この眼鏡っ娘マンガがすごい!第58回:反転邪郎「思春鬼のふたり」

反転邪郎「思春鬼のふたり」

秋田書店『週刊少年チャンピオン』2014年11号~47号

058_01

眼鏡っ娘高校生がヒロインの、スプラッターマンガ。あらかじめいちおう注意しておくと、血と死人が大量に発生するマンガなので、苦手な人にはハードルが高いだろう。

058_02眼鏡っ娘は主人公の侘救くんのことが大好きで、重度のストーカーになっている。侘救くんのリコーダーの先を舐めちゃうくらい。ところがその侘救くんは、司法の力が及ばない極悪人どもを秘密裏に葬る、闇の殺し屋だったのだ。ということで、『悪滅』とか『デスノート』とか『必殺仕事人』とか『ダーティーハリー』といった系列の、法治国家の範囲に納まらない正義を実現しようという主人公の行動と葛藤が話の柱となる。その設定を説得力ある物語にするためには、法治国家を無視するほどの主人公の正義がいかほどのものなのかに加え、手段の正統性がどの程度担保されるかにかかってくるわけだが、ここではとりあえずそんなものはどうでもよい。眼鏡が問題だ。そう、本作のヒロインの徹底的な眼鏡ぶりは、実に気持ちが良い。特に素晴らしいのは、呼ばれるときに名前で呼ばれず、「メガネさん」とか「眼鏡ちゃん」と呼ばれるところだ。誰も眼鏡ちゃんの眼鏡を外そうとしないところだ。眼鏡ちゃんは眼鏡をかけているからこそ眼鏡ちゃんであることを、周囲が違和感なく受け止め、本人もそれを当たり前だと思っている。その当たり前の空気感を醸し出すことは、実はけっこう難しい。ビジュアルだけでなく、性格や行動様式にも眼鏡らしさがなければならないからだ。

058_03特に感心したのは、「見る/見られる」ということの認識論的意味をきちんと踏まえてキャラクターが作られている点だ。眼鏡ちゃんは、ふだんは侘救くんのストーカーをしている。つまり、極めて「見る」ことに特化した行動様式をとっている。そして相手から「見られる」ことはない。このような行動様式に、眼鏡という「見る」ことに特化したアイテムは、とても相応しい。
しかしそんな眼鏡ちゃんが演劇で白雪姫を演じるというとき。「今日の私はいつもとは違う!」と言う眼鏡ちゃんは、なんとコンタクトにしている。ふだんならガッカリするところだが、この作品には感心した。眼鏡ちゃんの認識では、「いつもと違う」のは、眼鏡からコンタクトにして「見た目」が変わったことではなくて、「いつも侘救くんを見てる私が、今日は見られる側になるってこと」だ。つまり、眼鏡を外すことが「見た目」を変えることではなく、「見る側」から「見られる側」へ変わることだとしっかり自覚しているのだ。ここで、眼鏡ちゃんの眼鏡が単なる外面的な記号ではく、認識論的な意味を担っていたことがわかる。眼鏡は「見る」という意志の象徴だ。眼鏡に「見る意志」が宿っているからこそ、人々は眼鏡ちゃんの人格を眼鏡と一体のものと認識せざるを得ないのである。

話や画面が非常に殺伐としていてBADENDの予感しかなかったマンガが、眼鏡ちゃんの終始一貫したブレない姿勢のおかげで、芯の強い作品となった。あと表紙の絵がなかなかエロくて思わず買ってしまったが、中身はそんなにエロくはなかった。いや、ちっとも残念じゃなかったぞ!!ほんとに!

■書誌情報

単行本は新刊で手に入るし、電子書籍でも読める。

Kindle版・単行本:反転邪郎『思春鬼のふたり』1巻 (少年チャンピオンコミックス、2014年)

■広告■


■広告■

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第38回:小山田いく「むじな注意報!」

小山田いく「むじな注意報!」

秋田書店『週刊少年チャンピオン』1996年37+38号~97年34号

038_01評価が難しい作品だということを、あらかじめ確認しておきたい。まず、代替の効かない優れた作品であることに間違いはない。特に主要登場人物のうち3人が魅力的な眼鏡っ娘であることは、極めて賞賛に値する。小野寺浩二や西川魯介ならともかく、一つの作品に複数の眼鏡っ娘を投入してくる作品は滅多にない。ましてや週刊少年誌掲載作品だ。さらに眼鏡っ娘ふたりがダブルヒロインとして主人公と三角関係になるところなど、類例は見当たらない。すばらしい。
しかしその一方で、3人の眼鏡っ娘のうち一人が眼鏡を外してかわいくなるなどという、例の愚かなアレをやっちまったのだった。ガッデム。この愚かな行為によってすべてが台無しになっているのか、それともやはり他に類を見ない優れた眼鏡っ娘マンガとして歴史に名を留めるべきなのか、その判断が非常に難しく、評価が定めがたいのだ。

