この眼鏡っ娘マンガがすごい!第67回:渡千枝「めがね色の恋わずらい」

渡千枝「めがね色の恋わずらい」

講談社『ラブリーフレンド』1982年4月号

067_02まず、タイトルがいい。話の内容は、それまで恋愛にまったく関心のなかったガリベン眼鏡っ娘が恋に目覚めるという、取るに足らない恋愛話だ。だが、それがいい。

所詮と言っては失礼ではあるが、恋愛少女マンガは男と女(あるいは男と男、女と女)がくっつくか離れるかを描いているに過ぎない。恋愛マンガを「形式」だけに注目してみれば、そのバリエーションは極めて貧弱だ。恋愛マンガをバカにする人々が世間にはそこそこ存在するが、彼らは形式の貧弱さを以てくだらないと判断している。顔がいいとか頭がいいとか運動ができるとか、なにがしかのパラメーターが高いという理由で恋愛が成就するとしたら、それはたしかにくだらない作品になりやすい。しかし恋愛マンガのおもしろさの源泉は、その形式ではなく、「キャラクターの個性」にある。丁寧なエピソードの積み重ねによって人物がしっかりと描かれて、「ああ、この人のこういうところを好きになったんだな」と読者が納得できたとき、初めて恋愛マンガがおもしろくなる。「マンガはキャラクターが勝負」という箴言が大昔から語り継がれている所以である。
その意味で、本作はとてもおもしろい。眼鏡っ娘の個性が、具体的なエピソードの積み重ねによって、丁寧に描かれているのだ。相手の男が眼鏡っ娘を好きになった理由もよく分かる。

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キャラクターの個性が丁寧に描かれていれば、読者の方は「この男はこの娘のそういうところを好きになったんだな」と、とても納得できる。
067_01逆に言えば、キャラクターの個性を描くことに失敗した時は、「なんでこいつはそんな女を好きになったんだ?」という疑問が読者に湧く。そういう時に、勢い余って、失敗した作家はモテる理由をパラメーターの高さに求めるという愚を犯す。スポーツができる奴はモテるだろうとか、金がある奴はモテるだろうとか、顔がいい奴はモテるだろうとかいうように、「個性」を描かずにパラメーターの高さに恋愛成就の理由を委ねてしまう。こういう作品は、たいていウンコだ。「眼鏡を外して美人」という例のウンコは、「どうしてこの女を好きになるのか?」という理由をキャラクターの個性で描写することができないウンコ作家が、パラメーターの高さで説明したつもりになるときに持ち出してくる苦し紛れのゴマカシなのだ。実力ある作家に「眼鏡を外して美人」という作品がほとんどなく、「眼鏡のまま幸せ」という作品が多いのは、ここに理由がある。「個性」をきちんと描ける作家には、眼鏡を外す必要なんてそもそもないのだ。本作は、その好例と言える。

■書誌情報

同名単行本に所収。引用画像の右側が色褪せているのは、保存状態が良くなかっただけで、もともとの発色は良いですよ。
著者は後にホラー・サスペンス系で活躍するようになるが、そこでも眼鏡キャラが多い。

単行本:渡千枝『めがね色の恋わずらい』(別フレKC、1983年)

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