この眼鏡っ娘マンガがすごい!第165回:さいとうちほ「少女革命ウテナ」

さいとうちほ/原作・ビーパパス「少女革命ウテナ」

小学館『ちゃお』1996年9月号~98年3月号

アンシーが目の前に現われたときは、強烈な衝撃でした。褐色の眼鏡っ娘! 確かに90年代前半には「ふしぎの海のナディア」等の影響で褐色ブームがあったのかもしれません。しかし褐色に眼鏡という組み合わせは、あまりのインパクトでありました。

この褐色の眼鏡っ娘アンシーが、本作のヒロインであります。ちなみに本作に限っては誰が「ヒロイン」で誰が「王子様」なのかについて極めて錯綜とした議論が巻き起こる可能性はあるでしょうが、さしあたってアンシーがヒロインということにさせていただきます。なんといっても、バラの花嫁なのですから。

本作では、バラの花嫁アンシー争奪をかけて、激しい争いが繰り広げられることになります。争いの中で、なんと、眼鏡っ娘の胸から剣が出てくるのです。うらやましい。私も眼鏡っ娘の胸から剣を取り出してみたいものです。

しかし、物語の黒幕はなんとアンシーの兄でありました。出てきた瞬間、こいつが悪い奴だということは、即座に分かります。誰でもすぐに分かります。というのは、アンシーの眼鏡を外すからであります。眼鏡を外す外道にいい奴など一人もいません。眼鏡を外すということは、相手の視力を奪うということであり、相手と世界の繋がりを断ち切ろうとすることです。眼鏡を外す奴は、相手を自分の思い通りにコントロールしたいというドス黒い欲望を持っているのです。

そんなわけで、眼鏡を外されたアンシーは、棺桶に封じられてしまいます。眼鏡は世界と繋がっていることの証しでしたから、眼鏡を失うことは封印の象徴なのです。

そこでアンシーを見て、アンシー大好きな西園寺が叫ぶのです。

そのとおりだ、ばかやろう! アンシーを返せ! アンシーの眼鏡を返せ! 頑張れ西園寺!
西園寺くんに対しては、物語冒頭でアンシーを叩いたりするDV野郎として極めて悪い印象を持っていたのですが、こやつ、本気でアンシーのことを好きなのであります。眼鏡っ娘好きに悪い奴はいません。西園寺くんの評価は、このエピソードで一気に回復したのでありました。

そしてなんだかんだあってウテナが黒幕を倒すと、そう、アンシーの眼鏡が復活するのであります! 眼鏡をかけてウテナを凝視するアンシー! アンシーが眼鏡をかけたのは、世界に舞い戻ったことの象徴であります。眼鏡をかけた視線の先にウテナがいるのは、主観的な認知と客観的な世界が繋がったことを表わしているわけです。素晴らしい流れであります。

さて、そんなアンシーがどうしてバラの花嫁をしているかなどの多くの謎は、実は作中では解決しません。秘密は眼鏡の中にしまってあるのかもしれません。

そして、そんなアンシーは14歳。眼鏡っ娘なのに勉強が苦手なのでした。
いろいろな意味で、既存の眼鏡っ娘観の枠に収まらない、新しい可能性を見せてくれたキャラクターでありました。

書誌情報

同名単行本全5冊。新装版では全6巻。電子書籍で読むこともできます。アニメ化もされており、各種コンテンツが充実しています。アニメのほうでご存じの方が多いかもしれません。
しかし、さいとうちほが連載を始めたときは、不安しかありませんでした。というのも、さいとうちほはそれまでに眼鏡作品を3作描いているのですが(「秘めごとの夏」「時計じかけの愛人」「影―オンブル」)、その3作すべてで眼鏡を外して美人にしてしまうという、極めて不都合な作風だったからです。本作も、眼鏡を外して云々という最悪なパターンにはまってしまうのではないかと我々が恐れをなすのも無理ない話というものです。
が、最終的にアンシーの眼鏡は失われてしまったものの、眼鏡の魅力を否定するような極悪な作品にはならなりませんでした。ほっと胸をなで下ろしたのです。

【単行本・Kindle版】さいとうちほ/原作・ビーパパス『少女革命ウテナ』1、小学館、1997年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第164回:PEACH-PIT「みずたま」

PEACH-PIT「みずたま」

少年画報社『月刊ヤングキングアワーズ』2001年

前々回の『マリアナ伝説』に続いて、水球をテーマにした作品をご紹介します。ええ、水球をテーマにした作品のはず……です。
……。というか、どうして水球を扱う作品は、どいつもこいつも真面目に水球をしないのでしょうか!?(事例2つですが)

ということで、水球はどうでもいいので、眼鏡っ娘を見ていきましょう。

ああっ、かわいいですね。主人公の眼鏡っ娘は、高校一年生です。そしてカナヅチを克服するために水泳部に入りたいと思っていたのですが。

なぜか水球部に拉致されて、入部を強要されてしまうのでありました。強引な水球部メンバーに最初は反感を持っていた眼鏡っ娘でしたが、最終的には廃部から救うため、マネージャーとして入部を決意するのです。

