この眼鏡っ娘マンガがすごい!第6回:中原みぎわ「恋なんてできっこない」

中原みぎわ「恋なんてできっこない」

小学館『少女コミックCheese!』2002年1月号~6月号増刊

006_01この作品の最大のみどころは、一人の少女が主体性を獲得して成長する様子が、メガネを通じてあますところなく表現されているところである。

主人公の杉本つぼみは、自分のことをブスだと思い込み、自信をまったく持てない眼鏡っ娘。そんなイジケ眼鏡っ娘に、イケメンの晴山くんが告白したところから物語が始まる。
しかし晴山くんがどれだけいっしょうけんめい説得しても、ひがみ根性が人格の根っこまでしみ込んだ眼鏡っ娘は、自分が愛されていることをなかなか認められない。そうこうしているうちに晴山親衛隊や元カノにいじめられて、眼鏡っ娘の心はさらに傷つけられ、ますます自分の殻に閉じこもってしまう。

晴山とつぼみがうまくいかなかったことは、最初のキスの時に眼鏡を外してしまったところに象徴的だ。晴山はつぼみにキスをしようとして眼鏡をはずし、つぼみに「あたし晴山がよく見えないんだけど」と言われたにも関わらず、「見なくていーよ」と言い放って、キスをする。しかし眼鏡っ娘の心はますますかたくなに晴山を拒む。眼鏡っ娘の心が閉ざされるのも無理はない。なぜなら晴山が眼鏡を外しながら言った「見なくていい」というセリフは、眼鏡っ娘の主体性を否定して、単に男が愛玩するだけのモノとして扱うという宣言だ。メガネを外すことは、女性の主体性を奪い去ることを意味する。

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しかし晴山の素晴らしいところは、「メガネをとったら美人」などという愚かなことを決して言わなかったところだ。晴山はつぼみをメガネのまま受け入れる。晴山は常にメガネのつぼみを応援する。心の底からメガネのつぼみをかわいいと思っている。そう、晴山は完全に眼鏡っ娘好きなのだ。外野からどれだけ反対されようと、ブス専だと馬鹿にされようと、眼鏡っ娘を愛する姿勢は微動だにしない。あきらめずにメッセージを伝え続けた晴山の熱意が実り、つぼみは心を開く。そして二人が結ばれたシーンの描写が、きわめて秀逸だ。

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セックス終了後、つぼみは言う。「あたしメガネかけていい? 晴山の顔ちゃんと見たいの」。「見る」という主体的な意志が、メガネをかけるという行為に象徴的にあらわれる。メガネをかけて真正面から晴山の顔をみつめる眼鏡っ娘。「今あたしのこと可愛い女の子だって思ったでしょ」という発言に込められた自信。つぼみが自分のことをブスだと思い込んで自信を持てなかったのは、自分のことを「見られる」だけの客体だと思っていたからだ。客体だと思っているから、他人の視線ばかりが気になる。しかしメガネをかけて「見る」主体となったとき、自分の意志で世界の見え方がまったく違うことを知る。メガネをかけることは、意志を持つ一人の人間として真正面から世界と向き合うことを意味する。他人の視線に左右されない自信が、ここではじめて生じるのだ。

自分に自信を持てない女の子こそ、メガネをかけて街に出よう。世界が違って見えるはずだ。

■書誌情報

つぼみと晴山の物語は、単行本『恋なんてできっこない』所収の4話と『赤いイチゴに唇を』所収の1話。メガネをかけて主体性を回復するのは『赤いイチゴに唇を』所収の「恋だけは放せない」。それぞれ電子書籍でも読むことができる。

単行本・Kindle版:中原みぎわ『恋なんてできっこない』 (フラワーコミックス、2002年)

単行本・Kindle版:中原みぎわ『赤いイチゴに唇を』 (フラワーコミックス、2002年)

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