吉田まゆみ「おはようポニーテール」講談社『週刊フレンド』1977年1号~4号
吉田まゆみ「からふるSTORY」講談社『週刊フレンド』1977年9号~23号
吉田まゆみ「センチメンタル」講談社『月刊ミミ』1978年3月号
吉田まゆみ「れもん白書」講談社『月刊ミミ』1979年1月~12月号
吉田まゆみ「ボーイハント」講談社『週刊フレンド』1980年13号~16号
さて、前回の吉田まゆみ「アイドルを探せ」でメインヒロインがカラッポであることを強調したが。実は吉田まゆみ作品の神髄は代表作だけ見ていてもわからない。まずは1970年代後半に吉田まゆみが眼鏡無双していたことをしっかり見ておきたい。
まず事実として指摘しておきたいことは、吉田まゆみは眼鏡っ娘とメガネくんのカップルを極めて大量に描いていることだ。そもそもメガネくんの登場率自体が非常に高いのだが、その相手が眼鏡っ娘であることが多いのは強い印象を与える。そしてそのメガネくんと眼鏡っ娘のカップルが、メインヒロイン絡みではなく「脇筋」であることも印象的な事実である。
たとえば「おはようポニーテール」の脇役眼鏡っ娘エンちゃんのエピソードは強く心に残る。メガネくんの「オワリくん」が眼鏡っ娘エンちゃんのことを大好きなのだが、クラスメイトにそれをからかわれて、エンちゃんはつい憎まれ口を叩いてしまう。
この「メガネをかけてる人はイヤよ」というセリフは、本当に衝撃的だ。あなたこそメガネじゃないかと即座にツッコミを入れたくなるわけだが、もちろん作中でもツッコまれている。このセリフにショックを受けたオワリくんは、自らメガネを壊してしまう。メガネを壊すことは、自らの目を潰すことの象徴である。オワリくんがどれほどのショックを受けたか。眼鏡っ娘から「メガネをかけてる人はイヤよ」なんて言われてたら、私でも自ら眼を潰してしまいそうだ。
しかしエンちゃんは反省して、オワリくんに謝罪する。そのときに自作の「メガネケース」を作ってプレゼントするところが素晴らしい。眼鏡っ娘から自作のメガネケースをプレゼントされた日には、昇天確実だ。メガネケースとは、眼鏡を包むものだ。自分の意志の分身である眼鏡を「包まれる」となれば、フロイトならずともその性的な意味を想起せざるを得ない。右に引用したプレゼントの場面を見ていただきたい。オワリくんは、もはや絶頂している。こうして二人は、眼鏡と眼鏡のナイスカップルになるのだった。
もうひとつ、吉田まゆみ眼鏡の具体的な例を見てみよう。「からふるSTORY」と、その続編「ぐりーん・かれんだあ」に登場する眼鏡っ娘エミちゃんのエピソードは、本当に素晴らしい。まずエミちゃんはショートカットで一人称が「ボク」のボーイッシュな眼鏡っ娘だ。この眼鏡っ娘がメインヒロインの兄と付き合っているのだが、この兄もメガネくん。ここでもやはりメガネくんと眼鏡っ娘のカップルなのだ。
「からふるSTORY」では、まずメインヒロインの視力が低下するエピソードが描かれる。ここでヒロインは眼鏡をかけるのを嫌がるのだが、メガネくんのお兄さんは、「おれ……メガネかけてる子すきだぜ」と言う。
このお兄さん、どこからどうみても完璧なメガネスキーだ。そして実際にお兄さんが家に連れてきて紹介した彼女が、眼鏡っ娘のエミちゃんだった。最初は眼鏡っ娘を受け入れることができなかった主人公だが、眼鏡っ娘の心温かさに触れて、お兄さんとの交際を認めるようになっていく。
続編では、エミちゃんとお兄さんの「キス」が話題となる。ヒロインは「おにいちゃんとのキス、メガネはじゃまにならなかったの?」と興味津々でエミちゃんに質問する。それに対するエミちゃんの答えがすごい。「じつをいうとカチッとぶつかりまして、以来……」と言って、唇を抑える。エロい。そして、キスのときに眼鏡と眼鏡カチッとぶつかって以来、いったいどうなったかは作中では何も描かれない。読者の想像にお任せという形になっている。となれば、キスをするときに一度カチッと眼鏡と眼鏡がぶつかってから、それ以来、キスするときは必ず眼鏡と眼鏡をぶつけているとしか思えないではないか!
