この眼鏡っ娘マンガがすごい!第129回:吉沢やすみ「ど根性ガエル」

吉沢やすみ「ど根性ガエル」

集英社『週刊少年ジャンプ』1970年31号~76年24号

西川魯介師に教えてもらって「ど根性ガエル」を読み直してみたのだが、これほど眼鏡力に溢れるマンガだったとは、認識を刷新せざるを得なかった。

本作は、眼鏡的に特筆するべきことが2点ある。
まず一つ目は、主人公ひろしがいつもおでこにかけているサングラスに関するエピソードだ。単行本3巻の「サングラスをもどせの巻」で、ひろしのトレードマークであるサングラスが、幼なじみだった「眼鏡屋のくに子ちゃん」からもらったものであるということが明らかになる。作品中では、くに子ちゃんが「あたちだとおもって」と言いながら渡したサングラスを、ひろしが「だいじにちゅるよ」と受け取っている。これは島本和彦「炎の転校生」で、中性子が自分の眼鏡を滝沢に渡すエピソードとそっくり(本コラム第36回を参照)だが、はたして島本和彦のオマージュかどうかはわからない。

そしてこの伏線が回収されるのが、なんと中間点を過ぎた単行本15巻の「サングラスの君の巻」だ。ある日、作品の舞台である練馬区石神井に、大きな眼鏡屋さんができる。これが、サングラスをくれた幼なじみのくに子ちゃんの店だったのだ。

くに子ちゃんと再会して大喜びするひろし。ところが驚くべきことに、くに子ちゃんからサングラスをもらっていたのはひろしだけではなかったのだ。なんと、くに子ちゃんは、気に入った男子に手当たり次第にサングラスをばらまいていた! 「まぁまぁサングラスどうぞ」状態である。くに子ちゃんが眼鏡っ娘でなかったのが惜しまれるが、40年以上前だから仕方ないか。

特筆すべき2つ目のエピソードは、北大路麗子ちゃんという眼鏡っ娘だ。


麗子ちゃんの初登場は物語終盤の単行本23巻なのだが、登場したとたんに、メインヒロインの京子ちゃんを喰ってしまった。これは私の主観ではない。作中で、メインヒロイン京子を差し置いて、麗子ちゃんはミス南が丘中に選ばれているのだ。主人公ひろしも麗子ちゃんに投票している。眼鏡っ娘が最も美しい女性ということが、作中でしっかり主張されているのである。
もちろん外見だけでなく、性格も京子ちゃんより素晴らしい。なにより、麗子ちゃんの服にも平面ガエルのビッキーちゃんがくっついており、作中のキーパーソンとして扱われていることが極めて重要だ。ピョン吉は後にビッキーちゃんと結ばれて、たくさんの子供に恵まれることとなる。1970年代の少年マンガで眼鏡っ娘がこれほど前面に打ち出されることは例外だと言ってよい。手塚治虫は、吉沢やすみの結婚式で「平面ガエル」というキャラクターを考案したことを褒めたらしいが、本来なら手塚自身が前面に打ち出すことのなかった眼鏡っ娘を吉沢やすみがしっかりフィーチャーしたことに感心するべきだった。
残念ながら麗子ちゃんはアニメ版には新旧どちらにも登場しない。本作に眼鏡っ娘推しという印象がないのは、アニメ版の印象が強いせいだろう。しかし原作マンガに限って言えば、1970年代には考えられないほどの眼鏡推しだ。この原作の眼鏡スピリッツを保ったままアニメ化されていたら、眼鏡萌えの夜明けはもう少し早まっていたかもしれない。

書誌情報

オリジナルのジャンプコミックスは全27巻。麗子ちゃんが出てくるのは23巻~27巻。他に文庫版全5巻も出ているが、麗子ちゃんが登場するかどうかは未確認。
ほか、各種電子書籍で読むことができる。単行本には比較的プレミアが付いているので、23巻~27巻で麗子ちゃんを確認するだけなら電子書籍の方が手軽か。