いやあ、いい話ですね~。
って表面上は見えますが、いやいや、実際に読んでみると、そういう感動的な流れではまったくありませんので、ご安心ください。

さて、そんなわけで水球はどうでもいいのですが(実際の作品も南国アイスホッケー部ばりに水球と関係ありませんし)、眼鏡っ娘はとてもかわいいですね。一見するとぞんざいな線でフレームが引かれているだけのように見えますが、少女マンガ眼鏡技法の歴史と伝統を踏まえた眼鏡ラインの正統な進化形のように思えます。少女マンガではライン一本で眼鏡を表現してきたわけですが、だからこそラインの位置と質が重要になってきます。本作は、それがもう、抜群です。いいですね~。

それから本作には、眼鏡っ娘がもう一人登場します。

部長の平しずかさんは、眼鏡がないとヤブニラミで人相が悪くなるところが、とてもキュートですね。

短編なのにかわいい眼鏡っ娘と眼鏡姐さんが揃っていて、とてもコスパがよい作品です。

書誌情報

「みずたま」と「みずたまⅡ」の全2話。それぞれ24頁と16頁の短編。単行本では『PEACH-PIT初期作品集もものたね』に所収。どうも新刊では手に入りにくい雰囲気ですが、まだ古書で容易に手に入るのではないかと思います。
ところで「ウォーターボーイズ」の公開が2001年のことですが、本作もなにかしらの影響を受けているのでしょうか。まあ、本作でもまったく水球をやりませんけれども。

【単行本】PEACH-PIT『もものたね PEACH-PIT初期作品集』メディアワークス、2005年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第163回:小森麻実「恋はなに色?」

小森麻実「恋はなに色?」

秋田書店『プリンセス』1978年12月号

「眼鏡を外したら美人になる」なんて言う奴は、頭がおかしい。ということを、ものすごくよく分からせてくれる作品なのです。

本作の眼鏡っ娘は、脇役で登場する、29歳の小夜子さんです。主人公からは、行き遅れのオールドミスなどと言われております。いつもくどくどと小言を言っているので、仕方ないかもしれませんけれど。

ところが実は、小夜子さんが結婚しないのは、決してモテないからではなかったのです。初恋の人が忘れられなかったから、結婚しなかったのです。

なんと、その初恋の相手は、「天使」だったのでした。

そしてその天使が小夜子さんの前に現れ、両想いであったことが分かり、かたく抱き合います。良かったのではありますが、問題はここからの展開です。なんと、「眼鏡を外すと美人」という展開になっていくのです。天使は「素顔を見て驚くなよ」と言って、眼鏡を外すのであります。眼鏡を外して美人だなんて、そんなことがあるわけがない! ああ、眼鏡が外される!

ということで、眼鏡を外してしまうのですが…。天使がドヤ顔で「どうだ!」と言った素顔たるや…。

実は、「眼鏡を外すと美人」というのは、単に天使の美的感覚が狂っていただけだったのです。そうなんです。眼鏡を外して美人だなんて、あるわけないのです。
ということで、世間で「眼鏡を外すと美人」などと言っている馬鹿野郎がいたら、「美的感覚が狂っている」ということでファイナルアンサーです。

書誌情報

同名単行本所収。「夢はなに色?」「恋はなに色?」「天使なに色?」の全3話。眼鏡を外して美人?になるのは「天使なに色」のエピソードです。
電子書籍で読むことができます。
【Kindle版】小森麻実『恋はなに色?』秋田書店、1980年
【単行本】小森麻実『恋はなに色?』秋田書店、1980年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第162回:田丸浩史×ゆうきまさみ「マリアナ伝説」

田丸浩史×ゆうきまさみ「マリアナ伝説」

AIC『AICコミックLOVE』2000年vol.6~富士見書房『月刊ドラゴンエイジ』05年6月号

まあ、いろいろな意味で問題作だとは思います。少なくとも私は、最終話を読んだ後に「まじかー」と言って引っ繰り返り、床に後頭部をしこたま打ち付けました。第3巻の帯には「衝撃のエンディングが君を待つ!?」と書いてあったわけですが、いやまあ、少なくともこの言葉に偽りはありません。
ま、そういう面にはいっさい触れず、眼鏡に注目して見ていきたいと思います。

本作のヒロイン(?)は、眼鏡っ娘の天野です。ハテナがついているのは、実際にヒロインらしい活躍をするのが栗下(♂)だったりして、眼鏡っ娘が微妙な扱いだったりするからなのですが。まあそれが田丸テイストというものですので、ご安心ください。
単行本の表紙だけ見ると、体操服だったりスクール水着だったりと、圧倒的にヒロインなんですけどね。(これを踏まえてDEEPのほうの表紙を見ると、吹く。)

で、本作のテーマは「水球」なのではありますが、それは比較的どうでもいいことではあります。いや、本当にどうでもいいことなのであります。そんなわけで、眼鏡っ娘とのラブコメに注目していきましょう。
11話あたりから、こそばゆいラブコメ展開に入っていきます。主人公とヒロインが、とてもいい感じになります。「待ってました」という感じです。

