この眼鏡っ娘マンガがすごい!第123回:横谷順子「ハッピー♥プー」

横谷順子「ハッピー♥プー」

集英社『デラックスマーガレット』1980年1月号

本来なら「眼鏡de結婚式」が描かれているところに注目したいのだが、不本意ながらオナラに全部もっていかれてしまう問題作。
主人公の眼鏡っ娘マキは、眼鏡を外すと実は大人気女優のかずみ。しかし眼鏡っ娘マキのことを、誰も大人気女優だと気が付かないのだった。となれば、眼鏡をかけた本当の自分と女優である自分とのアイデンティティの葛藤がテーマとなりそうなものだが、本作は強烈な異彩を放っている。異彩というか異臭というか。マキは、おならをするのがくせになっているのだった。マキの放ったオナラでヤクザを撃退してしまうほどだ。

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そんなマキに、芸能記者の茂巳くんが近づく。最初は大女優かずみの取材をしようと思っていた茂巳だったが、だんだんマキと仲良くなっていく。マキは、茂巳の前では平気でオナラできるのだった。
ある日、喫茶店でマキと茂巳が二人でいるとき、マキがおならをしてしまう。そのときマキに代わって茂巳が喫茶店にいる客に謝罪する。

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いつもマネージャーにオナラをかばってもらっていたマキは、改めてオナラが他人の気分を悪くするということを自覚する。が、その自覚が悪い方に出てしまう。女優かずみとして記者会見しているとき、いつもなら自分がしたオナラをマネージャーがかばってくれるのに、無意識のうちに自分がオナラをしたと認めて謝罪してしまったのだ。清楚が売りだった大女優がオナラをしたということで、記者会見場は大騒ぎになる。
ここでヒーロー茂巳が男を見せる。

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茂巳はマキをかばう。が、マキにとってみれば、女優の「かずみ」ではなく眼鏡っ娘の「マキ」と名前を呼んだことのほうが驚きだった。誰も本当の自分に気が付かなかったのに、茂巳だけは自分に気が付いていたのだ。本当の私を理解してくれたことに感激したマキは、記者会見もそっちのけで、女優としてのキャリアを全て放り出して、茂巳に抱きつく。
物語はハッピーエンドを迎え、結婚式の場面。この結婚式が凄い。あの小野寺浩二ですら成し遂げられなかった眼鏡de結婚式なのだ。そしてまた、かずみとマキが同一人物だったことに茂巳が気が付いた理由が凄い。

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そして結婚式の真っ最中、いよいよ誓いのキスというときにも、オナラ。オナラで全部台無しになっているとはいえ、「眼鏡de結婚式」という実例が1980年に存在していることは事実としてしっかり押さえておきたい。

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■書誌情報

単行本『ほほえみベンチ』(集英社、1980年)所収。amazon古書でもヒットしないが、古本屋を丹念に回れば手に入ると思う。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第111回:太刀掛秀子「P.M.3:15ラブ♥ポエム」

太刀掛秀子「P.M.3:15ラブ♥ポエム」

集英社『りぼん』1975年10月号

111_01少女に眼鏡をもたらす男こそが少女マンガのヒーローにふさわしい。それを教えてくれる黎明期の名作だ。

主人公のアッキは、眼鏡っ娘。眼鏡をかけた自分の容姿にまったく自信が持てない。
そんなアッキは、入学式の帰り、P.M.3:15のバスに乗っていた男の子に一目惚れ。それ以来、3:15の男の子に会いたい一心で、毎日バスに乗っていた。
ここで注意したいのは、「メガネかけた顔みられたくなくて、あわててはずしちゃった」というモノローグだ。男の子の顔は見たいのに、自分の顔は見られたくない。つまり、眼鏡をかけなければいけないのに、眼鏡をかけたくない。これが本作の基本構造だ。

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ある日、3:15のバスに乗ろうと急いでいたが、誰かにぶつかって、眼鏡がポロリとはずれてしまう。ぶつかった相手の顔は近眼でまったくわからないが、佐田修くんというらしい。
そして次の日の朝、遅刻しそうになって、走ってバスに間に合ったアッキだったが。

