井上和郎「まりあさんは透明少女」
白泉社『ヤングアニマルDensi』2014年5/2~2015年1/30
※以下、ほんのちょっとだけ微妙に性的な話題を含みますので、苦手な方はご注意ください。
とても可愛い眼鏡っ娘女子高生がヒロインです。そして内容は、作者お得意のヘンタイ・どたばたコメディです。しかも少年誌ではないので、ヒロインの真っ裸がやたら大量に出てきます。うわあ。
が、しっかり読むと、眼鏡的に深い内容が描かれていることが分かるのであります。
本作は、タイトルの通り、ヒロインの眼鏡っ娘が透明人間です。
そして透明人間もののポイントは昭和の古来から2つあります。(1)透明ON/OFFのスイッチの工夫(2)透明の時になにをするか、ですね。
まず一点目、本作のヒロインが備えている透明人間スイッチとは、「気分が落ちこむと透明になる/興奮していると透明にならない」というものです。気分が落ちこむと街中でも教室でも透明になってしまうので、落ちこみそうになるとエロ本を読んで意図的に興奮するという努力をしております。しかしだんだん慣れてきてしまい、エロ本の刺激がエスカレートしていくのです。なんちゅうバカな設定じゃ。
このあたりの少し不思議(SF)な設定の妙は、「美鳥の日々」から作者が得意としているところですね。
次のポイントは、「透明になっているときに何をするの?」です。昭和の古来(あるいはギリシア時代の「ギュゲスの指輪」エピソード)から、透明人間ものといえばほぼエロと結びついてくるわけですが、本作もその期待を裏切りません。透明人間になったヒロインは、憧れの先輩の家に忍び込んでマスターべーションの観察をしたりするわけです。いやはや。
そんなわけで表面上はヘンタイ風味のラブ・コメディです。が、しかし。この設定を深く掘り下げて丁寧に描いていくことで、本作は眼鏡的に興味深い展開を見せることになります。その象徴的なシーンを、第1話に見ることができます。
先輩のセリフ、「見えない誰かに見られている」とは、眼鏡的に言って、とても含蓄の深い言葉です。ポイントは「見る」という動詞です。この「見る」という動詞は、もちろん「眼鏡」というアイテムと密接不可分に結びついている言葉です。「眼鏡」とは、「見る」ために必要となるアイテムです。ヒロインが眼鏡をかけているのは、この「見る」という意志をビジュアル的に象徴しているものと言えます。透明人間になったヒロインは、一方的に先輩を「見る」ことになります。
しかし一方で、本作のテーマである「透明人間」の本質とは、「見られない」ということにあります。透明人間になったヒロインは、先輩からは「見られない」のです。一人のキャラクターの中に「見る」ことを象徴する眼鏡と「見られない」という透明人間の本質が離れがたく結びついているのが、実は本作が仕組んだ最大の仕掛けなのであります。ちょっと掘り下げて考えてみましょう。
後半、ヒロインは「気づかれないところで見つめてる事しかできない情けない透明人間だ」と、情けない気持ちになります。
しかし改めて考えてみれば、仮に透明人間でなくても、「相手からは見られないのに、こちらから一方的に見ている」という状況は、いくらでもあります。たとえば片思いとは、まさにそういう状態です。そして、実は「眼鏡」こそ、昭和の古来から「相手からは見られないのに、こちらからは見ている」という状況を比喩的に表わしてきたアイテムでした。
たとえば「眼鏡だから容姿が劣る」ということが物理的にあり得ないにも関わらずマンガでしばしば描かれるてしまうのは、実は物理的に容姿が劣ることを表現しているというよりは、「誰からも見られる対象ではない」ということを表現しているものと考えられます。眼鏡とは「見る」ためのアイテムであって、「見られる」ためのアイテムではないということです。本作でヒロインが眼鏡をかけているのは、実は「誰からも見られる対象ではない」ということを象徴的に示していたと考えられます。この仕掛けが、本作のテーマである「誰からも見られない透明人間」というテーマと深く響き合うことになります。ヒロインは物理的に透明でないときも、社会的には透明だったのです。大好きな先輩の視野にも入らない、誰からも見られることがない、社会的な透明人間だったのです。眼鏡とは、ヒロインが「社会的に透明」であることを示すためにどうしても必要なアイテムだったのです。
だから最後、ヒロインが先輩に告白しようとするとき、眼鏡をかけていることは極めて重要な事実です。
確かに眼鏡とは、内側に向かえば「社会的な透明人間」を示すアイテムです。しかし一方で、眼鏡は、外部に向かえば「見る意志」を示す象徴になります。ヒロインが告白しようとするシーーンで、眼鏡は「意志」を示すものとして機能しています。ヒロインの視線が紙面を超えて我々にまで突き通ってくるのです。眼鏡っ娘の決意が、しっかり伝わってくるのです。内側に向かう眼鏡から外側に向かう眼鏡へと、自分の意志で自分を変えていくんだというメッセージが、最後の眼鏡シーンに表れているように思うのでした。この告白シーンから「名前」へと続く一連のラストシーンには、心底感動しました。この感動は、眼鏡だったからこそ生じ得たのだと思うのです。
書誌情報
同名単行本全一巻。
全編を通じて最初から最後までヒロインがほとんど真っ裸という、週刊少年誌時代では絶対に考えることが不可能な、ちょっとした問題作ではあります。電車の中では読めません。
まあ、しかし。敢えてちょっと残念な点を上げるとすれば、真っ裸のシーンの大半が裸眼で描かれてしまっていているというところでしょう。まあ肉体が透明で眼鏡だけ宙に浮いているというのも確かに変ですし、本質的な問題ではないのではありますが……。いやはや。
【単行本・Kindle版】井上和郎『まりあさんは透明少女』白泉社、2015年
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