久世番子「ハーメルバーメルの侍女」
新書館『ハックルベリー』2004年vol.3
主人公の眼鏡っ娘ジオラは、メイドさん。M×M=∞(眼鏡とメイドのコラボレーションは破壊度無限大と発音)だ。
ということで、ジオラは姫様に使える侍女なのだが、秘密の任務をひとつ抱えていた。実は、姫様の影武者だったのだ。
ジオラは、眼鏡を外すと姫様に顔がそっくりで、病弱の姫様のための影武者に選ばれた。しかし実は似ているのは顔だけで、仕草や立ち居振る舞いなどは似ても似つかない。姫様に似せるための特訓を行っているが、なかなか上手くいかず、侍従長にはいつも叱られてばかりで、ジオラは自信を失っている。そんなとき、トッテムという男が現れる。
ジオラは、自分の取り柄は「姫さまに似てる」ことだけだと思い込んでいた。姫様に似ていることだけを頼りに生きてきたと。しかし、それはつまり、自分の眼鏡を否定することを意味する。眼鏡を外して、姫様になりきることだけが「取り柄」だと思っている。トッテムは、そこにツッコミを入れる。
ジオラは、ジオラだけの良さを持っている。実は姫様だって、ジオラ本来の良さをよく知っている。トッテムも、ジオラ本来の良さを見つけ出している。ジオラだけが、自分の良さを見失っている。それはあたかも、他の人からはジオラの眼鏡がよく見えるのに、眼鏡をかけているジオラ自身からは眼鏡がまったく見えないのと同じことだ。ジオラの眼鏡は、ジオラの良さの象徴だ。姫様になるときには、眼鏡を外す。眼鏡を外して姫様になりきることが自分の取り柄だと思い込んでいる。しかし、姫様もトッテムも、そうは思っていない。眼鏡をかけているときのジオラこそが本当のジオラだと分かっている。眼鏡こそが自分の取り柄であることに気づいたとき、ジオラは失っていた自分を取り戻す。
創作行為にとって、眼鏡は無限のインスピレーションの源泉である。本作の場合、眼鏡はジオラのコンプレックスの象徴でもありながら、同時に他人とは違う(特に姫様と異なる)彼女にしかない個性の象徴でもある。この相反する二重の意味を一身に担えるアイテムは、なかなか他にはない。そしてコンプレックスが個性へと反転昇華する瞬間を描くとき、眼鏡というアイテムは比類なきダイナミックな輝きを発するのだ。
だから我々も、眼鏡っ娘に、眼鏡が素敵だと言っていこう。眼鏡っ娘からは、自分の眼鏡が見えていないのだから。
書誌情報
ちなみに表題作の「甘口少年辛口少女」は、メガネ男子が主人公。巻末のオマケまんがによると、この頃は「一作品一メガネ」というルールを自分に課していたようだ。素晴らしい。
さらにちなみに、投稿作にしてデビュー作の「NO GIRL, NO LIFE」の主人公も眼鏡っ娘。
【単行本/Kindle版】久世番子『甘口少年辛口少女』新書館、2005年
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