この眼鏡っ娘マンガがすごい!第114回:石渡治「LOVe」

石渡治「LOVe」

小学館『週刊少年サンデー』1993年35・36号~99年10号

少年マンガ誌の眼鏡っ娘は、21世紀に入ってからは見かける機会が増えてきたが、20世紀には大変な希少種だった。いちおう集英社では『Dr.スランプ』の他に桂正和作品や北条司作品のゲストキャラ等、なかなか素晴らしい眼鏡っ娘を散見することができるが、20世紀のサンデーは、御大のあだち充と高橋留美子が眼鏡っ娘をほとんど描かなかったことから、砂漠地帯と化していた。その中で一人気を吐いていたのが、石渡治である。『パスポート・ブルー』でも眼鏡っ娘が活躍するが、やはりなんと言っても「LOVe」が、質・量、共に素晴らしく、砂漠化したサンデーの中で貴重なオアシスとなっていた。

まず登場眼鏡っ娘キャラの数が、極めて多い。主要登場女性キャラの半分が眼鏡じゃないだろうか。まず冒頭で登場するのが、森岡真理。主人公の高樹愛(愛称ラブ)にテニスの手ほどきをする重要な役割を果たす。

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続いて、ラブが小笠原から本土に渡ったときに最大の味方になってくれるテニス部の副顧問、林村緑子(愛称ドリさん)。ドリさんは最後の最後までずっとラブの味方として重要な役割を果たす。

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このドリさんの強烈な存在感が、単行本6巻の表紙に現れている。全30巻の『LOVe』の中で、ドリさんが表紙を飾ったこの6巻だけ異彩を放っている。

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立体ですよ。眼鏡もしっかり作ってある。主人公のラブやライバルの洋平ですら立体化されなかったのに、なぜかドリさんだけ立体化された理由は、やはり眼鏡以外には考えられない。
さらに続いて、マキノ先輩の恋人ユカさん。

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ショートカットの眼鏡っ娘、かわいいのう。メガネくんと眼鏡っ娘のナイスカップルですよ。ちなみにこのマンガ、なかなかハイレベルなメガネくんも大量に登場する。
そして凄いことに、主人公のラブが、単行本21巻から眼鏡をかけはじめる。残念ながら変装用のダテメガネではあるが、作者はなんとか理由をつけてヒロインに眼鏡をかけさせたかったのだろう。

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その証拠に、背表紙のラブの顔が、単行本21巻から28巻まで眼鏡っ娘になる。わざわざ眼鏡のラブを描きたかったのである。
そして、インターハイのときの宿泊先の娘、ちなみちゃん。

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登場時からドジっ娘めがねである。この脇役に見えたドジ眼鏡っ娘が物語の最後の扉を開く重要な役割を果たすとは、誰も想像しなかっただろう。

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「パスポート・ブルー」でも見られるが、眼鏡っ娘をイジメてやろうという作者の裏返った愛情が見られる描写だ。とてもいい表情を描く。
そしてもう一人、実在した女子テニスプレイヤーのビリー・ジーン・キングは、物語のライトモチーフになっている。

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体格で劣る女子選手がテニスで男子に勝つ。そんな夢のようなことを実際に成し遂げたのが眼鏡女子だったという厳然たる事実。途中でラブが眼鏡っ娘になるのは、作中では変装と言い訳されていたものの、眼鏡っ娘こそが世界を制するという事実がそのような描写を促したはずだ。

本作は、前作「B・B」の主人公の娘が男に混じってテニスをするという話である。なぜ「B・B」はボクシングだったのに、「LOVe」はテニスなのか。ここまでくれば、理由は明らかだ。ボクシングは眼鏡をかけたままではできないが、テニスなら眼鏡をかけたままできるのだ。眼鏡を描くために、本作はテニスマンガになったのである。眼鏡っ娘全員がショートカットであることの意味については、敢えて考察しない。

単行本全30巻。
24巻の表紙は、眼鏡っ娘ラブの背後にさわやかメガネくん。そしてその背後に僧職系メガネくんというメガネぶり。神父メガネくん、さわやかメガネくん、僧職メガネくん、情報屋メガネくん、ラスボス系メガネくんなど、多彩なメガネくんのバリエーションにも注目だ。
全巻電子書籍で読むことができる。

