この眼鏡っ娘マンガがすごい!第30回:山本夜羽「めがこん」

山本夜羽「めがこん」

ぶんか社『アクション2』1997年Vol.4

030_03念のために前もって注意しておくと、これはメガネスキーにとっては相当に危険な作品だ。不意を衝かれると魂に直接ダメージを喰らうので、あまり安易にはお勧めできない。とはいえ、メガネ史に名が刻まれるべき作品であることにも間違いないという、要するに厄介なやつだ。

ヒロインの水戸いずみは、眼鏡屋で働く眼鏡っ娘。合コンで知り合って付き合うことになった高遠さんは、一流商社に勤める超エリート。が、この男は極度のメガネフェチだったのだ!

 

030_04本作の見どころは、まずこのメガネスキーが眼鏡キャラについて縦横に語り尽くすところにある。眼鏡の外面的なビジュアルではなく、眼鏡をかけるキャラクターの内面について語っているところが、それまでの作品には見られない大きな特徴だ。本作が発表された1997年時点は、オタク界でようやく眼鏡萌えが浮上し始めた段階だったが、眼鏡萌えの原理的考察はまったく進んでおらず、極めて乱暴でいい加減な論考がまかり通っていた時期だった。まだ学生だった私も、当時の雑で表面的で乱暴で短絡的な眼鏡解釈を見るたびに心を痛めていたのだったが、本作の眼鏡論に触れた時には「まさにコレだ!」と鮮烈な印象を受けた。後で知ることになるが、作者山本夜羽が少女マンガの眼鏡に対して確かな見識を持っていたことが、共感の基盤になっていたようだ。

030_02が、その共感はワナだった。読み進めていくと、我々メガネスキーが必然的にぶち当たらざるを得ない、あの難問が待ち受けているのだった。我々は眼鏡をかけた女なら誰でもいいのか? 目の前の一人の女をちゃんと人間として扱っているのか? という、例の実存的アポリアだ。この難問から逃れずに、真正面からぶち当たり、真剣かつ個性的な回答を示した作品は、実は極めて少ない。というか、その問題に行き当たること自体が、極めて少ない。とことんまで眼鏡を突き詰めた者でなければ、その扉の前にすら立てないのだ。西川魯介や小野寺浩二がド真ん中をブチ抜いて行ったこの難問に、そしてまた本作も、逃げずに体当たりした。導き出された結論は、いま読むと、作者の真摯な姿勢をストレートに反映したものだと分かる。

が、当時は私も若かった。あまりの結末に呆然自失、ジャケ買いした単行本を床に叩きつけた。それから数年後に作者御本人から連絡をいただくことになるとは思いもよらず、単行本はしばらく本棚の肥やしになった。
030_01まあ、いまになって考えれば。「否定」というものには大雑把に二種類ある。相手を叩き潰すための闘争的否定と、成長に必要な弁証法的否定とでは、同じ否定であっても、その働きはまるで異なる。我々が成長し発達するためには、その都度自分の殻を中から壊していかなければならない。殻は、外から壊してはいけない。内側から、自分の力で壊さなければ、真の成長はない。真剣な矛盾と葛藤の過程で自分を自分で「否定」できたときに、初めて真の成長が可能となる。今になってみれば、「めがこん」で示された否定とは、我々自身の成長の過程で必然的に生じる弁証法的否定であると、はっきり理解できる。そしてその姿勢は、本作のみならず、山本夜羽の作品や発言すべてに通じるものでもある。
だから彼は誤解されやすいし、それは本人のせいでもあるので同情の余地は少ないのだけれど、他に代わる人がいないから、今後も面倒なことを全部引き受けてもらえると、たぶんみんなが助かるのだった。

■書誌情報

単行本:山本夜羽『Justice & peace spirits』(BUNKA COMICS、1998年)に所収。「めがこん」以外にも眼鏡っ娘マンガが多数収録されている。念のために言っておくと、どれもキッツイので、本物のメガネスキーほど覚悟が必要。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第29回:高口里純「獣の条件」

高口里純「獣の条件」

集英社『漫’sプレイボーイ』2010年

029_01稲村まどかは、客観的に見たら、勘違いの痛い不思議ちゃんなんだろうなあ。まあ、眼鏡っ娘なので全面的に許す。というわけで、高校卒業後、女優を目指して上京する眼鏡っ娘。しかし当然そんなに簡単に女優になれるはずがない。そんな折、2つのキッカケが眼鏡っ娘に訪れる。ひとつは、キャバクラにスカウトされたこと。もうひとつは、ボディスタントとして芸能事務所に目をつけられたこと。眼鏡っ娘は、実は脱いだらスゴかったのだった。
ということで、スカウトされてキャバクラ店に向かうのだが、ここのエピソードがなかなか興味深かった。眼鏡を外したら、点目になって、ちっともかわいくないのだ。

