この眼鏡っ娘マンガがすごい!第84回:CLAMP「魔法騎士レイアース」

CLAMP「魔法騎士レイアース」

講談社『なかよし』1993年11月号~96年4月号

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鳳凰寺風ちゃんは、眼鏡っ娘の歴史を考える上で絶対に忘れてはならない、決定的に重要な役割を果たしたキャラクターだ。現代眼鏡っ娘はここから始まったと言っても過言ではない。その重要性は、客観的なデータに明らかだ。コミックマーケット「カタログ」のサークルカット調査の結果を見れば、眼鏡っ娘の飛躍が鳳凰寺風ちゃんの活躍から始まったことは、一目瞭然なのだ。

084_08右のグラフは、コミケカタログに掲載されたサークルカット全てに目を通して描かれている眼鏡キャラの数をカウントし、全体に占める割合を算出し、開催回順に並べてグラフ化したものだ。赤の線が眼鏡っ娘比率の推移を示している。80年代半ばから90年代前半まで、眼鏡っ娘の暗黒時代が続いていることが分かる。80年代初頭に眼鏡っ娘比率がまだ高かったのは、オリジナル作品に眼鏡っ娘がいたからだ。しかし80年代後半から高橋留美子作品のアニパロがコミケを席巻するようになると、眼鏡っ娘の姿を見かけることはほとんどなくなってしまう。暗黒期は1990年代前半の「セーラームーン」と「ストリートファイターⅡ」全盛期も続く。悔しい。その停滞期をようやく打破したのが1995年夏であり、その突破口になったのが本作「レイアース」の眼鏡っ娘、鳳凰寺風ちゃんだった。1995年にはサークルカット全体に占める眼鏡っ娘の割合は0.92%だが、その約半数は風ちゃんだった。アニメの放映が1994年10月に開始され、翌年夏開催のコミケサークルカットに風ちゃんが大量に描かれたのだ。ここで突破口が開かれたことによって、後の眼鏡っ娘躍進が可能となった。彼女の活躍がなかったらどうなっていたかを想像すると、心底ゾッとせずにはいられない。

本作の構成の特徴は、TRPG的想像力から派生した「キャラクター有機体構造」にある。本作では、主要登場人物が「光/海/風」と3人いて、それぞれがある価値観を代表している。本作の場合、「光=道徳的/海=主意的/風=理知的」というように価値が割り振られている。そうすると、光と風が対立するエピソードは、一人の人間の心の中の「道徳的判断」と「理知的判断」の葛藤と相似的に読むことができる。逆にいえば、目に見えない人間の心の動きと葛藤を分かりやすく描写することは難しいが、価値観を擬人化して物語の中でキャラクター間の葛藤を描くことで、人間の心の葛藤を目に見えるように描くことが可能となるのだ。

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同じように、海と風の対立は、「主意的判断」と「理知的判断」の間の葛藤を表現している。