Kindle版:石渡治『LOVe』(1-25)
Kindle版:石渡治『LOVe』(26-30)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第84回:CLAMP「魔法騎士レイアース」

CLAMP「魔法騎士レイアース」

講談社『なかよし』1993年11月号~96年4月号

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鳳凰寺風ちゃんは、眼鏡っ娘の歴史を考える上で絶対に忘れてはならない、決定的に重要な役割を果たしたキャラクターだ。現代眼鏡っ娘はここから始まったと言っても過言ではない。その重要性は、客観的なデータに明らかだ。コミックマーケット「カタログ」のサークルカット調査の結果を見れば、眼鏡っ娘の飛躍が鳳凰寺風ちゃんの活躍から始まったことは、一目瞭然なのだ。

084_08右のグラフは、コミケカタログに掲載されたサークルカット全てに目を通して描かれている眼鏡キャラの数をカウントし、全体に占める割合を算出し、開催回順に並べてグラフ化したものだ。赤の線が眼鏡っ娘比率の推移を示している。80年代半ばから90年代前半まで、眼鏡っ娘の暗黒時代が続いていることが分かる。80年代初頭に眼鏡っ娘比率がまだ高かったのは、オリジナル作品に眼鏡っ娘がいたからだ。しかし80年代後半から高橋留美子作品のアニパロがコミケを席巻するようになると、眼鏡っ娘の姿を見かけることはほとんどなくなってしまう。暗黒期は1990年代前半の「セーラームーン」と「ストリートファイターⅡ」全盛期も続く。悔しい。その停滞期をようやく打破したのが1995年夏であり、その突破口になったのが本作「レイアース」の眼鏡っ娘、鳳凰寺風ちゃんだった。1995年にはサークルカット全体に占める眼鏡っ娘の割合は0.92%だが、その約半数は風ちゃんだった。アニメの放映が1994年10月に開始され、翌年夏開催のコミケサークルカットに風ちゃんが大量に描かれたのだ。ここで突破口が開かれたことによって、後の眼鏡っ娘躍進が可能となった。彼女の活躍がなかったらどうなっていたかを想像すると、心底ゾッとせずにはいられない。

本作の構成の特徴は、TRPG的想像力から派生した「キャラクター有機体構造」にある。本作では、主要登場人物が「光/海/風」と3人いて、それぞれがある価値観を代表している。本作の場合、「光=道徳的/海=主意的/風=理知的」というように価値が割り振られている。そうすると、光と風が対立するエピソードは、一人の人間の心の中の「道徳的判断」と「理知的判断」の葛藤と相似的に読むことができる。逆にいえば、目に見えない人間の心の動きと葛藤を分かりやすく描写することは難しいが、価値観を擬人化して物語の中でキャラクター間の葛藤を描くことで、人間の心の葛藤を目に見えるように描くことが可能となるのだ。

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同じように、海と風の対立は、「主意的判断」と「理知的判断」の間の葛藤を表現している。

