この眼鏡っ娘マンガがすごい!第65回:大野安之「That’s!イズミコ」

大野安之「That’sイズミコ」

STUDIO SHIP『コミック劇画村塾』1983年~87年

065_01その時代でなければ絶対に生まれなかった作品というものがある。本作には、内容・形式ともに、80年代の匂いが濃密に染み込んでいる。
形式的には、劇画村塾から発していることが大きな特徴だ。その故かどうか、一般受けを狙う思考では出てこないだろう、マンガ表現の可能性を極限まで追求していくような描写を各所に見ることができる。
内容は、説明しがたい。SFとファンタジーとメルヘンが融合したような、起承転結を拒む、プロットがあるのかないのかわからないような、それこそポストモダンな80年代の雰囲気が色濃い作品だとしか言いようがない。最終回のメタ・フィクション的な展開とセリフ回しなど、まさにニューアカデミズムが一世を風靡した80年代ならではの仕上がりに見える。本作についてきちんと語ろうとすると、そのままそっくり80年代について語ってしまうことになるだろう。
が、さしあたってそれには関心がない。眼鏡が問題だ。

本作のヒロイン眼鏡っ娘のイズミコは、他に比較すべきものが見当たらない、極めて個性的な眼鏡っ娘だ。具体的には、ビッチなのだ。眼鏡っ娘キャラ一般を考えると、清楚で奥手なキャラクターが多いように思う。そんななかで、これほど目つきと素行が悪いキャラクターは非常に珍しい。それゆえに、いいことか悪いことかは別として、読者を選ぶ作品のように思える。
065_02しかしそうなると、どうしてこのようなビッチが眼鏡をかけているのか、その理由を知りたくなる。残念なことに、作中ではイズミコが眼鏡をかけている理由はまったく描かれない。むしろ裸眼で困っている描写もないので、視力がどの程度かもわからない。ということは、なにかしらのキャラクター的な理由があって眼鏡をかけているというよりは、ビジュアル優先で眼鏡っ娘になっていると考えられる。全体的な画面構成を意識しながら本作を読むとき、イズミコの眼鏡は世界観にぴったりとハマっているように見える。眼と眼鏡が一体となったようなデフォルメ描写を見ると、そのビジュアルの完成度が極めて高いことがわかる。80年代という男性向眼鏡暗黒期にここまでの眼鏡っ娘を描くことができた作者の技量の高さは、計り知れないものがある。

065_03おそらく眼鏡暗黒期に眼鏡っ娘を描いたという自負があるからではないかと推測するが、20世紀が終わる頃の作品で、「メガネっ娘という一ヂャンル」に対する見解を披露している。同人誌発表作をまとめた『超電寺学園きらきら』に眼鏡っ娘の真奈美が登場するのだが、そのキャラクターもいわゆる眼鏡っ娘のステロタイプにはハマらない、ビッチ全開キャラだ。「That’s!イズミコ」終了後、90年代後半に一気に眼鏡っ娘市場が膨らむが、そこで人気が出たキャラクターは、大野安之の描く眼鏡っ娘とは大きく乖離している。その乖離が、このようなステロタイプ眼鏡に対する批判的な表現となったのだろうと思う。その是非や当否については、ここでは言及しない。
私のような批評家的ポジションから物を言う場合、ステロタイプを闇雲に否定することは、それが形成されていくべき必然性が時代と世間に存在する以上、慎重であらねばならない。批評家の役割はステロタイプが形成された必然性を言語化するために努力することであって、ステロタイプをバカにしたり否定したりすることではない。が、実作者には全く別の論理がある。ここでしっかり確認しておきたいことは、20世紀の終わりには、眼鏡がステロタイプ化していたという認識が確固として存在する状況になっていたこと。そして、それを乗り越えようという試みが確かにここにあったということだ。

■書誌情報

『That’s!イズミコ』全6巻は絶版マンガ図書館で無料で読むことができる。『超電寺学園きらきら』は18禁なので、注意。

絶版マンガ図書館:大野安之『That’s!イズミコ』全6巻

単行本:大野安之『超電寺学園きらきら』(プラザコミックス、2002年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第55回:田渕由美子の眼鏡無双

田渕由美子の眼鏡無双

田渕由美子「百日目のひゃくにちそう」集英社『りぼん』1978年9月号
田渕由美子「夏からの手紙」集英社『りぼん』1979年8月号
田渕由美子「珈琲ブレイク」集英社『りぼんオリジナル』1982年冬の号
田渕由美子「浪漫葡萄酒」集英社『りぼんオリジナル』1983年秋の号

