この眼鏡っ娘マンガがすごい!第83回:竹本泉の眼鏡無双

竹本泉の眼鏡無双 1993年~2001年

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竹本泉の眼鏡っ娘マンガについて、1982年「パイナップルみたい」(第81回)と1993年「トゥインクルスターのんのんじー」(第82回)を見てきた。そして1993年以降、竹本泉の眼鏡無双が始まる。爆発的に眼鏡っ娘キャラが増えるのだ。2001年までとそれ以降は質的な違いを感じるので、さしあたって私が把握している限りで2001年までの眼鏡っ娘キャラクターを一覧する。

1982「パイナップルみたい」山崎かおり、なかよし
1986「1+1=3ドイッチ」牧野すずめ、なかよしデラックス
1991「スウィート少女ライフ」カンノザキ・クララ・T、アップルミステリー
1993「アップル・パラダイス」西園寺京子、コミックマスターEX
1993「トゥインクルスターのんのんじー」テー・ノンノンジー・P、ヤングアニマル
1996「世の中なバランス」吉永善美、アップルミステリー
1997「乙女アトラス」ヒラタイ・イクシー、コミックノーラ
1997「くしゃくしゃのなかみ」小梅ひよみ、アップルミステリー
1999「かわいいや」河飯かなつ、まんがタイムオプショナル
2001「おんなじ感じW」高山美夏+真夏、月刊コミックビーム
2001「ゆれる100万ボルト」永浜忠子、月刊コミックビーム
2001「ブックスパラダイス」森永う子、コミックメガフリーク
2001「トランジスタにヴィーナスmission12少女の園」エイプリル先生、コミックフラッパー
2001「トランジスタにヴィーナスmission13リスボンのねずみ」イエン・マグ・オブラ、コミックフラッパー

083_03一覧するだけで、加速度的に眼鏡っ娘キャラの数が増大していることが分かる。特に「なかよし」時代には2例しかなかった眼鏡っ娘が、青年誌に進出した1993年以降に顕著に増えていることが分かる。作品数自体が増えて母数が増加したこともあるが、やはり掲載メディアの違いと、「萌え」そのものの出現という環境の変化による影響が大きいと思われる。
どの眼鏡っ娘もたいへん愛くるしく、特に三つ編みとの絶妙の相性についてはきちんと言及しておく必要を感じるが、今回は「乙女アトラス」と「アップル・パラダイス」に触れる。

「乙女アトラス」と「アップル・パラダイス」に共通する顕著な特徴は、「女の子3人組のうち、一人が眼鏡」という様式だ。この様式が担う理論的意味については第48回で触れたが、竹本泉作品に見られるものはかなり性格が異なる。竹本泉の3人組に見られるのは、有機体構造というより、RPGの「パーティ」と言った方が正確だろう。竹本泉の3人組には性格の役割分担というものは見当たらず、キャラクター間に葛藤が存在しない。となれば、竹本泉の「女の子3人組のうち、一人が眼鏡」という様式から、1990年代に急速に発展する「ギャルゲー」文化との親和性を想起することは、容易だ。
083_041980年代の美少女ゲームは、パーティ制ではなかった。「天使たちの午後」や「電脳学園」、「プリンセスメーカー」など、かつての美少女ゲームは、基本的には一人のヒロインを攻略する形式が主流だった。ところが1990年代に入り、急速にパーティ制が進化する。1992年「卒業」からパーティ制の流れが顕著になり、1994年「ときめきメモリアル」、1996年「サクラ大戦」、1997年「To Heart」に至って完全に確立したと言ってよい。このギャルゲーのパーティ制の進化過程が、竹本泉1993年「アップル・パラダイス」と1996年「乙女アトラス」とパラレルであったことは、もちろん偶然ではない。どちらかがどちらかを真似したということではない。同じような様式が同じような時期に説得力を持って登場したということは、それが受容される客観的条件が揃ったことを意味する。共通する客観的条件とは、おそらく「TRPG的想像力」の普遍化だ。1980年代にはごく一部の数寄者の愛好物に過ぎなかった「TRPG的想像力」は、1990年代に入って急速に一般化する。おそらく80年代に消費者だった若者が、90年代に情報発信者に回ったということだろう。竹本泉はもちろん80年代にクリエイターとしてのキャリアをスタートさせたが、その潜在能力すべてを世間が受け入れるには90年代を待たねばならなかったということだろう。
竹本泉にもともと眼鏡に対する極めて強い志向性があったことは「パイナップルみたい」を見るだけで確信できるが、そのポテンシャルが十全に花開くには客観的情勢の成熟を待つ必要があった。1990年以降の竹本泉の眼鏡無双は、そういう客観的情勢の転回を踏まえて考えるべきことだ。逆に言えば、「アップル・パラダイス」と「乙女アトラス」は、1990年代の情勢変化を説明する重要な証人と言える。未開の「萌え」フロンティアを先頭に立って切り開いてきた第一人者・竹本泉だからこそ、その作品群は時代の敏感な変化をダイレクトに映し出す一級の証人となるだろう。そして、それゆえに、この時期に竹本泉の眼鏡っ娘キャラの数が爆発的に増大することは、あまりにも重大な示唆を含んでいる。眼鏡を理解することは、そのまま時代を理解することを意味する。
そして2001年以降の展開は、「萌え」概念の定着と普遍化を踏まえて変化してくるように思われる。21世紀の展開については、また機会を改めて考えたい。

