井上和郎「あいこら」
小学館『週刊少年サンデー』2005年第32号~2008年第10号
画期的な作品です。というのも、週刊少年マンガ誌という媒体で、めがねフェチの有り様を存分に描いてしまったからであります。とはいえ、めがねフェチの有り様を確認する前に、まずはかわいい眼鏡っ娘を見ていきましょう。
ヒロインの一人として登場する眼鏡っ娘の名前は、月野弓雁ちゃんです。作中ではバストが大きいことがやたらと強調されておりますが、我々にとっては些末なことであります。めちゃめちゃかわいいのです。
趣味が読書とゲーム(後に様々なエピソードに展開するぞ)で、弓道着姿が眼鏡にジャストフィットしております。神々しいばかりに美しいのです。
が、こんなにかわいいのに、残念なことに本作ではメインヒロインとしては扱われていないのでした。というのも、本作は「セオリー通りのキャラ配置」に徹しているからなのです。それは作中で自己言及的に明らかにされているところです。
まあ、平成ギャルゲー的キャラ配置ということですね。ちなみに、この「セオリー通りのキャラの配置」の中に眼鏡っ娘が一人いることの意味については、かつて本コラムで考察を加えております。(参照:第47回「星の瞳のシルエット」、第83回「竹本泉の眼鏡無双」、第84回「魔法騎士レイアース」。)
さて、メインヒロインとして扱われているのは、いわゆる「気の強そうな、いかにもツンデレ娘」なわけですが、我々にとっては比較的どうでもよいことです。まあ、とはいえ、このツンデレがツンデレらしく眼鏡をかけるエピソードにはトキメキを感じざるを得ないわけですけれどもね。
ということで、眼鏡っ娘・弓雁ちゃんは残念ながらメインヒロインではありません。ありませんが、しかし本作を通読すると、いちばん魅力的な娘に描かれているようにしか読めないのです。そう、いちばん良い娘なのです。「本当のメインヒロインは眼鏡っ娘だったのだ!」と主張したくなります。が、注意しなくてはならないのは、ここに罠があるのかもしれない、ということです。
我々にとって厄介なのは、「脇筋にいる眼鏡っ娘のほうに萌える」という傾向が隠せないところです。我々としても本当は眼鏡っ娘にはメインヒロインとして輝いて欲しいのですが、しかし実は眼鏡っ娘は脇役だからこそ輝きを放っているという可能性を排除することができないのです。ここにジレンマが生じます。本作は、「脇役だからこそ輝く眼鏡っ娘」という有り様をまざまざと見せつけているのかもしれません。安易に「メインヒロインは眼鏡っ娘だ!」と主張しにくいのであります。いやはや。
そう考えると、作者が作中で自己言及的に示した「なんてセオリー通りのキャラ配置!!」という言葉は、かなり高度な韜晦と言えるでしょう。ああ、恐ろしい。
さて、そんな本作について語るべきことは、眼鏡っ娘そのもの以外にもあります。というか、こちらのほうが我々にとっては大問題となるでしょう。というのは、本作では、眼鏡を愛する者(メガネスト)に関わる印象的なエピソードがとても多いのです。
たとえば「PARTS10謎の犯罪者」では、女性の顔にマジックで眼鏡が描き込まれるという事件が多発し、メガネフェチのシブサワが犯人かと疑われます。が、シブサワは真犯人ではありませんでした。
ちなみにこのシブサワの、「アホなことを言っているのに貫いている姿勢が格好いい」という生き方は、ぜひ見習っていかなければならないでしょう。
そして真犯人は(ネタバレすみません)、なんと眼鏡っ娘好きの女性だったのでした!
ああ、我々も「心の底から眼鏡っ娘が大好き」だ。だが、だからといってむりやり眼鏡をかけさせてはいけないのですよ。
まあ、情状酌量の余地は十分にありそうですね・・・
そしてこの眼鏡っ娘好きの女子高生・鹿野紅葉は、さらに「PARTS21メガネッ娘大作戦!!」で眼鏡の魅力を全国に訴えてくれるのです。ありがとう、ありがとう。
ストーリーは、あの眼鏡っ娘・弓雁ちゃんが世間の愚かな迷信に惑わされて眼鏡を外してしまうという、恐怖以外の何物でもない話から始まります。紅葉は再び弓雁ちゃんの眼鏡を取り戻すべく、熱弁をふるうのでありました。
そうだ! そのとおりだ!
