竹本泉「パイナップルみたい」
講談社『なかよし』1982年7月~12月号
「パラダイム・シフト」という言葉がある。知識や技術が連続的に発達を続けていって、それがある水準に達した時に、知識や技術がそれまでの常識を超えて一気に「不連続」に展開する事態を、「パラダイム・シフト」と呼ぶ。「不連続の特異点」を説明した言葉だ。眼鏡を描画する技術の発展過程にも、いくつかの特異点があるように見える。私の見立てでは、重要な特異点の一つは1980年代前半にある。1970年代の「乙女ちっく」によって連続的な発達を続けていた眼鏡描画技術は、1980年代前半にパラダイム・シフトを起こしたように見えるのだ。前代の最終進化形態が太刀掛秀子「まりの君の声が」(第11回で触れた)で、新時代の幕開けが竹本泉・ひかわきょうこ・かがみ♪あきらの眼鏡描写に見えるように思う。前代と新時代の最大の違いは、敢えて「萌え」と言わせていただく。太刀掛秀子の眼鏡は「萌え」ではないが、竹本泉・ひかわきょうこ・かがみ♪あきらの眼鏡は「萌え」だ。
さて、本作のヒロインは眼鏡っ娘女子高生かおり。恋というものがまったくわからない、色気なしの女の子が、友達に影響されながら、だんだん恋に目覚めていくお話し。恋愛話はアッサリしたもので、起承転結の盛り上がりというものは見られない。だが、それがいい。とにかく、きゃおりがかわいすぎる。後の竹本作品に見られる特有の不思議な世界というものはないが、竹本節の片鱗は随所に見られる。起承転結や話のメリハリなんてなくてもかまわない。ただただ、読んでいて心地いい。この空気感は、他の作家には出せない。
問題の眼鏡描画技術だが、客観的に比較した時には、太刀掛秀子の眼鏡との差異はそれほど大きくない。フレームの形、レンズの光、省略の仕方など、客観的に言葉にしようとしても上手く表現することはできない。だが、受け取る印象は、明らかに違う。客観的に言葉で表現することができなくとも、これまで私が積み重ねてきたオタク経験が教えてくれる。これは、「萌え」だ。そしてこの「萌え」の原因を言語化しようとすれば、前代までには存在しなかった「男性目線」による刺激を考えざるを得ない。少女マンガが積み重ねてきた技術に「男性目線」という要素が加わったときに、それまでにはなかった新しい眼鏡描写が生まれたのではないか。ただの男性目線だけでは、この萌え眼鏡は描けない。男性目線を維持したままの才能が「少女マンガ」の眼鏡技法を手に入れた時に、おそらく初めて萌え眼鏡が生み出される。そして同じ状況は、かがみ♪あきらの眼鏡にも当てはまる。(ただ、ひかわきょうこに同じ「萌え」を感じる理由は、よくわからない)。そして「男性目線+少女マンガ技法」というパラダイムにおける最終進化形態は、おそらくCLAMPで達成される。それについてはまた別の機会に。
ちなみに、きゃおりの母親の眼鏡も超萌え。
■書誌情報
同名単行本全1冊。SF(少し不思議)テイストがない竹本泉作品というのは、実はレアか。復刊した新刊でも手に入るし、古本でも比較的容易に手に入るので、世界平和のためにも一家に一冊そろえたい作品。
単行本:竹本泉『パイナップルみたい』(新刊=BEAM COMIC2009年、古本=講談社1983年)
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