いやあ、いいですねえ。
ただ、その後はあまり普通のラブコメにならないのは、いつも通りですね。

と思ったら、不意打ち的に、けっこうマジなラブ展開が控えておりました。第17話で二人の仲は急展開を迎えるのであります。うおー。

まじ告白であります。「メガネの似合ってるトコが好きだ」というセリフは、ぜひ積極的に使っていきたいところです。
そしてチューになるのですが、そこで「眼鏡あるある」が。

いやあ、可愛いですね。
ちょっと慣れてくると眼鏡同士でもしっかりチューできるのではありますが、このシーンには二人の初々しさが表れているところであります。
「ドドドドドドド」という効果音が気になりつつ、メガネ男子と眼鏡っ娘のラブラブをしっかり堪能するのでありました。ありがとうございます。

書誌情報

同名単行本全3巻。また2011年にはエンターブレインから『マリアナ伝説DEEP』(上下巻)として再版されています。筋肉と眼鏡っ娘が同時に堪能できる、なかなか希有な作品です。というか、他に類を見ない、比較不可能な作品となっております。眼鏡ラブラブの後に衝撃の最終話(というかラスト4頁)が待っているとは、お釈迦様でも気がつきません。

【単行本】田丸浩史×ゆうきまさみ『マリアナ伝説 (1) 』角川書店、2003年
田丸浩史×ゆうきまさみ『マリアナ伝説 DEEP (上)』エンターブレイン、2011年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第161回:尾崎七千夏「Oh!ダーリン今はせめないで」

尾崎七千夏「Oh!ダーリン今はせめないで」

講談社『別フレDXジュリエット』1989年7月号

ヒロインの眼鏡っ娘は、カタブツの風紀委員長です。風紀委員長には、眼鏡がとっても似合います。本作の見所は、この風紀委員長のツンデレっぷりなのであります。

さて、物語冒頭。眼鏡委員長は、校則を守らずに髪を伸ばしているロックバンドの面々に対し、一週間以内に髪を切らなければ退学にすると最後通告をするのであります。厳しいっ!

絵を見ればすぐ分かるように、委員長の髪の毛は、すばらしく長い三つ編みになっております。自慢の髪の毛です。本作は、この「髪の毛」をライトモチーフとして展開していきます。

ロックバンドの面々の前を通過するときの、この「つん」っての、いいですねえ。まさに委員長は「つん」でいきたいものですね。

が、「つん」していた委員長ですが、デレます。

ロックバンドのボーカル櫻庭くんには、髪の毛を伸ばす正当な理由があったのです。彼の信念に触れた委員長は、少しずつデレていきます。そのデレかたも、素直じゃなくて、とても良いのですけどね。

さて、彼らに校則を守らせることが正しいのかどうか、委員長は迷うようになるのですが、最終的に彼らは髪の毛を切ることになります。委員長は、自分のせいで彼らの夢を壊したと後悔します。後悔して、自慢だった自分の髪の毛を切ってしまいます。

それを見た櫻庭くんは、「どんな髪でも好きだよ」と言ってくれます。相手の外見で態度を変えない、これこそ少女マンガのヒーローです。ツンデレ委員長の心を溶かすのは、この姿勢なのであります。お二人さん、末永くお幸せに!

まあ、私が察するところでは、櫻庭くんは委員長が眼鏡のところが大好きで、髪の毛は長くても短くてもどちらでも良かったのではなかったかなと思うんですけどね。

書誌情報

本編は50頁の短編。単行本『キューピッドがここにいる』所収。残念ながら新刊で手に入れることはできなさそうですが、かろうじて古本ではまだ手に入ると思います。
本作は平成元年の作品です。この頃は、まだ髪の毛や服装に関する校則が厳しい時代でした。(最近も「ゼロ・トレランス」などといって髪の毛や服装に厳しくなる傾向は見られますが)。校則が厳しかった時代の雰囲気が分かるというところでも、興味深い作品になっております。

【単行本】尾崎七千夏『キューピッドがここにいる』講談社、1990年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第160回:きくち正太「三四郎2」

きくち正太「三四郎

秋田書店『週刊少年チャンピオン』1990年~94年

元気印のパワフル眼鏡っ娘が大活躍する、ラブコメときどき下品な作品です。
まず特筆すべきは、ヒロインの眼鏡っ娘が圧倒的に超かわいい!ということです。まあ、表紙の絵を見ていただければ一目瞭然ではありますね。

ヒロインの名前は、姿三四郎です。山奥のド田舎で天真爛漫に成長した、素敵な眼鏡っ娘なのです。
初登場シーンの格好が、とてもキュートですね。

単行本に載ったプロフィールでは、視力が左右とも0.01であることが分かります。視力が分かるのは、とてもありがたいですね。

ちなみに山奥で育った三四郎がどうして近眼になったかは、作中で説明されることがありません。ただし、祖母が眼鏡をかけている描写が作中にあるので、遺伝的なものである可能性が高いように推測されるところではあります。