単行本セット:吉沢やすみ『ど根性ガエル』集英社1~27巻
Kindle版:吉沢やすみ『ど根性ガエル:第23巻 ビッキーちゃん登場の巻』

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第128回:小椋冬美「ミス・ブロンデルの場合」

小椋冬美「ミス・ブロンデルの場合」

講談社『mimi Excellent』1987年No.2

一人のメガネスキーが、ツンデレ眼鏡っ娘と付き合うまでのハートフルストーリー。物語の最後にメガネスキーが発した言葉に、痺れる。

スティーヴは、ヒロインの眼鏡っ娘モエットに何度もモーションをかけている。しかし眼鏡っ娘の方は真剣に取り合ってくれない。

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スティーヴの言葉が軽いという原因もあるにはあるが、根本的な理由は眼鏡っ娘が自分に自信が持てないことにあった。

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しかしある日、眼鏡っ娘が別の男と付き合っていると勘違いしたスティーヴが大暴発、指輪を選んでいるところに飛び込んで、本気で眼鏡っ娘に告白する。それが幸いして、スティーヴの本気の愛が眼鏡っ娘に伝わり、見事二人は付き合うことになる。
初めてのデートのとき、眼鏡っ娘は髪を下ろしてドレスを着て、オシャレをする。そして、眼鏡を外してしまう。「ああー、なんてこった!」と失望しかけたとき、次のページでやってくれた。

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眼鏡がないことに違和感を覚えた眼鏡っ娘は、スティーヴに「メガネかけてもいいかしら」と尋ねる。右下のコマ、このときのスティーヴの喜悦の表情を見ていただきたい。「メガネかけてもいいかしら」と尋ねられたときの男の顔は、こうあらねばならないという、満面の笑み。そしてもちろん、返事も奮っている。

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腰に手を回して抱き寄せながらの「きみのメガネにほれたんだぜ」……くううううぅぅぅ、すげぇぜスティーヴ!!! 人生で一度は言ってみたいセリフだ。とっておきの場面で決めたいぜ。おめでとう、メガネスキーの同志スティーヴ!

書誌情報

本作は40頁の短編。単行本『彼女の生活』所収。
小椋冬美は1980年代前半の『りぼん』でポスト乙女チックの看板を張った後、幅広い媒体で活躍した人気作家。淡泊な画面と淡泊なストーリーが心地よい詩のような作品を描く。『りぼん』時代に描いたツンデレ眼鏡っ娘マンガもなかなかのものなので、そのうちに紹介したい。

単行本:小椋冬美『彼女の生活』講談社、1989年

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第127回:安彦良和「韃靼タイフーン」

安彦良和「韃靼タイフーン」

MEDIA FACTORY『コミックフラッパー』1999年3月号~02年5月号

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安彦良和の描く女は、エロい。特に太腿の描き方には執念を感じざるを得ない。爪楊枝で刺したら「ぱぁん」と弾けそうな独特の情念を醸し出すムチムチプリプリ感は、他に描ける者がいるとしたらトニーたけざきくらいのものだろう。本作もご多分に漏れず超一流の太腿を楽しむことができるわけだが、しかし一方で、安彦良和の描く眼鏡っ娘を堪能できる作品は、残念ながらなかなかない。安彦良和の描く眼鏡っ娘が見たい! そんな希望を叶えてくれるのが、この作品だ。

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見どころは、素朴で清純な眼鏡っ娘女子高生ヒロインがとにかく酷い目に遭いまくってしまうところだ。本作に限らず、安彦良和はヒロインを酷い目に遭わせるのが好きで、さらに意図的に狙ってやっているだろうとしか思えないアングルとポージングでむちむちの太腿を見せに来るわけだが、本作は太腿を見せているのが素朴清純な眼鏡っ娘ということで、刺激と迫力が数倍増している。たまらんわ。まあ、引用したコマを見ていただければ、その一端は問答無用で分かるだろう。

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話自体は、民俗学的な貴種流離譚と冷戦後の国際情勢を重ね合わせた設定の下、少年少女の成長物語として普通におもしろい。また、安彦良和のもう一つの他を寄せ付けない個性的な魅力である「脂ぎったオッサン」たちも存分に活躍しており、とても楽しい。
安彦良和には、もっと眼鏡っ娘をたくさん描いて欲しいなあ。

書誌情報

127_06単行本全4巻。文庫版は全3巻。まだ普通に手に入る。そういえば、安彦良和が現代女子高生をきちんと描いているのも、そんなにないような気がする。どうしてヒロインを眼鏡っ娘にしたのか、どこかに証言は残ってないかな?

