CLAMP「魔法騎士レイアース」
講談社『なかよし』1993年11月号~96年4月号
鳳凰寺風ちゃんは、眼鏡っ娘の歴史を考える上で絶対に忘れてはならない、決定的に重要な役割を果たしたキャラクターだ。現代眼鏡っ娘はここから始まったと言っても過言ではない。その重要性は、客観的なデータに明らかだ。コミックマーケット「カタログ」のサークルカット調査の結果を見れば、眼鏡っ娘の飛躍が鳳凰寺風ちゃんの活躍から始まったことは、一目瞭然なのだ。
右のグラフは、コミケカタログに掲載されたサークルカット全てに目を通して描かれている眼鏡キャラの数をカウントし、全体に占める割合を算出し、開催回順に並べてグラフ化したものだ。赤の線が眼鏡っ娘比率の推移を示している。80年代半ばから90年代前半まで、眼鏡っ娘の暗黒時代が続いていることが分かる。80年代初頭に眼鏡っ娘比率がまだ高かったのは、オリジナル作品に眼鏡っ娘がいたからだ。しかし80年代後半から高橋留美子作品のアニパロがコミケを席巻するようになると、眼鏡っ娘の姿を見かけることはほとんどなくなってしまう。暗黒期は1990年代前半の「セーラームーン」と「ストリートファイターⅡ」全盛期も続く。悔しい。その停滞期をようやく打破したのが1995年夏であり、その突破口になったのが本作「レイアース」の眼鏡っ娘、鳳凰寺風ちゃんだった。1995年にはサークルカット全体に占める眼鏡っ娘の割合は0.92%だが、その約半数は風ちゃんだった。アニメの放映が1994年10月に開始され、翌年夏開催のコミケサークルカットに風ちゃんが大量に描かれたのだ。ここで突破口が開かれたことによって、後の眼鏡っ娘躍進が可能となった。彼女の活躍がなかったらどうなっていたかを想像すると、心底ゾッとせずにはいられない。
本作の構成の特徴は、TRPG的想像力から派生した「キャラクター有機体構造」にある。本作では、主要登場人物が「光/海/風」と3人いて、それぞれがある価値観を代表している。本作の場合、「光=道徳的/海=主意的/風=理知的」というように価値が割り振られている。そうすると、光と風が対立するエピソードは、一人の人間の心の中の「道徳的判断」と「理知的判断」の葛藤と相似的に読むことができる。逆にいえば、目に見えない人間の心の動きと葛藤を分かりやすく描写することは難しいが、価値観を擬人化して物語の中でキャラクター間の葛藤を描くことで、人間の心の葛藤を目に見えるように描くことが可能となるのだ。
同じように、海と風の対立は、「主意的判断」と「理知的判断」の間の葛藤を表現している。
キャラクター間の対立が具体的なエピソードで描かれることによって、読者の心の中に葛藤が惹起される。そしてキャラクター同士の和解と問題の解決は、一人の人間の心の統合と安静を意味する。一人の人間の心の構造とキャラクターの構造を相似的に組み立てることによって、物語自体に大きな説得力が付与されるのだ。
このようなアイデアは本作が初めて採用したわけではなく、既に2400年前のギリシア時代に哲学者プラトンが『国家』によって明らかにした原理だ。少女マンガにおいても、80年代半ばの柊あおい「星の瞳のシルエット」(第48回で言及)等に見ることができる。また1990年代前半の竹本泉作品やギャルゲーで独自な進化を遂げたことにも言及した(第83回)。しかし本作が特に成功した要因は、90年代前半に説得力を持ち始めた「TRPG的想像力」と「少女マンガ技法」を組み合わせた地点に「有機体構造」を構想した点にあると思う。
「TRPG的想像力」の創造的意義については、磨伸映一郎作品に言及するなかで触れた(第50回)。TRPGでは、個性ある能力を持つキャラクターが「パーティ」を組む。この「パーティ」という概念と、プラトン的な「有機体構造」の発想は、非常に親和的だ。プラトンの理屈なんか知らなくとも、「パーティ」という概念を理論的に推し進めていけば、必然的に「有機体構造」に行く着くと言ってもよい。本作の3人組がTRPGの「パーティ」に当たることは、敢えて説明するまでもなく一目瞭然だろう。この「パーティ」の中に「眼鏡っ娘が一人いる!」という構成の、なんという説得力。
そして、「3人組のなかに眼鏡っ娘が一人いる」という様式は、柊あおい「星の瞳のシルエット」を見ればわかるように、実は少女マンガではよく見る様式だった。松苗あけみ「純情クレイジーフルーツ」なり、わかつきめぐみ「グレイテストな私達」などを想起してもよい。CLAMPが「3人組のうち一人が眼鏡っ娘」という様式を採用したのは、少女マンガ技法の伝統を踏まえれば、必然だ。そしてそれによって、麻宮騎亜が「サイレントメビウス」でできなかったことを、CLAMPはやってくれた。「ガルフォース」や「バブルガムクライシス」ができなかったことを、CLAMPはやってくれた。高橋留美子がしてくれなかったことを、CLAMPはやってくれた。この「パーティのなかに、眼鏡っ娘が一人いる!」という説得力は、実は少女マンガ技法を踏まえなければ出てこなかったのだ。そしていったん説得力を持った技術は、普遍化する。CLAMP後は、あらゆるパーティの中に眼鏡っ娘の姿を見ることになるだろう、ありがたや。
(そういう意味で、前回で触れたように、少女マンガ技法を踏まえた竹本泉がいち早く「パーティ」に眼鏡っ娘を組み入れていた事実はとても重要なのだ。また、「セーラームーン」のパーティに眼鏡っ娘がいなかったことの意味は、それがTRPG的パーティではなく「戦隊」であったということか。)
さてしかし。もしもキャラクターが単に価値観を代表しているだけだったら、キャラは作者の操り人形に過ぎず、独立した人格と呼ぶに値しない。もしもそういうキャラであったら、我々はこれほどの魅力を風ちゃんに感じることはなかっただろう。風ちゃんが個性ある人格だからこそ、我々は風ちゃんに惹きつけられる。キャラクターが単なる価値の代表であることを超えるのは、「恋」の場面だ。
うおお。めっちゃかわいい!
恋の瞬間、そこには価値観が擬人化されたキャラではなく、一人の人間がいる。我々はだからこそ、風ちゃんに惹かれる。CLAMPは、ちゃんとそのことも分かっていた。つくづく、すごいクリエイターだと思う。
■書誌情報
本編全3巻と、続編全3巻。新装版は新刊で手に入るし、旧版も人気があって大量に出回っているので、手に入れやすい。緑が風ちゃんの番。
新装版単行本全3巻セット:CLAMP『魔法騎士レイアース』完結セット
新装版単行本全3巻セット:CLAMP『魔法騎士レイアース2』完結セット
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