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佐田くんに声をかけられるが、ここでもアッキは佐田くんの顔を見ていない。必死に走ってきて、汗でレンズが曇ってしまって、眼鏡を外していたのだった。
で、もちろんアッキが一目惚れしたP.M.3:15の男の子の正体は、実は佐田修くんなのだ。しかし、佐田くんと会うときはいつも眼鏡を外していて顔をちゃんと見たことがなくて、二人が実は同一人物だったとは気がつかなかった、というわけだ。
そんなピントがズレた状態を打破するのは、もちろん眼鏡だ。
まずアッキの中で次第に佐田くんの存在が大きくなっていく。P.M.3:15の男の子は外見に対して一目惚れしただけだったが、ちゃんと眼鏡を通して顔を見たことがない佐田くんに対しては、外見など関係なく、その素直で包容力のある優しい性格を好きになっていく。だんだんどっちのことが好きなのか、わからなくなっていくアッキ。しかしある日、佐田くんがいるところで、友達にP.M.3:15の男の子のことをバラされてしまう。P.M.3:15の男の子と佐田くんが同一人物だとは夢にも思わないアッキは、秘めた想いを佐田くんに知られてしまったことに動揺し、眼鏡を部室に置いたままで飛び出してしまう。
佐田くんは、置き去りにされた眼鏡に、もちろんすぐ気がついた。次の日、佐田くんは眼鏡を持ってバス停に行く。ここからの眼鏡展開が素晴らしい。眼鏡をもたらす男こそが、真の少女マンガのヒーローということが明らかに示されるのだ。

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眼鏡を渡されたアッキは、ここで初めて眼鏡のレンズを通して佐田くんの顔を見る。

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眼鏡をかけて、初めて真実が焦点を結ぶ。実は佐田くんがP.M.3:15の男の子だったのだ!
そして佐田くんのセリフ。「メガネの中のおっきな目とさらさらの髪の毛がかわいいなって」。実は佐田くんは、メガネスキーだったのだ!
111_06ここで注意したいのは、この場面で「眼鏡で見る」ことと「眼鏡を見られる」ことが同時に実現しているという事態である。それは「ほんとうの世界を見る」ことと「ほんとうの私を見られる」ことが同時にしか成立しないことを示唆している。それまで物事がうまくいかなかった原因は、「眼鏡を見られたくない」という間違った考えから「眼鏡で見ない」という間違った行動をとってしまったことにあった。眼鏡をかけないのは、世界の真実から目を背けることであると同時に、ありのままの私を否定することである。外に対して偽ることは、同時に内に対しての偽りとなる。眼鏡をかけないことは、二重の裏切り行為なのだ。物事がうまく運ぶわけがない。そこに眼鏡をもたらし、自分自身と世界の真の姿を回復させるのが、少女マンガのヒーローの役割だ。男の中の男は、少女の眼鏡を外す馬鹿野郎ではなく、少女に眼鏡をもたらす者だ。それをこの作品は教えてくれる。

■書誌情報

本編は35頁の短編。同名単行本に所収。単行本は絶版になっており、amazonで見た限り、かなりのプレミアがついていて入手は困難かもしれない。作者の太刀掛秀子については、第11回でも扱った。非常に繊細で美しい絵を描く作家で、中村博文さんが模写を繰り返したと聞いて、妙に納得したのをよく覚えている。

単行本:太刀掛秀子『P.M.3:15ラブ♥ポエム』集英社りぼんマスコットコミックス、1976年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第108回:まつもとあやか「BABY BABY BABY!!」

まつもとあやか「BABY BABY BABY!!」

集英社『クッキー』2009年6月号

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こんなん、表紙見たら買うだろぉ。長くて黒い艶やかな髪の毛で輪郭がきっちり区切られた端正な顔立ちに、シャープな眼鏡。目力の強い、鮮烈なクールビューティ。一瞬で恋に落ちるわ。
ということで、いつも女のことしか考えていないオツムの軽いバカ男が、眼鏡っ娘に一目惚れするお話。眼鏡っ娘は、男が語っていた「理想のタイプ」とは全く違うのだが、こんなん見たら惚れてまうのも仕方がない。ということで告白するが、もちろん一瞬でふられる。

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適当にあしらう感じもクールでかっこいいねえ。ますます惚れてまうやろ。
が、男はあきらめきれず、美術室で絵を描いている眼鏡っ娘のところにおしかける。まんまと絵のモデルになることに成功して、ちょっとずつ距離を縮めていくのだが。実は眼鏡っ娘は美術部顧問の先生のことが好きだったのだよ。

