この眼鏡っ娘マンガがすごい!第7回:舟木こお「メロウ・シトロン」

舟木こお「メロウ・シトロン」

秋田書店『ボニータ』1978年7月号

主人公の倉本久里は、そばかすも気にしてしまう眼鏡っ娘。イケメンの王子様に恋をしたけれど、そばかすと眼鏡にコンプレックスがあって、とてもじゃないけど告白なんかできない。遠くから見ているだけで満足。しかし美人の友達から、メガネを外すとかわいいと言われて、ついその気になってしまう。

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しかし、めがねをはずすとかわいいなんて、友達が本気で言っているわけではない。適当に口からデマカセを言っているだけで、そんなデタラメを真に受けるとバカを見る。実際、久里はメガネをはずして頑張ってみるが、王子様が気にかけてくれるはずもない。勘違いしたままメガネをはずして頑張る久里に対し、王子様と同じ部活で頑張っている正直な風間くんが、世界の真実を教える。

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「久里っぺって、めがねはずすと、まのぬけた顔になるなあ」

そんな風間くんの正直な言葉に久里は逆上するが、それは誰がどう見ても間違えないようのない世界の真実だ。眼鏡っ娘がメガネをはずして美人になるわけがない。まのぬけた顔になるのだ。メガネをかけていたほうが、絶対にかわいいのだ! 風間くん、正解!

久里はメガネなしで頑張ろうとするが、王子様にふられ、正直な風間くんのまっすぐな言葉に救われて、ようやく世界の真実に気が付き始める。風間くんは、ふたたび久里にメガネをかけさせる。

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「やっと久里っぺらしくなった。にあうぞ」。そうだ、眼鏡っ娘は眼鏡をかけてナンボなのだ。眼鏡の自分を応援し続けてくれる風間君のおかげで、久里はコンプレックスを解消し、ありのままの自分を受け入れることができるようになったのだった。めでたしめでたし。
そして風間くんは、なんで久里にメガネをかけてほしかったのか。実は風間くんは子供の時に絵本で見た眼鏡っ娘に恋していて、そのキャラクターに久里がそっくりだったのだ。そう、風間くんは筋金入りの眼鏡っ娘好きで、その恋を現実のものとした勇者だったのだ! 世界は、こうあってほしい。

■書誌情報

単行本:舟木こお『あこがれかよい路』  (プリンセス・コミックス、1979年)に所収。

私が確認した時点では1,300円くらいにプレミアがついていたが、古本屋を丁寧に回れば100円で手に入るはず。ちなみに作者ご本人のtwitterアカウントをみつけてプロフィールを確認したら、ご本人はどうも男性らしく、作品が乙女チックの塊だったから、そこそこ驚いた。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第6回:中原みぎわ「恋なんてできっこない」

中原みぎわ「恋なんてできっこない」

小学館『少女コミックCheese!』2002年1月号~6月号増刊

006_01この作品の最大のみどころは、一人の少女が主体性を獲得して成長する様子が、メガネを通じてあますところなく表現されているところである。

主人公の杉本つぼみは、自分のことをブスだと思い込み、自信をまったく持てない眼鏡っ娘。そんなイジケ眼鏡っ娘に、イケメンの晴山くんが告白したところから物語が始まる。
しかし晴山くんがどれだけいっしょうけんめい説得しても、ひがみ根性が人格の根っこまでしみ込んだ眼鏡っ娘は、自分が愛されていることをなかなか認められない。そうこうしているうちに晴山親衛隊や元カノにいじめられて、眼鏡っ娘の心はさらに傷つけられ、ますます自分の殻に閉じこもってしまう。

晴山とつぼみがうまくいかなかったことは、最初のキスの時に眼鏡を外してしまったところに象徴的だ。晴山はつぼみにキスをしようとして眼鏡をはずし、つぼみに「あたし晴山がよく見えないんだけど」と言われたにも関わらず、「見なくていーよ」と言い放って、キスをする。しかし眼鏡っ娘の心はますますかたくなに晴山を拒む。眼鏡っ娘の心が閉ざされるのも無理はない。なぜなら晴山が眼鏡を外しながら言った「見なくていい」というセリフは、眼鏡っ娘の主体性を否定して、単に男が愛玩するだけのモノとして扱うという宣言だ。メガネを外すことは、女性の主体性を奪い去ることを意味する。

