この眼鏡っ娘マンガがすごい!第120回:河村美久「やさしさ半分二人で一つ!」

河村美久「やさしさ半分二人で一つ!」

講談社『ラブリーフレンド』1980年12月号

メガネスキーが「自分は眼鏡っ娘が好きだ!」とカミングアウトすることで大団円を迎える物語である。これも例によって美しい「眼鏡っ娘起承転結構造」を示す作品だ。

物語冒頭、中間テスト学年一位の眼鏡っ娘=多枝子は、ガリベンでカタブツだと思われている。クラスメイトからはまったく恋愛の対象とみなされていない。そんなカタブツ眼鏡っ娘も密かに青木くんのことが好きだった。実は青木くんの方も眼鏡っ娘のことを好ましく思っているのだが、残念なツンデレ眼鏡っ娘がそのことに気づくはずもない。

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ところで眼鏡っ娘には双子の妹がいた。この妹は、ガリベン眼鏡っ娘の姉と違って、華やかな恋愛体質だ。姉の元に現れた妹はたちまちクラスの人気者となる。青木くんの友達が妹に一目惚れして、青木くんを巻き込んで集団デートに誘おうと企画する。ところが気の多い妹はデートをドタキャン。眼鏡っ娘はメガネを外して、妹の代わりにデートに臨むことにする。が、そこで青木くんに告白される。

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眼鏡っ娘がメガネを外して、華やかな恋愛体質になって、モテモテになる。世間にはこれで物語が終了だと勘違いしている人が多いようだが、「眼鏡っ娘起承転結構造」を知っていれば、これが単なる「承」に過ぎないことがよく見える。本当のクライマックスは、この先だ。

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眼鏡を外して得たものなど、偽物に過ぎない。青木くんが好きなのは自分ではなく、妹なのだ。眼鏡っ娘はそのことを自覚する。青木くんとの偽りの恋愛もこれで終わりだと、覚悟を決める。
しかしだ。この青木くん、本当は妹との交際を断ろうと思っていた。眼鏡っ娘が自分にとってかけがえのない存在であることを強烈に自覚したのだ。
全てが発覚し、晴れてカップルとなった眼鏡っ娘と青木くんのラストシーンが実に清々しい。

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「オレはおさげとまんまるメガネの女の子が好きなのーっ」と大声で叫ぶ青木くん。私も叫ぶぞ。私はおさげとまんまるメガネの女の子が好きなのーっ!!
自分がメガネスキーであることを大声でカミングアウトして物語がハッピーエンドを迎えるという、たいへん清々しい結末である。

054_hyouところで、こういう「起承転結構造」を示す少女マンガ作品が大量に存在することが、オリジナリティの観点からどうかと疑問に思う向きもあるだろう。が、プロットの段階での類似は、オリジナリティの欠如を意味しない。たとえば「仲間と協力して強大なライバルに勝つ」というプロットがある。『ドラゴンボール』も『スラムダンク』も『ガンダム』も、全作品がこのプロットを共有している。が、プロットが同じだからといって、これらの作品を同列に語る人間など存在しない。「眼鏡っ娘起承転結構造」も、これと同じレベルのプロットなのだ。作品のオリジナリティは、プロットではなくキャラクターに[具体的]に現れる。逆に言えば、たくさんの作品に共通して見られるプロットとは、「世界の真理」を[抽象的]に代表したものと把握するべきだろう。「眼鏡っ娘起承転結構造」というプロットが大量の作品に共通して見られることは、そこに「世界の真理」が反映していると理解するべき事態なのである。この事態は「眼鏡っ娘弁証法」によって哲学的に解釈できるわけだが、それについてはしかるべき機会に改めて述べてみたい。

■書誌情報

本編は32ページの短編。単行本『ちょっと初恋』所収。この単行本に収録されている「12時からのシンデレラ」も眼鏡っ娘がヒロインの作品。新刊では手に入らないが、増刷を繰り返す人気単行本で大量に市場に出ているので、古本で手に入れやすい。

単行本:河村美久『ちょっと初恋』講談社、1982年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第67回:渡千枝「めがね色の恋わずらい」

渡千枝「めがね色の恋わずらい」

講談社『ラブリーフレンド』1982年4月号

067_02まず、タイトルがいい。話の内容は、それまで恋愛にまったく関心のなかったガリベン眼鏡っ娘が恋に目覚めるという、取るに足らない恋愛話だ。だが、それがいい。

所詮と言っては失礼ではあるが、恋愛少女マンガは男と女(あるいは男と男、女と女)がくっつくか離れるかを描いているに過ぎない。恋愛マンガを「形式」だけに注目してみれば、そのバリエーションは極めて貧弱だ。恋愛マンガをバカにする人々が世間にはそこそこ存在するが、彼らは形式の貧弱さを以てくだらないと判断している。顔がいいとか頭がいいとか運動ができるとか、なにがしかのパラメーターが高いという理由で恋愛が成就するとしたら、それはたしかにくだらない作品になりやすい。しかし恋愛マンガのおもしろさの源泉は、その形式ではなく、「キャラクターの個性」にある。丁寧なエピソードの積み重ねによって人物がしっかりと描かれて、「ああ、この人のこういうところを好きになったんだな」と読者が納得できたとき、初めて恋愛マンガがおもしろくなる。「マンガはキャラクターが勝負」という箴言が大昔から語り継がれている所以である。
その意味で、本作はとてもおもしろい。眼鏡っ娘の個性が、具体的なエピソードの積み重ねによって、丁寧に描かれているのだ。相手の男が眼鏡っ娘を好きになった理由もよく分かる。

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キャラクターの個性が丁寧に描かれていれば、読者の方は「この男はこの娘のそういうところを好きになったんだな」と、とても納得できる。
067_01逆に言えば、キャラクターの個性を描くことに失敗した時は、「なんでこいつはそんな女を好きになったんだ?」という疑問が読者に湧く。そういう時に、勢い余って、失敗した作家はモテる理由をパラメーターの高さに求めるという愚を犯す。スポーツができる奴はモテるだろうとか、金がある奴はモテるだろうとか、顔がいい奴はモテるだろうとかいうように、「個性」を描かずにパラメーターの高さに恋愛成就の理由を委ねてしまう。こういう作品は、たいていウンコだ。「眼鏡を外して美人」という例のウンコは、「どうしてこの女を好きになるのか?」という理由をキャラクターの個性で描写することができないウンコ作家が、パラメーターの高さで説明したつもりになるときに持ち出してくる苦し紛れのゴマカシなのだ。実力ある作家に「眼鏡を外して美人」という作品がほとんどなく、「眼鏡のまま幸せ」という作品が多いのは、ここに理由がある。「個性」をきちんと描ける作家には、眼鏡を外す必要なんてそもそもないのだ。本作は、その好例と言える。

■書誌情報

同名単行本に所収。引用画像の右側が色褪せているのは、保存状態が良くなかっただけで、もともとの発色は良いですよ。
著者は後にホラー・サスペンス系で活躍するようになるが、そこでも眼鏡キャラが多い。

単行本:渡千枝『めがね色の恋わずらい』(別フレKC、1983年)

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