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いい表情だなあ。

さて、まあ、なんとなくの印象なんだけど、本作に限らずマンガで描かれる眼鏡っ娘って、怖い顔の男とか不良気味のオツム軽い男とくっついちゃう傾向にあるような気がする。個人的には眼鏡っ娘には真面目な男とつきあって幸せになってほしいので、軽くていい加減で浮気を繰り返しそうなヤンキーといい感じになるのはもったいなすぎて悔しい気がするんだけれども。まあ、そういう物語が求められる何らかの世間的な傾向があるということだろうから、私が悔しがっても仕方がない。むしろ、きちんと客観的に分析しておく必要がある事案として理解しておくべきだろう。
そんなわけで、この物語でも、軽くていい加減な男と眼鏡っ娘がいい感じになっていくんだな。まあ、眼鏡っ娘が幸せになってくれるんなら、応援するしかないがな!

さて、ところで。けっこうびっくりしたのが、同時収録の別作品「とらとマシマロ!」でも眼鏡っ娘がヒロインになっているのだが、これが「BABY BABY BABY!!」のクールビューティ眼鏡とは真反対のちんちくりん眼鏡っ娘ということだ。

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同じ作者が描いた眼鏡っ娘とは思えないほど、印象に落差がある。ちんちくりん三つ編み+まんまる眼鏡の眼鏡っ娘。で、こちらも恋の相手も、数千人の暴走族を一人で仕切っていたという伝説を持つ極めてマッドマックスな男だったりする。ホームレスのジジィや鼻ピアスでタトゥーまみれの極悪ヤンキーが角材を振り回しながら画面を埋め尽くしたりして、少女マンガとして見るとちょっと不思議な作品に仕上がっているが、小動物のような眼鏡っ娘はすこぶる可愛い。

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というわけで、一冊の単行本の中にクールビューティ眼鏡とちんちくりん眼鏡が同居していて、その落差がけっこう心地いい。世間的にはどっちのタイプの眼鏡っ娘が人気あるのかのう?

■書誌情報

「BABY BABY BABY!!」は36頁の短編。「とらとマシマロ!」は32頁の短編。どちらも単行本『BABY BABY BABY!!』に収録されていて、電子書籍でも読める。

Kindle版:まつもとあやか『BABY BABY BABY!!』集英社、2011年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第107回:岡本美佐子「つむじまがり」

岡本美佐子「つむじまがり」

集英社『ぶ~け』1978年10月号

眼鏡が繋げた恋の物語。ヒーロー江崎くんの眼鏡フェチぶりに注目の作品だ。

眼鏡っ娘のちひろは高校2年生。中学生の時の失恋を引きずって、素直になることができない。人気者の江崎くんに対しても、当たりがキツくなってしまう。

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ある日、ちひろと江崎くんが図書室で衝突していたところ、不意に外れて落ちた眼鏡を、通りがかった男子が踏みつけて壊してしまう。ここで江崎くんが見せた対応に注目していただきたい。

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「めがねはおれが弁償するよ」から、間髪入れずに「放課後いっしょに買いに行こうぜ」のコンボ。相手に考慮させるヒマを与えずに、あっという間にデートに持ち込む、このテクニック。眼鏡を媒介にしたからこそ自然に成立している技術を、我々も積極的に見習っていきたい。
そして放課後めがねデート。

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自分の思い通りの眼鏡をかけさせ続ける江崎くん。作品が発表されたのが1978年ということで、まだ「眼鏡フェチ」という言葉は存在しなかったが、彼はどこからどう見ても明らかに眼鏡フェチだ。こうして江崎くんは、自らの理想通りの眼鏡っ娘を作り上げることに成功する。
しかし。江崎くんに惚れていた非-眼鏡の女が、意地悪な邪魔に入る。意地悪女がちひろに「江崎くんは誰にでも優しい。好きじゃない女にも優しいんだ。勘違いするな」と横やりを入れたところ、中学生の頃のトラウマを刺激されたちひろは、眼鏡を受け取らずに逃げ帰ってしまう。翌日、ちひろは江崎くんが選んだのとは別の眼鏡をかけて登校する。

