この眼鏡っ娘マンガがすごい!第111回:太刀掛秀子「P.M.3:15ラブ♥ポエム」

太刀掛秀子「P.M.3:15ラブ♥ポエム」

集英社『りぼん』1975年10月号

111_01少女に眼鏡をもたらす男こそが少女マンガのヒーローにふさわしい。それを教えてくれる黎明期の名作だ。

主人公のアッキは、眼鏡っ娘。眼鏡をかけた自分の容姿にまったく自信が持てない。
そんなアッキは、入学式の帰り、P.M.3:15のバスに乗っていた男の子に一目惚れ。それ以来、3:15の男の子に会いたい一心で、毎日バスに乗っていた。
ここで注意したいのは、「メガネかけた顔みられたくなくて、あわててはずしちゃった」というモノローグだ。男の子の顔は見たいのに、自分の顔は見られたくない。つまり、眼鏡をかけなければいけないのに、眼鏡をかけたくない。これが本作の基本構造だ。

111_02

ある日、3:15のバスに乗ろうと急いでいたが、誰かにぶつかって、眼鏡がポロリとはずれてしまう。ぶつかった相手の顔は近眼でまったくわからないが、佐田修くんというらしい。
そして次の日の朝、遅刻しそうになって、走ってバスに間に合ったアッキだったが。

111_03

佐田くんに声をかけられるが、ここでもアッキは佐田くんの顔を見ていない。必死に走ってきて、汗でレンズが曇ってしまって、眼鏡を外していたのだった。
で、もちろんアッキが一目惚れしたP.M.3:15の男の子の正体は、実は佐田修くんなのだ。しかし、佐田くんと会うときはいつも眼鏡を外していて顔をちゃんと見たことがなくて、二人が実は同一人物だったとは気がつかなかった、というわけだ。
そんなピントがズレた状態を打破するのは、もちろん眼鏡だ。
まずアッキの中で次第に佐田くんの存在が大きくなっていく。P.M.3:15の男の子は外見に対して一目惚れしただけだったが、ちゃんと眼鏡を通して顔を見たことがない佐田くんに対しては、外見など関係なく、その素直で包容力のある優しい性格を好きになっていく。だんだんどっちのことが好きなのか、わからなくなっていくアッキ。しかしある日、佐田くんがいるところで、友達にP.M.3:15の男の子のことをバラされてしまう。P.M.3:15の男の子と佐田くんが同一人物だとは夢にも思わないアッキは、秘めた想いを佐田くんに知られてしまったことに動揺し、眼鏡を部室に置いたままで飛び出してしまう。
佐田くんは、置き去りにされた眼鏡に、もちろんすぐ気がついた。次の日、佐田くんは眼鏡を持ってバス停に行く。ここからの眼鏡展開が素晴らしい。眼鏡をもたらす男こそが、真の少女マンガのヒーローということが明らかに示されるのだ。

111_04

眼鏡を渡されたアッキは、ここで初めて眼鏡のレンズを通して佐田くんの顔を見る。

111_05

眼鏡をかけて、初めて真実が焦点を結ぶ。実は佐田くんがP.M.3:15の男の子だったのだ!
そして佐田くんのセリフ。「メガネの中のおっきな目とさらさらの髪の毛がかわいいなって」。実は佐田くんは、メガネスキーだったのだ!
111_06ここで注意したいのは、この場面で「眼鏡で見る」ことと「眼鏡を見られる」ことが同時に実現しているという事態である。それは「ほんとうの世界を見る」ことと「ほんとうの私を見られる」ことが同時にしか成立しないことを示唆している。それまで物事がうまくいかなかった原因は、「眼鏡を見られたくない」という間違った考えから「眼鏡で見ない」という間違った行動をとってしまったことにあった。眼鏡をかけないのは、世界の真実から目を背けることであると同時に、ありのままの私を否定することである。外に対して偽ることは、同時に内に対しての偽りとなる。眼鏡をかけないことは、二重の裏切り行為なのだ。物事がうまく運ぶわけがない。そこに眼鏡をもたらし、自分自身と世界の真の姿を回復させるのが、少女マンガのヒーローの役割だ。男の中の男は、少女の眼鏡を外す馬鹿野郎ではなく、少女に眼鏡をもたらす者だ。それをこの作品は教えてくれる。