明治の眼鏡っ娘・晶子さんもとても素敵ですね。
さてそんな山奥で育ったヒロイン三四郎は、とても強いのです。全編を通じて、様々な達人たちとバトルを繰り広げます。凜々しい眼鏡っ娘は素敵ですね。

三四郎は、基本的に圧倒的に強いのですが、ほぼ唯一の弱点と言っていいのが、近眼です。どんなに強かろうと、さすがに両眼0.01では、眼鏡がなくては戦えないのです。眼鏡必須。

もちろん眼鏡を外して美人になることなどありませんので、ご安心ください。まあ、眼鏡を外して美人になるなど、物理的にあり得ないんですけどね。
とはいえ、作者が敢えて物理法則を無視するような描写を繰り返していることは、指摘しておきたいと思います。それは、お風呂やプールや海のエピソードに鮮明に見ることができます。
たとえば単行本の1巻では、お風呂に入るときに三四郎は眼鏡を外してしまうのですが。

「メガネかけてお風呂はいるわけにもいきませんし」という三四郎のセリフは、まあ、世間一般的には常識と見なされるかもしれないでしょう。が、しかし。この後、作者はその常識を覆していくのでした。そう、メガネかけてお風呂に入ったって、いいじゃないか!というわけなのであります。
たとえば海のシーンでは、眼鏡っ娘たちは全員メガネをかけたまま海に入っております。

そう、それでいいのです。お風呂だろうが海だろうがプールだろうが、メガネをかけたまま入ればいいのです。だってマンガなんだから。物理法則に従う必要なんて、ありませんね!

そんなわけでメガネの先生も、メガネをかけたままプールに飛び込みます。何の違和感もありません。

ちなみに本作には、ヒロインの三四郎以外にも数多くの眼鏡っ娘が登場します。嬉しいですね。
たとえば存在感があるのが、ヒロインたちの担任の教師、六本木ジュンコ先生です。

ということで、全方位に眼鏡な、尊い作品です。眼鏡っ娘がヒロインのマンガが、少年週刊誌で単行本20巻も出るほど続いたのは、本当にありがたいことです。後世にまで語り継いでいきたいと思います。

書誌情報

同名単行本全20巻。どうも残念ながら現在は新刊で手に入れることは難しい状況のようですが、古書で比較的容易に手に入るのではないかと思います。
基本的には「Dr.スランプ」と「うる星やつら」を足して2で割ったような、パワフル下品+ラブコメ風味で展開する作品ではありますが、丁寧に描写されたキャラクターが各自とても魅力的で、独特の世界をつくり出しております。まあ、若い人には分からない時事ネタがけっこう多いかもしれないですが、気にしなくても楽しめると思います。

きくち正太『三四郎2』1巻、秋田書店、1990年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第159回:源一実「イミテーション・ラブ」

源一実「イミテーション・ラブ」

セブン新社『恋愛美人if』2005年5月号

※以下、性的な話題を微妙に含みますので、その方面が苦手な方はご注意ください。

【起】本作のヒロイン佐伯さんは、もうすぐ三十路の眼鏡っ娘です。同僚には「地味」とか「色気ない」などとバカにされてしまいます。

佐伯さんは仕事も上手くいかず、落ちこんでしまいます。

【承】ところが気分転換にメイクに励んでみると、なんだか美人になったような感じがします。(実際には単にケバくなっただけのような気がしますが)

街に繰り出すと、さっそく男が引っかかるのです。バーで出会ったリョージは、佐伯さんのことをとても大切にしてくれます。佐伯さんは眼鏡を外した効果だと、最初のうちは嬉しいのではありますが。

【転】しかし、そんな恋は「ニセモノ」だと気がつくときが来るのです。

リョージが好きなのは「本当のわたし」ではないと、気がつくのです。「本当のわたし」とは、もちろん眼鏡のわたしです。眼鏡を外してモテてたとしても、そんな偽りの愛などそのうち滅びるのであります。
こうして恋は終わったかのように見えたのでありますが。

しかし、わかっている男は一味違うのであります。眼鏡をかけて現れた佐伯さんを、リョージはしっかり受けとめるのです。

【結】そう、できる男は、眼鏡が大好きなのです。眼鏡だから好きになったのです!

こうして佐伯さんは、眼鏡だったからこそ、本物の愛をゲットするのでありました。良かった!