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しかし晴山の素晴らしいところは、「メガネをとったら美人」などという愚かなことを決して言わなかったところだ。晴山はつぼみをメガネのまま受け入れる。晴山は常にメガネのつぼみを応援する。心の底からメガネのつぼみをかわいいと思っている。そう、晴山は完全に眼鏡っ娘好きなのだ。外野からどれだけ反対されようと、ブス専だと馬鹿にされようと、眼鏡っ娘を愛する姿勢は微動だにしない。あきらめずにメッセージを伝え続けた晴山の熱意が実り、つぼみは心を開く。そして二人が結ばれたシーンの描写が、きわめて秀逸だ。

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セックス終了後、つぼみは言う。「あたしメガネかけていい? 晴山の顔ちゃんと見たいの」。「見る」という主体的な意志が、メガネをかけるという行為に象徴的にあらわれる。メガネをかけて真正面から晴山の顔をみつめる眼鏡っ娘。「今あたしのこと可愛い女の子だって思ったでしょ」という発言に込められた自信。つぼみが自分のことをブスだと思い込んで自信を持てなかったのは、自分のことを「見られる」だけの客体だと思っていたからだ。客体だと思っているから、他人の視線ばかりが気になる。しかしメガネをかけて「見る」主体となったとき、自分の意志で世界の見え方がまったく違うことを知る。メガネをかけることは、意志を持つ一人の人間として真正面から世界と向き合うことを意味する。他人の視線に左右されない自信が、ここではじめて生じるのだ。

自分に自信を持てない女の子こそ、メガネをかけて街に出よう。世界が違って見えるはずだ。

■書誌情報

つぼみと晴山の物語は、単行本『恋なんてできっこない』所収の4話と『赤いイチゴに唇を』所収の1話。メガネをかけて主体性を回復するのは『赤いイチゴに唇を』所収の「恋だけは放せない」。それぞれ電子書籍でも読むことができる。

単行本・Kindle版:中原みぎわ『恋なんてできっこない』 (フラワーコミックス、2002年)

単行本・Kindle版:中原みぎわ『赤いイチゴに唇を』 (フラワーコミックス、2002年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第5回:小谷憲一「ショッキングMOMOKO」

小谷憲一「ショッキングMOMOKO」

集英社『月刊少年ジャンプ』1985年2月号・5月号

以下、性的表現が少々含まれるので、苦手な方は回避してください。

主人公の里中桃子ちゃんは小学5年生の眼鏡っ娘。というと現在では大人しい文学少女とか儚げな病弱少女を思い浮かべそうだが、桃子は違う。がさつで乱暴で腕っぷしが強く、言葉遣いが悪い跳ねっかえり眼鏡っ娘なのだ。下に引用したコマでは、パンツ丸出しで弟に激しく卍固めを極めている。ということで、おそらく現在の眼鏡っ娘好きたちのストライクゾーンからはけっこうズレているだろうと想像される。が、それゆえに、我々にとって眼鏡っ娘とは何か?を考える上で重要なキャラクターでもある。

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話自体はSFで味付けをしたジュヴナイル冒険ものといった趣で、宇宙人から特殊能力を与えられた三人の少年少女が悪いやつらをバッタバッタとなぎ倒していく痛快ストーリー。三人の少年少女の構成は、パワー系の男+知力系の男+色気担当の女という組み合わせで、いわゆるタイムボカン三悪構成となっている。そんなわけで、桃子はお色気担当。特殊能力のせいでメガネをはずすと美人に見えるというお決まりパターン(※1)で、悪いやつらを悩殺していくこととなる。が、こうなると不思議なのは、そもそもどうして桃子が眼鏡をかける必要があるのか?ということだ。作中では桃子が近眼になったエピソードは扱われない。また、桃子にいたずらをするワルガキどもが桃子のがさつな性格をネタにする一方で、まったく眼鏡をネタにしないのは、そうとう不自然な感じを与える。作品発表時の1985年時、小学5年で眼鏡というのはけっこうなレアキャラのはずで、いたずら好きのワルガキがメガネをネタにしないわけがない。ストーリー構成上も、桃子が眼鏡をかけている必然性はまったくない。宇宙人から与えられたお色気特殊能力を強調したいとしたら、普段のがさつで乱暴なキャラとのギャップで見せれば十分であって、日常でいじられないメガネを味付けにする必要はまったくない。それでも桃子は、現にメガネをかけている。発展途上の新人の作品であれば経験不足ゆえの詰め込みすぎということで片づけられるかもしれないが、小谷憲一のキャリアを考えると、ここでメガネを持ってきたのには何らかの裏付けがあるとしか考えられない。が、作中からはその意図を読み取ることができない。眼鏡という観点から分析しようと思った時、非常に不可解な作品に見えるのだ。
ところが、この作品には、次のシーンがあることによって、私の脳裏から一生消えることはない。

