はいぼく「視力矯正めがねをかけろ」
ラポート『ゲームコミック月姫2』2003年
出版元のラポートが2003年に倒産してしまって独占出版権が消滅しているので、著作権者の権限で全ページ掲載。
ってことで、今回は素晴らしい眼鏡っ娘マンガの紹介じゃなくて、「あのころはこうだったよなあ」というインターネット老人会のようなノリの自分語りで恐縮しきり。
前回の磨伸さんと同じく、TYPE-MOONのアンソロジー集に掲載された作品だ。ラポート社には、ねこねこソフト『みずいろ』アンソロジーから参加していて、ねこねこ2作+月姫2作の都合4作描いたところで倒産してしまった。ラポート社が続いていたら、他の作品も全部この眼鏡ノリで押し切るつもりだったけど。DNAやエンターブレインからは声がかからなかったのでアンソロはこれっきりになった。いちおうアンケートでは人気があったようだと小耳に挟んでいて、眼鏡の野望にまた一歩近づいたと密かにほくそえんでいたんだけど、まあ仕方ない。
いちおう、4頁目の「魔人破天荒」は、磨伸さんの改名前のペンネームね。私の方は御本人に確認もとらずにしれっと描いちゃったけど、編集部の方では当然問題になって、きちんと確認してくれたようだ。このあたり、同人と商業は違うんだという意識がかなり低くて、今になって冷汗が出まくる。6頁目の西川魯介『屈折リーベ』の3コマぱくりなんて、同人にどっぷり浸かっていた当時だから恐れも知らずにやっちゃったことで、今の感覚から言えば、たとえ御本人に許してもらったとしても恐れ多くて実行できない。若かったねえ。
ラポートのビルは、新宿御苑の側にあった。JR新宿から南口を出て、甲州街道に沿って新宿御苑に向かう。新宿御苑は季節ごとの花や紅葉が美しく、歩くだけで心が躍った。ラポートビルに行くこと自体が楽しみだった。原稿はコンピュータで作成していたので、ネットで送ってしまえば一瞬で済むのに、わざわざCD-ROMに焼いて持って行った。編集部の部屋が、またワンダーランドだった。たぶん12畳くらいしかない部屋だったと思うけど、何年前からそこにあるのかわからない謎の資料が所狭しと山積していた。ここから『アニメック』とか『ファンロード』が生み出されていった、その場所に自分がいるというだけで、心が湧きたった。
編集長の小牧雅伸氏のことは「RXの人」と呼んでいた。もちろん、「RX-78」の名付け親だからだ。ちなみに当時私が使っていたコンピュータが、SONYのVAIOで型番がRX-75だったので、密かに「ガンタンク」と呼んでいたが、それはどうでもよい。小牧さんから「明るいイデオン」の話を直接聞いたりするだけで、全身の血液が沸騰する感じがした。ラポート倒産後も、ちゃんと年賀状が届いた。
ちなみに私をラポートに連れて行ったのは「歩く電波塔の会」きむら秀一だが、この話は墓場まで持っていかねばならない。
アンソロを描くとき、ラポートからはTYPE-MOONが用意した設定資料を渡された。門外不出。たとえ家族だろうと見せることは許されない。これを手にしたとき、なんだか特権階級になったかのような錯覚を覚えたが、とうぜん気のせいだ。いまでも家にある。
この頃から、樺薫の仲介を経て、私の家に高遠るいが出入りするようになった。実は彼は私の大学の後輩だったりする。当時彼はまだ「高遠るい」という名前ではなく、「しとね」と自称していた。その時はまだ世に出る前だったから当然彼の実力も知らず、「なんか絵を見せてよ」と何の期待もせずに言ったのだが、出てきたものにブッたまげた。モノが違うってのは、こういうことを言うんだろうなと。ジオンの兵士が、見たこともなかったガンダムを一目見ただけでガンダムと認識して戦慄するように、私は高遠るいの圧倒的な実力に鳥肌が立った。
ということで、私が主催していた同人誌に何冊か関わってもらったり、ラポートに紹介してねこねこアンソロジーに描かせたりしたけれど、もちろんそんな枠に収まるようなタマではないので、あっという間に各方面の編集者の目について、瞬く間に商業誌で活躍するようになった。TYPE-MOONのアンソロジーに関わった作家は何十人といるけれど、そのなかでも高遠るいと磨伸映一郎は、間違いなく変な奴ツートップだった。高遠るいが同人で描いていたシエルマンガは、他に描ける者が皆無という点で本当にすごかったが、今ではもう手に入るまい。
そんな高遠るいが、私の家で、樺薫と飽きもせずに延々と「ウンコ」の話をしていたのは、私しか知らない。
樺薫と高遠るいが「ウンコ」の話をしている横で描いていたのが、この眼鏡マンガだった。そのときは、こんな生活がしばらく続くのかなと思っていたけれど、とんでもなかった。樺薫も高遠るいもすぐに商業誌で活躍を始め、私の家からは遠ざかっていった。というか、別に私がいなくても、彼らは自分の足だけで立つことができる実力を持っている。私が関わらなくとも、いずれは世に出る才能だった。猛烈なエネルギーを蓄えたマグマが地上に噴出するとき、たまたま噴出した割れ目が私の所にあっただけの話で、それが私である必然性はなかった。が、それが私であったことに、ちょっとした誇りを感じてしまうのは、仕方ないよね。
私自身も、いまではマンガで原稿料を頂戴する機会もなく、別の道で生活している。でも、この作品を見ると、当時のことをまざまざと思い出す。現在からは想像もできないほどに眼鏡が不遇だった時代。10年以上前の絵柄だから、いまの眼から見れば当然不満だらけだ。コマ割りも拙い。でも、情熱だけはすごかった。あのときの熱量は取り戻すべくもないけれど、でも経験値を積み重ねた今だからこそできること、今しかできないことはたくさんあるはずで。やっぱり、今できることを着々と積み重ねていくことが一番大事なんだよなあと。オッサンになってみてしみじみと実感するのだった。
そんなわけで、これまでのオタク遍歴で培った眼鏡知識は、きちんと形にして残していかなくちゃと思ったのだった。
■書誌情報
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