この眼鏡っ娘マンガがすごい!第106回:神谷悠「光る雪」

神谷悠「光る雪」

白泉社『花とゆめ』1990年15号

少女マンガの王道である「眼鏡っ娘起承転結構造」が美しい作品だ。「眼鏡っ娘起承転結構造」そのものについては第54回などを参照していただくとして、作品を見ていこう。

眼鏡っ娘ヒロイン高杉久美は、自分の容姿にコンプレックスを持っている。そんな久美は、一生懸命野球に取り組むクラスメイト西原くんの姿に共感して、野球部のマネージャーを務めている。弱小野球部を一人で切り盛りしてきた久美のことを、西原くんも頼りにしていた。

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が、弱小だった野球部が甲子園を狙えるポジションまで来たとき、ミーハーな女どもが騒ぎ始める。それまで見向きもされなかった西原くんがいきなりモテはじめて、野球部にミーハー女どもがどんどん入り込んでくるようになった。

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久美は容姿コンプレックスをひどく刺激される。密かに好意を寄せていた西原くんが、ちょっと顔がいいだけのミーハー女に取られてしまうと、恐れおののく。

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そんな久美の心に、悪魔のささやきが忍び込む。眼鏡を外せという悪魔の声。醜い容姿のせいでモテないと思い込んでいた久美は、その悪魔の誘いに飲み込まれてしまう。

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ガッデム。眼鏡を外してしまった。西原くん以外の野球部の雑魚どもは、キレイになった久美をチヤホヤする。久美もチヤホヤされて有頂天になる。西原くんも自分のことを好きになってくれると勘違いする。が、それはもちろん、ただの勘違いだ。真のヒーローは、眼鏡を外した女に騙されることなどない。

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見よ、この西原くんの姿を。これこそ男の中の男だ。外面ではなく、しっかり人格を見ることができるのが、真の男だ。眼鏡を外してキレイになったとふざけた勘違いをしている女には、西原くんのセリフをそのまま叩き付けよう。「これがおまえの言う美人ってやつかよ。俺にとっちゃ今のおまえの方がよっぽど醜いぜ!」 これだ。これが世界の真理だ。男の中の男にしか扱うことのできないセリフだ。かっこいいぜ!
西原くんの力で世界の真実に気がついた久美は、悪魔の誘惑から逃れ出る。

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悪魔の力から逃れた直後の最後のシーンで眼鏡をかけ直していないのはすこぶる残念だが、必ず西原くんは眼鏡を持っていて久美にかけてあげるはずだ。

054_hyouこの作品の構造を、「眼鏡っ娘起承転結構造」と呼ぶ。左の表を見ていただければ、この物語構造の美しさが分かるだろう。単に物語構造として美しいだけでなく、主人公の人格の弁証法的発展を描く手法として、きわめて優れている。そのため、多くの作品にこの構造を認めることができる。「眼鏡を外したら美人」などという言葉が愚かな間違いであることも、この構造を元にして論理的に明らかにすることができる。「眼鏡をかけたまま幸せになる」のが、世界の真理なのだ。

■書誌情報

本作は40頁の短編。単行本『闇の天子』に収録。古本で比較的容易に手に入れることができる。

単行本:神谷悠『闇の天子』白泉社、1991年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第23回:米村孝一郎「POSSESSION TRACER」

米村孝一郎「POSSESSION TRACER」

富士見書房『月刊ドラゴンマガジン』1990年12月号~92年5月号

023_01オタク界で眼鏡っ娘萌えが一般化し始めたのは、コミケカタログのサークルカット全調査に基づくと、1995年のことだ。主な要因は2つ考えられて、一つはPlay Station等コンシューマ機のスペック上昇によって眼鏡描写が可能な解像度が実現し、ギャルゲーの中に必ず眼鏡キャラが登場し始めたこと。もう一つはCLAMPが少女マンガの眼鏡センスをオタク界にもたらしたことだった。その事情については別の機会に述べるとして、問題はその前の「暗黒時代」だ。

1980年代、一般作に『Dr.スランプ』という巨大な作品はあったものの、オタク界で眼鏡は非常に不遇な状態にあった。やはり高橋留美子作品に眼鏡っ娘がいなかったことが痛かった。さらにはサンライズアニメや麻宮騎亜作品にも眼鏡っ娘が登場せず、セーラームーンや格闘ゲーでも眼鏡はほぼ無視された。

そんな中、ひそかにエロマンガの世界で森山塔、ゲームの世界でGAINAXが眼鏡萌えの基礎を作り、その芽は『ホットミルク』誌で大きく花開こうとしていたのだが、90年代オタク界隈に眼鏡が前面に出てくるに当たって、本作のビジュアルイメージが果たしたブーストの役割は相当に大きいと思う。

023_02舞台は殺伐とした近未来。主人公の眼鏡っ娘=久音ひづかは、憑依補促能力者として心霊捜査課で活躍する警官。性格に一癖ある同僚たちと警察内部のセクト争いに辟易しつつも、惚れた男のために体を張って事件に立ち向かう。まあ、ぶっちゃけて言えば、この時点では大友克洋から士郎正宗の流れの中に位置づく作品のように見えていた。が、一つだけ完全な違いがあった。ヒロインが眼鏡っ娘であるという一点において、本作は特別だった。こんなカッコいい眼鏡っ娘は、見たことがなかった。ビジュアルはもちろんだが、活動的で前向きで、それでいてお茶目で人間味あふれる、キャラクターとして魅力的な眼鏡っ娘。伊達メガネなところはとても残念ではあるけれど、90年代前半のメガネ停滞感が、本作の存在によって救われているのは間違いない。眼鏡ルネッサンスまで、もう一息我慢の時期である。

同時期、90年代前半に『ホットミルク』の果たした役割については、改めて、るりあ046「ファントムシューター・イオ」や田沼雄一郎「プリンセス・オブ・ダークネス」などを題材に語りたいね。

■書誌情報

単行本:米村孝一郎『Possession Tracer』(富士見ファンタジアコミックス、1992年)

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