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キャラクター間の対立が具体的なエピソードで描かれることによって、読者の心の中に葛藤が惹起される。そしてキャラクター同士の和解と問題の解決は、一人の人間の心の統合と安静を意味する。一人の人間の心の構造とキャラクターの構造を相似的に組み立てることによって、物語自体に大きな説得力が付与されるのだ。
084_02このようなアイデアは本作が初めて採用したわけではなく、既に2400年前のギリシア時代に哲学者プラトンが『国家』によって明らかにした原理だ。少女マンガにおいても、80年代半ばの柊あおい「星の瞳のシルエット」(第48回で言及)等に見ることができる。また1990年代前半の竹本泉作品やギャルゲーで独自な進化を遂げたことにも言及した(第83回)。しかし本作が特に成功した要因は、90年代前半に説得力を持ち始めた「TRPG的想像力」と「少女マンガ技法」を組み合わせた地点に「有機体構造」を構想した点にあると思う。
「TRPG的想像力」の創造的意義については、磨伸映一郎作品に言及するなかで触れた(第50回)。TRPGでは、個性ある能力を持つキャラクターが「パーティ」を組む。この「パーティ」という概念と、プラトン的な「有機体構造」の発想は、非常に親和的だ。プラトンの理屈なんか知らなくとも、「パーティ」という概念を理論的に推し進めていけば、必然的に「有機体構造」に行く着くと言ってもよい。本作の3人組がTRPGの「パーティ」に当たることは、敢えて説明するまでもなく一目瞭然だろう。この「パーティ」の中に「眼鏡っ娘が一人いる!」という構成の、なんという説得力。
084_07そして、「3人組のなかに眼鏡っ娘が一人いる」という様式は、柊あおい「星の瞳のシルエット」を見ればわかるように、実は少女マンガではよく見る様式だった。松苗あけみ「純情クレイジーフルーツ」なり、わかつきめぐみ「グレイテストな私達」などを想起してもよい。CLAMPが「3人組のうち一人が眼鏡っ娘」という様式を採用したのは、少女マンガ技法の伝統を踏まえれば、必然だ。そしてそれによって、麻宮騎亜が「サイレントメビウス」でできなかったことを、CLAMPはやってくれた。「ガルフォース」や「バブルガムクライシス」ができなかったことを、CLAMPはやってくれた。高橋留美子がしてくれなかったことを、CLAMPはやってくれた。この「パーティのなかに、眼鏡っ娘が一人いる!」という説得力は、実は少女マンガ技法を踏まえなければ出てこなかったのだ。そしていったん説得力を持った技術は、普遍化する。CLAMP後は、あらゆるパーティの中に眼鏡っ娘の姿を見ることになるだろう、ありがたや。
(そういう意味で、前回で触れたように、少女マンガ技法を踏まえた竹本泉がいち早く「パーティ」に眼鏡っ娘を組み入れていた事実はとても重要なのだ。また、「セーラームーン」のパーティに眼鏡っ娘がいなかったことの意味は、それがTRPG的パーティではなく「戦隊」であったということか。)

さてしかし。もしもキャラクターが単に価値観を代表しているだけだったら、キャラは作者の操り人形に過ぎず、独立した人格と呼ぶに値しない。もしもそういうキャラであったら、我々はこれほどの魅力を風ちゃんに感じることはなかっただろう。風ちゃんが個性ある人格だからこそ、我々は風ちゃんに惹きつけられる。キャラクターが単なる価値の代表であることを超えるのは、「恋」の場面だ。

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うおお。めっちゃかわいい!
恋の瞬間、そこには価値観が擬人化されたキャラではなく、一人の人間がいる。我々はだからこそ、風ちゃんに惹かれる。CLAMPは、ちゃんとそのことも分かっていた。つくづく、すごいクリエイターだと思う。

■書誌情報

本編全3巻と、続編全3巻。新装版は新刊で手に入るし、旧版も人気があって大量に出回っているので、手に入れやすい。緑が風ちゃんの番。

新装版単行本全3巻セット:CLAMP『魔法騎士レイアース』完結セット
新装版単行本全3巻セット:CLAMP『魔法騎士レイアース2』完結セット

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第81回:竹本泉「パイナップルみたい」

竹本泉「パイナップルみたい」

講談社『なかよし』1982年7月~12月号

081_02「パラダイム・シフト」という言葉がある。知識や技術が連続的に発達を続けていって、それがある水準に達した時に、知識や技術がそれまでの常識を超えて一気に「不連続」に展開する事態を、「パラダイム・シフト」と呼ぶ。「不連続の特異点」を説明した言葉だ。眼鏡を描画する技術の発展過程にも、いくつかの特異点があるように見える。私の見立てでは、重要な特異点の一つは1980年代前半にある。1970年代の「乙女ちっく」によって連続的な発達を続けていた眼鏡描画技術は、1980年代前半にパラダイム・シフトを起こしたように見えるのだ。前代の最終進化形態が太刀掛秀子「まりの君の声が」(第11回で触れた)で、新時代の幕開けが竹本泉・ひかわきょうこ・かがみ♪あきらの眼鏡描写に見えるように思う。前代と新時代の最大の違いは、敢えて「萌え」と言わせていただく。太刀掛秀子の眼鏡は「萌え」ではないが、竹本泉・ひかわきょうこ・かがみ♪あきらの眼鏡は「萌え」だ。

081_04さて、本作のヒロインは眼鏡っ娘女子高生かおり。恋というものがまったくわからない、色気なしの女の子が、友達に影響されながら、だんだん恋に目覚めていくお話し。恋愛話はアッサリしたもので、起承転結の盛り上がりというものは見られない。だが、それがいい。とにかく、きゃおりがかわいすぎる。後の竹本作品に見られる特有の不思議な世界というものはないが、竹本節の片鱗は随所に見られる。起承転結や話のメリハリなんてなくてもかまわない。ただただ、読んでいて心地いい。この空気感は、他の作家には出せない。