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理想の眼鏡っ娘を失った江崎くんの抗議を見てほしい。「どうしたんだよそのめがねは」というセリフに、俺が選んだ眼鏡が一番似合うんだという自信と信念がみなぎっている。江崎くんが自分の選んだ眼鏡をちひろにかけさせようとしたとき、また非-眼鏡女が邪魔に入る。邪魔女は江崎くんの気を引こうとして、二人の間に割って入る。しかし江崎くんはブレない。非-眼鏡女を「あんたは向こうへ行っててくれ!」と追い返し、眼鏡っ娘が最も大事なんだという姿勢を明確にする。そして改めて自分が選んだ眼鏡をかけてもらうべく、告白モードへ。

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自分が選んだ眼鏡をかけてもらうことが、江崎くんにとってのプロポーズなのだ。意地を張っていたちひろも、ようやく江崎くんの熱意を受け入れ、眼鏡をかける。
眼鏡のおかげで過去のトラウマを克服したちひろ。一人の男が眼鏡に込めた信念がトラウマを超えて恋を成就させるという、胸熱の恋愛物語である。

■書誌情報

本作は31頁の短編。単行本『流星あげる』収録。絶版になっており、数も出ておらず、そこそこ手に入りにくそう。古本屋で見つけたら100円で売っていると思うが…

単行本:岡本美佐子『流星あげる』集英社ぶ~けコミックス、1981年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第105回:日向まひる「I miss you 後ろの席の厄介な男」

日向まひる「I miss you 後ろの席の厄介な男」

集英社『デラックスマーガレット』1996年5月号

不器用で意地っぱりな女の子が、眼鏡をきっかけに素敵な男子と知り合い、眼鏡をきっかけに仲良くなる、ハートフル恋愛マンガ。眼鏡っ娘の眼鏡を素直に褒めるといいことがあると教えてくれる道徳的教材として最適だ。

眼鏡っ娘のマリ子は高校2年生。新学期で学年がひとつ上がり、後ろの席になった男子に話しかけられるが、眼鏡をネタにされてしまう。

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まず、べっこう縁の眼鏡が丁寧に描かれていて、素晴らしい。描くのが大変だから、マンガでべっこう縁を見ることはめったにない。そしてマリ子が「このメガネ気に入ってんだからっ」と叫ぶのも素晴らしい。この時点で既に勝利の予感がするだろう。
後ろの席の手塚くんの眼鏡いじりは、さらに続く。クラス議員を決めるとき、颯爽と立候補した手塚くんは、相方としてマリ子を指名する。その指名の理由がすごい。

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うむ。見た目が委員長だから、委員長。『To Heart』で見たようなエピソードだが、おそらく本作では手塚くんの「方便」のような気がする。手塚くんはきっとマリ子と仲良くなりたくて、こんな手を使ったのだ。
そんなこんなで、ちょっかいをかけてくる手塚くんに対して、マリ子は当初はいい印象を持っていなかった。が、そんな悪い印象を大逆転させるきっかけを作ったのは、やはり眼鏡だ。

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手塚くんにイジられるのがイヤで眼鏡をはずして園芸部の活動に励むマリ子。眼鏡を外して美人になるなんてことはなく、やぶにらみになって怖い顔になっているというエピソードもちゃんと挟んであって素晴らしい。そこにやってきた手塚。またイジられるかとおもったマリ子だったが、手塚くんの台詞は予想外のものだった。「あのメガネは?」

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ここで炸裂する手塚くんの決め台詞を見ていただきたい。「よく似合ってるから」。これだ。眼鏡の女子にかけるべき言葉は、これだ。これ以外にない。マリ子の反応を見よ。眼鏡が似合っていることを褒められていやな気持ちになる女子がいるわけがない。
そして手塚くんは、マリ子が眼鏡のままでいてくれるよう、たたみかける。眼鏡の着脱を繰り返すと視力低下が進行することを理論武装として、眼鏡をかけ続けるよう説得するのだ。

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「ずっとかけてるほうがいいと思うなっ」と言われたときの、マリ子の気持ちの動き、この表情。一瞬で恋に落ちている。キュンキュンきている。眼鏡をかけ続けてほしいと言うと、女子はキュンとするのだ!