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うーむ、すごい。現在の眼鏡キャラのテンプレからは逆立ちしても出てこない、すさまじい描写だ。というか、平成の世の中ではもはや許容されない描写でもあるが。
思い返してみれば、Dr.スランプなどを想起すればすぐわかるように、1980年代少年マンガに登場する眼鏡っ娘には、現在のテンプレ眼鏡からは相当にズレたキャラが非常に多い。むしろ文学少女とか病弱少女とかいう属性自体が実は歴史が浅いものに過ぎず、もともと眼鏡っ娘はもっとテンプレから自由だったというほうが正しいだろう。テンプレというものは概念を強化して固定ファンを増やすという側面がある一方で、ありのままの現実を見えにくくするという作用も持つ。たとえば現在不幸なことにアンチ眼鏡っ娘の人々が存在するが、実際のところ、彼らは現実の眼鏡キャラをまったく知らず、単に彼らの妄想の中のテンプレ眼鏡っ娘を嫌っているにすぎないことが多い。本当に奴らは何と戦っているのだろう。馬鹿じゃないだろうか。いや、われわれにしても、テンプレによって逆に視野を狭くさせられていないだろうか。
この作品の桃子というキャラクターは、メガネというものが実はそうとう自由であったことを再確認させてくれる。キャラクターは物語構成の都合から眼鏡をかけているのではなく、単に近眼だから眼鏡をかけているのだ。乱暴でがさつだろうと、近眼だから桃子は眼鏡をかけているのだ。心のメガネのレンズを拭いて改めて見た時、桃子がとても魅力的な眼鏡っ娘に見えてくるのだ。

005_03 (※1)眼鏡を外すと美人になるというお決まりパターンが少女マンガ特有のものだと勘違いしている人が多いが、このパターンはむしろ少年マンガから広がっていったと考えるほうが合理的だ。

■書誌情報

単行本『小谷憲一短編集1 ショッキングMOMOKO」 (ジャンプコミックス、1991年)に所収。
私が確認した時点では、amazonでは品切れ。古本屋を丁寧に当たれば、200円で手に入るとは思う。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第4回:粕谷紀子「もうひとつ花束」

粕谷紀子「もうひとつ花束」

集英社『週刊セブンティーン』1986年13号~33号

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この作品は、ハシモトくんのこの名言に尽きる。「うぬぼれるなよ!メガネかけてたころのぶくんはもっとずっとかわいかったぜ」。素晴らしい!

004_01sヒロインの眼鏡っ娘=福田聡子ちゃんは、自分のことをブスだと思い込んでいて、何事にも自信がもてない女の子。あだ名は「ぶくん」。ところが、美人で自信家の友達=聖美と同じ高校に進学して、ハシモトと出会ったことから大きな転機を迎える。ハシモト以外の平凡で凡庸な糞男どもは、自信家の聖美ばかり美人だ美人だとチヤホヤして、ぶくんのことなど気にも留めない。しかし我らがヒーロー、ハシモトだけは違った。中身がカラっぽの聖美から言い寄られてもまったく動じず、果敢に眼鏡っ娘をデートに誘う。眼鏡っ娘の素晴らしさに、ハシモトだけが気が付いていたのだ。

ハシモトはぶくんの美しさを皆に知らしめようと、様々な仕掛けを打ち、次第にぶくんの魅力を引き出していく。その結果、ぶくんの魅力が誰の目にも明らかになり、ぶくんはモテはじめるようになる。ところが、ぶくんは自分がモテることに気が付いてから、メガネを外してしまう! なんということだ! 自分がかわいいと気がついて、眼鏡を外してから、ぶくんはだんだん自己中心的な考え方に陥っていく。性格が曲がり始めたぶくんに対して、われらがハシモトが言い放ったセリフが、これだ。「うぬぼれるなよ!メガネかけてたころのぶくんはもっとずっとかわいかったぜ」
ハシモトの一言で目が覚めたぶくんは、再びメガネをかける。世界に平和が戻ったのだ。ありがとうハシモト!

