この眼鏡っ娘マンガがすごい!第93回:西炯子「ひとりで生きるモン!」

西炯子「ひとりで生きるモン!」

小学館パレット文庫しおり、1997年11月~

(※以下、シモネタを扱っているので、苦手な方はご注意ください。)

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093_02西炯子というと、私にとっては眼鏡っ娘というよりもメガネ君のイメージの方が強烈だった。やはりプチフラワーの嶽野くんシリーズと、ウイングスの三番町萩原屋の美人の印象が強かったのだろう。当初は、不安定な青春時代の感性の上澄みを掬い取ってくる切れ味鋭い作風が鮮烈だったが、大量の作品を生み出す過程で大人の作風に進化し、それに伴って眼鏡っ娘の登場頻度も上がっていった。その眼鏡っ娘たちは、20世紀少女マンガの眼鏡とは、ほぼ無縁だ。アクの強い眼鏡っ娘たちが、予想の斜め上を行く。だが、それがいい。
093_03本作は、オムニバス4コママンガ。特に決まった主人公はおらず、様々にアクが強いキャラクターが入り乱れながら、日常が脱臼したようなシュールコントを繰り広げる。流れで言えば、新井理恵『X』とか立花晶『サディスティック19』が大きな可能性を示したような、少女マンガ文法に則った上でのシニカルでシュールな4コマ作品に位置づくのだろう。当初は「あの西炯子が4コマ!?」と驚いたけれど、読んでみると実にツボにハマっている。本当に何を描いても上手で、びっくりする。
だが何といってもこの作品が決定的に素晴らしいのは、森川さんという強烈な眼鏡っ娘キャラを生み出したことだ。森川さんの強烈さは、他にも様々にシュールなキャラがたくさんいるにも関わらず、表紙に一際大きく描かれたのが森川さんだったというところに端的に表れている。ニコリともせず、クールにシモネタを言い放つ森川さんの姿は、神々しい。いい加減な気持ちでシモネタを言うのではなく、吹っ切った覚悟を持って空気のようにシモネタを放つところが、カッコよすぎる。
が、もっとも強烈なのは、1巻の扉カバーでフィギュアになっている森川さんの姿だ。森川さんは立体になってもいつものクールビューティーなのだが、そのポージングが恐ろしすぎる。恐ろしすぎて、どこからか検閲が入った形跡もある。よう許されたなあ、これ。ぜひ自分の目で確かめていただければと思う。

■書誌情報

既刊単行本5巻。当初はパレット文庫の栞に連載?されていた作品だったけど、途中から雑誌連載になっているのかな。桶狭間麗華先生も眼鏡で素敵。

単行本:西炯子『ひとりで生きるモン!』(キャラコミックス、2003年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第30回:山本夜羽「めがこん」

山本夜羽「めがこん」

ぶんか社『アクション2』1997年Vol.4

030_03念のために前もって注意しておくと、これはメガネスキーにとっては相当に危険な作品だ。不意を衝かれると魂に直接ダメージを喰らうので、あまり安易にはお勧めできない。とはいえ、メガネ史に名が刻まれるべき作品であることにも間違いないという、要するに厄介なやつだ。

ヒロインの水戸いずみは、眼鏡屋で働く眼鏡っ娘。合コンで知り合って付き合うことになった高遠さんは、一流商社に勤める超エリート。が、この男は極度のメガネフェチだったのだ!

 

030_04本作の見どころは、まずこのメガネスキーが眼鏡キャラについて縦横に語り尽くすところにある。眼鏡の外面的なビジュアルではなく、眼鏡をかけるキャラクターの内面について語っているところが、それまでの作品には見られない大きな特徴だ。本作が発表された1997年時点は、オタク界でようやく眼鏡萌えが浮上し始めた段階だったが、眼鏡萌えの原理的考察はまったく進んでおらず、極めて乱暴でいい加減な論考がまかり通っていた時期だった。まだ学生だった私も、当時の雑で表面的で乱暴で短絡的な眼鏡解釈を見るたびに心を痛めていたのだったが、本作の眼鏡論に触れた時には「まさにコレだ!」と鮮烈な印象を受けた。後で知ることになるが、作者山本夜羽が少女マンガの眼鏡に対して確かな見識を持っていたことが、共感の基盤になっていたようだ。