そして本作は、実は女性向けのエッチなマンガであります。引用はしておりませんが、作中ではけっこう激しいベッドシーンが描かれております。(ひとつ残念なのは、ベッドシーンで佐伯さんが眼鏡をかけていないことなんですけどね)
女性向けのエッチなマンガというと、前世紀末に流行したようなレディースコミック(石油王に見初められる的な)を想像する方がいるかもしれません。が、実は21世紀に入る頃からレディースコミック系統は目立たなくなって、少女マンガのテイストを残しつつも激しいベッドシーンを見せるマンガが商業的に成立するようになってきております。
本作が極めて重要なのは、そういうHマンガにも、1970年代少女マンガで成立した「眼鏡っ娘起承転結構造」がしっかり確認できるところです。少女マンガで示された眼鏡の本質が性的描写と問題なく両立するということが、本作で証明されたのであります。末永く眼鏡でよろしくお願いいたします。

書誌情報

本編は32頁の短編。単行本『ひだまりの夢』所収。電子書籍で読むことができます。ちなみに本作、リョージも実はメガネ男子だったりして、面白いです。

単行本には本作以外にもベッドシーンを含む作品ばかりが収録されておりますが、キャラクターもストーリーもコマ割も丁寧に描かれていて、マンガとして読み応えがあります。即物的なエロが苦手な方でも、こういう愛情が籠もったラブシーンなら、気持ちよく読めるかもしれません。そして、ひょっとしたら、男性にもこういうタイプのHマンガが好きな人は多いかもしれませんね。

【単行本・Kindle版】源一実『ひだまりの夢』笠倉出版社、2011年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第158回:井上和郎「まりあさんは透明少女」

井上和郎「まりあさんは透明少女」

白泉社『ヤングアニマルDensi』2014年5/2~2015年1/30

※以下、ほんのちょっとだけ微妙に性的な話題を含みますので、苦手な方はご注意ください。

とても可愛い眼鏡っ娘女子高生がヒロインです。そして内容は、作者お得意のヘンタイ・どたばたコメディです。しかも少年誌ではないので、ヒロインの真っ裸がやたら大量に出てきます。うわあ。
が、しっかり読むと、眼鏡的に深い内容が描かれていることが分かるのであります。

本作は、タイトルの通り、ヒロインの眼鏡っ娘が透明人間です。
そして透明人間もののポイントは昭和の古来から2つあります。(1)透明ON/OFFのスイッチの工夫(2)透明の時になにをするか、ですね。

まず一点目、本作のヒロインが備えている透明人間スイッチとは、「気分が落ちこむと透明になる/興奮していると透明にならない」というものです。気分が落ちこむと街中でも教室でも透明になってしまうので、落ちこみそうになるとエロ本を読んで意図的に興奮するという努力をしております。しかしだんだん慣れてきてしまい、エロ本の刺激がエスカレートしていくのです。なんちゅうバカな設定じゃ。

このあたりの少し不思議(SF)な設定の妙は、「美鳥の日々」から作者が得意としているところですね。

次のポイントは、「透明になっているときに何をするの?」です。昭和の古来(あるいはギリシア時代の「ギュゲスの指輪」エピソード)から、透明人間ものといえばほぼエロと結びついてくるわけですが、本作もその期待を裏切りません。透明人間になったヒロインは、憧れの先輩の家に忍び込んでマスターべーションの観察をしたりするわけです。いやはや。

そんなわけで表面上はヘンタイ風味のラブ・コメディです。が、しかし。この設定を深く掘り下げて丁寧に描いていくことで、本作は眼鏡的に興味深い展開を見せることになります。その象徴的なシーンを、第1話に見ることができます。

先輩のセリフ、「見えない誰かに見られている」とは、眼鏡的に言って、とても含蓄の深い言葉です。ポイントは「見る」という動詞です。この「見る」という動詞は、もちろん「眼鏡」というアイテムと密接不可分に結びついている言葉です。「眼鏡」とは、「見る」ために必要となるアイテムです。ヒロインが眼鏡をかけているのは、この「見る」という意志をビジュアル的に象徴しているものと言えます。透明人間になったヒロインは、一方的に先輩を「見る」ことになります。
しかし一方で、本作のテーマである「透明人間」の本質とは、「見られない」ということにあります。透明人間になったヒロインは、先輩からは「見られない」のです。一人のキャラクターの中に「見る」ことを象徴する眼鏡と「見られない」という透明人間の本質が離れがたく結びついているのが、実は本作が仕組んだ最大の仕掛けなのであります。ちょっと掘り下げて考えてみましょう。
後半、ヒロインは「気づかれないところで見つめてる事しかできない情けない透明人間だ」と、情けない気持ちになります。

しかし改めて考えてみれば、仮に透明人間でなくても、「相手からは見られないのに、こちらから一方的に見ている」という状況は、いくらでもあります。たとえば片思いとは、まさにそういう状態です。そして、実は「眼鏡」こそ、昭和の古来から「相手からは見られないのに、こちらからは見ている」という状況を比喩的に表わしてきたアイテムでした。
たとえば「眼鏡だから容姿が劣る」ということが物理的にあり得ないにも関わらずマンガでしばしば描かれるてしまうのは、実は物理的に容姿が劣ることを表現しているというよりは、「誰からも見られる対象ではない」ということを表現しているものと考えられます。眼鏡とは「見る」ためのアイテムであって、「見られる」ためのアイテムではないということです。本作でヒロインが眼鏡をかけているのは、実は「誰からも見られる対象ではない」ということを象徴的に示していたと考えられます。この仕掛けが、本作のテーマである「誰からも見られない透明人間」というテーマと深く響き合うことになります。ヒロインは物理的に透明でないときも、社会的には透明だったのです。大好きな先輩の視野にも入らない、誰からも見られることがない、社会的な透明人間だったのです。眼鏡とは、ヒロインが「社会的に透明」であることを示すためにどうしても必要なアイテムだったのです。