我々も手塚くんを見習って、眼鏡っ娘には「ずっとかけてるほうがいいと思うな」と積極的に声をかけていきたい。眼鏡をかけるよう女子を励ますことが、人としての正しい道なのだ。

■書誌情報

本作は60頁の短編で、単行本『むすんでひらいて』所収。なかなか素直になれない若者たちのハートフルな恋愛物語ばかりでキュンキュンするのだぜ。古本で比較的容易に手に入る。

日向まひる『むすんでひらいて』集英社マーガレットコミックス、1997年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第103回:岡野小夏「HANZO」

岡野小夏「HANZO」

集英社『りぼん』2011年4月~6月号

これ、なんてエロゲ?という少女マンガ。こんなエロゲが『りぼん』で連載されるとは時代も変わったなあ……と思いつつ、振り返ってみれば、『りぼん』は昔から岡田あーみんとか一条ゆかりの発狂系とかを載せてしまうようなアグレッシブでアバンギャルドな雑誌ではあった。

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さて、ヒロインの眼鏡っ娘くるみは中学2年生貧乳。気合いの入った乙女ゲーマニアで、いつもポータブルゲーム機を持ち歩き、常にフェイバリット乙女ゲーム「戦国鬼」をプレイしている。一番のお気に入りは忍者の服部半蔵さまだ。要するにオタク。ある日、くるみは不良グループにゲーム機を取り上げられてしまうが、颯爽と現れた超美人の服部なでしこに助けられる。
超美人でスタイル抜群の服部なでしこだったが、なんとその正体は忍者の上に、くしゃみをすると性転換して男になってしまう特異体質の持ち主だった。そして男になったなでしこは、憧れの服部半蔵さまそっくり。くるみは、いけないと思いつつも、男になったなでしこに心を鷲掴みにされていくのだった。そして何回か性転換を繰り返すうちに、どんどん女でも良くなっていって、怒濤の百合展開がはじまる。

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二人が一緒に温泉に入るシーンなど、なでしこが少女マンガ誌には絶対に出てこない類のエロゲ的超巨乳グラマーで、辛抱たまらずに「これなんてエロゲ!?」と叫ぶこと必至。温泉シーンでは、くるみも眼鏡をかけたまま入浴するなど、よくわかってらっしゃる。『りぼん』掲載作品なのに、9ページに渡って温泉セクシーシーン。なんだこれは。ありがとう。
二人が海でデートするとき、くるみが結婚を妄想するシーンなども、とても秀逸。

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海で水着なのに眼鏡をかけたままなど、非常にすばらしい。妄想の中では眼鏡をかけたまま白無垢で、『りぼん』読者の大部分を占めるであろう小学生女子への啓蒙が期待される。結婚式は眼鏡をかけたままでいいんだぜ。
そんなわけで、一切の毒がなく、眼鏡+忍者+百合が最後まで楽しめる、心地よい作品だ。

思い返してみると、忍者はともかく、眼鏡と百合の相性はすこぶる良いような気がする。経験的には、優れた百合作品には眼鏡っ娘がよく出てくる印象が強いが、なにか理論的な根拠があるかもしれない。百合と眼鏡の関係理論については、具体的な作品レビューを積み重ねる過程で帰納的に明らかにしていきたい。

■書誌情報

同名単行本全1巻。単行本は容易に手に入るし、電子書籍で読むこともできる。単行本オマケのページのノリなど、少女誌ではなくエロマンガの匂いがぷんぷんするぜ。
Kindle版・単行本:岡野小夏『HANZO』りぼんマスコットコミックス、2011年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第99回:山岸凉子「ミスめがねはお年ごろ」

山岸凉子「ミスめがねはお年ごろ」

集英社『りぼんコミック』1970年2月号

1970年発表作。眼鏡っ娘をヒロインとした、極めて早い時期の作品だ。しかしこの時点ですでに「乙女ちっく眼鏡っ娘」の原型が見えるところが興味深い。眼鏡っ娘が、歴史的登場時点から既に「眼鏡のまま愛される」という存在だったことは、世間にもっとよく知られてよい事実だ。

ヒロインの近藤咲子ちゃん(通称さっちゃん)は眼鏡っ娘。両親が亡くなり、父親の友人の家庭に引き取られることとなった。その家の息子・真一との恋愛物語だ。まずは絵に注目したい。