そして紅葉の努力の甲斐もあって、弓雁ちゃんは眼鏡の素晴らしさを再発見するのです。
いやあ、よかったよかった。
しかし本当の問題作は「PARTS42真メガネ党」の回に訪れます。
真メガネ党とは、ただのファッションで伊達眼鏡をかけるような世間の愚かな風潮に鉄槌を下すべく偽物眼鏡狩りをする恐ろしい集団なのですが、なんとなく既視感があるのは気のせいでしょう。きっと我々のことではないです。…たぶん。たぶん。
真メガネ党は「純粋なメガネッ娘」を守るために日々活動を行なっているのですが、弓雁ちゃんを拉致して、何があっても外れない眼鏡をかけさせようとするのです。なんと素晴らしい。恐ろしい。
しかし主人公たちの邪魔活躍によって真メガネ党の野望は潰えることになります。残念なことだ。
さて、そんなふうに眼鏡エピソード満載の本作ではありますが、実は本作が首尾一貫して扱っているのは、「人間全体を見るか、パーツを見るか?」というテーマでした。
弓雁ちゃんであれば、本作中では主人公の「理想のバスト」を持っているので、主人公は弓雁ちゃんの人間性そのものではなく、バストばかりを追求しました。それが最終的に破綻を迎えることになります。
やーいやーい、ざまあみろ、女の子の人格を見ないで胸ばかり見てるからだ、嫌われろ嫌われろ、あースッキリした。などと言っている場合ではないのです。本作の主人公の場合は「胸」でしたが、我々の場合は「眼鏡」が問題となってしまうことを忘れてはなりません。たとえば、もしも「だってあなたは私の眼鏡が好きってだけで…私のことなんて見てないもの…」などと言われた日には、わたしたち、どうすればいいのでしょうかっ!? 「眼鏡をかけた君が好きなんだ」と言っても、たぶん許してもらえないのです。
これが我々の抱える本質的な問題なのでしょう。そして本作は、この本質的で不可避の問題に真正面から真摯に取り組んだ、希有な作品の一つとなりました。「真メガネ党」などの眼鏡萌えエピソードを喜んで笑いながら読んでいるうちはいいのですが、「私か眼鏡か」という本質的な問題に直面させられたとき、震えが止まらないのでありました。
次のシブサワの言葉は、非常に重いのです。
そう、常識的に考えれば、「フェチと恋愛」が両立するわけがありません。この現実を突きつけられたとき、我々にできることなどあるのでしょうか。シブサワは「恋愛沙汰なんかにはキョーミがないんだ。ボクが求める愛は永久不滅の愛…フェチ道だけさ…」(5巻149頁)と言い切ることで矛盾を解消しました。油坂は「フェチは、別腹だ!!」(7巻56頁)と開き直って「恋愛だけが正しい愛の形だと信じているこの世界」(60頁)を変えるという展望を示しました。確かにそれらも一つの知見ではあるでしょう。が、本当にそれでいいのでしょうか。これは「愛とは何か?」に本質的に関わってくる非常に重いテーマなのです。(ちなみに愛が代替不可能であることについては、単行本11巻56頁に見事に描かれております)。いやあ、恐ろしい。
書誌情報
単行本全12巻。電子書籍で読むことができます。ちなみに真メガネ党のエピソードは単行本5巻収録。
本作のテーマである「フェチと恋愛」の両立問題に真正面から取り組んだ作品は、他にもあります。ほかでもない、西川魯介『屈折リーベ』と田丸浩史『ラブやん』です。どちらもメガネフェチの主人公が眼鏡っ娘を愛することの矛盾に直面し、苦悩する話です。
テーマが同じだからといって、パクっていることには当たりません。なぜなら、このテーマは突き詰めていけば人類に普遍的に妥当するものであって、真剣に作劇に取り組む限り、必ずどこかで行き当たる問題だからです。
そして、その問題の描き方と解決方法に作家の個性が表れます。問題の本質から目をそらすことなく正面からぶち当たった『屈折リーベ』と『ラブやん』が代替の効かない個性的な作品になったように、本作も個性的な作品となったように思います。「小さい頃からパーツは好きだが一度も恋をしたことがない」という主人公ハチベエのキャラクター造作の勝利だと思う次第です。
【単行本・Kindle版】井上和郎『あいこら』第1巻、小学館、2005年
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