だから最後、ヒロインが先輩に告白しようとするとき、眼鏡をかけていることは極めて重要な事実です。

確かに眼鏡とは、内側に向かえば「社会的な透明人間」を示すアイテムです。しかし一方で、眼鏡は、外部に向かえば「見る意志」を示す象徴になります。ヒロインが告白しようとするシーーンで、眼鏡は「意志」を示すものとして機能しています。ヒロインの視線が紙面を超えて我々にまで突き通ってくるのです。眼鏡っ娘の決意が、しっかり伝わってくるのです。内側に向かう眼鏡から外側に向かう眼鏡へと、自分の意志で自分を変えていくんだというメッセージが、最後の眼鏡シーンに表れているように思うのでした。この告白シーンから「名前」へと続く一連のラストシーンには、心底感動しました。この感動は、眼鏡だったからこそ生じ得たのだと思うのです。

書誌情報

同名単行本全一巻。
全編を通じて最初から最後までヒロインがほとんど真っ裸という、週刊少年誌時代では絶対に考えることが不可能な、ちょっとした問題作ではあります。電車の中では読めません。
まあ、しかし。敢えてちょっと残念な点を上げるとすれば、真っ裸のシーンの大半が裸眼で描かれてしまっていているというところでしょう。まあ肉体が透明で眼鏡だけ宙に浮いているというのも確かに変ですし、本質的な問題ではないのではありますが……。いやはや。

【単行本・Kindle版】井上和郎『まりあさんは透明少女』白泉社、2015年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第157回:井上和郎「あいこら」

井上和郎「あいこら」

小学館『週刊少年サンデー』2005年第32号~2008年第10号

画期的な作品です。というのも、週刊少年マンガ誌という媒体で、めがねフェチの有り様を存分に描いてしまったからであります。とはいえ、めがねフェチの有り様を確認する前に、まずはかわいい眼鏡っ娘を見ていきましょう。

ヒロインの一人として登場する眼鏡っ娘の名前は、月野弓雁ちゃんです。作中ではバストが大きいことがやたらと強調されておりますが、我々にとっては些末なことであります。めちゃめちゃかわいいのです。

趣味が読書とゲーム(後に様々なエピソードに展開するぞ)で、弓道着姿が眼鏡にジャストフィットしております。神々しいばかりに美しいのです。

が、こんなにかわいいのに、残念なことに本作ではメインヒロインとしては扱われていないのでした。というのも、本作は「セオリー通りのキャラ配置」に徹しているからなのです。それは作中で自己言及的に明らかにされているところです。

まあ、平成ギャルゲー的キャラ配置ということですね。ちなみに、この「セオリー通りのキャラの配置」の中に眼鏡っ娘が一人いることの意味については、かつて本コラムで考察を加えております。(参照:第47回「星の瞳のシルエット」第83回「竹本泉の眼鏡無双」第84回「魔法騎士レイアース」。)
さて、メインヒロインとして扱われているのは、いわゆる「気の強そうな、いかにもツンデレ娘」なわけですが、我々にとっては比較的どうでもよいことです。まあ、とはいえ、このツンデレがツンデレらしく眼鏡をかけるエピソードにはトキメキを感じざるを得ないわけですけれどもね。

ということで、眼鏡っ娘・弓雁ちゃんは残念ながらメインヒロインではありません。ありませんが、しかし本作を通読すると、いちばん魅力的な娘に描かれているようにしか読めないのです。そう、いちばん良い娘なのです。「本当のメインヒロインは眼鏡っ娘だったのだ!」と主張したくなります。が、注意しなくてはならないのは、ここに罠があるのかもしれない、ということです。
我々にとって厄介なのは、「脇筋にいる眼鏡っ娘のほうに萌える」という傾向が隠せないところです。我々としても本当は眼鏡っ娘にはメインヒロインとして輝いて欲しいのですが、しかし実は眼鏡っ娘は脇役だからこそ輝きを放っているという可能性を排除することができないのです。ここにジレンマが生じます。本作は、「脇役だからこそ輝く眼鏡っ娘」という有り様をまざまざと見せつけているのかもしれません。安易に「メインヒロインは眼鏡っ娘だ!」と主張しにくいのであります。いやはや。
そう考えると、作者が作中で自己言及的に示した「なんてセオリー通りのキャラ配置!!」という言葉は、かなり高度な韜晦と言えるでしょう。ああ、恐ろしい。

さて、そんな本作について語るべきことは、眼鏡っ娘そのもの以外にもあります。というか、こちらのほうが我々にとっては大問題となるでしょう。というのは、本作では、眼鏡を愛する者(メガネスト)に関わる印象的なエピソードがとても多いのです。
たとえば「PARTS10謎の犯罪者」では、女性の顔にマジックで眼鏡が描き込まれるという事件が多発し、メガネフェチのシブサワが犯人かと疑われます。が、シブサワは真犯人ではありませんでした。

ちなみにこのシブサワの、「アホなことを言っているのに貫いている姿勢が格好いい」という生き方は、ぜひ見習っていかなければならないでしょう。
そして真犯人は(ネタバレすみません)、なんと眼鏡っ娘好きの女性だったのでした!