■書誌情報

本編は35頁の短編。同名単行本に所収。単行本は絶版になっており、amazonで見た限り、かなりのプレミアがついていて入手は困難かもしれない。作者の太刀掛秀子については、第11回でも扱った。非常に繊細で美しい絵を描く作家で、中村博文さんが模写を繰り返したと聞いて、妙に納得したのをよく覚えている。

単行本:太刀掛秀子『P.M.3:15ラブ♥ポエム』集英社りぼんマスコットコミックス、1976年

■広告■


■広告■

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第54回:田渕由美子「聖グリーン★サラダ」

田渕由美子「聖グリーン★サラダ」

集英社『りぼん』1975年12月号

日本人が知っておくべき「新・3大 田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」、最後は『りぼん』1975年12月号に掲載された「聖グリーン★サラダ」です。この作品で「眼鏡っ娘起承転結理論」が決定的な形で完成します。

054_blue

054_black

まず有権者に訴えたいのは、『りぼん』本誌で田渕由美子の乙女チック人気が爆発したのは1976年はじめだということ。ということは、つまり1975年12月号に発表された本作が、乙女チック人気を決定づけたということ。そしてその作品こそが、まさしく「眼鏡っ娘起承転結理論」の完成形だったということであります。

主人公の「ありみ」は眼鏡っ娘。雅志と一緒にくらしております。しかし雅志と恋人関係というわけではなく、実はありみのお姉さんが雅志と結婚したのですが、そのお姉さんが死んでしまったため、雅志とありみが二人で生活しているのであります。そんな二人の生活の中で、なんということでありましょうか、ありみは眼鏡をかけません。そこで雅志は、男らしく言うのであります。「いつもメガネをかけていたほうがいいね」と。

054_02

しかし、ありみは何故か眼鏡をかけることを断固拒否。「美貌をそこねる」という理由に、我々は不穏な空気を感じて不安になるのであります。しかし実は「美貌をそこねる」という理由は、言い訳にすぎず、本当の理由ではなかったのであります。

054_04

 

054_03そう。実は、ありみは死んだお姉さんの真似をしていたのであります。奥さんが死んでしまって悲しんでいる雅志のために、お姉さんの代わりになろうと考えていたのであります。なんと健気な眼鏡っ娘。ありみは、雅志がいないところではしっかりと眼鏡をかけているのであります。

雅志は、そんなありみの心遣いによって、心が癒されていきます。お姉さんが生きていたころとまったく変わらない自然な生活。以前と変わらない朝の献立。雅志はありみと結婚してもいいとまで思います。眼鏡っ娘は、眼鏡を外すことによって、愛を獲得したかのように見えるのであります。

しかし、お姉さんの身代わりになって獲得した愛など、まやかしの愛にすぎないのであります。

054_05

おせっかいなおばさんが雅志の元にお見合いの話を持ってくるのですが、ありみと結婚してもいいなどと言って何も気づいていなかった雅志に真実を告げるのであります。ありみがどうして眼鏡をかけようとしなかったのか。さすがに雅志も悟るのであります。

054_06

ありみを縛っていたことに気がついた雅志は、おばさんの持ってきたお見合いに行くことを承諾。二人の不自然な生活に終止符を打つことを決意するのであります。
しかしありみはそれを受け入れることができないのであります。ありみは単にお姉さんの身代わりをして雅志を癒したかったのではなく、本気で雅志のことを好きになっていたのであります。身代わりでいいから少しでも一緒にいたいと思って、必死の思いで眼鏡を外していたのであります。しかし、それがマヤカシの愛にすぎないことに、眼鏡っ娘も気が付いていたのであります。
そこで、眼鏡っ娘は、「ほんとうのわたし」を取り戻すために、ついに眼鏡をかけるのでありました。いよっ、待ってました!

