この眼鏡っ娘マンガがすごい!第45回:釣巻和「あづさゆみ」

釣巻和「あづさゆみ」

集英社『Cocohana』2012年3月~13年1月号

甘酸っぱい思春期特有の切なさと温もりを描き切った秀作だ。
ヒロインの蔦乃鳴海は、眼鏡っ娘14歳、中2で三つ編み2本。幼馴染の「はる」からは「なる」と呼ばれている。過疎化が進んで中学校が統廃合され、2年生から電車通学することになった。いつも一緒に仲良く登下校していた二人だったが、お互いを男女として意識し始めてから、関係がギクシャクしはじめる。不器用な二人は、意地を張ってしまい、なかなか素直になれない。昨今ではこういう素直になれないキャラを一律に「ツンデレ」と呼ぶようだが、この作品の澄み切った空気にはぜひとも「意地っ張り」という言葉を適用したい。大人になりつつある自分の心身の変化にとまどう思春期特有の不器用さに対しては、「ツンデレ」という言葉は似つかわしくない。
そして、昔のままではいられない二人の関係に心が揺さぶられた眼鏡っ娘は、「大人になりたい」と強く願う。このときの眼鏡っ娘の表情が、胸に響く。

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自分がまだ「子供」だと自覚した時に、人は強く「大人になりたい」と願う。往々にしてそのときに思った「大人」と実際になってみた「大人」とは違っていることが多いわけだが、そのこと自体はたいした問題ではないだろう。「大人になりたい」という感情が自分の内側から湧き上ってくること自体が、かけがえのない経験になる。

眼鏡の描写にも注目したい。セルフレームの描写が極めて立体的で、眼鏡に圧倒的な存在感を与えることに成功している。見ていて、とても心地よい。そしてフレームを透明にして眼を見せるというマンガでしかできない描写をすることで、表情がさらに豊かに見える。単行本には読み切りで描かれた眼鏡のないバージョンがあるが、それと比較すると、眼鏡があることによって表情がいかに魅力的になっているかが一目瞭然だ。

さて、眼鏡っ娘は、最終的には「はる」くんといい雰囲気になるのだが。「はる」くんは学年一番の頭脳の持ち主のうえに、スポーツもできて、極めつけに優しい。眼鏡っ娘の相手として相応しいわけだが、その「はる」くんが眼鏡フェチである可能性について言及しておきたい。それは下の引用図に見える。

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忘れていった眼鏡を届けるのはいいとして。注目したいのは、眼鏡を手渡しするのではなく、自ら顔にかけてあげて、しかも「よし」と言っているところだ。実際に相手に眼鏡をかけさせたことのある人間ならわかるのだが、これ、簡単にはできないのである。きちんと眼鏡をかけさせることは、実は極めて難易度の高いミッションなのだ。この男は、中2にして、それを易々と達成している。眼鏡をかける練習を日頃から繰り返していなければ、こうはできない。この男は、明らかにメガネストだ。
で、たいへん衝撃的なことに、単行本のオマケ描きおろしで、なるが高校生になってコンタクトにしてしまったことが明らかになった。ガッデム!!!!!!!この大馬鹿野郎が!!!!
眼鏡を外した「なる」は、おそらく「はる」に振られることになる。「はる」は眼鏡の「なる」が特別に好きだったのであって、眼鏡を外した「なる」なんて眼中になくなるだろう。そこで「なる」がどういう選択をするか。これが二人の物語の第二章になるだろう。

■書誌情報

新刊で手に入る。
こういう甘酸っぱい思春期ものは、昔から『ぶ~け』や『別マ』など集英社少女マンガが得意なジャンルなように思う。いくえみりょう、逢坂みえこ、耕野裕子あたりの集英社少女マンガの良質のエッセンスを引き継いだ、とてもセンスのいい作品だ。また男性でも抵抗なく読める絵柄とストーリーのように思う。

単行本:釣巻和『あづさゆみ』(集英社、2013年)

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