キスのときに眼鏡と眼鏡がぶつかることをエピソードにしているのは、竹本泉「アップルパラダイス」や岸虎次郎「マルスのキス」など眼鏡名作に多いわけだが、この眼鏡同士の接触を最初にエピソードにしたのは管見の限り吉田まゆみが最も早い。いかに吉田まゆみが眼鏡に対して意識的だったかが分かろうというものだ。
吉田まゆみはこのような眼鏡エピソードを、1970年代後半に立て続けに発表している。この時期は、集英社『りぼん』では乙女ちっくが大流行し、田渕由美子が「乙女ちっく眼鏡っ娘・起承転結構造」を集大成した時期と完全に一致する。しかし吉田まゆみは、それとは異なる様式の眼鏡を描き続けた。それは1978・79・80年に立て続けに発表された作品の表紙イラストに象徴的に示されている。
78年「センチメンタル」、79年「れもん白書」、80年「ボーイハント」は、そのすべてにおいて表紙に複数の女の子が描かれ、そしてそのうちの一人が眼鏡っ娘だ。作品の中身も、「主要登場人物が3人以上いるときに、そのうち一人が眼鏡」という様式を採用している。これは柊あおい「星の瞳のシルエット」やCLAMP「魔法騎士レイアース」において見られる形式であることは既に指摘してきた。吉田まゆみは、りぼんで「乙女ちっく起承転結構造」が完成に向かう傍らで、実はこの「眼鏡っ娘有機体構造」を独自に展開させていたのだ。
このように吉田まゆみが70年代後半から「眼鏡っ娘有機体構造」を発展させていたことを踏まえて、初めて1984年「アイドルを探せ」の構造を見通すことが可能となる。「乙女ちっく起承転結構造」が近代的自我の物語である一方、「眼鏡っ娘有機体構造」はポストモダンの性格を色濃く示している。ポストモダンでは、近代的自我を必要とせずにシステムが自動進行する。主人公の自我がカラッポであっても、キャラクターの役割分担とシステム配置を適切に設計すれば、自動的に物語が紡ぎだされていく(ポストモダン概念でいうところの、オートポイエシスだ)。吉田まゆみ1970年代後半から試みていたのは、近代的自我を中核とする「眼鏡っ娘起承転結構造」とはまったく異なる眼鏡構造である「眼鏡っ娘有機体構造」だったのだ。「アイドルを探せ」のメインヒロインがカラッポであることは、ポストモダンと近代的自我の関係において理解するべき事態なのだ。
しかし一方で思い返してみれば、柊あおい「星の瞳のシルエット」のメインヒロインがちょっと顔がカワイイだけの極めてつまらない女であることと、吉田まゆみ「アイドルを探せ」のメインヒロインがちょっと顔がかわいいだけの極めてつまらない女であることは、両作が同じ構造であることを示している。そして「星の瞳のシルエット」が最終的には眼鏡っ娘の物語であったのと同様、「アイドルを探せ」は最終的に眼鏡っ娘の物語であった。ポストモダンが近代的自我を排除しようと、眼鏡は眼鏡そのものの力(見る意志)によって、物語を引き寄せているのだ。
■書誌情報
電子書籍で読むことができる作品が多い。また、脇筋でメガネくんと眼鏡っ娘がカップルになるのは、講談社『キャンディ・キャンディ』の伝統として理解するべき事態かどうか、検討事項だ。
Kindle版:吉田まゆみ『おはようポニーテール』
単行本:吉田まゆみ『からふるSTORY』(フレンドKC)
単行本:吉田まゆみ『センチメンタル』(MiMiKC)
Kindle版:吉田まゆみ『れもん白書』(1)
Kindle版:吉田まゆみ『ボーイハント』
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