054_07

眼鏡をかけて、ショートカット。朝ごはんの献立も、お姉さんが得意だった洋食ではなく、和食を作るようになるのであります。そんなありみを、雅志は「メガネもよくにあってる」と、しっかり受け止めるのであります。

054_08そして雅志は、お姉さんの身代わりではない、本当のありみと結婚することを決意するのであります。そのときの眼鏡っ娘の表情が、実に素晴らしいのであります。尊い涙なのであります。

眼鏡っ娘マンガ研究家のはいぼくは、言うのです。この作品は、「眼鏡のON/OFF」と「恋愛のON/OFF」が明確に構造化されたうえで、「起承転結」の流れが作られているのだ、と。そしてそれこそが乙女チック少女マンガが作り上げた、人類史上に誇るべき偉大な創作なのだ、と。この作品を読んだ後は、「眼鏡を外して美人」などという作品はジュラ紀に描かれたのかと思えるほど時代錯誤のクソタワケに見えるのだ、と。
その構造を表にすると、起承転結の流れが一目瞭然。

054_hyou

眼鏡は「かけている/かけていない」のように0か100かのデジタルな性質を持っている特異なアイテムであって、それを「愛」の状態とリンクさせることによって起承転結の物語構造を簡潔に構成することができるのであります。田渕由美子はこれを最も説得力ある形で表現することに成功し、だからこそ時代の最先端を走る作家として絶大な人気を獲得したのであります。

というわけで、この作品を「新・3大 田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」のひとつとさせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

■書誌情報

054_01あんのじょう、収録単行本はプレミアがついてしまっていて、すこしだけ入手難度は高め。眼鏡っ娘マンガの正典に位置づくべき最重要の作品なので、広く読まれるような状況になってほしいなあ。

単行本:田渕由美子『あのころの風景』(りぼんマスコットコミックス、1982年)

愛蔵版:『田渕由美子全作品集 I 摘みたて野の花』(南風社、1992年)

 

 

■広告■


■広告■

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第53回:田渕由美子「雪やこんこん」

田渕由美子「雪やこんこん」

1975年『りぼん増刊号』お正月

日本人が知っておくべき「新・3大 田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」、続いては、1975年『りぼんお正月増刊号』に掲載された、「雪やこんこん」です。少女の内面を表すアイテムとして自由自在に眼鏡を描く卓越した技術を味わうことができます。

053_01

053_10

053_03まず有権者に訴えたいのは、さすがの田渕由美子も最初から人気があったわけではないということ。デビューからしばらく描いていたのは「乙女チック」ではなく、1960年代からの伝統的な「母もの」と呼ばれるジャンル。掲載される雑誌も、『りぼん』本誌ではなく、もっぱら増刊号。しばらくは修行の時代が続いていたのであります。
そんな田渕由美子が大躍進を遂げるきっかけになったのは、やはり「眼鏡」でありました。本作「雪やこんこん」が掲載されたのは1975年お正月の「増刊号」でありましたが、ここでのブレイクをきっかけに、同年3月には『りぼん』本誌へと進出。そして瞬く間に人気を獲得し、翌年からは表紙に起用されるまでになるのであります。本作の眼鏡っ娘マンガが田渕由美子ブレイクの大きな足掛かりになっているのは間違いないのであります。そして本作の重要性は自他ともに認めるものであり、その証拠に田渕由美子の初単行本の表題は『雪やこんこん』となっており、眼鏡っ娘が見事に表紙を飾っているのであります。

053_04本作でまず注目したいのは、いきなり眼鏡っ娘の唯ちゃんがメガネを外してしまうところ。もしもこれが凡百のクソマンガだったとしたら、そのまま美人と認定されて彼氏ができてしまうところでありますが、そこはさすがに田渕由美子、そんな愚は犯さないのであります。唯は眼鏡を外したことで「昌平なんていうかな早くこないかな」と、幼馴染の昌平くんに褒めてもらえると思い込んでいるのですが、やってきた昌平くんは、そんな唯の期待にはいっさい応えてやらないのであります。眼鏡を外したところでいいことなんてちっとも起こらない。唯は世界の真実をここで思い知るのであります。
そう、眼鏡を外した女をチヤホヤするのは、所詮はただの脇役ども。本当の乙女チック少女マンガのヒーローは、眼鏡を外した女を褒めることなど、絶対にありえないのであります。そんなわけで、唯はもういちど眼鏡をかけなおすのであります、よかったよかった。