単行本:安彦良和『韃靼タイフーン』MEDIA FACTORY、全4巻セット
文庫版:安彦良和『韃靼タイフーン』MEDIA FACTORY、全3巻セット

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第126回:清原なつの「勅使河原松生の半生」

清原なつの「勅使河原松生の半生」

集英社『ぶ~け』1987年7月号

眼鏡の物理的機能である「見える」と心理的機能である「ほんとうのわたし」を効果的に組み合わせた不思議な異色作だ。本作のようなトボけているように見えて実は味わい深い作品が描けるのは、他には川原泉くらいなものだが、眼鏡っ娘を大量に描いているのは清原なつのの方だ。

さて、眼鏡っ娘ヒロインの則天門ひすい(愛称ひーちゃん)は、極度のイケメン好き。イケメンが好きすぎて、イケメンを見ると石になってしまう。ある日、うずくまっている男性に声をかけるが、眼鏡を壊してしまったのでどんな顔なのか分からない。その男性は、実は超イケメンの勅使河原松生だった。

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勅使河原松生は、自分のイケメン顔目当てに女が寄ってくるような生活に疲れ果てていた。そんな松生が、人生で初めて自分のことをイケメン扱いしない女に出会ったのだ。喜んだ松生は、ひーちゃんとつきあい始める。しかし、ひーちゃんは実際は極度のイケメン好きだ。眼鏡をかけて松生を見たら、たちまち石になってイケメン好きということがバレてしまう。ひーちゃんは眼鏡をかけずに松生とデートを重ねる。

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二人は、「平穏な日常的青春男女交際」を続けるために、メガネを忘れようとする。しかしもちろん、メガネを邪魔者扱いするような生活は、欺瞞でしかない。二人はだんだん欺瞞性に耐えられなくなってくる。

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ひーちゃんは、松生のイケメン顔を見たくなってくる。松生のほうも、ひーちゃんが男を顔で判断しない理想の女性だと思い込むようになってくる。しかし実際に見てしまったら、ひーちゃんのイケメン好きがバレて、二人の幸せな関係が完全に壊れてしまう。
この矛盾を端的に表現したセリフが興味深い。ひーちゃんは描き文字で「いやっ見たくない」と叫んでいる。そして同時に活字で「見られたくない」と思っている。「見たくない」と「見られたくない」というセリフが同時に発せられているのだ。
本コラムに長くお付き合いいただいている方には、このセリフが極めて眼鏡的であることに、既にお気づきだと思う。改めて簡潔に説明すると、眼鏡とは「見る/見られる」の権力関係を可視化するアイテムである。男どもが女性から眼鏡を外そうとするのは、女たちを単に「見られる」ための客体に貶め、「見る」という能動性を男が独占しようとする権力的な欲望の現れである。このような眼鏡の機能を踏まえていれば、ひーちゃんが「見たくない」と「見られたくない」を同時に発していることの意味が明瞭になる。能動的な主体であることを拒否することで、同時に見られる客体であることから逃走する、ということだ。
女性が権力の側(見る立場)に立つと、貶められる。東京都知事選で石原慎太郎が小池百合子に発したセリフは、典型的である。ひーちゃんは、自分が「見る」という権力を手にしたら、同時に自分の全人格が否定されることを理解している。これは中島梓が『コミュニケーション不全症候群』で喝破したように、「やおい」の基本構造でもある。おそらく清原なつのは、そのことに自覚的だった。次に引用するシーンに出てくる「ありのままの自分」というキーワードに注目したい。

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ここで描かれているのは、男性にとっては「見られる」ことが「勇気」であり、女性にとっては「見る」ことが「希望」であるということだ。常に視線を独占してきた男性にとってみれば、眼鏡をかけた女性に「見られる」こと、つまり女性に視線を譲り渡すことは「勇気」である。一方、女性にとってみれば、権力を獲得すること=視線を回復すること=眼鏡をかけることは、「希望」である。
二人は、あらゆる勇気と希望を、眼鏡に込める。

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眼鏡をかけたひーちゃんは、イケメンの松生の顔を見て石になってしまう。しかし松生は、そんなひーちゃんをしっかり受け入れる。松生の涙は、ひーちゃんの石化を解除していく。彼らの勇気と希望は、眼鏡によって愛へと昇華したのだ!

