この眼鏡っ娘マンガがすごい!第109回:竹宮惠子「女優入門」

竹宮惠子「女優入門」

小学館『週刊少女コミック』1970年4月号

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1970年の作品だ。眼鏡っ娘が主人公として活躍する、もっとも古い部類に属する作品の一つである。そして興味深いことに、この時点で既にほぼ完成された「眼鏡っ娘起承転結構造」を認めることができるのだ。しかも少女マンガ表現手法の革新を牽引していく24年組のひとり竹宮惠子の初期作品である。少女マンガの基本構造ができあがるプロセスを考える上で、かなり重要な作品と言える。

主人公のジャンヌは眼鏡っ娘。女優を目指しているが、俳優で活躍している父親には厳しく反対される。しかしジャンヌは諦めない。そこで父親は条件を出す。「頭は悪いが娘としての魅力にみち、男の子にさわがれ、本人もいい気になってボーイハントに精を出す」という、ジャンヌとはまったくちがう性格の女の子を演じて、実際に男子生徒全員をファンにできたら認めると言うのだ。

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俄然やる気になるジャンヌ。「頭は悪いが娘としての魅力にみち」という条件を満たすために、案の定、眼鏡を外してしまう。

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非常にわかりやすい描写で、モテモテだ。こうしてジャンヌはジャニーへとなりすまし、次々と男子生徒をたらしこんでいく。しかし硬派のアランだけはジャニーになびかない。アランを振り向かせようといろいろ策を弄するジャニーだが、次第に空しい思いが高まっていく。

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本物の自分を隠して別の性格を演じて人を騙すことに、根本的な疑問を抱くようになる。優勝確実と思われた美人コンテストの出場を、直前になってとりやめる。化粧を落として眼鏡をかけた本物のジャンヌのことを、誰も気がつかない。だが…

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アランだけは一目でジャンヌを見分けた。彼は外面ではない人格そのものを見ていたからこそ、外見に惑わされることがなかったのだ。そしてジャンヌは美人コンテストのステージで自分の正体を明かす。このクライマックスの台詞が要注目だ。

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ここで示された「ほんとうの自分」という言葉。これが1970年代の乙女チック少女マンガの中心概念として発展していくことは、本コラムでも確認してきた。その萌芽が1970年の時点で、竹宮惠子の作品に確認できることは、少女マンガの歴史を考える上で極めて重要な里程標となる。

054_hyouとはいえ、後年の乙女チックと比較したとき、構造の純粋性という点ではやはり物足りない。本作では「女優になる」という目的が眼鏡着脱のトリガーとなっており、「愛の着脱」と「眼鏡の着脱」が厳密にクロスオーバーしているわけではない。乙女チックであれば雑音でしかない「女優になる」という目的だが、本作でそれがまだ必要であったということは、作家の実力不足ではなく、時代がまだ成熟していなかったと把握するべき事態だろう。むしろこの時点で起承転結構造を完全に把握している作家の実力に驚嘆せねばなるまい。

■書誌情報

本作は31頁の短編。単行本『竹宮惠子全集28ワン・ノート・サンバ』に所収。あるいは電子書籍のみだが、「70年代短編集」に所収。こういう形で昔の作品にアクセスできるとは、便利な世の中になったなあ。

単行本:竹宮惠子『竹宮惠子全集28ワン・ノート・サンバ』角川書店、1990年
Kindle版:竹宮惠子『竹宮惠子作品集 70年代短編集 あなたの好きな花』eBookJapan Plus、2015年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第99回:山岸凉子「ミスめがねはお年ごろ」

山岸凉子「ミスめがねはお年ごろ」

集英社『りぼんコミック』1970年2月号

1970年発表作。眼鏡っ娘をヒロインとした、極めて早い時期の作品だ。しかしこの時点ですでに「乙女ちっく眼鏡っ娘」の原型が見えるところが興味深い。眼鏡っ娘が、歴史的登場時点から既に「眼鏡のまま愛される」という存在だったことは、世間にもっとよく知られてよい事実だ。

ヒロインの近藤咲子ちゃん(通称さっちゃん)は眼鏡っ娘。両親が亡くなり、父親の友人の家庭に引き取られることとなった。その家の息子・真一との恋愛物語だ。まずは絵に注目したい。

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しっかり観察すると、眼鏡の描写が実に素晴らしいことが分かるだろう。まず横顔を見ればわかるように、「貼り付き眼鏡」にはなっていない。さすが山岸凉子、正確なデッサンだ。そしてこの時点で既に「ズレ眼鏡」であることにも注目必至だ。少年・青年マンガでは「ズレ眼鏡」はほとんど描かれることがなかったが、1990年代半ば以降に少女マンガ技法が男性向メディアに採用されて以降、急速に「萌え」として認識されていく。しかし少女マンガにおいては、45年前から既に「ズレ眼鏡」だったのだ。推測するならば、少女マンガ特有の大きな瞳に似合う眼鏡を描こうと思うと、眼鏡をまんまるに大きく描くか、ズラすか、どちらかの選択肢しかない。山岸凉子はズラす方を選択したということか。

