この眼鏡っ娘マンガがすごい!第145回:さと「いわせてみてえもんだ」

さと「いわせてみてえもんだ」

スクウェア・エニックス『ヤングガンガン』2006年No.14~07年No.4

眼鏡っ娘とメガネ男子の恋愛マンガで、基本的にはコメディ調。だが、最後にはうるっと来てしまう。笑いながらも泣ける名作めがねマンガだ。

まあ、厳密に言うと、眼鏡っ娘マンガというよりは、メガネ男子マンガに分類した方がいい作品なのかもしれない。主人公は、メガネ男子の吉川ヨシオ。なんだか適当な名前に思えるが、この適当な固有名詞が最後に効いてくるからバカにできない。そしてこの男、本人は自覚していないようだが、かなりのメガネフェチだ。アイテムとしての眼鏡に対するこだわりが、極めて強い。

自分のかけている眼鏡のオシャレ具合にも自信を持っているらしい。そんなメガネ男子が、たまたま遊びに行った文化祭で一人の眼鏡っ娘に出会い、人生が変わる。下の引用部の独白が、素晴らしい。

お前は秋保少年@屈折リーベか。そう思わせる、男前な独白だ。「それにしてもメガネの似合う女子だ。まるでメガネから生まれてきたような」という妄想は、並のフェチから生じることはない。素晴らしい。いいぞ、もっとやれ。
と思ったら、秋保少年が極めてポジティブなのに対し、このメガネ男子は根暗なのだった。すぐに自信を喪失してしまう。

自信を喪失したメガネ男子は、あろうことか、自分の眼鏡を捨ててしまう。それをすてるなんて、とんでもない!
が、この作品、ここからの展開が凄かった。怒濤のめがねラッシュ。実は本当にヤバかったのは、メガネ男子のフェチっぷりではなく、ヒロインの眼鏡っ娘のほうだったのだ。

そうだ、メガネとったら死んでしまうぞ。眼鏡っ娘は、自分がかけていたメガネを、ものすごい勢いでメガネ男子にかけさせる。ダイビングジャンプめがね掛けだ。メガネをかけた瞬間、メガネ男子は恋に落ちる。

「これ…この子のメガネ…」。恋に落ちるには、この理由だけで十分だ。そりゃそうだ。しかし恋に落ちてしまった彼には、この後、想像を絶する苦難と葛藤の人生が待っているのであった。そして苦難と葛藤を経た後に迎える最終話には、泣かされる。ありがとう、ありがとう。

さて、そんなわけで一見すると眼鏡ラブコメに見えるこのマンガ。実は、実存的なテーマをデリケートに扱っていて、泣かせる作品になっている。実存的なテーマとは、簡単に言い直せば「俺って何なんだろう?」という葛藤と苦悩である。そして本作は、この問いに対して、「固有名詞」の本質的な特徴を実に効果的に使って立ち向かっているのが、とても素晴らしい。
固有名詞とは、誰とも比較されず、誰とも交換されず、誰の代わりでもない、「他の誰でもない、まさにこの私」というものを指し示すものだ。メガネ男子の「吉川ヨシオ」という平凡すぎる固有名詞は、しかし彼にとってみれば誰にも代えられない「まさにこの私」のシンボルなのだ。この固有名詞をめぐって本作が描くエピソードが、切なすぎる。切実なエピソードの着実な積み重ねが、最終話の固有名詞のエピソードと、そしてタイトルとリンクすることで、強烈なカタルシスとなる。素晴らしい構成だ。実質的なデビュー作とは思えない、素晴らしい出来だ。本作をノリと勢いだけの作品だと勘違いしている向きも一部にあるようだが、構成がまったく読めていないと思う。(まあ、ノリと勢いが素晴らしいのも間違いないのだが)
このような「ほんとうのわたし」という実存的なテーマと、眼鏡というアイテムは、実に相性が良い。少女マンガにおいては、そのテーマは主に起承転結構造によって描かれてきた。少年マンガでは、西川魯介「屈折リーベ」のように、普遍と特殊の間の矛盾を突き詰める構成が代表的だ。そして本作も、眼鏡というアイテムそのものを「ほんとうのわたし」の象徴として扱っているわけではないが、やはり眼鏡と実存との相性が極めて良いことを示してくれる。そしてこのテーマは人間の本質的なところを突き刺しているので、いつまで経っても古くなることがないのである。

