植芝理一「ディスコミュニケーション」
講談社『月刊アフタヌーン』1992年2月号~2000年11月号
90年代を代表する眼鏡っ娘マンガといってよいだろう。眼鏡っ娘が9年にも渡ってヒロインとして活躍し、比類なき魅力を広く世間に知らしめた、その功績は計り知れない。魅力の一端は絵柄を一瞥するだけで感得することができるだろう。かわいい。
ただしというか。客観的には代替の効かない眼鏡っ娘傑作であることに間違いないのだが、私個人の主観的感情からすると、すんなりと腑に落ちないものもある。おそらくそのモヤモヤした主観的感情も含めて、眼鏡っ娘を語るときには外すことのできない作品と言える。
さて、私がどこにモヤモヤしているのか。次のエピソードを見れば、そのモヤモヤを共有してくれる人は多いはずだ。
主人公の松笛は、明らかに眼鏡に対してまったく魅力を感じていない。眼鏡をかけた戸川はこんなにかわいいのに、その眼鏡ゆえの魅力を完全無視しているのだ。松笛は「変態」として、戸川に様々な行為を要求するにも関わらず、眼鏡をいじることはない。松笛の言動からは、眼鏡に対するリスペクトを一切感じ取ることはできない。松笛には眼鏡DNAが完全欠如しているのだ。
読み進めていくうちに、作者自身に眼鏡DNAが欠如しているとしか思えないエピソードが次々と登場する。
人間のクズ登場。眼鏡っ娘のかわいさが、なぜ分からんか!
自分自身でこんなにかわいい眼鏡っ娘を描いておきながら、作者は眼鏡の魅力を自覚していなかったとしか思えない。それは、単行本で明かされた「メガネの理由」にも明らかだ。
ということで、作者自身の弁によれば、戸川が眼鏡であることに「特に理由はない」。深読みする必要は全くなく、作品自体を読めば「そうなんだろうな」と素直に納得できる。「ただなんとなく」という理由で、戸川は眼鏡っ娘になったのだ。
だが、それでいい。
描いた作者自身が自覚しなくとも、眼鏡っ娘の魅力は確かにここに宿ったのだ。それは読者からの支持に明らかに示される。作者の意図を超えて、眼鏡の力が本作を覆うことになる。それは眼鏡への態度の変化に顕著にあらわれる。既に具体例で確認したように、本作は当初のうちは眼鏡をダサいものとして扱っていた。しかし連載が続いていくうちに、その傾向は完全に払拭される。集合的無意識の働きによって、眼鏡の力が正当に認識されていったのだ。
何の曇りもない目で見れば、どう見ても、戸川は圧倒的にかわいい。「眼鏡はダサい」という歪みきった観念で脳みそを曇らされているうちは分からないが、エポケー(フッサール現象主義の用語で、あらゆる先入観を排除して世界と対峙すること)して戸川を見てみれば、圧倒的な魅力なのだ。
このように、作者が眼鏡の魅力を意識せずにたまたま描いたにも関わらず、世間の評価によって眼鏡の魅力が明らかになる例を、我々は既に見た。鳥山明「Dr.スランプ」(第77回)も、そうだった。さらに言えば、実は眼鏡DNAを持たない作者だからこそ、ここまで魅力的な眼鏡っ娘を世に送り出すことができたのかもしれない。その諧謔の可能性に思考が及んでしまう故に、私は本作によってモヤモヤさせられてしまうのだろう。
さて、戸川の魅力は見れば分かるのでいいとして。本作は他にも眼鏡的に興味深い点がいくつかある。一つは、「貼り付き眼鏡」だ。「貼り付き眼鏡」については、第56回で解説した。デッサンが狂った眼鏡のことだ。本作では、戸川の眼鏡は貼り付いていない。ちゃんと描かれている。ところが驚くべきことに、他の眼鏡キャラの眼鏡が貼り付いているシーンがあるのだ。同じコマの中に貼り付き眼鏡と貼り付いていない眼鏡が同時に描かれる例は、他にないのではないか。引用の一コマ目に注目してほしい。左側の戸川の眼鏡は貼り付いていないが、右側にいる万賀道雄というキャラの眼鏡は貼り付いている。
デッサンの狂い自体に、問題はない。問題は、同じコマの中に、どうして貼り付きと貼り付きじゃない眼鏡が同居できるかという、理論的にはまったく理解不可能な現実だ。つくづく不思議な作品だ。しかしこの万賀道雄というキャラが、明らかに藤子不二雄「まんが道」のパロディであることを想起すると、この貼り付き眼鏡には恐るべき意図が隠されている可能性がある。貼り付き眼鏡が忠実な藤子不二雄パロディであるとしたら、恐ろしすぎるとしか言いようがない。
もう一つは、「見る意志」についてだ。本作の結論めいたエピソードにおいて、戸川というキャラクターの特徴が「見る意志」であることが言明される。
この「見る意志」を象徴するものがまさに眼鏡であることは、本コラムにおいて何度も言及してきた。本作作者は、戸川の眼鏡に理由はないと言っていた。しかし作品自身は、戸川の眼鏡が「見る意志の象徴」であることを明らかに示している。これが作者の韜晦なのか、それとも集合的無意識が作り上げた眼鏡の力によるものなのかはわからない。まあ、理由はどうでもよいだろう。本作が眼鏡っ娘マンガの傑作であることだけは、もはや疑いようがないのだ。
■書誌情報
単行本は、イレギュラーな形で出版されている。本編13巻+学園編1巻+精霊編3巻の、全17冊。新装版は、全7巻。
単行本セット:植芝理一『ディスコミュニケーション』全13巻
単行本セット:植芝理一『ディスコミュニケーション精霊編』全3巻
Kindle版:植芝理一『ディスコミュニケーション学園編』
新装版セット:植芝理一『ディスコミュニケーション新装版』1-7巻セット
■広告■ |
■広告■ |