本作は一見するとナンセンスギャグの作品にしか見えないかもしれないが、眼鏡哲学的に考察を加えると、男女間の権力構造とその変容の可能性を浮き彫りにする問題作であると言える。

書誌情報

本作は48頁の短編。単行本『アンドロイドは電気毛布の夢を見るか?』所収。本のタイトルにピンと来た方には察しが付くだろうが、そういう作家である。本作以外の作品にも、<普通の少女マンガ>とは違う、不思議な味わい深い世界が描かれている。

単行本:清原なつの『アンドロイドは電気毛布の夢を見るか?』集英社、1987年

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第125回:落合尚之+神尾龍「派遣社員お銀」

作画:落合尚之+原作:神尾龍「派遣社員お銀」

『ビッグコミックビジネス』2004年10月26日号~06年2月16日号

125_01一見するとただのチャランポランでいい加減な男好きの眼鏡女子が、派遣社員として様々な職種に携わりながら、想像を超える超絶的な事務処理能力を発揮して、悪い奴らに陥れられようとしている善良な人々を密かに助けていく、一話完結の痛快ヒューマンドラマ。
要するに作品系譜的には「ブラック・ジャック」とか「ザ・シェフ」とか「ギャラリーフェイク」といった流れに位置付くわけだが、この系統の作品においては主人公キャラの出来がそのまま作品の質に直結する。その点、本作には決定的な個性がある。眼鏡だ。
単行本の後書で、作画の落合尚之がこう言っている。
「これまでヤング誌やオタク誌で若い読者向けの漫画を描き続けて来た僕にとって、ビジネス誌で大人の読者向けの作品を、という編集部からのオファーは、正直最初はあまりピンと来る物ではありませんでした。しかし、このシナリオに書かれたある一つの事柄が、僕の心をガッチリ捉えてしまったのです。「眼鏡」。主人公はメガネ美人。突如として心のスイッチが激しくONになっている自分。」
本作の核心にあるのは、作者自身が語っているとおり、眼鏡なのだ。主人公に眼鏡の魂が入った作品が、面白くならないわけがない。
この作者の発言がデタラメではないことは、次に引用するシーンに如実に表れている。

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お風呂シーンだ。だが、よくあるただのお色気シーンだと思ってはいけない。そう、お風呂で眼鏡をかけているのだ。銭湯でビールを飲みながら携帯で電話をかけている、眼鏡女子。このシーンだけで、初めて本作を読む人でも、一瞬でこのキャラの性格がわかる。
他のお風呂シーンでも、もちろん眼鏡は外れない。

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風呂に入るときにも眼鏡を外さない眼鏡っ娘だからこそ、超人的な職業スキルにも説得力が生じるのだ。
ちなみに「眼鏡と職業婦人」というテーマについては、眼鏡理論全体を考える上でも丁寧に掘り下げておく必要がある。1960年代のマンガを見ると、眼鏡をかけている女性というと、教師のほかに看護婦にも多いことに気が付く。そして女性の社会進出がそれほど進んでいない時、女性が就ける限られた仕事こそ、教師と看護婦であった。眼鏡はインテリやガリベンを表す前に、職業婦人の印だったかもしれない。