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055_02田渕由美子の眼鏡は止まらない。
単行本『夏からの手紙』と『浪漫葡萄酒』は表紙が眼鏡っ娘のうえに、それぞれ4作収録のうち2作の主人公が眼鏡っ娘。まさに眼鏡無双。もちろん、眼鏡を外して美人になるなどという物理法則に反する描写は一切ない。ここまでくれば、意図的に眼鏡を描いていると考えて間違いない。

1970年代後半の『りぼん』でトップを張った作家がこれほどまでに大量の眼鏡っ娘作品を描いていたことは、歴史の事実としてしっかり押さえておきたい。少女マンガの王道とは「眼鏡を外して美人になる」のではなく、「眼鏡のまま幸せになる」のだと。「少女マンガでは眼鏡を外して美人になる」など、少女マンガを読んだことのない人間が垂れ流す悪質なデマに過ぎない。田渕由美子の作品を読めば、何が正しい眼鏡なのかは火を見るよりも明らかなのだ。
もちろん眼鏡に優しかったのは田渕由美子だけではない。同時代『りぼん』で活躍した陸奥A子と太刀掛秀子も「眼鏡を外して美人」なんてマヌケな作品は一つたりとも描いていない。『りぼん』以外の雑誌でも、明らかに田渕由美子の影響を受けたと思われる眼鏡っ娘作品を多く見ることができる。『マーガレット』の緒形もり、『フレンド』の中里あたるなど、乙女チック眼鏡を描いた作家については、また改めて見ることにしよう。

さて、1978年9月「百日目のひゃくにちそう」は、引っ込み思案で「泣きべそ顔が印象的」と言われてしまう眼鏡っ娘が主人公。恋人だった支倉くんが交通事故で死んでしまった後、声がそっくりの植木屋さんと新しい恋に踏み出すお話。ふわふわの髪型と眼鏡がとっても素敵。

055_041979年8月「夏からの手紙」は、あだなが「委員長」の眼鏡っ娘が主人公。作中でもT大文学部に進学している。田渕由美子のヒロインは、他の『りぼん』作品と違って、大学生や予備校生が主役であることが多いのが印象的。で、このメガネ委員長が、まさにツンデレの中のツンデレ。高校の時には片想いで告白できなかった相手に憎まれ口ばかり叩いてしまっていたメガネ委員長は、大学に進学してから偶然その相手と出会う。ここからのデレかたがかわいすぎる。大学生になってからも「委員長」と呼ばれてしまう眼鏡っ娘が素直になるところは、読んでいるこっちもニッコリしてしまう。

055_051982年冬「珈琲ブレイク」は、中学生から7年間もずっと片想いを続けている眼鏡っ娘が主人公。恋の話をするときに顔が真っ赤になる眼鏡っ娘がかわいすぎる。そして片想いをふっきって、新しい恋に踏み出していく心の動きが丁寧に描かれている。
眼鏡っ娘の新しい恋の相手暮林くんが二人称で「オタク」という言葉を使っているけれど、もちろんこれは二次元が好きな人という意味での「オタク」ではなくて、単なる二人称。二次元が好きな人たちが好んで相手のことを「オタク」と呼んでいたからその名をつけたと言われているけれど、実はそれは誤解に基づいた命名だったといえる。田渕由美子や新井素子の作品を読めばすぐに分かるのだが、「オタク」とは1970年代の大学サークル界隈で使用されていた二人称だ。「二次元が好きな人たちがオタクという二人称を好んで使っていた」と主張する人々は、単に1970年代の大学サークル文化を知らないだけという可能性がかなり高い。

そして、『りぼん』時代最後の眼鏡っ娘作品となった『浪漫葡萄酒』は、眼鏡的にかなり考えさせられる作品だ。というのも、ダテメガネだからなのだが、さすが田渕由美子だけあって、そのダテメガネぶりが他の作家とはまったく違っている。ダテメガネといえば、普通はアイドルや芸能人が自分を隠すために使うアイテムとして認識されている。しかし田渕由美子は違う。「眼鏡をかけたほうがかわいい」から眼鏡をかけて写真モデルになって、大売れしているというダテメガネなのだ!

