この眼鏡っ娘マンガがすごい!第60回:速水螺旋人「靴ずれ戦線 魔女ワーシェンカの戦争」

速水螺旋人「靴ずれ戦線 魔女ワーシェンカの戦争」

徳間書店『月刊COMICリュウ』2010年12月号~13年2月号

060_01

その人を除いては絶対に描けないマンガというものがある。本作は、あらゆる意味で速水螺旋人にしか描けない、極めて個性的な作品だ。
060_02もちろん独ソ戦、スラブ民話、ロシア正教といった題材に対する深い知識、かわいらしい絵柄、フリーハンドで引かれたような背景の描線が醸し出す柔らかい世界観なども独特の個性を作り出しているが、仮にたとえ同じような知識と技術を持った作家がいたとしても、この独特の作品を生み出すことはできないだろう。戦争を通じて垣間見える「人間というもの」への洞察が、これほど冷徹でありながら同時に慈愛に満ちているということは、ほとんど奇跡のように思える。たとえば冷徹な面は、具体的には人間の死を描写するところに顕れている。描写が、乾いている。人間の死というものに、深い意味を持たせない。人は、突然、意味もなく死ぬ。多くのフィクションは、勢い、人間の死というものに何らかの意味を持たせながら物語を作り上げていく。感動的な「死」でなければ、人は「死」というものを耐えることができないからだ。だが、本作はそれを拒否して、人の死を無感動なものとして描く。死を無感動に描ける作家としては、他に伊藤伸平や高遠るいを思いつくが、そんなにたくさんいるわけではない。しかし死を冷徹に描くからといって、冷酷というわけではない。それを可能にしているのは、戦争というものに対する首尾一貫した姿勢にある。本作は、決して戦争を「抽象化」しない。徹底的に具体的に描き続ける。現在、集団的安全保障に関わって戦争に関する議論が喧しいが、右にしろ左にしろ、抽象化された議論は常に上滑りしている。抽象化されてキレイゴトとなった地に足のつかない議論同士の空中戦は、お互いに噛み合わずに永遠に空転し続ける。本作では、抽象化された戦争は常に揶揄の対象となっている。事態は常に具体的で細かなコミュニケーションの積み重ねから動いていく。私はミリタリーや安全保障に関する知識は世間並みにしかもっていないのだが、それでも本作を通じて「戦争というもの」に対する様々な感情が掻き立てられるし、さらに「人間というもの」の存在様式そのものに対する慈しみを感じ取ることができる。単に知識や技術があるだけでは、こういった感情を掻き立てられることはないだろう。作者の人格が作品に反映されているからこそ、題材や描写が極めて殺伐としているのに、温かみを感じるのだと思う。

060_03

が、とりあえずそのあたりのことはどうでもよい。眼鏡が問題だ。ナージャ、超かわいい。眼鏡のズレっぷりが絶妙。ここまで眼鏡のズレを極めたキャラクターは、そう滅多に見られるものではない。しかも眼鏡を主張せずに、ごくごく自然に眼鏡であることも素晴らしい。お風呂に入るときに眼鏡を外すシーンがあるのだが、そのときの「おまえ誰?」感がすごいのも素晴らしい。性格も眼鏡っぽい。根は生真面目なのに、ときどき素でとんでもないことをやらかす。超かわいい。しかも百合要素が多くて大興奮。女の子同士のキスシーンも、眼鏡っ娘が関わると興奮度256倍(当社比)。眼鏡っ娘の最後の戦いには、思わずほろっとしてしまった。眼鏡っ娘には幸せになってほしいなあ・・・と思いつつ、この後のソ連で生き抜くのは大変なんだよな・・・

■書誌情報

単行本全2巻。新刊で手に入る。ミリタリーやメカが好きな場合は、単行本収録のコラムはかなりおもしろいはず。

単行本:速水螺旋人『靴ずれ戦線』1巻 (リュウコミックス、2012年)
単行本:速水螺旋人『靴ずれ戦線』2巻 (リュウコミックス、2013年)

■広告■


■広告■

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第29回:高口里純「獣の条件」

高口里純「獣の条件」

集英社『漫’sプレイボーイ』2010年

029_01稲村まどかは、客観的に見たら、勘違いの痛い不思議ちゃんなんだろうなあ。まあ、眼鏡っ娘なので全面的に許す。というわけで、高校卒業後、女優を目指して上京する眼鏡っ娘。しかし当然そんなに簡単に女優になれるはずがない。そんな折、2つのキッカケが眼鏡っ娘に訪れる。ひとつは、キャバクラにスカウトされたこと。もうひとつは、ボディスタントとして芸能事務所に目をつけられたこと。眼鏡っ娘は、実は脱いだらスゴかったのだった。
ということで、スカウトされてキャバクラ店に向かうのだが、ここのエピソードがなかなか興味深かった。眼鏡を外したら、点目になって、ちっともかわいくないのだ。