書誌情報

同名単行本全一冊。
もともとはwebマンガで、2005年頃に大ブレイクした。30代の人は「いわみて」ってことでよく知っている可能性が高い。特にメガネ界隈ではバズりにバズって、2005年~06年頃にかけて一つのピークを迎えたメガネ男子ブームを加速させた。個人的見解では、メガネ男子萌えの歴史を語るときに年表に載せるべき記念碑的作品であるとも思う。
もともとのwebマンガは、基本的にストーリー展開は一緒だが、ノリとテイストが異なるので、こちらもぜひ閲覧することをお勧めする。個人的な感想では、今から読むなら、単行本を読んでからwebマンガを閲覧する方が気持ちいいかもしれない。

【単行本】さと『いわせてみてえもんだ』スクウェア・エニックス、2007年
【webマンガ版】さと「いわせてみてえもんだ」
【作家サイト】99円均一

そして、商業デビュー作「キミの世界へ」は『メガネ男子』(アスペクト、2005年)という本に掲載されたのだが、この本、mixiのメガネ男子萌えコミュニティから萌え出でたことで知られている。「キミの世界へ」は7頁の短編で、メガネの先生が主人公のハートフルストーリー。

『メガネ男子』という本は、2005年頃から一般世間にメガネ男子萌えが浮上し、さらに市民権を得始めたことが分かる資料ともなっている(腐海等ディープな世界では、もちろん20世紀からメガネ萌えは存在するが)。あれから10年以上経ち、メガネ男子萌えはますます隆盛だ。メガネスキーも負けてはいられない。

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眼鏡文化史研究室

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第144回:久世番子「ハーメルバーメルの侍女」

久世番子「ハーメルバーメルの侍女」

新書館『ハックルベリー』2004年vol.3

主人公の眼鏡っ娘ジオラは、メイドさん。M×M=∞(眼鏡とメイドのコラボレーションは破壊度無限大と発音)だ。
ということで、ジオラは姫様に使える侍女なのだが、秘密の任務をひとつ抱えていた。実は、姫様の影武者だったのだ。

ジオラは、眼鏡を外すと姫様に顔がそっくりで、病弱の姫様のための影武者に選ばれた。しかし実は似ているのは顔だけで、仕草や立ち居振る舞いなどは似ても似つかない。姫様に似せるための特訓を行っているが、なかなか上手くいかず、侍従長にはいつも叱られてばかりで、ジオラは自信を失っている。そんなとき、トッテムという男が現れる。

ジオラは、自分の取り柄は「姫さまに似てる」ことだけだと思い込んでいた。姫様に似ていることだけを頼りに生きてきたと。しかし、それはつまり、自分の眼鏡を否定することを意味する。眼鏡を外して、姫様になりきることだけが「取り柄」だと思っている。トッテムは、そこにツッコミを入れる。

ジオラは、ジオラだけの良さを持っている。実は姫様だって、ジオラ本来の良さをよく知っている。トッテムも、ジオラ本来の良さを見つけ出している。ジオラだけが、自分の良さを見失っている。それはあたかも、他の人からはジオラの眼鏡がよく見えるのに、眼鏡をかけているジオラ自身からは眼鏡がまったく見えないのと同じことだ。ジオラの眼鏡は、ジオラの良さの象徴だ。姫様になるときには、眼鏡を外す。眼鏡を外して姫様になりきることが自分の取り柄だと思い込んでいる。しかし、姫様もトッテムも、そうは思っていない。眼鏡をかけているときのジオラこそが本当のジオラだと分かっている。眼鏡こそが自分の取り柄であることに気づいたとき、ジオラは失っていた自分を取り戻す。