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ただ、連載終了時点のぶくんの認識には、大きな問題がある。ぶくんは、皆の前では眼鏡をかけて、ハシモトくんの前だけでは眼鏡を外してカワイイ私を見てもらおうなどと、とんでもない思い違いをしている。「キレイになった私にみんなが夢中になって、ハシモトくんがヤキモチを焼いたんだ。かわいいメガネなしの私はハシモトくんだけのもの」などと思っているのだ。だが、次のコマのハシモトを見ていただきたい。

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こんなん、どう見たってハシモトはただの眼鏡っ娘好きだろうが! ハシモトは、眼鏡をかけた君のことが好きなんだ! ハシモトの前でだけ眼鏡を外すとは、彼にとってはほぼ死刑に相当するから、ぜひやめてあげていただきたい。今後のハシモトくんの幸せを願ってやまない。我々も、一人の眼鏡っ娘を救ったハシモトくんを見習って、彼が残したセリフを積極的に使っていこう。「うぬぼれるなよ!メガネかけてたころの○○はもっとずっとかわいかったぜ」

004_05この作品は、メガネをかけてほしい男の子と、メガネに自信が持てない女の子がすれ違う構造を余すところなく描き切っているが、おそらく作者自身がそのことに気が付いていない。ハシモトはだれがどう見てもメガネフェチなのだが、作者自身がそれを理解できずに進めてしまっているのだ。しかし、作者の意図を超えて、眼鏡っ娘好きの時代精神がハシモトに乗り移った。時代精神が生んだ傑作なのかもしれない。

■書誌情報

古本で手に入るが、私がamazonで確認した段階では1巻に1,700円というプレミアがついていた。が、丹念に古本屋を探せば100円で入手できるはず。
単行本1巻:粕谷紀子『もうひとつ花束 1』 (セブンティーンコミックス、1988年)
単行本2巻:粕谷紀子『もうひとつ花束 2』 (セブンティーン コミックス、1988年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第3回:川添真理子+甲斐透「遊星戦姫グリーンエンジェル」

川添真理子+甲斐透「遊星戦姫グリーンエンジェル」

新書館『ウンポコ』2005年vol.1~vol.6

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「歌う委員長」当日ということで、前回に続いて歌う眼鏡っ娘のご紹介。ただし残念ながら超弩級のオンチだがな。

003_02s辺境惑星から就職活動で銀河系最高のテーマパークにやってきた、ヒロイン眼鏡っ娘のミント・アップル。おさげにまんまる眼鏡が超かわいい。普通の地味な仕事に就くつもりだったのに、なぜか遊園地で戦隊ヒーローもののアトラクションをやらされることに。しかもそれはただのアトラクションではなく、本当に悪の組織が襲ってくるマジな戦闘だった! 戦え眼鏡っ娘! しかし何の取柄もないどころか、ドジでおっちょこちょいのミントがまともに戦えるはずもなかった……としたら話が成り立たない。ミントには誰にも真似をすることができない、彼女だけの必殺技があったのだ。それが「歌」だった。ミントが歌うと、機械が破壊され、人間も倒れる。彼女の声は超弩級オンチの破壊兵器だったのだ!! 凶悪な最終兵器となった歌声が悪の組織を壊滅させる。歌え!壊せ!破壊せよ!

ま、ぼえーな歌はともかく、眼鏡っ娘が超かわいい。正統派少女マンガ風の大きなまんまる眼鏡がとても心地いい。表情も豊かで、ずっと見ていて飽きない眼鏡っ娘。多少オンチなくらい、どってことないぜ!
003_03s川添真理子の描く眼鏡っ娘はとてもキュートで、たとえば「僕たちサンマ探偵団」(Wings’98年9月号)に登場する委員長眼鏡っ娘は、腹黒くて素敵だ。←な感じ。

ちなみに「歌う委員長」に出演する眼鏡っ娘たちは、もちろんオンチではないし、たぶん腹黒くもないぞ!!

■書誌情報

単行本:川添真理子+甲斐透『遊星戦姫グリーンエンジェル』(新書館、2007年)
「僕たちサンマ探偵団」は川添真理子+中村幸子『ウロボロスの指輪』に所収。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第2回:井田辰彦「秘密結社α」と「霧の日」

井田辰彦「秘密結社α」

講談社『ヤングマガジン増刊海賊版』1992年8号~93年1号

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「歌う委員長」前日ということで、歌う眼鏡っ娘委員長が出てくるマンガをご紹介。

002_02s ヒロインの眼鏡っ娘=坂倉法子ちゃんは、クラスメイトと一緒にカラオケに行っても、堅物だと思われて歌わせてもらえない。家で厳格な父に押さえつけられて育ったため、おとなしくて控えめという印象がついてしまったのだ。
が、進学したお嬢様高校でアケミとユミコと出会ったことから、急激に法子の運命が変わる。法子は、理由が全く分からないうちに、世界征服を狙う「秘密結社α」から執拗に付け狙われる。不可解な現象の連続におびえる法子を励まそうと、アケミとユミコが法子をスタジオに連れて行く。激唱する眼鏡っ娘。弾けたように歌う法子のセイレーンのような声に震撼する面々。実は法子は魔法の声を持っていたのだった!