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しっかり観察すると、眼鏡の描写が実に素晴らしいことが分かるだろう。まず横顔を見ればわかるように、「貼り付き眼鏡」にはなっていない。さすが山岸凉子、正確なデッサンだ。そしてこの時点で既に「ズレ眼鏡」であることにも注目必至だ。少年・青年マンガでは「ズレ眼鏡」はほとんど描かれることがなかったが、1990年代半ば以降に少女マンガ技法が男性向メディアに採用されて以降、急速に「萌え」として認識されていく。しかし少女マンガにおいては、45年前から既に「ズレ眼鏡」だったのだ。推測するならば、少女マンガ特有の大きな瞳に似合う眼鏡を描こうと思うと、眼鏡をまんまるに大きく描くか、ズラすか、どちらかの選択肢しかない。山岸凉子はズラす方を選択したということか。

ストーリーも興味深い。まず注意したいのは、「眼鏡を外すと美人」というエピソードが露骨に描かれている点だ。

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いじわるなライバルに球技でボールをぶつけられたはずみに、さっちゃんの眼鏡が吹っ飛ぶ。しかしそれをきっかけとして、さっちゃんが美人だったことが発覚するのだ。眼鏡を外して美人になるなどとは物理的にはありえないのだが、マンガだから仕方がないと我慢しよう。問題は、「眼鏡を外して美人」になったとして、そのまま「幸せ」になるかどうかだ。そう、眼鏡を外して美人になったとしても、それがそのまま恋愛成就に結び付くことはない。結論から言えば、さっちゃんは眼鏡をかけて幸せになる。

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さっちゃんは誕生日プレゼントにコンタクトレンズをもらう。1970年時点のコンタクトレンズだから、宝石ほどに高価なものだっただろう。しかし我らがヒーロー真一は、コンタクトレンズを拒否し、さっちゃんに眼鏡をかけさせる。そして決め台詞で物語を見事に終わらせるのだ。「ぼくはミスめがねのそぼくなさっちゃんが大好きさ!!」
099_03これだ。外見にしか興味がない世間のボンクラ男どもがさっちゃんの眼鏡を外そうとするのに対し、真のヒーローである真一は「眼鏡ゆえの魅力」に気が付いている。眼鏡がさっちゃんの人格の一部であることをしっかり認識しているからこそ、眼鏡のままのさっちゃんを受け入れるのだ。眼鏡が人格の一部になっていることは、右の引用図に明らかなように、作中でもきちんと描かれている。さっちゃん本人は眼鏡をコンプレックスに思っているが、それこそが「自分自身の本質」と深く関わっている。「あたしとめがねとはきりはなせない」という、アイデンティティ認識。少女の人格性を可視化したものこそが、まさに眼鏡なのだ。だから、眼鏡をそのまま承認し、少女の人格性をそのまま包み込むことが、少女マンガのヒーローの条件となる。少女マンガは、実は当初からそういう眼鏡っ娘を描き続けてきている。「眼鏡を外して美人」になる描写が存在することも事実であるが、それがそのまま恋愛成就に直結せず、最終的に「眼鏡をかけて幸せになる」ことはしっかり認識されねばならない。

そんなわけで、本作は眼鏡っ娘の描かれ方を考える上で極めて重要な事実を示している歴史的な作品だ。しかも山岸凉子の作品ということで、たいへんな説得力を併せ持っている。いまでも「眼鏡を外して本当の私デビュー」などという愚か極まりない考えを持つ者がいるが、そんなものは1970年時点で完膚なきまでに否定されていることは声を大にして主張したい。眼鏡っ娘は眼鏡をかけたまま幸せになる。これが世界の真理だ。

■書誌情報

本作は39頁の短編。単行本『アラベスク第1部2巻』に所収。実は入手はそれほど困難ではない。「かってに改蔵」の第85話「めがねっ娘、世にはばかる。」にも本作が言及されている。

単行本:山岸凉子『アラベスク』第1部2巻(花とゆめCOMICS、1975年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第92回:清原なつの「花岡ちゃんの夏休み」