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キャラクター間の対立が具体的なエピソードで描かれることによって、読者の心の中に葛藤が惹起される。そしてキャラクター同士の和解と問題の解決は、一人の人間の心の統合と安静を意味する。一人の人間の心の構造とキャラクターの構造を相似的に組み立てることによって、物語自体に大きな説得力が付与されるのだ。
084_02このようなアイデアは本作が初めて採用したわけではなく、既に2400年前のギリシア時代に哲学者プラトンが『国家』によって明らかにした原理だ。少女マンガにおいても、80年代半ばの柊あおい「星の瞳のシルエット」(第48回で言及)等に見ることができる。また1990年代前半の竹本泉作品やギャルゲーで独自な進化を遂げたことにも言及した(第83回)。しかし本作が特に成功した要因は、90年代前半に説得力を持ち始めた「TRPG的想像力」と「少女マンガ技法」を組み合わせた地点に「有機体構造」を構想した点にあると思う。
「TRPG的想像力」の創造的意義については、磨伸映一郎作品に言及するなかで触れた(第50回)。TRPGでは、個性ある能力を持つキャラクターが「パーティ」を組む。この「パーティ」という概念と、プラトン的な「有機体構造」の発想は、非常に親和的だ。プラトンの理屈なんか知らなくとも、「パーティ」という概念を理論的に推し進めていけば、必然的に「有機体構造」に行く着くと言ってもよい。本作の3人組がTRPGの「パーティ」に当たることは、敢えて説明するまでもなく一目瞭然だろう。この「パーティ」の中に「眼鏡っ娘が一人いる!」という構成の、なんという説得力。
084_07そして、「3人組のなかに眼鏡っ娘が一人いる」という様式は、柊あおい「星の瞳のシルエット」を見ればわかるように、実は少女マンガではよく見る様式だった。松苗あけみ「純情クレイジーフルーツ」なり、わかつきめぐみ「グレイテストな私達」などを想起してもよい。CLAMPが「3人組のうち一人が眼鏡っ娘」という様式を採用したのは、少女マンガ技法の伝統を踏まえれば、必然だ。そしてそれによって、麻宮騎亜が「サイレントメビウス」でできなかったことを、CLAMPはやってくれた。「ガルフォース」や「バブルガムクライシス」ができなかったことを、CLAMPはやってくれた。高橋留美子がしてくれなかったことを、CLAMPはやってくれた。この「パーティのなかに、眼鏡っ娘が一人いる!」という説得力は、実は少女マンガ技法を踏まえなければ出てこなかったのだ。そしていったん説得力を持った技術は、普遍化する。CLAMP後は、あらゆるパーティの中に眼鏡っ娘の姿を見ることになるだろう、ありがたや。
(そういう意味で、前回で触れたように、少女マンガ技法を踏まえた竹本泉がいち早く「パーティ」に眼鏡っ娘を組み入れていた事実はとても重要なのだ。また、「セーラームーン」のパーティに眼鏡っ娘がいなかったことの意味は、それがTRPG的パーティではなく「戦隊」であったということか。)

さてしかし。もしもキャラクターが単に価値観を代表しているだけだったら、キャラは作者の操り人形に過ぎず、独立した人格と呼ぶに値しない。もしもそういうキャラであったら、我々はこれほどの魅力を風ちゃんに感じることはなかっただろう。風ちゃんが個性ある人格だからこそ、我々は風ちゃんに惹きつけられる。キャラクターが単なる価値の代表であることを超えるのは、「恋」の場面だ。

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うおお。めっちゃかわいい!
恋の瞬間、そこには価値観が擬人化されたキャラではなく、一人の人間がいる。我々はだからこそ、風ちゃんに惹かれる。CLAMPは、ちゃんとそのことも分かっていた。つくづく、すごいクリエイターだと思う。

■書誌情報

本編全3巻と、続編全3巻。新装版は新刊で手に入るし、旧版も人気があって大量に出回っているので、手に入れやすい。緑が風ちゃんの番。

新装版単行本全3巻セット:CLAMP『魔法騎士レイアース』完結セット
新装版単行本全3巻セット:CLAMP『魔法騎士レイアース2』完結セット

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第82回:竹本泉「トゥインクルスターのんのんじー」

竹本泉「トゥインクルスターのんのんじー」

白泉社『ヤングアニマル』1993年17号~

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1990年代初頭に竹本泉が男性向け媒体に進出したことは、個人的にはかなり衝撃だった。特に1993年に開始された本作のインパクトは、劇的に強烈だった。この1993年という年は、CLAMPが『なかよし』で「魔法戦士レイアース」の連載を始めた年でもある。『なかよし』でデビューした竹本泉が青年誌に進出したタイミングでほぼ同時にCLAMPが『なかよし』に侵入した事実は、少女マンガ技法と「萌え」の本質的な関係を考える上で、象徴的な意味を持つ。1993年の段階で、少女マンガ技法は一部の限られた数寄者の独占物を超え、広く一般化したのだ。少女マンガ技法の一般化は、「萌え」が一般化するための技術的前提となっていく。「萌え」というものを技術的に考える上で本作の持つ意味は計り知れないほど大きい。そしてもちろん、その重要性は本作のヒロインが眼鏡であることによって決定的になる。

