が足りてない。

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そんな友達の評価にもめげず、亜紀子はコンタクトで頑張る。が、もちろん破綻が訪れる。コンタクトのせいで角膜を痛めてしまい、学校を休むほどの傷を負ってしまうのだ。医者からはしばらくコンタクト着用を禁止される。ショックでふとんに伏せった亜紀子の脳裏には、様々な眼鏡の思い出が浮かんでくる。

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眼鏡のせいでいろんなことを言われたけれど、かつて亜紀子は「メガネの似合う笑顔の女の子になろう」と決意していたのだった。ふとんの中で、そのかつての決意を思い出す。

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かつて世界は眼鏡を中心に回っていた。「メガネの似合う笑顔の女の子」でいようと決意したときから、世界は笑顔に包まれたのだ。しかしそれを思い出しながら、亜紀子は「メガネなんかもういやだ…」と泣きじゃくる。眼鏡自体が嫌なのではない。自分には様々な可能性があったはずなのに、いろいろな選択肢を捨てて「メガネの亜紀子」にしかなれなかった。ありえたはずの「他の自分」を想像した時に、ふとんのなかで泣いている惨めな「今の自分」が嫌になったのだ。人間は、子供のころは無限の可能性を持っている。しかし時間を経るごとに少しずつ選択肢を捨てていって、最終的には一つの選択肢を受け入れるしかない。それが「大人になる」ということであり、亜紀子の場合はその象徴が「眼鏡」だった。眼鏡を拒否することは、「今の自分」を拒否すると同時に、「大人になる」ことを拒否するということだ。
だがしかし。「今の自分」を拒否したところでどうしようもないことも分かっている。ありえた可能性は所詮は可能性に過ぎず、現実は現実だ。そして現実の象徴も、眼鏡だ。眼鏡を受け入れることは、現実の自分を受け入れることを意味する。亜紀子は一晩泣き明かした後、ありえた選択肢に対する未練を捨て、ありのままの自分を受け入れようと決意する。すなわち、眼鏡をかける!

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「私は私なんだもんね」というトートロジーのモノローグで終わる「コンタクトレンズ騒動記」。この「私は私なんだもんね」というセリフの中の「主語としての私」と「述語としての私」の違いを本作の「起承転結構造」に即してしっかり考えると、「アイデンティティ」とか「自己実現」という概念の本質が見えてくる。

■書誌情報

076_09掲載誌は白泉社『花とゆめ』だが、白泉社の単行本は途中で終わっていて、角川書店から出ているものが全話収録。眼鏡っ娘女子高生の日常を卒業まで丁寧に描ききった秀作。思春期特有の漠然とした不安を具体的なエピソードを積み上げながら丁寧に描写しており、眼鏡っ娘の繊細な心の動きがとてもよく分かる。
作者の酒井美羽はマンガ技術が極めて高く、キャラクター造形、コマ割り、ストーリー構成など、匠の技が光る。が、本作のような青春ストーリーは、その後の能天気な作風から見ると、けっこう違和感があったりするかもしれない。他にも眼鏡っ娘をけっこう描いていて、ありがたい。

単行本:酒井美羽『通り過ぎた季節』1巻(白泉社、1980年)

 

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