この眼鏡っ娘マンガがすごい!第95回:吉田まゆみ「ハッピーデイズ」

吉田まゆみ「ハッピーデイズ」

講談社『Fortnightly mimi』1989年no.13~90年no.13

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眼鏡っ娘とメガネくんが結ばれる恋愛物語だ。ただし、眼鏡そのものについて書くことは、なにもない。この「眼鏡そのものについて書くことがなにもない」ということが実は重要なのだということを、以下、少し作品自体を離れて書いていく。

095_02まず吉田まゆみを語る上で絶対に外せないのは、圧倒的に大量の眼鏡っ娘キャラを描いているという事実だ。もちろんマンガ家生活40年という長いキャリアも一つの要因となる。が、私が確認できただけでも20世紀中だけで17人の眼鏡っ娘キャラを描いている(もちろんモブに出てくるだけの端役等は除いた数)。実はこれほど大量に眼鏡っ娘を描いている作家は、他には陸奥A子とめるへんめーかーくらいしかいない。個人的に、陸奥A子・めるへんめーかー・吉田まゆみを少女マンガ眼鏡界の「3M」と呼んでいる。
そしてこの3Mが描く眼鏡っ娘は、性格的にもとても興味深い。これだけ大量に眼鏡っ娘を描いているにもかかわらず、あるいはそれ故にか、「眼鏡っ娘のステロタイプ」が見当たらないのだ。頭がいいとか、委員長だとか、本をよく読むとか、オタク要素があるとか、意地っ張りだとか、容姿にコンプレックスを持っているとか、そういうステロタイプな要素が欠落しているのだ。くらもちふさこや田渕由美子が展開したような少女マンガ特有の「乙女チック眼鏡っ娘」の要素も極小だ。眼鏡というアイテムを何かの象徴にすることが、一切ない。ただ単に視力が低くて眼鏡をかけているだけで、他に性格的な特徴がないという眼鏡っ娘。それを大量に描いているために、「眼鏡に特徴がない」ことが逆に特徴となって、いやがおうにも目立つのだ。
095_03そしてそれは「評論泣かせ」の原因でもあるだろう。吉田まゆみは40年間もマンガ界の第一線で活躍していることから明らかなように、非常に人気の高い作家だ。絵も美しく、画面構成もストーリー展開も巧みで、セリフの端々にユーモアセンスとインテリジェンスの高さを感じる。要するに、極めて高い実力を備えている。その人気と実力とキャリアに比して、極端に「語られること」の少ない作家でもある。それはおそらく評論家的な感性を持つ人々に対する「とっかかり」が欠落しているのが理由だろう。そしてその「とっかかりの欠落」とは、具体的にはまさに「眼鏡に特徴がない」ことに現れている。眼鏡に特徴のある作家、たとえばくらもちふさこや高野文子や田渕由美子は評論家的な感性を持つ人々の興味の対象となりつづけている。眼鏡というアイテムになんらかの意味を帯びさせることをするような作家は、他のアイテムにも同じような働きかけをする。象徴性を帯びたアイテムは、評論家的な感性を帯びる人々の魂をくすぐる。作家の眼鏡の扱い方を見れば、評論家的な人々が食いつくかどうかは、だいたい想像がつく。吉田まゆみには、それが欠けているのだ。

ということで、本コラムでも、眼鏡について書くべきことは、実は特にない。しかしその「書くべきことが特にない」ということがいかに貴重なことかは、強調しておきたい。空気のように眼鏡をかける。誰もが眼鏡をかける世界にするために、あらゆる先入観とステロタイプは排除しなければならない。吉田まゆみの描く眼鏡らしい特徴のない眼鏡っ娘は、実はその理想的な姿を見せてくれているのだ。そんなわけで、眼鏡っ娘とメガネくん(アメリカ人)は、特に眼鏡ということにこだわりもなく、空気のように眼鏡をかけながら、キスをする。おめでとうおめでとう。

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そんな空気のような吉田まゆみ眼鏡だが、敢えてとっかかりを見つけようとすると、やはり80年代の代表作『アイドルを探せ』の分析が突破口になるだろう。眼鏡に注目することで、評論家的な感性を持つ人々が黙殺し続けてきた重要な何かが見つかるのだ。それについては、また別の機会に。