002_03s しかし、アケミとユミコには秘密があった。秘密結社αの正体は、実は○○○○○○○だったのだ! そして法子の歌声に隠された秘密とは!? 秘密結社αの真の目的とは!?? 歌え法子! 世界征服のために、眼鏡っ娘委員長は今日も歌い続けるのだ!

この作品、眼鏡の描き方がとても良い。セルフレームをバランスよく描くことは非常に難しいのだが、丁寧にデッサンをとった上で、ツルやパッドまで立体的に描きこんでいる。目にかかるフレームを消去するマンガ的手法はまったく使用せず、構図の工夫でメガネと表情をうまく融合させている。さらにメガネフレームの影が丁寧に描かれているところが素晴らしい。ヒロインの顔に落ちるメガネフレームの影を通じて、白黒の画面に光が見えるのだ。

002_04単行本には作者の漫画賞受賞作「霧の日」も収録されている。この主人公も眼鏡っ娘。ポニーテールにロングスカート、日本刀で戦闘する容赦のない退魔師眼鏡っ娘。このデビュー時点で既にメガネが好きだろうことは、斜め上のアングルからのキャラ描写でわかる。この角度でメガネを描くのは、描きたがるのは、メガネが好きという以外に理由がない、たぶん。

■書誌情報

単行本『秘密結社α』(講談社、1993年、ISBN4-06-323385-5)所収。
講談社の電子書籍サイトで読むことができる。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第1回:辻村弘子「親子三代メガネ美人」

辻村弘子「親子三代メガネ美人」

講談社『別冊少女フレンド』1975年2月号掲載

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この眼鏡っ娘マンガはすごい。まずタイトルがすごい。「親子三代メガネ美人」。この圧倒的な破壊力は、他に比べられるものが見あたらない。また実際に親子三代のメガネイラストがすごい。明治メガネ美人は矢絣の着物に庇髪、大正メガネ美人は三つ編みにセーラー服、昭和メガネ美人はリボンに縦ロール。みんなメガネが似合って、超かわいい!

001_01s セリフもすごい。メガネを恥ずかしがる三代目に、初代が言う。「メガネをかけているからふられたなどと、たわけたこというんじゃありませんよ」「おじいさんを見なさい、パパを見なさい、わたしたちのメガネなど気にもしませんでしたよ」。まあ、実際はおじいさんもパパも貴女たちをメガネで選んだんだろうけれどね☆。そしてまた初代はこうも言う。「メガネのあるなしで女の本当のよさもわからないような男はこっちからふってやりなさい」。メガネのあるなしで女を選んでいる我々にはブーメランになりかねない危険な言葉ではあるが、メガネを外せなどと言う糞男にはどんどん使っていこう。

ストーリー構成もすごい。ヒロインは最初はメガネを恥ずかしがっていて、彼氏にも近眼であることをカミングアウトできない。しかし初代の励ましと彼氏の理解もあって、ようやく眼鏡をかけることを選ぶ。このとき、眼鏡屋でメガネを選ぶシーンが極めて秀逸。彼氏は「メガネだってヘアスタイルや洋服とおなじでにあうものをえらべばきまるんだよ」と言って様々なメガネを試し、ひとつばっちり似合うメガネをみつける。「メガネをかけたきみって想像つかなかったけど、すごくかわいいや……」。まさにまさに。そしてなんと彼氏が選んであげたそのメガネは、ヒロインが最初からかけていたのと同じメガネだったのだ。これぞまさしく幸せの青いメガネ。女性の幸せが実はメガネとともにあるのだという、強烈な教訓とメッセージがこめられたストーリーなのだ。

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というわけで、全編通じてものすごいメガネ。この作品が描かれたのが1975年だから、それからもう40年経っているわけだが、まったく古さを感じさせないメガネ力に溢れる傑作だ。目を閉じれば、瞼の裏には四代目の平成メガネ美人も鮮やかに浮かんでくる。ああ、メガネ美人。時代がどれだけ移り変わろうと、常に眼鏡っ娘は美人であり続け、メガネは女性の幸せのシンボルであり続けるのだ。眼鏡っ娘に幸あれ!

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■書誌情報

「親子三代メガネ美人」は、辻村弘子の単行本『ユー・ミー伝言板』(講談社:1977年発行)に所収。40年近く前の本ではあるが、古本で比較的簡単に入手可能のほか、電子書籍で読むこともできる。
Kindle版:辻村弘子『ユー・ミー伝言板』
単行本版:辻村弘子『ユー・ミー伝言板 (別冊フレンドKC)』

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