稲留正義「ヨガのプリンセス プリティ♥ヨーガ」
講談社『アフタヌーン』1996年9月~98年5月
前回は80年代にしか生まれえない作品を見たが、今回見るのは90年代後半でしか存在を許されなかっただろう作品だ。絵柄といい、ノリといい、ネタといい、画面全体から90年代後半の匂いを強烈に放っている。そして特に本作が歴史に名を刻まれるべき理由は、そのヒロインの名前にある。
「眼牙熱子」というド直球の名前! このネーミングセンスは、90年代前半では早すぎるし、2000年代ではベタすぎる。キャラクターにこの名前をつけることは、90年代後半でしか許されなかっただろう。
コミケサークルカット全調査を踏まえる限り、眼鏡っ娘が一般に認知されるのは1995年以降のことだ。そして同時期に、メイドやネコミミといった、いわゆる「萌え要素」と呼ばれる認識枠組みがオタク界で広く共有されるようになる。その象徴は、1998年に登場したデ・ジ・キャラットだろう。東浩紀のオタク論が最も勢いに乗っていたのもこの時期だ。論理的に考えて、「萌え要素」が一般化する前の90年代前半に、本作のノリが存在することはそうとう困難だ。
しかし2000年以降には、こういったノリは急速に萎んでいく。キャラクターを作るときに、眼鏡とかメイドとか巫女といった外面的な要素ではなく、「ツンデレ」や「素直クール」といった内面性を重視する流れが支持されるようになる。そういう流れの中で、ヒロインに「眼牙熱子」という名前をつけることは、選択肢としてありえない。90年代後半の萌え文化興隆期特有の熱い空気の中では本作のノリはイケるのだが、現在の感覚で読んだら多くの人がおそらく「痛い」と感じてしまうだろうと推測する。
ちなみに眼牙熱子の性格は、眼鏡っ娘のステロタイプとはかけ離れている。眼鏡がストーリーに絡んでくることもない。概念としての眼鏡はいっさい存在せず、「萌え要素」としての眼鏡のあり方だけが純粋に浮かび上がる。あらゆる意味で、本作は、まさに90年代後半でしかありえないノリをストレートに表現した、時代の証言者と言える。眼鏡っ娘表現の歴史を考える上で、本作が里程標の一つとなることは間違いない。
■書誌情報
全2巻。古本でしか手に入らない。ちなみに本作は眼鏡作品としてだけではなく「百合」作品としても一定の評価があるが、ここでは言及しない。
単行本:稲留正義『ヨガのプリンセス プリティー♥ヨーガ』1巻(アフタヌーンKC、1997年)
単行本:稲留正義『ヨガのプリンセス プリティー♥ヨーガ』2巻 (アフタヌーンKC、1998年)
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