053_05しかしそんな眼鏡っ娘を陰から狙っていた香椎先輩に、眼鏡っ娘はいきなり襲われてしまい、眼鏡っ娘大ピンチ。香椎先輩に襲われたとき、唯の眼鏡は弾き飛ばされて、無残にも割れてしまうのであります。物語上、唯の眼鏡が外れるのはこれが2回目。1回目のときは、昌平くんは眼鏡がなかったことに対して、完全スルーで対峙しておりました。しかしこの2回目のときは、昌平くんは優しく「おまえメガネは?」と声をかけているのであります。眼鏡を外して美人になったなどと勘違いしているときにはスルーしてやるべきでありますが、不可抗力で眼鏡がなくなってしまった時には、なにがなんでももう一度きちんと眼鏡を発見しなくてはならないのであります。「コンタクト」などと口走った唯の言動に不自然さを嗅ぎ取った昌平は、唯の眼鏡を探しにでかけるのであります。

053_06そして昌平は、香椎先輩を見つけるのでありますが、その手にあるのは、眼鏡。そして素晴らしいことに、一目見ただけで、それが唯の眼鏡だと気が付くのであります。好きな女の眼鏡がどういうものかは、男として絶対に知っていなければならないのであります。見た瞬間にそれが好きな女の眼鏡であることに気が付かなければならないのであります。まさにそれこそが、乙女チック少女マンガのヒーローとしての存在理由なのであります。

053_07

053_08そうして眼鏡を見つけた昌平は、寂しがっている唯の元へ駆けつけるのでありますが、この登場シーンが、また実にすばらしいのであります。香椎先輩から取り戻した唯の眼鏡を、なんと自らかけて唯の前に登場するのであります。こんなことされたら、惚れてまうやろ! こうして昌平は、眼鏡によって自分と唯の間にかけがえのない絆が結ばれているということを確認するのです。
そして昌平は、自ら唯の顔に眼鏡をかけてあげるのであります。実にうらやましいのであります。こうやって眼鏡っ娘の元に再び眼鏡が戻るということは、破滅しかけた世界がもう一度復活することの象徴なのであります。
眼鏡っ娘研究家のはいぼくは、言うのです。本作は、(眼鏡有)→(眼鏡無)→(眼鏡有)→(眼鏡無)→(眼鏡有)というように進行するが、その眼鏡のON・OFFの切り替えは「起承転結」という物語構造の転換に対応しているのだ、と。そして単に外面的なアイテムだと思われていた眼鏡は、実は物語構造の根幹をコントロールする最も重要な鍵の役割を果たしているのだ、と。まさにこの眼鏡に支えられた内面の描写力によって田渕由美子の人気は大爆発し、本作発表直後から本誌で縦横無尽の大活躍をするようになったのであります。

053_09

こうして眼鏡が結ぶ二人の恋を、我々は温かい気持ちで応援することができるのであります。本当に、うらやましい、私もこんな恋がしたいのであります。
というわけで、この作品を「田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」のひとつとさせていただきます。

■書誌情報

微妙にプレミアがついているけれど、手に入らないわけでもない。単行本『雪やこんこん』と、愛蔵版『全作品集Ⅰ』に所収。

単行本:田渕由美子『雪やこんこん』(りぼんマスコットコミックス、1976年)

愛蔵版:『田渕由美子全作品集 I 摘みたて野の花』(南風社、1992年)

■広告■


■広告■

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第35回:いがらしゆみこ「キャンディ♥キャンディ」

いがらしゆみこ+原作/水木杏子「キャンディ♥キャンディ」

講談社『なかよし』1975年4月号~1979年3月号

035_01眼鏡っ娘のパトリシア、通称パティは、キャンディの友達。単行本3巻で登場して以降、最後まで重要な役割を果たす。いや、もはやパティが主人公と言っても過言ではない。そうだ、キャンディなんて、もはやどうでもよい。キャンディ・キャンディは眼鏡っ娘パティの物語だ。

パティが一際輝いているのは、その彼氏、アリステア(通称ステア)のメガネスキーぶりに負うところが大きい。第一次世界大戦が始まり、ステアは周囲の反対を押し切って志願兵として従軍する。ステアは機械に強いという特技を活かして飛行機乗りとして活躍する。その飛行機にまつわるエピソードが、劇的に感激ものなのだ。