■書誌情報

単行本全2巻。文庫版も出ているし、電子書籍で読むこともできる。単行本の黄色地の表紙がアメリカっぽくてオシャレ。

Kindle版:吉田まゆみ『ハッピーデイズ』全2巻
単行本:吉田まゆみ『ハッピーデイズ』全2巻
文庫版:吉田まゆみ『ハッピーデイズ』(中公文庫―コミック版)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第94回:寿限無「マニー」

寿限無「マニー」

新書館『ウイングス』1989年第68号・73号・79号

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さすがに時代を感じるアイテムだなあ。βデッキはともかく、29インチテレビが昭和の終わり頃にどれほどすごかったかは、21世紀に生きる人々にはわからないだろう……。ともかく、これはすごいことだったのだ。
094_03ということで、本作は「マニア」をテーマとしている。これまた21世紀に生きる我々にはわからないことだが、当時は「マニア」と「オタク」と「コレクター」をかなり明確に峻別していた。この場合の「オタク」とは、いわば東浩紀言うところの「動物化」した人々で、受動的な消費に特化している(現在の用法と違うことには重々注意)。一方「マニア」とは、本作の主題となっているように、ひとつのことにこだわり、熱中して、その結果として人類の進歩を促す人々を意味する。今では「オタク」という言葉が一定程度この意味を担っているようだが、1989年当時は宮崎勤事件で「オタク」という言葉が氾濫していたため、自分たちを「Mくん」と峻別しようという意識が働いていた可能性があるかもしれない。
さて、マニーの首領であるメガネくん遠藤に立ち向かう女マニーは、眼鏡っ娘だ。ここに眼鏡っ娘v.s.メガネくんの熾烈な戦いが幕を開ける。戦いのテーマは、「杏仁豆腐のおいしい作り方」だ。恐るべし、遠藤。メガネくんは杏仁豆腐のおいしい作り方にも熟練していた!

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こうして眼鏡っ娘は、遠藤たちの仲間になるのだった。
そこに新たな敵「妥教」が襲ってくる。すべての人々の心の中にある「マニアックな部分」を破壊し、「妥協」する心を植え付ける、恐ろしい集団だ。妥教に支配された人々は気力を失い、世界はたちまち荒廃してしまう。戦えマニー! ぼくらの平和を守れるのは君たちしかいない!
そんなマニーの首領・遠藤は、眼鏡っ娘がメガネを外したらどうなるかに興味津々なのだった。

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ところで「マニア」とはプラトン哲学の中で重要な位置を占める概念だ。周知のとおりプラトンの「イデア論」は、人間の感覚では掴むことのできない「イデア」のみを真の実在とし、我々の感覚に触れるものは全てイデアの「影」にすぎない偽物と言う。プラトンによれば、真実を知るということは、人間の感覚に頼らず、ものごとの真の姿を魂で捉えることだ。しかし五感に頼らずに魂で物事を見るためにどうすればいいのか。プラトンはここで「マニア」が重要だという。「マニア」とは、ギリシア語で「狂気」を意味する。プラトンによれば、常識的な感覚ではものごとの真の姿を捕えることは不可能だ。人々は「狂気」に陥った時、初めて真の姿を把握することができる。その事情は、たとえば「恋愛」という現象に最も顕著に表れる。「あばたもエクボ」という言葉があるが、客観的に見ればさほど美しくない女性に対して熱狂的に恋に陥ることがある。プラトンは言う。それは人間の感覚で捉えられる女性の表面上の姿を見ているのではなく、狂気に陥って、物理的な女性の姿のはるか彼方の「美そのもの」を見ている状態であると。客観的に見るとただの「あばた」が、狂気に陥った時に「エクボ」となる。そしてそれこそが「美そのもの」を捉えるための唯一の道なのだ。
本作で描かれている「マニー」たちも、プラトンが言う「狂気」を通じて「ものごとの本質そのもの」を捉える人々だ。そしてそれが他の動物にはない、人類の力だ。この「マニア」の力を押さえつけ、去勢しようとする人々が後を絶たない。そんな「妥教」に対して、我々は戦い続けなければならない。めがねっ娘教団は、だから、全ての眼鏡っ娘と眼鏡っ娘を愛する人々のために戦い、世界の本質を求め続けるのだ。