029_02

まあそりゃあ、メガネをとったら、こうなるわな。
さて、そうこうあってキャバクラで働くことになった眼鏡っ娘は、自分では自覚していないものの、他に類を見ないモノスゴイ体によって、徐々に周りから一目置かれる存在へと変化していく。

029_03一方、芸能事務所と契約を結んだ眼鏡っ娘は、ボディスタントとして映画の濡れ場を一本こなす。その中で、ちょっとした成長を遂げ、周りからもその特殊な才能を徐々に認識されていく。そしてその特異な存在は、周りにも影響を与え始める。そんな眼鏡っ娘が新たな世界にチャレンジしようとして……唐突に物語は終わってしまった。

高口里純の持ち味といえば、代表作『花のあすか組』にも鮮明に見られるように、キャラクターの独特な存在感の強度にある。独立自尊の個性をこれほど説得力溢れるエピソードで描ける作家は、なかなかいない。その持ち味は、本作でもしっかり発揮されている。主人公の眼鏡っ娘が醸し出す存在の強度は、一歩まちがえばただの不思議ちゃんになるところに、独特な魅力を纏わせる。この魅力的な眼鏡っ娘の今後が気になるところで唐突に物語が終わってしまったのは、とても勿体ないことだと思う。

作品自体は惜しいなあという感じではあるが、ともかく、「眼鏡を外したらブス」という世界の真実を描いたことは記録に留めておきたい。

■書誌情報

単行本:高口里純『獣の条件』(ケータイ週プレCOMIC、2010年)全1巻。

高口里純は、他にレディコミで眼鏡さんをヒロインとした作品をそこそこ描いていて、やはり男に媚びない独立自尊の凛々しい眼鏡姿を見ることができる。

■広告■


■広告■

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第9回:槻宮杏「メガネアパート」

槻宮杏「メガネアパート」

白泉社『ララDX』2010年9月号

009_01春瀬ゆいは、眼鏡っ娘、高1。祖父に頼まれてアパートの管理人を務めることになったが、他人との共同生活ができるかどうか不安でたまらない。不安を助長するように、そのアパートに住んでいたのは同学年のメガネ男子3人だった。しかも彼らはメガネを外すと人格が変化する「めがね体質」だったのだ!

009_02
メガネ男子三人は、めがね体質がバレたら困るので、あの手この手で眼鏡っ娘を追い出そうとする。しかし眼鏡っ娘は様々な攻撃にもめげず、根性で頑張る。そんな姿勢に、メガネ男子三人の心も徐々に軟化し、眼鏡っ娘と次第に仲が良くなっていく。しかし、メガネ男子三人に恨みを持つ人間が、眼鏡っ娘に目を付けた。チンピラどもが眼鏡っ娘を拉致して三人の秘密を聞き出そうと画策する。悪の手に捕まって、ピンチに陥る眼鏡っ娘。

009_04
眼鏡っ娘を捕えたチンピラどもは、「めがね外したら美少女☆」とか、極めて頭の悪いセリフを吐く。そんな馬鹿どもには、当然のように、天誅が降る。なんと眼鏡っ娘は、眼鏡をはずすと強気で無敵な喧嘩無双の暴走人格に変わってしまう、めがね体質だったのだ! 木端微塵に吹っ飛ばされるチンピラども。だから眼鏡をはずしちゃだめだって言っただろう。

009_05眼鏡を外して人格がチェンジするという仕掛けは、この作品の他にもいくつかある。この仕掛けが成立するのは、そもそも眼鏡というものが「かけている=ON」か「外している=OFF」か二者択一で、決して中間形態をとることがないからだ。これを眼鏡の「デジタル性」と呼ぼう。身長とか髪型とか目の色とか、眼鏡以外の属性にはこのデジタル性はない。いくつかのマンガは、この眼鏡のデジタル性を利用して様々なエピソードを作っていく。本作「メガネアパート」では、眼鏡のデジタル性を二重人格とリンクさせて、おもしろい物語に仕立てた。しかし、このデジタル性を女性の美醜と安易にリンクさせたとき、悲劇が起こる。現実には二重人格と眼鏡のデジタル性がリンクすることがあり得ないのと同様、女性の美醜と眼鏡のデジタル性がリンクすることもあり得ない。メガネのデジタル性は、あくまでもその特性を利用してエピソードを作るために有用なものではあっても、眼鏡の現実とはまったく関係がないことを肝に銘じておく必要がある。メガネを外して美人になるのはマンガの中だけであって、現実にはありえない。
それはともかく、この眼鏡のデジタル性が有効に活用されたときに、マンガ史上に画期的な表現「乙女ちっく」が生み出されることとなるが、その事情はまた今後の作品で確認していこう。

■書誌情報

単行本:槻宮杏『メガネアパート』 (花とゆめCOMICS、2011年)に所収。

■広告■


■広告■