035_02

なんとステアは、自分の飛行機のエンジンカウリングに眼鏡を描いたのだ。そう、それは眼鏡っ娘の恋人パティの象徴。「この機のなまえはパトリシア……パティにはめがねをかけてやらなきゃ…」。眼鏡が繋ぐ二人の絆。物語はここでキャンディそっちのけでクライマックスを迎える。我々は、眼鏡っ娘とメガネくんの恋の行方に涙するのだ……

035_03本作掲載誌の『なかよし』は、ライバル誌『りぼん』と比較した時、かなり眼鏡っ娘が少ない。特に70年代前半からハレンチ路線でエースを張っていたいがらしゆみこがほとんど眼鏡っ娘を描いていないのは、たいへん遺憾なことだ。その中で、パティは非常に貴重な眼鏡っ娘といえる。キャンディの能天気さにイラついた人々の中から、パティによって眼鏡DNAが発動した人々は相当数に上るのだ(個人的聞き取り調査)。似たような効果は柊あおい『星の瞳のシルエット』にも見られるので、その現象については機を改めて考察することとしよう。

035_04ちなみに本作にはもう一人フラニーという優等生眼鏡っ娘が登場する。こちらの眼鏡っ娘も読者に強い印象を与えている。

■書誌情報

単行本や愛蔵版や文庫版など様々なバージョンがあるが、どれもこれも今では古本でプレミアがついているようだ。Kindleで読めないのは、大人の事情があったりするのかどうか…?

単行本セット:いがらしゆみこ+水木杏子『キャンディ・キャンディ』全9巻完結セット (講談社コミックスなかよし )

■広告■


■広告■

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第16回:くらもちふさこ「うるわしのメガネちゃん」

くらもちふさこ「うるわしのメガネちゃん」

集英社『別冊マーガレット』1975年9月号

016_01前回「メガネちゃんのひとりごと」に続いて、くらもちふさこ作品。眼鏡エピソードという意味では、この作品のほうが純度が高い。

ヒロインの眼鏡っ娘ヨーコは、家が眼鏡屋さん。検眼士の高貴さんに憧れているが、眼鏡がコンプレックスで、告白することもできない。そんななか、高貴さんの弟で本作のメガネスキーヒーロー、幸路が登場する。この幸路が並々ならぬメガネスキーで、彼の行動や発言の一つ一つが心にしみる。まず登場シーンが衝撃的。

016_02

「ヘエ、メガネ屋の娘が近眼かあ」。並みのメガネスキーでは、一生のうちに一度たりともこんな劇的なセリフを吐く機会は与えられない。私も眼鏡屋の娘の眼鏡っ娘と知り合いたい。

016_03そしてヨーコが眼鏡を外そうと間違った決意をしてしまったときに、なんとか眼鏡をかけさせようと説得する姿が素晴らしい。

そして、さらに幸路は、自分がメガネスキーであるとカミングアウトする。かつて好きになった憧れの女性が「メガネをかけていた」ことをことさら強調し、さらに「とてもメガネの似あう人だけど、ヨーコちゃんはもっと似あうと思ってる」と説得を続ける。ふられた理由を、ヨーコには「メガネのせい」だと言われるが、「おれ、かけたほうがひきしまるもん」と、意に介さない。見上げたメガネスキー魂。この男、本物のメガネスキーである。見習いたい。

016_04

しかし幸路の説得の甲斐なく、ヨーコの決心は変わらない。そこで幸路は賭けに出る。もしもヨーコが眼鏡なしで生活することができたら、眼鏡が必要ないことを意味する。しかし不便なことが明らかだったときは、眼鏡は切っても切り離せない関係にあることを意味する。幸路は、ヨーコにとって眼鏡が体の一部であることを証明しようとしたのだ。そのときのモノローグが素晴らしい。

016_05
「かけてほしいなメガネ。あの娘とても似あうんだから」。この男、完全に我々の同志である。
そしてヨーコは台風の中、眼鏡無しで大丈夫なことを証明しようと頑張るが、当然大丈夫じゃない。それどころか命の危険すら感じるような状況で、幸路は陰からヨーコを助ける。この男、自分が眼鏡っ娘のメガネの代わりを務めているのだ。男ならこうありたい。
しかし最後の最後、あと一歩で眼鏡無しになりそうなところで、幸路はヨーコの足を引っ掛けて邪魔をして、世界の真実を告げる。「メガネをかけたままでいいと思う」