030_02が、その共感はワナだった。読み進めていくと、我々メガネスキーが必然的にぶち当たらざるを得ない、あの難問が待ち受けているのだった。我々は眼鏡をかけた女なら誰でもいいのか? 目の前の一人の女をちゃんと人間として扱っているのか? という、例の実存的アポリアだ。この難問から逃れずに、真正面からぶち当たり、真剣かつ個性的な回答を示した作品は、実は極めて少ない。というか、その問題に行き当たること自体が、極めて少ない。とことんまで眼鏡を突き詰めた者でなければ、その扉の前にすら立てないのだ。西川魯介や小野寺浩二がド真ん中をブチ抜いて行ったこの難問に、そしてまた本作も、逃げずに体当たりした。導き出された結論は、いま読むと、作者の真摯な姿勢をストレートに反映したものだと分かる。

が、当時は私も若かった。あまりの結末に呆然自失、ジャケ買いした単行本を床に叩きつけた。それから数年後に作者御本人から連絡をいただくことになるとは思いもよらず、単行本はしばらく本棚の肥やしになった。
030_01まあ、いまになって考えれば。「否定」というものには大雑把に二種類ある。相手を叩き潰すための闘争的否定と、成長に必要な弁証法的否定とでは、同じ否定であっても、その働きはまるで異なる。我々が成長し発達するためには、その都度自分の殻を中から壊していかなければならない。殻は、外から壊してはいけない。内側から、自分の力で壊さなければ、真の成長はない。真剣な矛盾と葛藤の過程で自分を自分で「否定」できたときに、初めて真の成長が可能となる。今になってみれば、「めがこん」で示された否定とは、我々自身の成長の過程で必然的に生じる弁証法的否定であると、はっきり理解できる。そしてその姿勢は、本作のみならず、山本夜羽の作品や発言すべてに通じるものでもある。
だから彼は誤解されやすいし、それは本人のせいでもあるので同情の余地は少ないのだけれど、他に代わる人がいないから、今後も面倒なことを全部引き受けてもらえると、たぶんみんなが助かるのだった。

■書誌情報

単行本:山本夜羽『Justice & peace spirits』(BUNKA COMICS、1998年)に所収。「めがこん」以外にも眼鏡っ娘マンガが多数収録されている。念のために言っておくと、どれもキッツイので、本物のメガネスキーほど覚悟が必要。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第10回:西川魯介「SF/フェチ・スナッチャー」

西川魯介「SF/フェチ・スナッチャー」

白泉社『ヤングアニマル』1997年楽園増刊Vol.1~2000年増刊嵐Vol.4

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言わずと知れたメガネっこマイスター・西川魯介の傑作メガネSF。
主人公の女子高生・栗本玻瑠(くりもとはる)は眼鏡っ娘。その眼鏡っ娘がかけているメガネは、宇宙刑事だった! 犯人どもを追跡して地球に不時着したメガネ型の宇宙刑事は玻瑠に寄生し、宇宙の平和を乱す逃亡犯を追い続ける。敵は、上靴型やスクール水着型やブルマ型など、地球の物体に潜伏している。それを発見するには、地球人の唾液が試薬としてもっとも有効だった。ということで、逃亡犯を発見するために、玻瑠はブルマや上靴をぺろぺろ舐めるのだ・・・。

010_02うーん、なんと素晴らしい設定だろうか。この設定のおかげで、嫌がる眼鏡っ娘に自発的にブルマや上靴をぺろぺろと舐めさせることが、完全に合理的に実現できるのだ!すごい!
もちろんそういうフェティッシュな楽しみだけではなく、知っている人ならニヤリと笑えるディープなSFネタが満載されていて、何度読んでも楽しめる。知的でHENTAIな作品なのだ。

010_03逃亡犯の設定も毎回おかしい。主人公がかわいい眼鏡っ娘で既におなかいっぱいなのに、これでもかとさらに眼鏡っ娘を投入してくる。ありがとうありがとう。

こういった作品を読むにつけ、西川魯介が代わりのきかない作家であることを再認識する。西川魯介作品は、他の作家が逆立ちして地球を一周しようと絶対に生み出すことが不可能な作品ばかりだ。それらの中でも、この作品は、真摯に眼鏡と向き合った末に、とうとう眼鏡に愛された者だけが辿り着いた境地のように思える。眼鏡っ娘好きなら絶対に見逃すことのできない傑作だが、エッチな描写が多いので18歳未満は扱いに気を付けるように。

眼鏡っ娘史にパラダイムシフトを起こし、不朽の名を刻んだ西川魯介『屈折リーベ』については、またの機会に改めて検討したい。

■書誌情報

単行本は古本でも手に入るが、電子書籍で広く行き渡るようになったことは眼鏡っ娘的にも喜ばしい。

Kindle版:西川魯介『SF/フェチ・スナッチャー』第1巻 (白泉社ジェッツコミックス、2000年)

Kindle版:西川魯介『SF/フェチ・スナッチャー』第 2巻 (白泉社ジェッツコミックス、2001年)

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