■書誌情報

単行本全一巻。電子書籍で読むことができる。後書を読むと、作者が本当にこの眼鏡っ娘を愛していたんだなあということがしみじみと分かって、嬉しくなる。

Kindle版、単行本:落合尚之+神尾龍『派遣社員 お銀』小学館、2006年

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第124回:新條まゆ「純愛ストリップ」

新條まゆ「純愛ストリップ」

小学館『少女コミック』2004年17号ふろく~05年2号とじこみふろく

124_06※以下、性的な話題が続きますので、苦手な方は回避して下さい。

どんくさい眼鏡っ娘が、「バスタード!!」のダーク・シュナイダーのような性格の自己中俺様男に体を求めらてエッチな目に遭いまくってしまう話。少女マンガでここまでド直球に性表現をぶち込んでくるとは、さすが新條まゆ。俺たちにできないことを平然とやってのける、そこに痺れる憧れる。

ヒロインの浜野優子ちゃんは、ガリ勉してもちっとも成績があがらない、できない眼鏡っ娘、中学3年生。一方、八神くんは勉強なんかしなくても常に完璧な成績、しかも超イケメン、運動神経もバツグンで、モテまくり。作中では「抱かれたい男東地区No.1」となっているが、「おまえ中学3年生だろう」などというツッコミが無粋に思えるくらい、超イケメン。そんな八神くんは、実は眼鏡っ娘のことが好きすぎたのだった。

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ツンデレすぎだろ、八神くん!
そんな八神くんが、眼鏡っ娘と一緒の高校に行くために、家庭教師として勉強を教えることになる。が、八神くんは一緒の部屋に潜り込めたことをいいことに、なにかにつけて眼鏡っ娘の体を狙うのだった。

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新條まゆを知らない人には信じられないかもしれないけど、これ、ふつうの少女マンガ誌に載ってるコマね。
で、問題を間違えたら一枚ずつ服を脱ぐ「試験問題野球拳」とか、スケベなことを英語でつぶやきまくって単語を覚えさせるとか、これが『月刊マガジン』のプチすけべマンガなら、主人公が三枚目だからコメディになるが、本作は少女マンガの超イケメンがやっているからシャレにならない。

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いや、やっぱりコメディだな…。つい笑みがこぼれてしまう。
しかし、押しの強いサディスティックな八神くんに、ついに眼鏡っ娘も処女を捧げてしまう。いったんエッチしたら、あとはエッチしほうだいだ。くそ、イケメンめ。

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しかしさすがに少女マンガだけあって、八神くんがイケメンなのは顔だけではない。全力で眼鏡っ娘を愛しているところが、全力でイケメンなのだ。世間一般的には浜野はブサイクとされているが、八神くんはそんなこと全くおかまいなし。八神くんの主観からは、浜野が世界一美しいのだ。そしてそんな眼鏡っ娘を、八神は全力で守る。眼鏡っ娘の容姿を悪く言ったバカ女に対して啖呵を切る八神くんは、めちゃめちゃカッコいい。

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この根拠のない自信を裏打ちにした謎の迫力の前では、バカ女どもも黙り込むしかない。八神くんのありあまる才能の全ては、眼鏡っ娘のためだけに発揮される。全力で眼鏡っ娘の体を求め、全力で眼鏡っ娘を守る八神くんに、惚れ惚れとせざるを得ない。私も、こうありたい。まずはイケメンにならなくてはな。
ただ、せっかくの初体験のときに浜野が眼鏡を外しているのだけは、いただけない。まったく、いただけない。これは、本当にいけない。画竜点睛を欠くとは、まさにこのことだ。しかたないから、私は自分で眼鏡を描き入れた。

■書誌情報

同名単行本所収。全3話所収で、内容はないに等しいが、突き抜ける迫力で読み応えがある。さすが新條まゆ。性的表現があるとはいえ、基本ギャグマンガとして読めばいいかなと思う。電子書籍で読むことができる。
Kindle版:新條まゆ『純愛ストリップ』小学館、2005年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第123回:横谷順子「ハッピー♥プー」

横谷順子「ハッピー♥プー」

集英社『デラックスマーガレット』1980年1月号

本来なら「眼鏡de結婚式」が描かれているところに注目したいのだが、不本意ながらオナラに全部もっていかれてしまう問題作。
主人公の眼鏡っ娘マキは、眼鏡を外すと実は大人気女優のかずみ。しかし眼鏡っ娘マキのことを、誰も大人気女優だと気が付かないのだった。となれば、眼鏡をかけた本当の自分と女優である自分とのアイデンティティの葛藤がテーマとなりそうなものだが、本作は強烈な異彩を放っている。異彩というか異臭というか。マキは、おならをするのがくせになっているのだった。マキの放ったオナラでヤクザを撃退してしまうほどだ。