そこで、まずはメガネを外して美人になってしまう内山礼子を詳しく見てみよう。注意したいのは、礼子の初登場が3話であって、当初からダブルヒロインの一人として予定されていたかどうかが怪しい点である。礼子は当初はギャグメーカーとして利用されており、主人公の顔にゲロをぶちまけたりクラスメイトに鼻水を噴射するなど、およそヒロインとはかけ離れたエピソードが連なっている。その礼子が美人になるのが、第12話「メガネをかけたシンデレラ」だ。お約束通り美人になった礼子は、礼子だと気づかれないまま、主人公のむじなやクラスメイトとデートする。遊んでいるときはとても楽しかったはずだが、家に帰るときはとても寂しい。それは、美人になった自分を、むじなやクラスメイトが自分だとわかってくれなかったからだ。少女マンガと同じく、やはり「アイデンティティ・クライシス」がテーマになっていると分かる。しかしさすが主人公、むじなだけは、それが礼子本人であることに気が付いていた。

038_02自分だと気が付いてくれた主人公むじなに、礼子は心から感謝する。「昨日の私…いくらかわいくても浮かれシンデレラ。ほんとの私は今の私」。そう、これは乙女チック少女マンガの起承転結構造だ。この12話を見る限り、本作は眼鏡っ娘を眼鏡のまま受け入れるという、眼鏡王道で間違いないのだ。

しかし惜しいことに、連載が進むうちに、眼鏡をとると美人になるエピソードが、アイデンティティとは無関係に安易に使用されるようになっていく。それに伴って、最初はギャグメーカーだった礼子がストーリーの中核に躍り出てくるようになる。これは私の憶測にすぎないが、12話に見られるような当初予定されていた乙女チック路線が、読者アンケート等を反映するうちに外見だけを重視する男目線の眼鏡描写へと傾いていったのではないだろうか。正直に言って、3巻までは楽しいのに、4巻以降は読みすすめるのが辛くて辛くて仕方がないのだ。
ということで、眼鏡至上主義的な私個人の観点では、前半は稀に見る傑作、後半は普通の少年マンガという評価になるだろう。

038_03他の眼鏡っ娘2人は、眼鏡を外して美人になるなどということはない。もしなっていたとしたら、八つ裂きにするところだった。永森樹美子は真面目で優しい優等生タイプの眼鏡っ娘で、むじなのことが密かに気になっているツンデレキャラ。第12話で礼子がかわいくなるエピソードでは、礼子を応援しているように見せながら、心の中ではツンデレっているところがとてもかわいい。当初はメインヒロイン扱いかと思われたが、途中からその座を礼子に奪われてしまう。とはいえ、最後まで重要な役割を果たし続ける。本音を言えば、彼女にするなら礼子よりも樹美子のほうが絶対にいいと思うんだがなあ。

038_043人目は、比較的登場シーンは少ないものの、存在感のあるエピソードで活躍を見せる遠藤聖代さん。とても図書委員らしい雰囲気を漂わせているが、エッチなおじさんにアッパーカットを喰らわせて撃退する意外性が魅力的な眼鏡っ娘だ。聖代さんが活躍する回は、独特の魅力に満ちている。

というわけで、たいへんもったいない面があるものの、他に代わりが効かない傑作であることはもちろん間違いがない。最後のシーンまで礼子ちゃんがきちんと眼鏡をかけていたことは、本作の良心だろう。

さてしかし、作者の小山田いくが眼鏡的にさらに素晴らしいのは、実は「むじな注意報」単行本第5巻に同時収録された読み切り作品に見える。それについては、また次回に。

■書誌情報

新刊では手に入らないようなので古本で入手するしかないのだが、驚くべきプレミアがついている。本作だけでなく、小山田いく作品全体がプレミア価格になっている。どういうことだ。

単行本セット:小山田いく『むじな注意報!』全5巻(少年チャンピオン・コミックス)

■広告■


■広告■