問題の眼鏡描画技術だが、客観的に比較した時には、太刀掛秀子の眼鏡との差異はそれほど大きくない。フレームの形、レンズの光、省略の仕方など、客観的に言葉にしようとしても上手く表現することはできない。だが、受け取る印象は、明らかに違う。客観的に言葉で表現することができなくとも、これまで私が積み重ねてきたオタク経験が教えてくれる。これは、「萌え」だ。そしてこの「萌え」の原因を言語化しようとすれば、前代までには存在しなかった「男性目線」による刺激を考えざるを得ない。少女マンガが積み重ねてきた技術に「男性目線」という要素が加わったときに、それまでにはなかった新しい眼鏡描写が生まれたのではないか。ただの男性目線だけでは、この萌え眼鏡は描けない。男性目線を維持したままの才能が「少女マンガ」の眼鏡技法を手に入れた時に、おそらく初めて萌え眼鏡が生み出される。そして同じ状況は、かがみ♪あきらの眼鏡にも当てはまる。(ただ、ひかわきょうこに同じ「萌え」を感じる理由は、よくわからない)。そして「男性目線+少女マンガ技法」というパラダイムにおける最終進化形態は、おそらくCLAMPで達成される。それについてはまた別の機会に。

ちなみに、きゃおりの母親の眼鏡も超萌え。

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■書誌情報

同名単行本全1冊。SF(少し不思議)テイストがない竹本泉作品というのは、実はレアか。復刊した新刊でも手に入るし、古本でも比較的容易に手に入るので、世界平和のためにも一家に一冊そろえたい作品。

単行本:竹本泉『パイナップルみたい』(新刊=BEAM COMIC2009年、古本=講談社1983年)

 

 

 

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第35回:いがらしゆみこ「キャンディ♥キャンディ」

いがらしゆみこ+原作/水木杏子「キャンディ♥キャンディ」

講談社『なかよし』1975年4月号~1979年3月号

035_01眼鏡っ娘のパトリシア、通称パティは、キャンディの友達。単行本3巻で登場して以降、最後まで重要な役割を果たす。いや、もはやパティが主人公と言っても過言ではない。そうだ、キャンディなんて、もはやどうでもよい。キャンディ・キャンディは眼鏡っ娘パティの物語だ。

パティが一際輝いているのは、その彼氏、アリステア(通称ステア)のメガネスキーぶりに負うところが大きい。第一次世界大戦が始まり、ステアは周囲の反対を押し切って志願兵として従軍する。ステアは機械に強いという特技を活かして飛行機乗りとして活躍する。その飛行機にまつわるエピソードが、劇的に感激ものなのだ。

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なんとステアは、自分の飛行機のエンジンカウリングに眼鏡を描いたのだ。そう、それは眼鏡っ娘の恋人パティの象徴。「この機のなまえはパトリシア……パティにはめがねをかけてやらなきゃ…」。眼鏡が繋ぐ二人の絆。物語はここでキャンディそっちのけでクライマックスを迎える。我々は、眼鏡っ娘とメガネくんの恋の行方に涙するのだ……

035_03本作掲載誌の『なかよし』は、ライバル誌『りぼん』と比較した時、かなり眼鏡っ娘が少ない。特に70年代前半からハレンチ路線でエースを張っていたいがらしゆみこがほとんど眼鏡っ娘を描いていないのは、たいへん遺憾なことだ。その中で、パティは非常に貴重な眼鏡っ娘といえる。キャンディの能天気さにイラついた人々の中から、パティによって眼鏡DNAが発動した人々は相当数に上るのだ(個人的聞き取り調査)。似たような効果は柊あおい『星の瞳のシルエット』にも見られるので、その現象については機を改めて考察することとしよう。

035_04ちなみに本作にはもう一人フラニーという優等生眼鏡っ娘が登場する。こちらの眼鏡っ娘も読者に強い印象を与えている。

■書誌情報

単行本や愛蔵版や文庫版など様々なバージョンがあるが、どれもこれも今では古本でプレミアがついているようだ。Kindleで読めないのは、大人の事情があったりするのかどうか…?

単行本セット:いがらしゆみこ+水木杏子『キャンディ・キャンディ』全9巻完結セット (講談社コミックスなかよし )

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