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そんなマキに、芸能記者の茂巳くんが近づく。最初は大女優かずみの取材をしようと思っていた茂巳だったが、だんだんマキと仲良くなっていく。マキは、茂巳の前では平気でオナラできるのだった。
ある日、喫茶店でマキと茂巳が二人でいるとき、マキがおならをしてしまう。そのときマキに代わって茂巳が喫茶店にいる客に謝罪する。

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いつもマネージャーにオナラをかばってもらっていたマキは、改めてオナラが他人の気分を悪くするということを自覚する。が、その自覚が悪い方に出てしまう。女優かずみとして記者会見しているとき、いつもなら自分がしたオナラをマネージャーがかばってくれるのに、無意識のうちに自分がオナラをしたと認めて謝罪してしまったのだ。清楚が売りだった大女優がオナラをしたということで、記者会見場は大騒ぎになる。
ここでヒーロー茂巳が男を見せる。

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茂巳はマキをかばう。が、マキにとってみれば、女優の「かずみ」ではなく眼鏡っ娘の「マキ」と名前を呼んだことのほうが驚きだった。誰も本当の自分に気が付かなかったのに、茂巳だけは自分に気が付いていたのだ。本当の私を理解してくれたことに感激したマキは、記者会見もそっちのけで、女優としてのキャリアを全て放り出して、茂巳に抱きつく。
物語はハッピーエンドを迎え、結婚式の場面。この結婚式が凄い。あの小野寺浩二ですら成し遂げられなかった眼鏡de結婚式なのだ。そしてまた、かずみとマキが同一人物だったことに茂巳が気が付いた理由が凄い。

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そして結婚式の真っ最中、いよいよ誓いのキスというときにも、オナラ。オナラで全部台無しになっているとはいえ、「眼鏡de結婚式」という実例が1980年に存在していることは事実としてしっかり押さえておきたい。

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■書誌情報

単行本『ほほえみベンチ』(集英社、1980年)所収。amazon古書でもヒットしないが、古本屋を丹念に回れば手に入ると思う。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第122回:ろびこ「秘密の恋3 ビー玉の橋」

ろびこ「秘密の恋3 ビー玉の橋」

講談社『デザート』2008年4月号

眼鏡っ娘起承転結構造が美しい短編。
主人公のノブコさんは、自分に自信が持てない眼鏡っ娘女子高生。サッカー部の市井くんを好きになるが、告白なんてできっこない。そこで、ビー玉が埋め込まれた橋からビー玉を削り取ろうとしていた。「ビー玉を掘り出すと恋が叶う」という都市伝説が地元にあったのだ。眼鏡っ娘がビー玉を削り取ろうとしているところに、中学校の同級生、八木くんが通りかかった。

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後ろ向きな眼鏡っ娘を八木くんが元気づける。八木くんに励まされた眼鏡っ娘は、片想いの市井くんにアタックするために努力することを決意する。しかし残念なことに、間違った方向に努力をしてしまう。なんと眼鏡を外してコンタクトにしてしまうのだ!ガッデム!!
眼鏡を外したノブコに、市井くんが話しかけて、とてもいい感じ。天にも昇るような気持ち。しかしこれまで本コラムを読んできた方は、眼鏡を外していい感じになった気がしても、最後には必ず裏切られることを既にご存じのはずだ。それが世界の摂理だからだ。案の定、本作でも世界の法則はしっかり守られる。

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ノブコの間違った方向への努力は当然実ることなく、市井くんはあっさり別の女とくっついてしまうのだった。そしてさらに、ノブコはそのことにあまりガッカリしていない自分に気が付く。「あんまり好きじゃなかったのかな」とも思う。そしてコンタクトに何も意味がなかったことに気が付き、再び眼鏡をかける。