082_02本作のヒロインは、眼鏡っ娘考古学者のノンノンジー18歳。舞台は西暦2264年だが、ちゃんと眼鏡は健在だ。ただノンノンジーは近眼というわけではなく、魔眼を封じるための暗示アイテムとして眼鏡を着用している。まあ、理由はどうでもよい。眼鏡っ娘であるという事実だけが決定的に重要だ。とにかく、この眼鏡っ娘が、かわいい。問答無用で、かわいい。作者が蓄積してきた少女マンガ技法が存分に発揮された、圧倒的なかわいさだ。これが、「萌え」だ。竹本泉の青年誌進出は、少女マンガ技法が決定的に「萌え」として定着した瞬間だった。少女マンガ技法の男性媒体への輸入が「萌え」の技術的前提となる。「萌え」という概念について様々な論者による様々な定義がなされてきたが、私から見ればそれは「少女マンガ技法が発する情報を処理しきれない男性視点が行う情報縮減」でファイナルアンサーであり、東浩紀が言うようなデータベース消費等の説明は残念ながらトンチンカンだ。東浩紀の言う「萌え要素」なるものの大半が少女マンガでは1970年代から既に存在していたことを視野に入れるだけで、物事の本質が見えやすくなる。

082_04さて、のんのんじーの潜在力は、10年後に出版された単行本の第2巻で遺憾なく発揮される。本編はいつもの竹本節なのだが、単行本に寄稿したゲストがものすごいメンツだった。50音順敬称略で、あさりよしとお、伊藤明弘、久米田康治、倉田英之、志村貴子、田丸浩史、鶴田謙二、中村博文、二宮ひかる、平野耕太、舛成孝二、陽気婢。一見して、眼鏡濃度の高い面子であることが分かるだろう。そして期待に違わず、眼鏡満足度はMAXだ。このゲストたちがノンノンジーを描き、竹本泉が各ゲストのリクエストにこたえてイラストを描く。この単行本2巻は、ノンノンジーという一つの作品であることを超え、眼鏡描画技術そのものを考察するうえで極めて示唆に富む貴重なカタログとなっている。のんのんじー2巻抜きでは眼鏡「萌え」というものを語ることは不可能だろうという、歴史的必須資料といってよい。扉絵の、のんのんじーコスプレ大集合とか、すごすぎる。指で目尻を下げて読子のマネをしているノンノンジーときたら、ああっ、もう!

ということで内容的にも形式的にも時期的にも「萌え」というものを考える上で極めて重要な作品であることは間違いない。そしてそんな作品のヒロインが眼鏡っ娘であるという事実について人々は真摯に受け止める必要があるだろう。

■書誌情報

いまのところ単行本2冊。初登場から20年経った今も完結していないが、今後どうなるのか?

単行本:竹本泉『トゥインクルスターのんのんじー』実質第1巻(白泉社、1994年)
単行本:竹本泉『トゥインクルスターのんのんじーEX』実質第2巻(白泉社、2004年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第74回:井原裕士「雪乃すくらんぶる」

井原裕士「雪乃すくらんぶる」

学研『コミックNORA』1993年7月号~95年9月号

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前回に引き続き、スーパーマン・オマージュの眼鏡っ娘作品だ。本作はヒロインの苗字が「倉久」となっており、誰がどう見てもスーパーマン・オマージュと分かる作りになっている。というわけで、普段は眼鏡で三つ編みのヒロインが、眼鏡を外して三つ編みをほどくと怪力のスーパーヒロインとなるのだった。が、物語冒頭でいきなり主人公の広崎くんに、正体がバレてしまう。

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眼鏡っ娘の正体を知った広崎くんは、愛する眼鏡っ娘を守るために身体を張って頑張るのだった。この広崎くんが、非常によくできた男だ。世間のボンクラどもは目の前の眼鏡っ娘の魅力に気が付きもせずに変身後の「白雪仮面」に夢中になっているのだが、広崎くんだけは眼鏡っ娘の魅力にしっかり気が付いている。だからこそ、主人公にふさわしい。彼はスーパーヒロインの眼鏡っ娘に釣り合う強い男になるために、努力を惜しまない。正体がばれそうになったときに臨機応変なアイデアで眼鏡っ娘を守る、その機知と機転とド根性が見事で、惚れ惚れとする。ここまで人間がしっかりできた男は、めったに見ない。こういう男とくっつけば、きっと眼鏡っ娘も幸せになれるだろう。

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ああっ、もう、かわいいなあ。幸せにしてやってくれよ、広崎!