ストーリーも興味深い。まず注意したいのは、「眼鏡を外すと美人」というエピソードが露骨に描かれている点だ。

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いじわるなライバルに球技でボールをぶつけられたはずみに、さっちゃんの眼鏡が吹っ飛ぶ。しかしそれをきっかけとして、さっちゃんが美人だったことが発覚するのだ。眼鏡を外して美人になるなどとは物理的にはありえないのだが、マンガだから仕方がないと我慢しよう。問題は、「眼鏡を外して美人」になったとして、そのまま「幸せ」になるかどうかだ。そう、眼鏡を外して美人になったとしても、それがそのまま恋愛成就に結び付くことはない。結論から言えば、さっちゃんは眼鏡をかけて幸せになる。

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さっちゃんは誕生日プレゼントにコンタクトレンズをもらう。1970年時点のコンタクトレンズだから、宝石ほどに高価なものだっただろう。しかし我らがヒーロー真一は、コンタクトレンズを拒否し、さっちゃんに眼鏡をかけさせる。そして決め台詞で物語を見事に終わらせるのだ。「ぼくはミスめがねのそぼくなさっちゃんが大好きさ!!」
099_03これだ。外見にしか興味がない世間のボンクラ男どもがさっちゃんの眼鏡を外そうとするのに対し、真のヒーローである真一は「眼鏡ゆえの魅力」に気が付いている。眼鏡がさっちゃんの人格の一部であることをしっかり認識しているからこそ、眼鏡のままのさっちゃんを受け入れるのだ。眼鏡が人格の一部になっていることは、右の引用図に明らかなように、作中でもきちんと描かれている。さっちゃん本人は眼鏡をコンプレックスに思っているが、それこそが「自分自身の本質」と深く関わっている。「あたしとめがねとはきりはなせない」という、アイデンティティ認識。少女の人格性を可視化したものこそが、まさに眼鏡なのだ。だから、眼鏡をそのまま承認し、少女の人格性をそのまま包み込むことが、少女マンガのヒーローの条件となる。少女マンガは、実は当初からそういう眼鏡っ娘を描き続けてきている。「眼鏡を外して美人」になる描写が存在することも事実であるが、それがそのまま恋愛成就に直結せず、最終的に「眼鏡をかけて幸せになる」ことはしっかり認識されねばならない。

そんなわけで、本作は眼鏡っ娘の描かれ方を考える上で極めて重要な事実を示している歴史的な作品だ。しかも山岸凉子の作品ということで、たいへんな説得力を併せ持っている。いまでも「眼鏡を外して本当の私デビュー」などという愚か極まりない考えを持つ者がいるが、そんなものは1970年時点で完膚なきまでに否定されていることは声を大にして主張したい。眼鏡っ娘は眼鏡をかけたまま幸せになる。これが世界の真理だ。

■書誌情報

本作は39頁の短編。単行本『アラベスク第1部2巻』に所収。実は入手はそれほど困難ではない。「かってに改蔵」の第85話「めがねっ娘、世にはばかる。」にも本作が言及されている。

単行本:山岸凉子『アラベスク』第1部2巻(花とゆめCOMICS、1975年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第28回:まつざきあけみ「天使のくれたメガネ」

まつざきあけみ「天使のくれたメガネ」

集英社『増刊マーガレット』1970年1月

028_02ヒロインのユミちゃんは、極度の恥ずかしがり屋。大好きな島くんに話しかけられても、すぐに逃げ出してしまう。そんなユミちゃんの前に、なみだの精が現れて、魔法のメガネをくれた。そのメガネをかけると、なんでも思い通りの夢が見られるというのだ。さっそくメガネをかけてみると、大好きな島くんとラブラブになれた。メガネのおかげだと大喜びするユミちゃん。しかし実は、なみだの精は嘘をついていた。それは魔法のメガネでもなんでもなく、夢の中だと思っているのはユミちゃんだけで、実際は現実世界で島くんとラブラブになっていたのだった!
が、そんなことは全く知らずに、メガネのおかげで夢の中の島くんとラブラブになれたと喜ぶユミちゃん。ところがライバルの優子がイジワルしてきて、なんと魔法のメガネが割れてしまった! 堪忍袋の緒が切れて、怒りにまかせて思わず優子を殴ってしまうユミちゃん。が、憧れの島くんにその場面を見られ、さらに優子を殴ったことを咎められ、しかも「たかがメガネをわったくらいで」と言われてしまう。そう言われてショックを受けたユミちゃんが示したリアクションが、これだ。

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「たかがメガネですって!?」って、当然のリアクションだ。魔法のメガネでなく、普通のメガネを割られたときだって、このリアクションだろう。
まあ、最後はユミちゃんも自分の勘違いに気が付き、夢の中ではなく現実世界で島くんと仲良くなったことを知る。そして島くんに対しても素直になれて、ハッピーエンド。しかしユミちゃんは、メガネのおかげで恋が実ったことをちゃんとわきまえていて、メガネに感謝の気持ちを伝えることを忘れなかった。いい子じゃないか。

しかし、まつざきあけみと言えば縦ロールなどゴージャスな絵柄が印象的な作家なんだけど、1970年段階ではこういう絵柄だったのね。あと、本作を通じて、メガネだから容姿が劣るなどという愚かな観念が皆無なところにも注目。1970年時点ではメガネ=ブスという観念は未発達だったことを示している。

■書誌情報

単行本:まつざきあけみ『タイム・デイト』(ペーパームーン・コミックス、1980年)に所収。多少プレミアがついているけど、まだ手に入りやすい部類か。

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