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再び眼鏡をかけたノブコは、八木くんとビー玉の橋で会う。そこで八木くんは、ビー玉を削り取って眼鏡っ娘に渡し、告白する。眼鏡っ娘も、実は八木くんのことを好きだった自分に気が付く。眼鏡をかけて、ようやく自分の気持ちに気が付くことができたのだ。

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054_hyouというわけで、本作のプロットは典型的な「眼鏡っ娘起承転結構造」となっている。が、もちろん過去の作品とは雰囲気は大きく異なっている。絵柄、コマ割り、ネームなど、実に洗練されたハイセンスな画面構成だ。しかしそれでも、「眼鏡っ娘起承転結構造」というプロットが共通していることが、決定的に重要な事実である。1970年代半ばの乙女チック時代に完成した「眼鏡っ娘起承転結構造」が、21世紀になってからのハイセンスな作品でも極めて高い説得力を持つことを、本作は雄弁に示している。

「眼鏡っ娘起承転結構造」が時代を超えた普遍的な説得力を示し続けるのは、時代に左右されない盤石な哲学的裏付けを持っているからだ。ヘーゲル弁証法に基づいた哲学的裏付けに関しては機会を改めて解説することとしたいが、具体的な作品として21世紀にも「眼鏡っ娘起承転結構造」が見られることは事実として確認しておきたい。

■書誌情報

本作は42頁の短編。単行本『ひみこい』第1巻に所収。『ひみこい』は全2巻だが、一話読み切りのオムニバス形式なので、本作だけ読む場合は1巻だけで話が通じる。

Kindle版:ろびこ『ひみこい』1巻、講談社、2008年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第121回:つじ要「論理少女」

つじ要「論理少女」

講談社『月刊少年シリウス』2008年4月~11年2月号

眼鏡っ娘は知的である。実際、これまで私が調査した眼鏡っ娘キャラ1854人のうち、565人が知的キャラと設定されている。比率にすると30%だ。客観的なデータに照らしてみて、眼鏡っ娘が知的であると認識されているのは間違いない。
だがしかし。作品内で知的キャラと設定されていたとしても、読者が「この眼鏡っ娘は確かに知的だ」と納得できる具体的な描写があるかというと、それはまた別の話である。作者は自分の力量を超える知的なキャラを描くことはできない。知的なはずのキャラが「私にいい考えがある」と言ったとき、実際は死亡フラグが立っただけというケースも多い。実は、本当に知的な眼鏡っ娘キャラは、極めて貴重な存在なのだ。
本作は、その難しい領域に果敢に挑んだ貴重な作品だ。ヒロイン眼鏡っ娘=芝いつきは、「論理的に話しなさい」が口癖の知的少女。

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カッコよすぎる。眼鏡っ娘っぽさ全開のセリフ。自信満々にビシッと指を指す姿勢が素晴らしい。眼鏡っ娘にしてほしい仕草No.3である(当社比)。
そんな眼鏡っ娘だから、ファンも多い。密かにファンクラブも作られている。

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可愛くて頭のいいアイドル女子が8人いるという設定だが、そのダントツ頂点に君臨するのが眼鏡っ娘というのが、実に素晴らしい。

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腕を組んでこんなセリフ。これぞ眼鏡っ娘の極致。
そして本作が素晴らしいのは、単に設定上で知的としているのではなく、眼鏡っ娘が本当に知的に群を抜いて秀でていることを、具体的なエピソードを積み重ねて描こうとしている点だ。眼鏡っ娘は知的であってほしいという私たちの願いが、どストレートに表現されている。
それが本当に成功しているかというと論理的にツッコミどころがないわけではないのだが、そこはさして重要ではない。強く知的な眼鏡っ娘を生み出すというリビドーが溢れ出ている点が、真っ先に評価されるべきだ。「カイジ」のように人間性の汚い部分まで弄するような頭脳バトルに眼鏡っ娘を巻き込みたいとは、あまり思わない。知的眼鏡っ娘へのリビドーを感じつつも醜い人間性に踏み込まないという難しく狭い道を、本作は果敢に攻めているように思う。眼鏡っ娘には知的であって欲しいという願いとその描写の難しさが凝縮された作品である。

