この眼鏡っ娘マンガがすごい!第103回:岡野小夏「HANZO」

岡野小夏「HANZO」

集英社『りぼん』2011年4月~6月号

これ、なんてエロゲ?という少女マンガ。こんなエロゲが『りぼん』で連載されるとは時代も変わったなあ……と思いつつ、振り返ってみれば、『りぼん』は昔から岡田あーみんとか一条ゆかりの発狂系とかを載せてしまうようなアグレッシブでアバンギャルドな雑誌ではあった。

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さて、ヒロインの眼鏡っ娘くるみは中学2年生貧乳。気合いの入った乙女ゲーマニアで、いつもポータブルゲーム機を持ち歩き、常にフェイバリット乙女ゲーム「戦国鬼」をプレイしている。一番のお気に入りは忍者の服部半蔵さまだ。要するにオタク。ある日、くるみは不良グループにゲーム機を取り上げられてしまうが、颯爽と現れた超美人の服部なでしこに助けられる。
超美人でスタイル抜群の服部なでしこだったが、なんとその正体は忍者の上に、くしゃみをすると性転換して男になってしまう特異体質の持ち主だった。そして男になったなでしこは、憧れの服部半蔵さまそっくり。くるみは、いけないと思いつつも、男になったなでしこに心を鷲掴みにされていくのだった。そして何回か性転換を繰り返すうちに、どんどん女でも良くなっていって、怒濤の百合展開がはじまる。

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二人が一緒に温泉に入るシーンなど、なでしこが少女マンガ誌には絶対に出てこない類のエロゲ的超巨乳グラマーで、辛抱たまらずに「これなんてエロゲ!?」と叫ぶこと必至。温泉シーンでは、くるみも眼鏡をかけたまま入浴するなど、よくわかってらっしゃる。『りぼん』掲載作品なのに、9ページに渡って温泉セクシーシーン。なんだこれは。ありがとう。
二人が海でデートするとき、くるみが結婚を妄想するシーンなども、とても秀逸。

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海で水着なのに眼鏡をかけたままなど、非常にすばらしい。妄想の中では眼鏡をかけたまま白無垢で、『りぼん』読者の大部分を占めるであろう小学生女子への啓蒙が期待される。結婚式は眼鏡をかけたままでいいんだぜ。
そんなわけで、一切の毒がなく、眼鏡+忍者+百合が最後まで楽しめる、心地よい作品だ。

思い返してみると、忍者はともかく、眼鏡と百合の相性はすこぶる良いような気がする。経験的には、優れた百合作品には眼鏡っ娘がよく出てくる印象が強いが、なにか理論的な根拠があるかもしれない。百合と眼鏡の関係理論については、具体的な作品レビューを積み重ねる過程で帰納的に明らかにしていきたい。

■書誌情報

同名単行本全1巻。単行本は容易に手に入るし、電子書籍で読むこともできる。単行本オマケのページのノリなど、少女誌ではなくエロマンガの匂いがぷんぷんするぜ。
Kindle版・単行本:岡野小夏『HANZO』りぼんマスコットコミックス、2011年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第57回:楠田夏子「それでも恋していいでしょ」

楠田夏子「それでも恋していいでしょ」

講談社『Kiss PLUS』2011年1月号~12年1月号

副題に「COMPLEX LOVE STORY」とあり、ヒロインが眼鏡っ娘とくれば、「はいはい、眼鏡をコンプレックスの象徴として扱うのね、OK!OK!」と先入観を持って読み始めるわけだが。いやはや、完全に、やられた。コンプレックスを持っていたのは男のほうで、眼鏡っ娘はむしろ男らしかった。とても新鮮な作品だった。

057_01ヒロインの三ツ矢リサは、眼鏡OL。巨大眼鏡っ娘好きのみなさんには朗報だが、そうとう背が高い。この眼鏡っ娘が、偶然、主人公・氷室大介の秘密を見てしまう。氷室は市役所で将来を約束されたトップエリートとして活躍しているイケメンなのだが、実はチビでハゲだった。チビ&ハゲに極度のコンプレックスを抱えた氷室は、職場では上手に隠し通してきたのだが、眼鏡っ娘には見事にハゲを見られてしまったのだった。
だが、相手は極度の近眼だ。ハゲを目撃されたとき、眼鏡っ娘は眼鏡をかけておらず、実はちゃんと見えていなかったんじゃないか?と氷室は悶々とする。このときの近眼エピソードが、実によろしい。ギャグマンガでもないのに、眼鏡を外したら眼が「ε」になってしまうのだ。

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眼鏡っ娘とコミュニケーションを重ねる過程で、氷室は次第に自分のコンプレックスと向き合いはじめる。氷室は、眼鏡っ娘の前で、久しぶりに素直になることができたのだった。

頑なに自分の殻に閉じこもっていた氷室が、素直に自分と向き合えるようになったのは、相手が眼鏡っ娘だからだ。眼鏡とは「見る」ための道具だ。人が眼鏡と向き合う時、「見られている」という意識が強く働く。男性が相手の眼鏡を外したがるのは、決して眼鏡っ娘の容姿が劣っているからではない。「見られたくない」からだ。相手が眼鏡をかけていると、否が応でも「見られている」という事実を思い知るからだ。だから、相手から「見る」という権力を剥奪するために、眼鏡を外させる。「眼鏡だと容姿が劣る」というのは、相手の権力を無化するための言い訳に過ぎない。
本作では、氷室は相手の眼鏡を通した「視線」を常に意識しなければならなかった。その視線の先にいる自分自身の姿を、いやでも意識させられた。相手が眼鏡でなければ、こうはならなかった。氷室は眼鏡っ娘を相手にして「自分が見られている」という感覚を呼び覚ますことによって、初めて素直に自分自身を「見る」ことが可能となった。それがコンプレックスの解消に結び付いていく。

057_03コンプレックスの解消は、「自分が自分を見る」ことによって初めて成立する。少女マンガで眼鏡がコンプレックスの象徴であったのは、眼鏡こそが「見る」ためのアイテムであるからに他ならない。コンプレックスは「眼鏡を外す」ことによっては絶対に解消しない。きちんと自分を「見る」ことによってしか解消しない。つまり「眼鏡をかけたまま」で、きちんと世界を「見る」ことで、そして自分自身を「見る」ことによって、初めてコンプレックスは解消するのだ。

しかし本作は、男性のコンプレックスが「眼鏡っ娘に見られる」ことによって解消するという、新しいスタイルを提示している。眼鏡が「見る」ためのアイテムだということを再確認させ、そして眼鏡の認識論的意味をまざまざと浮き彫りにしたのだった。
この文章冒頭の「眼鏡っ娘は男らしかった」というのは、外見的な意味もあるが、それ以上に「見るという意志」において権力側のポジションに立っていたという意味がある。今後もこういうタイプの「見る意志」を打ち出してくる眼鏡っ娘を、たくさん見たい。

■書誌情報

出版されてから間もないので単行本も手に入りやすいし、電子書籍で読むこともできる。

Kindle版:楠田夏子『それでも恋していいでしょ』(講談社、2012年)

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