016_06

幸路の説得に、ついにヨーコが心を動かされ、メガネを受け入れる。幸路がヨーコにメガネをかけるシーンが非常に美しい。

016_07

メガネをかけることによって「まぶしい世界」が戻ってくる。そしてヨーコはメガネをかけて初めて幸路を自分の目でしっかりと見る。自分のメガネの代わりを務めた男がまぶしく輝いていることを知ったのだ。我らがヒーロー、メガネスキー幸路の眼鏡への情熱が一人の眼鏡っ娘を救った、感動的な眼鏡物語だ。

■書誌情報

「メガネちゃんのひとりごと」と同じく単行本:くらもちふさこ『赤いガラス窓』 (マーガレット・コミックス、1977年)に所収。

■広告■


■広告■

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第1回:辻村弘子「親子三代メガネ美人」

辻村弘子「親子三代メガネ美人」

講談社『別冊少女フレンド』1975年2月号掲載

001_02s

この眼鏡っ娘マンガはすごい。まずタイトルがすごい。「親子三代メガネ美人」。この圧倒的な破壊力は、他に比べられるものが見あたらない。また実際に親子三代のメガネイラストがすごい。明治メガネ美人は矢絣の着物に庇髪、大正メガネ美人は三つ編みにセーラー服、昭和メガネ美人はリボンに縦ロール。みんなメガネが似合って、超かわいい!

001_01s セリフもすごい。メガネを恥ずかしがる三代目に、初代が言う。「メガネをかけているからふられたなどと、たわけたこというんじゃありませんよ」「おじいさんを見なさい、パパを見なさい、わたしたちのメガネなど気にもしませんでしたよ」。まあ、実際はおじいさんもパパも貴女たちをメガネで選んだんだろうけれどね☆。そしてまた初代はこうも言う。「メガネのあるなしで女の本当のよさもわからないような男はこっちからふってやりなさい」。メガネのあるなしで女を選んでいる我々にはブーメランになりかねない危険な言葉ではあるが、メガネを外せなどと言う糞男にはどんどん使っていこう。

ストーリー構成もすごい。ヒロインは最初はメガネを恥ずかしがっていて、彼氏にも近眼であることをカミングアウトできない。しかし初代の励ましと彼氏の理解もあって、ようやく眼鏡をかけることを選ぶ。このとき、眼鏡屋でメガネを選ぶシーンが極めて秀逸。彼氏は「メガネだってヘアスタイルや洋服とおなじでにあうものをえらべばきまるんだよ」と言って様々なメガネを試し、ひとつばっちり似合うメガネをみつける。「メガネをかけたきみって想像つかなかったけど、すごくかわいいや……」。まさにまさに。そしてなんと彼氏が選んであげたそのメガネは、ヒロインが最初からかけていたのと同じメガネだったのだ。これぞまさしく幸せの青いメガネ。女性の幸せが実はメガネとともにあるのだという、強烈な教訓とメッセージがこめられたストーリーなのだ。

001_03s
というわけで、全編通じてものすごいメガネ。この作品が描かれたのが1975年だから、それからもう40年経っているわけだが、まったく古さを感じさせないメガネ力に溢れる傑作だ。目を閉じれば、瞼の裏には四代目の平成メガネ美人も鮮やかに浮かんでくる。ああ、メガネ美人。時代がどれだけ移り変わろうと、常に眼鏡っ娘は美人であり続け、メガネは女性の幸せのシンボルであり続けるのだ。眼鏡っ娘に幸あれ!

001_05s

■書誌情報

「親子三代メガネ美人」は、辻村弘子の単行本『ユー・ミー伝言板』(講談社:1977年発行)に所収。40年近く前の本ではあるが、古本で比較的簡単に入手可能のほか、電子書籍で読むこともできる。
Kindle版:辻村弘子『ユー・ミー伝言板』
単行本版:辻村弘子『ユー・ミー伝言板 (別冊フレンドKC)』

■広告■


■広告■