奥森晴生「たわわ」
集英社『りぼんオリジナル』2002年6月号
本作は、「傍観者」の眼鏡っ娘がヒロインへと躍り出る物語だ。
眼鏡っ娘に「傍観者」の役割を与える作品を、しばしば目にする。眼鏡とは「見る」ための道具なのだから、見るという行為に特化した傍観者キャラに眼鏡をかけさせたくなるということだろう。客観的に物事を分析できる傍観者は、物語を円滑に進行させるにあたって非常に使い勝手の良い存在だ。が、もちろん傍観者だから、基本的に脇役を超えることはない。しかし稀に、そのような傍観者眼鏡っ娘が主人公ポジションに躍り出ることがある。その尊い輝きについては、第48回『星の瞳のシルエット』で少し言及した。「傍観者」から「主人公」へと躍り出ることはとても勇気を要することであり、だからこそ他に代えがたいカタルシスを読者にもたらす。本作の見所も、跳躍するヒロインの心の動きにある。
浜子は眼鏡っ娘高校生17歳。過去に付き合っていた彼氏はいたが、二股をかけられた際の男のマヌけな言動に愛想が尽き、恋愛そのものに距離を置くようになってしまった。しかしそんな浜子をずっと見ている男、沖田くんがいた。しかし浜子は沖田くんの気持ちには気づいていないし、沖田くんも素直に「好き」と言うことができない。そんな沖田くんには、恋愛に関心を持たない浜子の眼鏡が「傍観者」の象徴のように見えていた。
一人でいることがラクチンだと思っていた眼鏡っ娘だったが、家族が旅行に出かけて家に誰もいない日、体調を崩して倒れてしまう。そのとき、朦朧とする意識の中で、「傍観者」を決め込んでいた自分の態度が、結局は臆病の裏返しの強がりだったことを自覚する。そこに現れたのが、沖田くんだった。沖田くんがお粥を作ってくれたりして、浜子は無事に回復する。浜子は沖田くんの気持ちを察して、「傍観者」を卒業していく。
で、「傍観者」を卒業するのはいいとしても、同時に「傍観者」の象徴だった眼鏡が外されてしまうケースが多いので、ひそかに心配していたのだが、本作はちゃんと眼鏡をかけ続けてくれた。興味深いのは、眼鏡をかけつづけるのと同時に「傍観者」の能力も引き続き持ち続けているところだ。眼鏡をかけているということは、物事がよく見えることを意味する。物事を客観的に認識できるので、沖田くんが自分のことを好きだということを明瞭に認識することができる。
「傍観者」の客観的認識能力を引き継いだまま、つまり眼鏡をかけたまま、浜子は恋の物語の主人公に躍り出る。「好き」だと素直に言えない沖田くんを、しょうがないなあと思いつつフォローする眼鏡っ娘の笑顔が、とても爽やかだ。この恋はきっとうまくいく。
本作のもう一つの見所は、眼鏡の描写だ。少女マンガで眼鏡が描かれる場合、フレームのラインだけ描かれることが大半だ。が、本作はフレームを省略しないでしっかり描くうえに、鼻パッドや蝶番まで丁寧に描きこんでいる。『りぼん』系列にこのようなしっかりした眼鏡作品を描いてくれたことは、とてもありがたいことだと思う。
■書誌情報
本作は40頁の中編。単行本『林檎の木』に所収。しっかりした絵と芯のある物語を作る作家で、高い実力があるのは明らかなので、キャリアが単行本一冊だけなのはとても勿体ない気がする。
単行本:奥森晴生『林檎の木』(りぼんマスコットコミックス、2004年)
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