柊あおい「星の瞳のシルエット」
集英社『りぼん』1985年~89年
脇役だからこそ、ひときわ輝く眼鏡っ娘がいる。本作の眼鏡っ娘、沙樹ちゃんは、その代表といえよう。この沙樹ちゃんのおかげで眼鏡DNAが覚醒した者も多い。たとえば、眼鏡友の会/E.Cとか。
さて、 香澄、真理子、眼鏡っ娘の沙樹は、仲良し三人組。いちおう主人公は香澄ちゃんだが、顔がかわいい以外にはたいした取柄がない。そんな香澄ちゃんには久住くんという運命の相手がいるのだが、その久住君を真理子が好きになってしまう。要するに三角関係。そこにプレイボーイの司くん(眼鏡っ娘の幼馴染)が香澄ちゃんを狙って割り込んできた。眼鏡っ娘は、外部から冷静な批評者として行動することになる。
まあ結果としては香澄と久住くんがカップルになるのだが、そんなことはどうでもよい。香澄と久住くんは、よくもまあ連載5年、単行本10巻分も、モヤモヤの関係を続けられたもんだ。見ているこっちの方がイライラする。そう、読者の立場からして、香澄ちゃんにちっとも感情移入できないのだ。一方の真理子にもイライラする。いいかげん、自分の立ち位置に気づけよ!という。感情優先の真理子にもイライラするし、道徳優先の香澄にもイライラする。そこで燦然と輝くのが、もっとも理知的な眼鏡っ娘なのだ。いや、もはや人間として尊敬できる対象が、眼鏡っ娘しかいないのだ。香澄と真理子だけではちっとも進まなかったストーリーが、眼鏡っ娘が出てきた途端に見通しが良くなる。話がすっきりして、気持ちもハレバレする。眼鏡っ娘カタルシス。こうして我々は眼鏡っ娘にハマっていく。
このシステムを、私は「キャラクター有機体構造」と呼んでいる。主人公クラスの登場人物が3人以上いる場合、それぞれのキャラクターに代表的な価値観を割り振って、役割を分担させる。もっとも分かりやすいのが、「星の瞳のシルエット」に見られるような「道徳的(香澄)/感情的(真理子)/理知的(沙樹)」という役割分担だ。すると、物語の中で「道徳的な香澄」と「感情的な真理子」が対立することは、一人の人間の心の中で起こる「道徳的な部分」と「感情的な部分」の対立に代入して理解することができる。このシステムを用いることによって、眼には見えない心の中の動きや関係を、物語という形で眼に見えるように明らかにすることが可能となる。このシステムは「星の瞳のシルエット」が初めて開発したわけではなく、今から2300年前のギリシャで活躍した哲学者プラトンが『国家』という本の中で明らかにしている。少女マンガでは1970年代後半から「キャラクター有機体構造」を採用する作品が増加し、1980年代半ばには大きな支持を得るようになる。その発達は、「熱血/クール/チビ/デブ/女」というガッチャマン型有機体構造が「熱血/クール/女」というウラシマン型有機体構造へと洗練される過程と軌を一にしている。さらに1990年代以降、「キャラクター有機体構造」は、ギャルゲーの中で独特な進化を遂げていくことになるだろう。
このような有機体構造において、眼鏡っ娘は一貫して理知的なポジションで働いてきた。有機体構造で動かすキャラクターは、あまり複雑な人格にしないほうがよい。より価値観を純粋に体現したキャラクターであるほど有機体構造の働きが見えやすくなるため、一つのキャラクターの中に複雑な価値観は同居させないほうが物語はうまく運ぶ。というとき、ある集団の中に眼鏡は一人、そして理知的なポジションをとるようになる。これは有機体構造を煮詰めた場合の必然的な結果といえる。もっとも煮詰まった形が「星の瞳のシルエット」であり、だからこそ「理知的」な人間は圧倒的に沙樹ちゃんに心惹かれるしかないのだ。ウダウダしている香澄や空気が読めない真理子は、あんぽんたんのウスノロにしか見えない。
だからというか。沙樹ちゃんが有機体構造から抜け出して独立した一つの人格として行動したとき、それまでの世界がいっぺんに裏返ってしまうような、途方もないカタルシスを味わうことになる。最後まで有機体構造の枠の中で行動した香澄や真理子があくまでも作者の価値観を代表していたのに対し、沙樹だけは個性ある人格となった。「星の瞳のシルエット」は、沙樹の物語なのだ。
■書誌情報
全国250万乙女のバイブルだけあって、たいへんな人気があり、古本で全巻容易に手に入る。
単行本セット:柊あおい『星の瞳のシルエット』全10巻完結セット (りぼんマスコットコミックス)
ところで、「パンをくわえた遅刻少女」について、そんな実例が少女マンガの中に本当にあるかどうか疑っていた時期があったが。はい、ありました。「星の瞳のシルエット」で、沙樹がパンを咥えて登校していた。数万作の少女マンガを読んできた私であるが、実際にパンを咥えて登校するキャラを見たのは、これを含めて2例しかない。新人賞受賞のとき、一条ゆかりに「古臭い」とコメントされただけのことはある、誰にも真似のできないすごいセンスだ。そこにシビれるあこがれる。
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