この眼鏡っ娘マンガがすごい!第40回:伊藤伸平「マッド彩子」

伊藤伸平「マッド彩子」

小学館『増刊少年サンデー』1987年5月号

本作の眼鏡的な最大の見どころは、「光学屈折」の描写にある。まずは引用図を確認していただきたい。

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ヒロイン彩子の顔の輪郭線が、レンズの部分でズレているのが分かるだろう。これは「光学屈折」という物理上の現象だが、これをマンガでしっかり描写したのは、私が知る限り、伊藤伸平がもっとも早かった(※修正:ゆうきまさみ『究極超人あ~る』は、1985年時点でメガネ男子に屈折描写があります)。この業績によって、伊藤伸平は「屈折描写の父」と呼ばれている(主に私が呼んでいる)。この作品は1987年に発表されており、その先駆性には驚かざるを得ない。

近眼の人が眼鏡をかけてモノがよく見えるようになるのは、眼に入ってくる光が網膜上でしっかり像を結ぶように、光の角度をレンズによって「屈折」させるからだ。逆に、眼鏡っ娘の顔に当たって反射する光は、レンズを通るときに「屈折」する。レンズの部分で顔の輪郭がズレて見えるのは、そのせいだ。この現象自体は小学校の理科でも学ぶ簡単な原理ではある。が、光学屈折を絵できちんと描写することは99.999%ない。というか、できない。人間の脳は、眼で見たものを見たままに認識することは不可能だし、さらに言えば見たままに認識する必要もない。人間の脳が「見たいものしか見えない」ようにできていることは、心理学の「注意」概念の研究で知見が蓄積されている。目の前で現実に起きている「光学屈折」がマンガの絵でほとんど描写されないことは、人間の脳が見たままを見たままには認識しないことの一つの例と言える。
が、伊藤伸平は誰もが無視する「光学屈折」を的確に表現した。あまりにも不思議だったので、私はトークイベント「メガネっ娘居酒屋委員長」で、「どうして光学屈折を描くことができたのか?」と直接うかがったことがある。その回答に、また驚いた。彼は「だって、そう見えるじゃない」と、こともなげに言ったのだ。そう、伊藤伸平は、見たままを見たままに認識している! 恐るべし、伊藤伸平。彼を心理学の実験対象にしたら、人間の脳の能力についていろいろ新しい知見が得られることだろう。

040_03伊藤伸平が描く眼鏡っ娘は、とてもかわいい。主人公なのはマッド彩子くらいしか知らないが、重要なポジションを占めるレギュラーとして眼鏡っ娘がよく出てくる。『楽勝!ハイパードール』の間祥子ちゃんとか、『エンジェル・アタック』の友郷さんとか、容赦ない殺伐とした物語展開の中で一服の清涼剤となっている。
そのなかでも伊藤伸平初心者に安心してお勧めできるのは、『大正野球娘。』の川島乃枝さんかなと思う。原作付マンガではあるが、けっこうやりたい放題やっていて、いつもの伸平節は健在。乃枝さんで注目なのは、お風呂シーン。乳首が見えてもちっとも興奮しないが、湯船でもしっかりメガネをかけている姿を見ると興奮しますな、げへへへへ。

また、「マッド彩子」掲載誌の『増刊サンデー』は、80年代の眼鏡っ娘を考える上でたいへん重要な雑誌だ。みず谷なおき、安永航一郎、石川弥子、神崎将臣など、素晴らしい眼鏡っ娘を描いた作家が一堂に会している。増刊サンデーが育んだメガネ文化については、いちどしっかり考察する必要がありそうだ。

040_04ところで、表題作の「マッド彩子」だが。マッド彩子と聞くと、思わず藤子・F・不二雄のSF短編集「かわい子ちゃん」の松戸彩子を想起してしまうので、ついでといってはなんだけども。
トキワ荘のマンガ家は、事実として、ほとんど眼鏡っ娘を描かない。その中で松戸彩子は貴重なトキワ荘系眼鏡っ娘だ。そしてあの藤子・F・不二雄のメガネデッサンが完全に狂っていることにも注目していただきたい。デッサンの狂いは、横顔のメガネに明らかだ。だが、言われなければ、この眼鏡のデッサンが狂っていることに、どれだけの人が立ち止まるだろうか? 人間の脳が見たものを見たままには認識しないということである。だから、デッサンが狂っていることは、実はまったくたいしたことではないのだ。

■書誌情報

「マッド彩子」2話は単行本『アップル・シンデレラ』に所収。ただし第2話はオリジナル原稿紛失のためにコピーから版を起こしている。電子書籍で読むことができる。

Kindle版:伊藤伸平『アップル・シンデレラ』 (大都社、2000年)

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