074_04眼鏡描写の見所は、やはり黒のセルフレームを丁寧に描いているところだろう。21世紀以降はさほどレア感がないので見落としがちではあるが、90年代前半にこのようにセルフレームをきちんと描く作品は、ほとんどない。そして、見事に眼鏡が似合っている。かわいい。
もうひとつの見所は、意識的に「貼り付き眼鏡」を利用しているところだ。普段の描写でも多少の貼り付きは確認できるが、ギャグ顔になったときの貼り付き加減はすさまじい。これがアクセントになって、本物の悪人が出てこない世界観に説得力が付与されているように思う。

実はスーパーマン・オマージュ系はシリアスとコメディのバランスが難しいように思うのだが、本作は最後まで安心して楽しめる。眼鏡っ娘の日常が丁寧に描かれているためだろう。

■書誌情報

単行本全3巻。古書で手に入る。

単行本セット:井原裕士『雪乃すくらんぶる』(学研、全3巻)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第42回:竹崎真実「死に部屋」

竹崎真実「死に部屋」

朝日ソノラマ『ほんとにあった怖い話』1993年3月号~96年3月号

042_02第42回だから、「死に部屋」ね。
ということで本作はホラーマンガなわけだが、一般的にいって、ホラーと眼鏡の相性はあまりよくない。ホラーに眼鏡キャラが少ないわけではないものの、残念ながら不幸になってしまう娘が多いなど、あまり良い役割をもらえていないのだ。が、本作は幸運な例外と言える。眼鏡っ娘にして作者のマンガ家・竹崎真実が主人公を務めることにより、眼鏡っ娘の不幸を回避できたのだ。
そして本作が素晴らしいのは、主要舞台であるマンガ家の仕事場にやってくるアシスタントたちが、ことごとく眼鏡をかけているところにある。マンガ家とアシスタントの眼鏡っ娘たちが全てのページで躍動しまくり、ホラーなのになぜか心が躍ってしまう。特に奇跡的な構図は、右に引用したカットに見られる。奥からマンガ家・竹崎真実、同居人のねこち、アシスタントのHさんと並ぶ、これはまさに眼鏡っ娘三連星。眼鏡っ娘三連星は、現実にはコミケ会場やアニメイトといった腐女子が集まりやすい場所で稀に見かけることはあるものの、マンガのカットで目の当たりにすることはまずないといってよい。本作の場合は、現実にマンガ家とアシスタントが眼鏡っ娘ばかりだったという事実が作品に反映しているわけだが、それを眼鏡っ娘三連星の構図に昇華しえた作者のツキは相当のものがある。確実に作者の頭上には眼鏡の星がある。

作者が眼鏡の星の下に生まれた証拠は、作中にしっかり描かれている。なんと我々の御本尊さま(小野寺浩二『妄想戦士ヤマモト』を参照のこと)が、眼鏡っ娘の命を守るという奇跡的なエピソードが描かれているのだ。まず、眼鏡っ娘が遮光器土偶を購入するシーンが素晴らしい。

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042_01眼鏡っ娘は遮光器土偶に「メリーちゃん」という名前を付けて、部屋に飾ろうとする。しかし部屋はマンガ資料等で埋まっていて置く場所を確保できず、しかたなくメリーちゃんをトイレに鎮座させる。ところがなんと実は眼鏡っ娘の借りた部屋は恐ろしい「死に部屋」で、鬼門から悪い気が次々と溜まってくる場所にあった。眼鏡っ娘は「死に部屋」で次々と恐ろしい目に遭う。もしもメリーちゃんが存在していなかったら、眼鏡っ娘は呪い殺されていただろう。そう、実はメリーちゃんは「死に部屋」の悪い気を吸収して自分が犠牲になることにより、眼鏡っ娘の命を守っていたのである。「死に部屋」から引っ越しした眼鏡っ娘は、今度はトイレではなく仕事部屋にメリーちゃんを鎮座させたのだった。ありがとう、御本尊様! 今後もなにとぞ眼鏡っ娘に御加護を!

■書誌情報

単行本『死に部屋』に所収。古本では微妙にプレミアがついており、入手難度はそれほど低くはない感じ。

単行本:竹崎真実『死に部屋』 (ほんとにあった怖い話コミックス、1996年)

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