書誌情報

論理~論理~論理~ロリ♪たそがれロリータ(←40代以上限定ギャグ)。単行本全5巻。
単行本:つじ要『論理少女』第1巻、講談社、2008年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第120回:河村美久「やさしさ半分二人で一つ!」

河村美久「やさしさ半分二人で一つ!」

講談社『ラブリーフレンド』1980年12月号

メガネスキーが「自分は眼鏡っ娘が好きだ!」とカミングアウトすることで大団円を迎える物語である。これも例によって美しい「眼鏡っ娘起承転結構造」を示す作品だ。

物語冒頭、中間テスト学年一位の眼鏡っ娘=多枝子は、ガリベンでカタブツだと思われている。クラスメイトからはまったく恋愛の対象とみなされていない。そんなカタブツ眼鏡っ娘も密かに青木くんのことが好きだった。実は青木くんの方も眼鏡っ娘のことを好ましく思っているのだが、残念なツンデレ眼鏡っ娘がそのことに気づくはずもない。

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ところで眼鏡っ娘には双子の妹がいた。この妹は、ガリベン眼鏡っ娘の姉と違って、華やかな恋愛体質だ。姉の元に現れた妹はたちまちクラスの人気者となる。青木くんの友達が妹に一目惚れして、青木くんを巻き込んで集団デートに誘おうと企画する。ところが気の多い妹はデートをドタキャン。眼鏡っ娘はメガネを外して、妹の代わりにデートに臨むことにする。が、そこで青木くんに告白される。

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眼鏡っ娘がメガネを外して、華やかな恋愛体質になって、モテモテになる。世間にはこれで物語が終了だと勘違いしている人が多いようだが、「眼鏡っ娘起承転結構造」を知っていれば、これが単なる「承」に過ぎないことがよく見える。本当のクライマックスは、この先だ。

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眼鏡を外して得たものなど、偽物に過ぎない。青木くんが好きなのは自分ではなく、妹なのだ。眼鏡っ娘はそのことを自覚する。青木くんとの偽りの恋愛もこれで終わりだと、覚悟を決める。
しかしだ。この青木くん、本当は妹との交際を断ろうと思っていた。眼鏡っ娘が自分にとってかけがえのない存在であることを強烈に自覚したのだ。
全てが発覚し、晴れてカップルとなった眼鏡っ娘と青木くんのラストシーンが実に清々しい。

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「オレはおさげとまんまるメガネの女の子が好きなのーっ」と大声で叫ぶ青木くん。私も叫ぶぞ。私はおさげとまんまるメガネの女の子が好きなのーっ!!
自分がメガネスキーであることを大声でカミングアウトして物語がハッピーエンドを迎えるという、たいへん清々しい結末である。

054_hyouところで、こういう「起承転結構造」を示す少女マンガ作品が大量に存在することが、オリジナリティの観点からどうかと疑問に思う向きもあるだろう。が、プロットの段階での類似は、オリジナリティの欠如を意味しない。たとえば「仲間と協力して強大なライバルに勝つ」というプロットがある。『ドラゴンボール』も『スラムダンク』も『ガンダム』も、全作品がこのプロットを共有している。が、プロットが同じだからといって、これらの作品を同列に語る人間など存在しない。「眼鏡っ娘起承転結構造」も、これと同じレベルのプロットなのだ。作品のオリジナリティは、プロットではなくキャラクターに[具体的]に現れる。逆に言えば、たくさんの作品に共通して見られるプロットとは、「世界の真理」を[抽象的]に代表したものと把握するべきだろう。「眼鏡っ娘起承転結構造」というプロットが大量の作品に共通して見られることは、そこに「世界の真理」が反映していると理解するべき事態なのである。この事態は「眼鏡っ娘弁証法」によって哲学的に解釈できるわけだが、それについてはしかるべき機会に改めて述べてみたい。

■書誌情報

本編は32ページの短編。単行本『ちょっと初恋』所収。この単行本に収録されている「12時からのシンデレラ」も眼鏡っ娘がヒロインの作品。新刊では手に入らないが、増刷を繰り返す人気単行本で大量に市場に出ているので、古本で手に入れやすい。

単行本:河村美久『ちょっと初恋』講談社、1982年

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