ああ、我々も「心の底から眼鏡っ娘が大好き」だ。だが、だからといってむりやり眼鏡をかけさせてはいけないのですよ。

まあ、情状酌量の余地は十分にありそうですね・・・
そしてこの眼鏡っ娘好きの女子高生・鹿野紅葉は、さらに「PARTS21メガネッ娘大作戦!!」で眼鏡の魅力を全国に訴えてくれるのです。ありがとう、ありがとう。

ストーリーは、あの眼鏡っ娘・弓雁ちゃんが世間の愚かな迷信に惑わされて眼鏡を外してしまうという、恐怖以外の何物でもない話から始まります。紅葉は再び弓雁ちゃんの眼鏡を取り戻すべく、熱弁をふるうのでありました。

そうだ! そのとおりだ!
そして紅葉の努力の甲斐もあって、弓雁ちゃんは眼鏡の素晴らしさを再発見するのです。

いやあ、よかったよかった。

しかし本当の問題作は「PARTS42真メガネ党」の回に訪れます。

真メガネ党とは、ただのファッションで伊達眼鏡をかけるような世間の愚かな風潮に鉄槌を下すべく偽物眼鏡狩りをする恐ろしい集団なのですが、なんとなく既視感があるのは気のせいでしょう。きっと我々のことではないです。…たぶん。たぶん。
真メガネ党は「純粋なメガネッ娘」を守るために日々活動を行なっているのですが、弓雁ちゃんを拉致して、何があっても外れない眼鏡をかけさせようとするのです。なんと素晴らしい。恐ろしい。

しかし主人公たちの邪魔活躍によって真メガネ党の野望は潰えることになります。残念なことだ。

さて、そんなふうに眼鏡エピソード満載の本作ではありますが、実は本作が首尾一貫して扱っているのは、「人間全体を見るか、パーツを見るか?」というテーマでした。
弓雁ちゃんであれば、本作中では主人公の「理想のバスト」を持っているので、主人公は弓雁ちゃんの人間性そのものではなく、バストばかりを追求しました。それが最終的に破綻を迎えることになります。

やーいやーい、ざまあみろ、女の子の人格を見ないで胸ばかり見てるからだ、嫌われろ嫌われろ、あースッキリした。などと言っている場合ではないのです。本作の主人公の場合は「胸」でしたが、我々の場合は「眼鏡」が問題となってしまうことを忘れてはなりません。たとえば、もしも「だってあなたは私の眼鏡が好きってだけで…私のことなんて見てないもの…」などと言われた日には、わたしたち、どうすればいいのでしょうかっ!? 「眼鏡をかけた君が好きなんだ」と言っても、たぶん許してもらえないのです。
これが我々の抱える本質的な問題なのでしょう。そして本作は、この本質的で不可避の問題に真正面から真摯に取り組んだ、希有な作品の一つとなりました。「真メガネ党」などの眼鏡萌えエピソードを喜んで笑いながら読んでいるうちはいいのですが、「私か眼鏡か」という本質的な問題に直面させられたとき、震えが止まらないのでありました。
次のシブサワの言葉は、非常に重いのです。

そう、常識的に考えれば、「フェチと恋愛」が両立するわけがありません。この現実を突きつけられたとき、我々にできることなどあるのでしょうか。シブサワは「恋愛沙汰なんかにはキョーミがないんだ。ボクが求める愛は永久不滅の愛…フェチ道だけさ…」(5巻149頁)と言い切ることで矛盾を解消しました。油坂は「フェチは、別腹だ!!」(7巻56頁)と開き直って「恋愛だけが正しい愛の形だと信じているこの世界」(60頁)を変えるという展望を示しました。確かにそれらも一つの知見ではあるでしょう。が、本当にそれでいいのでしょうか。これは「愛とは何か?」に本質的に関わってくる非常に重いテーマなのです。(ちなみに愛が代替不可能であることについては、単行本11巻56頁に見事に描かれております)。いやあ、恐ろしい。

書誌情報

単行本全12巻。電子書籍で読むことができます。ちなみに真メガネ党のエピソードは単行本5巻収録。

本作のテーマである「フェチと恋愛」の両立問題に真正面から取り組んだ作品は、他にもあります。ほかでもない、西川魯介『屈折リーベ』田丸浩史『ラブやん』です。どちらもメガネフェチの主人公が眼鏡っ娘を愛することの矛盾に直面し、苦悩する話です。
テーマが同じだからといって、パクっていることには当たりません。なぜなら、このテーマは突き詰めていけば人類に普遍的に妥当するものであって、真剣に作劇に取り組む限り、必ずどこかで行き当たる問題だからです。
そして、その問題の描き方と解決方法に作家の個性が表れます。問題の本質から目をそらすことなく正面からぶち当たった『屈折リーベ』と『ラブやん』が代替の効かない個性的な作品になったように、本作も個性的な作品となったように思います。「小さい頃からパーツは好きだが一度も恋をしたことがない」という主人公ハチベエのキャラクター造作の勝利だと思う次第です。