清原なつの「花岡ちゃんの夏休み」

集英社『りぼん』1977年8月号

092_02全てのマンガ家は一人一人かけがえのない個性を持っていて、誰もが交換の効かない存在ではあるけれども、やっぱりその中でも特に際立って特別な存在感を放つ作家がいる。清原なつのは、そういう作家の一人だろう。その理由の一つは、おそらく「性」の匂いにあると思う。特に『りぼん』という少女誌で徐々に性の匂いが排除されていくなかで(まあ一条ゆかりという鬼才は別として…)、清原なつの作品が醸し出す「性」の匂いは鼻腔の奥に残る。
そんな清原なつのが眼鏡っ娘を大量に描いているのは、おそらく偶然ではない。清原なつの作品の眼鏡っ娘を通覧して気がつくのは、共通して「大人の女になることを拒否している」ということだ。ただ「大人になる」ことを拒否しているのではなく、「大人の女になる」ことを拒否しているのだ。右の引用図のモノローグでは、母親が言う「女は嫁にゆけばいい」という世間的意見に反発している。眼鏡っ娘たちは、世間が圧力をかけてくる「女」のイメージに反発している。彼女たちの眼鏡は、自分の心を世間の圧力から守るバリケードなのだ。しかしそれにも関わらず、彼女たちの心と体は自然と「大人の女」へと変化していく。そして女性の体は、ある時期に至れば不可逆的に大人になったということを自覚させるような仕組みにできている。その心と体の危ういアンバランスが同居した存在を「少女」と呼ぶのであれば、清原なつのほど「少女」を描ききった作家は他にいないのではないか。

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092_04清原なつのと同時代の『りぼん』では、田渕由美子・太刀掛秀子・陸奥A子など「乙女チック」が活躍していた。「乙女チック」にもそれぞれ個性があるが、ここで描かれる「少女」は共通して観念論的だ。悪い意味で言っているわけではなく、それぞれ観念論的に完成度が高いことは本コラムでも解説してきた(端的に言えば「眼鏡っ娘起承転結理論」はまさにドイツ観念論、特にヘーゲル弁証法に比定できるということ)。それに対して清原なつの作品には、一つとして「眼鏡っ娘起承転結理論」に当てはまる作品が存在しない。それは清原なつの作品が観念論を採用せず、常に身体性を伴いながら物語を紡いでいることを意味する。清原なつの作品から匂い立つ「性」の源泉は、観念論を拒否した身体性にある。そうしてみると、彼女たちがかけている眼鏡は、世間の圧力からのバリケードであると同時に、彼女たちの身体を内側から変化させる力をなんとか押しとどめるための抵抗の象徴でもあるだろう。それはつまり、眼鏡が「少女」の象徴であることを意味する。外圧と内圧に挟まれたところに、レンズがある。世間がイメージする「女らしい女になれ」という外圧と、DNAに制御された身体の内側から「女になれ」という内圧、その真ん中に眼鏡のレンズがある。彼女たちの眼鏡は、彼女たちの「少女性」を体現している。「少女」を描く清原なつの作品に眼鏡っ娘がたくさん登場するのは、もはや必然と言える。

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■書誌情報

092_01単行本『花岡ちゃんの夏休み』所収。続編の花岡ちゃんシリーズとして、同単行本所収の「早春物語」と、『3丁目のサテンドール』所収の「なだれのイエス」がある。
初単行本の『花岡ちゃんの夏休み』には花岡ちゃん以外にも眼鏡っ娘がたくさん登場し、清原なつのといえば眼鏡っ娘という印象がついた。りぼんコミックスのほか、ハヤカワコミック文庫にもなっている。

単行本:清原なつの『花岡ちゃんの夏休み』(りぼんマスコットコミックス、ハヤカワコミック文庫)

 

 

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第91回:松乃美佳「ビターな恋を攻略せよ」

松乃美佳「ビターな恋を攻略せよ」

集英社『りぼん大増刊号』2003年春

眼鏡で「委員長」というと、一般的には保科智子のように男性向メディアで人気が出たキャラクターを思い浮かべるかもしれない。しかし実は少女マンガにも眼鏡で委員長の魅力的なキャラクターがたくさん主人公として登場することは、もっと広く認知されていいように思う。本作も、眼鏡で委員長でツンデレなヒロインが健気に頑張る話だ。

ヒロインの長岡手毬は、眼鏡っ娘委員長13歳。抜群の学力で一目を置かれている存在だが、密かにサッカー部の矢田部くんに恋をしていた。いつもグラウンド脇で読書するふりをしながら谷田部くんを応援していたのだった。

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しかし手毬ちゃんは不器用で、好意を素直に伝えることができない。それどころか矢田部君が近づくとパニックに陥って逆に悪態をついてしまう始末。素直になれない手毬ちゃんは、谷田部くんのいつも素直なところに惹かれていたのだった。そんな手毬ちゃんを見かねた親友が、おせっかいを焼いて、なんとか手毬ちゃんを素直にさせようとする。しかし、ようやくうまくいったと思ったところで、やはり素直になれない手毬ちゃん。だがここは谷田部くんが、さすがに少女マンガのヒーロー。しっかり男を見せる。

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委員長の視線に、谷田部くんはしっかり気が付いていた。素直に言葉を出せない手毬ちゃんの気持ちも、レンズを通した視線によってしっかりと伝わっていたのだ。おめでとうおめでとう!