■書誌情報

「アップル・パラダイス」は同名単行本全3巻。話の舞台となっている聖林檎楽園学園は、他の眼鏡っ娘作品の舞台ともなっている。
「乙女アトラス」は同名単行本全2巻。眼鏡っ娘マンガ「トゥインクルスターのんのんじー」と世界観を共有している。

単行本:竹本泉『アップル・パラダイス』第一巻(ホビージャパン、1994年)
単行本:竹本泉『乙女アトラス』第一巻(ノーラコミックス、1998年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第82回:竹本泉「トゥインクルスターのんのんじー」

竹本泉「トゥインクルスターのんのんじー」

白泉社『ヤングアニマル』1993年17号~

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1990年代初頭に竹本泉が男性向け媒体に進出したことは、個人的にはかなり衝撃だった。特に1993年に開始された本作のインパクトは、劇的に強烈だった。この1993年という年は、CLAMPが『なかよし』で「魔法戦士レイアース」の連載を始めた年でもある。『なかよし』でデビューした竹本泉が青年誌に進出したタイミングでほぼ同時にCLAMPが『なかよし』に侵入した事実は、少女マンガ技法と「萌え」の本質的な関係を考える上で、象徴的な意味を持つ。1993年の段階で、少女マンガ技法は一部の限られた数寄者の独占物を超え、広く一般化したのだ。少女マンガ技法の一般化は、「萌え」が一般化するための技術的前提となっていく。「萌え」というものを技術的に考える上で本作の持つ意味は計り知れないほど大きい。そしてもちろん、その重要性は本作のヒロインが眼鏡であることによって決定的になる。

082_02本作のヒロインは、眼鏡っ娘考古学者のノンノンジー18歳。舞台は西暦2264年だが、ちゃんと眼鏡は健在だ。ただノンノンジーは近眼というわけではなく、魔眼を封じるための暗示アイテムとして眼鏡を着用している。まあ、理由はどうでもよい。眼鏡っ娘であるという事実だけが決定的に重要だ。とにかく、この眼鏡っ娘が、かわいい。問答無用で、かわいい。作者が蓄積してきた少女マンガ技法が存分に発揮された、圧倒的なかわいさだ。これが、「萌え」だ。竹本泉の青年誌進出は、少女マンガ技法が決定的に「萌え」として定着した瞬間だった。少女マンガ技法の男性媒体への輸入が「萌え」の技術的前提となる。「萌え」という概念について様々な論者による様々な定義がなされてきたが、私から見ればそれは「少女マンガ技法が発する情報を処理しきれない男性視点が行う情報縮減」でファイナルアンサーであり、東浩紀が言うようなデータベース消費等の説明は残念ながらトンチンカンだ。東浩紀の言う「萌え要素」なるものの大半が少女マンガでは1970年代から既に存在していたことを視野に入れるだけで、物事の本質が見えやすくなる。

082_04さて、のんのんじーの潜在力は、10年後に出版された単行本の第2巻で遺憾なく発揮される。本編はいつもの竹本節なのだが、単行本に寄稿したゲストがものすごいメンツだった。50音順敬称略で、あさりよしとお、伊藤明弘、久米田康治、倉田英之、志村貴子、田丸浩史、鶴田謙二、中村博文、二宮ひかる、平野耕太、舛成孝二、陽気婢。一見して、眼鏡濃度の高い面子であることが分かるだろう。そして期待に違わず、眼鏡満足度はMAXだ。このゲストたちがノンノンジーを描き、竹本泉が各ゲストのリクエストにこたえてイラストを描く。この単行本2巻は、ノンノンジーという一つの作品であることを超え、眼鏡描画技術そのものを考察するうえで極めて示唆に富む貴重なカタログとなっている。のんのんじー2巻抜きでは眼鏡「萌え」というものを語ることは不可能だろうという、歴史的必須資料といってよい。扉絵の、のんのんじーコスプレ大集合とか、すごすぎる。指で目尻を下げて読子のマネをしているノンノンジーときたら、ああっ、もう!