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ダテメガネで大ブレイクする写真モデル。これが平成の世なら、時東ぁみなどの実例があるから、ダテメガネで芸能人を売り出すってネタも理解できなくはない。しかしこの作品が発表された1983年とは、プラザ合意前の昭和どまんなかの時代だ。この時代に眼鏡をかけたほうがカワイイからダテメガネで写真モデルって。実際に眼鏡アイドル板谷祐美子を擁するセイント・フォーがデビューするのは、この作品が発表された翌年のことだった。あまりにも、早すぎる。本当にすごい。田渕由美子、すごすぎる眼鏡力。

■書誌情報

「百日目のひゃくにちそう」と「夏からの手紙」は単行本『夏からの手紙』に所収。「珈琲ブレイク」と「浪漫葡萄酒」は単行本『浪漫葡萄酒』に所収。全作品集は全4巻で計画されていたが、2巻で出版が止まったので、本作は収録単行本で読むしかない。が、『夏からの手紙』のプレミアが半端ない。素晴らしい眼鏡っ娘が多いので、読みやすい環境になってほしいなあ。

単行本:田渕由美子『夏からの手紙』(りぼんマスコットコミックス、1982年)

単行本:田渕由美子『浪漫葡萄酒』(りぼんマスコットコミックス、1983年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第36回:島本和彦「炎の転校生」

島本和彦「炎の転校生」

小学館『週刊少年サンデー』1983年31号~85年48号

036_01s島本和彦初期の代表作「炎の転校生」は、一般には貧乳萌えマンガだと勘違いされているが、実際は眼鏡っ娘マンガだ。まず滝沢のライバル城之内が、かなり徳の高いメガネスキーだ。国電パンチを喰らって倒れた城之内が立ち上がろうとしたとき、その視線の先に眼鏡っ娘がいた。「ゆかりちゃんより…おれの好みの…娘が…いたっ!?」と心で叫ぶ城之内。実は国電パンチのダメージはたいしたことはなく、立とうと思えば立ち上がれたのだが、城之内はヒロインのゆかりちゃんよりも眼鏡っ娘を彼女にしたいと思ったため、わざと立ち上がらなかった。そう、滝沢と城之内の不毛な勝いに決着をつけたのは、眼鏡っ娘のかわいさだったのだ!

そして城之内は見事に眼鏡っ娘と付き合い始めるのだが、さらにメガネスキーの道を貫く。右手を負傷して入院した城之内が看護婦さんに囲まれてハーレム状態になるのだが、その図を確認していただきたい。

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4人のうち、2人が眼鏡っ娘。眼鏡率50%。全員メガネじゃないところは残念なことに徳が不足しているが、あだち充と高橋留美子というツートップがまったく眼鏡を描かなかった眼鏡暗黒期の週刊少年サンデーに載っていたことを思い合せると、これは快挙と言うべきだろう。ありがとう、城之内。

036_04本作の眼鏡はそれにとどまらない。話が進むたびに、衝撃の事実が明らかになる。ブラック滝沢との戦いのなか、回想シーンにおいて、滝沢が中学2年のときに好きだった女の子がなんと眼鏡っ娘だったことが明らかになる。眼鏡っ娘の愛を勝ち取るために、滝沢は若月と壮絶な戦いを繰り広げることになる。

さらに、滝沢に刺客として送り込まれた「戦闘フォー」という4人組の女の子のうち、一人が眼鏡っ娘だ。もちろんこれは実在のアイドルグループ「セイント・フォー」のオマージュではあるが、他にも選択肢がいくつもあるなかで、しっかり板谷祐美子を擁するセイントフォーを投入してくるあたり、島本和彦の確かな眼力が伺える。

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ここまで確認してきたエピソードで注意したいのは、本作にはメガネだからといって容姿が劣るなどといった愚かな観念が1ミリたりとも現れていない点だ。むしろ眼鏡っ娘は積極的に美人として描かれている。モブキャラでも眼鏡っ娘がたくさん登場する。そして眼鏡エピソードの極めつけは、陽子と中性子だろう。

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秘密教育委員の郷路の娘が、二人とも眼鏡っ娘。滝沢は眼鏡っ娘のサポートを得て次々と敵を倒していく。戦いの中、中性子は年下の滝沢のことを好きになる。なうまん高校の戦いに決着がつき、いよいよ最後の戦いへと出発する滝沢に、中性子は自分の眼鏡をプレゼントする。

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「このメガネ、私だと思って大切にしてね」……これほど魂が込められたセリフがあるだろうか。いや、ない。「炎の転校生」のあらゆるエッセンスがこの一言に込められている。そして魂のこもった眼鏡をかけて最後の戦いに向かった滝沢は、勝利したのだ。というか、新幹線を降りた時にはいつのまにか眼鏡がなくなっていたけど、ちゃんと中性子ちゃんのメガネ大切にしているんだろうな、滝沢ぁ!!!!

■書誌情報

人気があって大量に出回ったので、いろいろなバージョンもあって、手に入りやすい。電子書籍で読むこともできる。

単行本全12巻セット:島本和彦『炎の転校生』(少年サンデーコミックス)全12巻完結セット
Kindle版:島本和彦『炎の転校生』(1巻) (少年サンデーコミックス)

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