091_02本コラムで何度も指摘してきたが、これが眼鏡の力だ。眼鏡とは「見る意志」を象徴している。そして物語の中では、眼鏡は「読者の視線をコントロールするアイテム」として機能する。上に引用した絵では小さくてわかりにくいが、樹の傍に座って矢田部君を見ている委員長の顔に眼は描かれていない。眼鏡だけが描かれている。手毬ちゃんの「視線」は、眼鏡によって可視化されている。そして視線が眼鏡によって可視化されることにより、読者のほうも手毬ちゃんの視線をしっかり認識することができる。谷田部君の「視線が俺のはげみになっていた」というセリフは、こうした積み重ねがあって、初めて説得力を持つのだ。
口では嫌いと言っても、眼鏡は嘘をつけない。レンズを通した視線は、いつも真実を伝えている。眼鏡委員長の魅力は、そんなところにもある。

■書誌情報

本作は42頁の中編。単行本『あいレベル』に収録。新刊では手に入らないようだが、単行本が大量に出回ったので、古書で比較的容易に手に入る。

単行本:松乃美佳『あいレベル』(りぼんマスコットコミックス、2003年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第89回:藤井明美「やさしい悪魔」

藤井明美「やさしい悪魔」

集英社『別冊マーガレット』1996年11月号~97年5月号

9年ぶりにイケメンになって帰ってきた幼馴染がメガネスキーだったという話。
ヒロインの十子(とうこ)は、女子高生眼鏡っ娘。ドイツに行っていた幼馴染のワタルが9年ぶりに帰ってきた。幼いころはチビで泣き虫だったワタルが、高身長のイケメンになっていた。そんなワタルが、なにかにつけ十子にちょっかいをかけてくる。たとえば、こんな感じ。

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自分の容姿に自信のない十子のほうは、ワタルの言動を嫌がらせのように感じてしまう。が、ワタルにしてみれば、心から出た素直な発言に過ぎない。ワタルは単にメガネスキーで、十子に眼鏡をかけ続けてほしいだけなのだ。何の裏も悪意もない。しかし十子はその事実に気が付かない。このすれ違いのモヤモヤが物語全編を貫いている。そう、これはメガネスキーの真っ直ぐな好意が実は眼鏡っ娘にはなかなか届かないということを描き切った物語なのだ。
なんやかんやで、なんとかワタルと十子がいい感じになり始めた時、恋のライバル、エリカが登場する。このライバルが、十子にやたら厳しい。まず初対面が酷い。

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ひでぇ言われようだ。小学生ならともかく、高校生にもなって「メガネザル」と言われてしまうとは。この十子の表情、本当にショックだったんだね。
しかし本当に素晴らしいのは、これを受けたワタルの発言だ。

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そう、論理的に言えば、メガネザルが眼鏡をとったら、ただのサルだ。論理的真実を言っているだけのワタルには、悪気はない。十子にずっと眼鏡をかけていてほしいから言っただけだ。が、ショックを受けた十子のほうには、ワタルの真意がわからない。エリカに引っ掻き回された十子は、コンプレックスをこじらせていく。眼鏡っ娘はメガネであるというだけで十分に魅力的だということに、十子自身はなかなか気が付かないのだ。メガネスキーと眼鏡っ娘の間には、いかに障害が多いことか。
が、ワタルは男を見せた。メガネスキーの誠意は、最後には眼鏡っ娘に届く。すべてのメガネスキーの誠意は、きっと眼鏡っ娘に届く。そんな勇気をくれる物語だ。

■書誌情報

単行本全1巻。人気があって大量に出回ったので、古書で容易に手に入れることができる。

単行本:藤井明美『やさしい悪魔』(マーガレットコミックス、1997年)

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