ということで内容的にも形式的にも時期的にも「萌え」というものを考える上で極めて重要な作品であることは間違いない。そしてそんな作品のヒロインが眼鏡っ娘であるという事実について人々は真摯に受け止める必要があるだろう。

■書誌情報

いまのところ単行本2冊。初登場から20年経った今も完結していないが、今後どうなるのか?

単行本:竹本泉『トゥインクルスターのんのんじー』実質第1巻(白泉社、1994年)
単行本:竹本泉『トゥインクルスターのんのんじーEX』実質第2巻(白泉社、2004年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第81回:竹本泉「パイナップルみたい」

竹本泉「パイナップルみたい」

講談社『なかよし』1982年7月~12月号

081_02「パラダイム・シフト」という言葉がある。知識や技術が連続的に発達を続けていって、それがある水準に達した時に、知識や技術がそれまでの常識を超えて一気に「不連続」に展開する事態を、「パラダイム・シフト」と呼ぶ。「不連続の特異点」を説明した言葉だ。眼鏡を描画する技術の発展過程にも、いくつかの特異点があるように見える。私の見立てでは、重要な特異点の一つは1980年代前半にある。1970年代の「乙女ちっく」によって連続的な発達を続けていた眼鏡描画技術は、1980年代前半にパラダイム・シフトを起こしたように見えるのだ。前代の最終進化形態が太刀掛秀子「まりの君の声が」(第11回で触れた)で、新時代の幕開けが竹本泉・ひかわきょうこ・かがみ♪あきらの眼鏡描写に見えるように思う。前代と新時代の最大の違いは、敢えて「萌え」と言わせていただく。太刀掛秀子の眼鏡は「萌え」ではないが、竹本泉・ひかわきょうこ・かがみ♪あきらの眼鏡は「萌え」だ。

081_04さて、本作のヒロインは眼鏡っ娘女子高生かおり。恋というものがまったくわからない、色気なしの女の子が、友達に影響されながら、だんだん恋に目覚めていくお話し。恋愛話はアッサリしたもので、起承転結の盛り上がりというものは見られない。だが、それがいい。とにかく、きゃおりがかわいすぎる。後の竹本作品に見られる特有の不思議な世界というものはないが、竹本節の片鱗は随所に見られる。起承転結や話のメリハリなんてなくてもかまわない。ただただ、読んでいて心地いい。この空気感は、他の作家には出せない。

問題の眼鏡描画技術だが、客観的に比較した時には、太刀掛秀子の眼鏡との差異はそれほど大きくない。フレームの形、レンズの光、省略の仕方など、客観的に言葉にしようとしても上手く表現することはできない。だが、受け取る印象は、明らかに違う。客観的に言葉で表現することができなくとも、これまで私が積み重ねてきたオタク経験が教えてくれる。これは、「萌え」だ。そしてこの「萌え」の原因を言語化しようとすれば、前代までには存在しなかった「男性目線」による刺激を考えざるを得ない。少女マンガが積み重ねてきた技術に「男性目線」という要素が加わったときに、それまでにはなかった新しい眼鏡描写が生まれたのではないか。ただの男性目線だけでは、この萌え眼鏡は描けない。男性目線を維持したままの才能が「少女マンガ」の眼鏡技法を手に入れた時に、おそらく初めて萌え眼鏡が生み出される。そして同じ状況は、かがみ♪あきらの眼鏡にも当てはまる。(ただ、ひかわきょうこに同じ「萌え」を感じる理由は、よくわからない)。そして「男性目線+少女マンガ技法」というパラダイムにおける最終進化形態は、おそらくCLAMPで達成される。それについてはまた別の機会に。

ちなみに、きゃおりの母親の眼鏡も超萌え。

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■書誌情報

同名単行本全1冊。SF(少し不思議)テイストがない竹本泉作品というのは、実はレアか。復刊した新刊でも手に入るし、古本でも比較的容易に手に入るので、世界平和のためにも一家に一冊そろえたい作品。

単行本:竹本泉『パイナップルみたい』(新刊=BEAM COMIC2009年、古本=講談社1983年)

 

 

 

 

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