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まあそりゃあ、メガネをとったら、こうなるわな。
さて、そうこうあってキャバクラで働くことになった眼鏡っ娘は、自分では自覚していないものの、他に類を見ないモノスゴイ体によって、徐々に周りから一目置かれる存在へと変化していく。

029_03一方、芸能事務所と契約を結んだ眼鏡っ娘は、ボディスタントとして映画の濡れ場を一本こなす。その中で、ちょっとした成長を遂げ、周りからもその特殊な才能を徐々に認識されていく。そしてその特異な存在は、周りにも影響を与え始める。そんな眼鏡っ娘が新たな世界にチャレンジしようとして……唐突に物語は終わってしまった。

高口里純の持ち味といえば、代表作『花のあすか組』にも鮮明に見られるように、キャラクターの独特な存在感の強度にある。独立自尊の個性をこれほど説得力溢れるエピソードで描ける作家は、なかなかいない。その持ち味は、本作でもしっかり発揮されている。主人公の眼鏡っ娘が醸し出す存在の強度は、一歩まちがえばただの不思議ちゃんになるところに、独特な魅力を纏わせる。この魅力的な眼鏡っ娘の今後が気になるところで唐突に物語が終わってしまったのは、とても勿体ないことだと思う。

作品自体は惜しいなあという感じではあるが、ともかく、「眼鏡を外したらブス」という世界の真実を描いたことは記録に留めておきたい。

■書誌情報

単行本:高口里純『獣の条件』(ケータイ週プレCOMIC、2010年)全1巻。

高口里純は、他にレディコミで眼鏡さんをヒロインとした作品をそこそこ描いていて、やはり男に媚びない独立自尊の凛々しい眼鏡姿を見ることができる。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第28回:まつざきあけみ「天使のくれたメガネ」

まつざきあけみ「天使のくれたメガネ」

集英社『増刊マーガレット』1970年1月

028_02ヒロインのユミちゃんは、極度の恥ずかしがり屋。大好きな島くんに話しかけられても、すぐに逃げ出してしまう。そんなユミちゃんの前に、なみだの精が現れて、魔法のメガネをくれた。そのメガネをかけると、なんでも思い通りの夢が見られるというのだ。さっそくメガネをかけてみると、大好きな島くんとラブラブになれた。メガネのおかげだと大喜びするユミちゃん。しかし実は、なみだの精は嘘をついていた。それは魔法のメガネでもなんでもなく、夢の中だと思っているのはユミちゃんだけで、実際は現実世界で島くんとラブラブになっていたのだった!
が、そんなことは全く知らずに、メガネのおかげで夢の中の島くんとラブラブになれたと喜ぶユミちゃん。ところがライバルの優子がイジワルしてきて、なんと魔法のメガネが割れてしまった! 堪忍袋の緒が切れて、怒りにまかせて思わず優子を殴ってしまうユミちゃん。が、憧れの島くんにその場面を見られ、さらに優子を殴ったことを咎められ、しかも「たかがメガネをわったくらいで」と言われてしまう。そう言われてショックを受けたユミちゃんが示したリアクションが、これだ。

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「たかがメガネですって!?」って、当然のリアクションだ。魔法のメガネでなく、普通のメガネを割られたときだって、このリアクションだろう。
まあ、最後はユミちゃんも自分の勘違いに気が付き、夢の中ではなく現実世界で島くんと仲良くなったことを知る。そして島くんに対しても素直になれて、ハッピーエンド。しかしユミちゃんは、メガネのおかげで恋が実ったことをちゃんとわきまえていて、メガネに感謝の気持ちを伝えることを忘れなかった。いい子じゃないか。

しかし、まつざきあけみと言えば縦ロールなどゴージャスな絵柄が印象的な作家なんだけど、1970年段階ではこういう絵柄だったのね。あと、本作を通じて、メガネだから容姿が劣るなどという愚かな観念が皆無なところにも注目。1970年時点ではメガネ=ブスという観念は未発達だったことを示している。

■書誌情報

単行本:まつざきあけみ『タイム・デイト』(ペーパームーン・コミックス、1980年)に所収。多少プレミアがついているけど、まだ手に入りやすい部類か。

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