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ちなみに自慢だが、私は小学生の時にZ80のハンドアセンブルができた。RETがC9てのはいまだに覚えていたり。小学生の時に組んだプログラムが『マイコンBASICマガジン』に掲載されたりしたんだぜ。しかし21世紀では「マシン語」どころか「BASIC」も死語じゃのう。

■書誌情報

同名単行本に3話所収。著者の「寿限無」は、アニメーターの新岡浩美さん。マンガ単行本は新書館から4冊出ている。本作は、80年代にマニアをやっていた人が読むと、たぶん、とても楽しい。

単行本:寿限無『マニー』(ウィングス・コミックス、1990年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第46回:るりあ046「ファントムシューター・イオ」

るりあ046「ファントムシューター・イオ」

白夜書房『ホットミルク』1989年1月号~90年10月号

広い範囲で眼鏡っ娘がブレイクを始めたのが、客観的なデータから見た場合、1995年であることは間違いがない。その起爆剤となったルートは、おそらく主に3つある。ひとつめは伊藤伸平、西川魯介、小野寺浩二の発表の舞台となった雑誌『キャプテン』。ふたつめは解像度が上がったコンシューマ機でプレイ可能になったギャルゲーで、代表的なものが『ときめきメモリアル』。みっつめが、中村博文の中綴じカラー4Pが衝撃的だった雑誌『ホットミルク』。今回は、眼鏡黎明期における『ホットミルク』の重要性について。

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『ホットミルク』には、眼鏡黎明期を考える上で極めて重要な作品が2つある。ひとつは田沼雄一郎「少女エゴエゴ魔法屋稼業」で、もうひとつが今回紹介する作品だ。まず、絵がすごかった。

80年代後半のオタク御用達マンガと言えば、萩原一至か麻宮騎亜といったところだったが、残念なことに彼らはほとんど眼鏡っ娘を描かなかった。そんな眼鏡成分飢餓状態の中に、るりあ046は圧倒的な眼鏡っ娘を投入してきたのである。当時高校生だった私は、あっという間に心を鷲掴みされた。
046_03その絵柄は、いま見れば、80年代大友克洋の洗礼を受けた上で、かがみ♪あきら等ニューウェーブのエッセンスを良質に引き継いだ系統なんだろうと分かる。が、そこまでに蓄積された描画技術が眼鏡っ娘の形に具現化された時、これほどの威力を発揮するとは。それまでになかった魅力的な新しい眼鏡っ娘を生み出す。本来なら萩原一至や麻宮騎亜や、あるいは士郎正宗がやるべきであった仕事を、るりあ046が一人でやった。当時は単にかわいい眼鏡っ娘に心を鷲掴みにされただけだったが、いま冷静に振り返ってみたとき、それが極めて重要な創造であったと分かる。このあと、雑誌『ホットミルク』から次々と素晴らしい眼鏡っ娘が生み出されることになる。彼がいなかったら、眼鏡っ娘の歴史が数年遅れていた可能性すらあると思う。

ストーリー自体は、エヴァンゲリオンで最大限に昇華された類の、設定過剰説明不足の異能バトルだ。80年代後半からこの系統の作品が増加するわけだが、本作は眼鏡っ娘が活躍するだけでものすごく魅力的な作品になっている。特にギザジューを飛ばすシーンは、えらく印象に残った。

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そんな遠藤いおを世に送り出したるりあ046と、当時高校生で単に一ファンだった私が、15年後に同じ作品で仕事をすることになろうとは、お釈迦様でも気づかなかったのであった。いやはや。15年経っても、彼が描いた眼鏡っ娘は、やっぱりとても素敵だった。

■書誌情報

古書で手に入れるしかない。ちなみにエロマンガ雑誌に掲載されていたけれど、ちっともエロくないので、実用性には期待しないように。
単行本:るりあ046『ファントムシューター・イオ』(ホットミルクCOMICS、1991年)

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