【単行本・Kindle版】井上和郎『あいこら』第1巻、小学館、2005年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第156回:井上和郎「美鳥の日々」

井上和郎「美鳥の日々」

小学館『週刊少年サンデー』2002年第42号~2004年第34号

このコラムを書き続けて、改めて気づいたことがあります。記憶に残る素晴らしい作品になるためには、可愛い眼鏡っ娘が登場することは確かに大切なのですが、負けず劣らず「眼鏡を愛する者」(以下、メガネストと呼びます)が魅力的であることが重要だということです。たとえばそういう作品として、『屈折リーベ』『ラブやん』『妄想戦士ヤマモト』や『境界の彼方』などの名前を挙げられます。

というわけで、本作もそういうメガネストが魅力的な作品の一つであります。とはいえ、本作の問題は、主人公の沢村正治が本当にメガネストかどうか、その一点にあるでしょう。というのは、作中では明らかに眼鏡っ娘のことが好きであろう描写が連発されるのですが、肝心なところではぐらかされてしまうからであります。果たして彼はメガネストなのか、その点に着目して見ていきましょう。

たとえばdays13やdays22では、正治は眼鏡っ娘のゆかりちゃんに圧倒的に悩殺されます。明らかに眼鏡っ娘に反応しているのです。

いやあ、キラキラしてますねえ。私も悩殺されます。正常な反応です。
とはいえ、問題はdays27なのです。正治をメガネストだろうと推測した姉が凶悪な眼鏡トラップを仕掛けるのですが、なんとこの素晴らしい眼鏡っ娘に、正治はまったく反応しないのです。これでトキメかないようでは、断じて眼鏡フェチとは呼べません。

このメガネ姿に反応しないようでは、正治が本当にメガネストかどうか、疑わしいのであります。
が、しかし。ちょっと冷静になって考えてみれば。むしろ正治は極めつけに重度なメガネストなのかもしれません。というのは、ひょっとしたら伊達メガネには反応しないということかもしれないからです。伊達メガネを否定する、重度の原理主義メガネストの可能性があるわけです。
だがしかし、この仮説も、days20で覆されているのです。正治は、変装ダテめがねに見事に反応するのでありました。

伊達眼鏡のヒロインに、「ズギューンッ」っとハートを射貫かれております。伊達かどうかは、重要な論点ではなかったのです。
正治が眼鏡っ娘に対して防御不能であることは、他にも様々なエピソードで描かれております。彼がメガネストであることに、もはや何の疑いもないのであります。

正治がメガネスキーになった経緯は、days58に丁寧に描かれています。小学校のクラスメイト、保健委員の眼鏡っ娘が、彼の初恋の相手だったのでした。うん、超かわいい!

こんな眼鏡っ娘が幼なじみでは、メガネストになるのも無理はありません。
この眼鏡っ娘、days64では腐って再登場するのですが。

というわけで、こんな重度のメガネスキー正治がどうしてdays27で眼鏡っ娘に無反応だったかが、改めて重大な問題として浮かび上がってくるのです。残念ながら作中では、直接その疑問に対する解答を見出すことはできません。理由が明確に分かる人には、ぜひご教示いただきたいところです。よろしくお願いします。
今のところ、個人的には、問題を解く鍵となるのは「お姉さん」の存在ではないかなあと考えております。正治の姉は、圧倒的な眼鏡ビューティーなのです。性格はワイルドなんですが。

で、正治はもちろん肉親である姉には眼鏡だからといって反応することはありません。これが重要な事実かなあと思うわけです。つまり、身内であると思っている対象は、本能的に「萌え」の感情から外すということなのかもしれません。萌えの聖典『妄想戦士ヤマモト』でも、あのヤマモトですら実の妹がいるために「妹萌え」を理解できないというエピソードが描かれています。本作でも、たとえ眼鏡であっても「身内」には萌えないという原則が現われているのかもしれません。

しかし、この姉、とてもキュートな眼鏡っ娘ですねえ。個人的には、本作に出てくる眼鏡っ娘の中で、いちばん魅力的な人物であるように思うのでありました。
ということで、魅力的な眼鏡っ娘が満載な上に、メガネストの生態も描かれている作品なのでした。

書誌情報

同名単行本全8巻。電子書籍でも読むことができます。
本文中では眼鏡っ娘に夢中で作品そのものに触れる余裕がありませんでしたが、改めて見てみると、読後感がとても爽やかな秀作です。一見して面白おかしくフェチズムを追究しているように見えながら、実際に読んでみると、人間のかけがえの無さに対する暖かな眼差しと信頼感が全編に漲っていて、とても温かい気分になれるのです。表面的に見るだけでは奇をてらった設定に目を奪われるかもしれませんが、本質的には王道ド真ん中の清々しいラブコメであるように思います。

【Kindle版】井上和郎『美鳥の日々(1)』小学館、2003年

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