創作行為にとって、眼鏡は無限のインスピレーションの源泉である。本作の場合、眼鏡はジオラのコンプレックスの象徴でもありながら、同時に他人とは違う(特に姫様と異なる)彼女にしかない個性の象徴でもある。この相反する二重の意味を一身に担えるアイテムは、なかなか他にはない。そしてコンプレックスが個性へと反転昇華する瞬間を描くとき、眼鏡というアイテムは比類なきダイナミックな輝きを発するのだ。
だから我々も、眼鏡っ娘に、眼鏡が素敵だと言っていこう。眼鏡っ娘からは、自分の眼鏡が見えていないのだから。

書誌情報

本作は40頁の短編。単行本『甘口少年辛口少女』所収。

ちなみに表題作の「甘口少年辛口少女」は、メガネ男子が主人公。巻末のオマケまんがによると、この頃は「一作品一メガネ」というルールを自分に課していたようだ。素晴らしい。

さらにちなみに、投稿作にしてデビュー作の「NO GIRL, NO LIFE」の主人公も眼鏡っ娘。

【単行本/Kindle版】久世番子『甘口少年辛口少女』新書館、2005年

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眼鏡文化史研究室

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第143回:新谷明弘「未来さん」

新谷明弘「未来さん」

アスキー『月刊コミックビーム』1997年~98年

眼鏡っ娘は、どうして眼鏡をかけているのか? どうしてそんな当たり前のことを考えるのかと不思議に思うかもしれない。が、そんな疑問を改めて考えさせるのが、この作品である。

主人公は、高橋亜鉛子さん。眼鏡っ娘の大学生だ。
と言葉で説明してみても、この作品について何も語れていない。「読者を選ぶ作品」という微妙な言い回しが日本語にはあるわけだが、それで片付けたくないような、他に類がない作品であることは間違いない。マンガ図書館Zで無料で読めるので、読んでみて欲しいとしか言いようがない。

まあ、一言で言えば、SFである。SFといっても、ロケットやロボットや宇宙人が出てくるわけではない。取り立てて大きな事件が起こらない、日常SFである。生命科学と人工知能が発達して「生命」に対する常識が更新された世界、いわゆるサイバーパンクという表現手法を通じて「生命」という得体の知れないものの本質に迫っていくような作品だ。そんな不思議な世界観に、眼鏡がよく似合う。眼鏡が似合う?

亜鉛子は、どうして眼鏡っ娘なのか? なぜ彼女は普通に眼鏡をかけているのか? 本作を通じて、この疑問が常につきまとう。主人公が眼鏡っ娘であるという事実に対して、これほど真正面から向き合わなくてはならない作品は、実は他にあまりない。なぜなら、ちょっと考えれば、彼女が眼鏡っ娘であることが不自然なことに気がつくからだ。というのは、こういうふうに生命科学が進化した世界においては、近眼は遺伝子操作で克服されているはずで、視力矯正器具としての眼鏡は必要なくなっているはずだからだ。亜鉛子は、近眼が克服されたはずの世界において、それでも眼鏡なのだ。
眼鏡に関するエピソードは、作中に一つだけある。

このエピソードで少年が「眼鏡なんてレトロなもの」と言っていることから分かるように、この世界ではすでに遺伝子操作によって近眼が根絶されている。亜鉛子も眼鏡をいじって「資力10.0にまでなる」とは言っているが、それが眼鏡をかけている理由ではないだろう。それは、右耳のイヤリングの問題とリンクしている。右耳のイヤリングは、外部情報を取り入れるためのコネクタの蓋として機能している。コネクタの蓋がイヤリングでなければならない必然性がないのと同様、眼鏡をかける必然性もない。それでも亜鉛子は、イヤリングをしているし、眼鏡をかけている。では、眼鏡とは何か。なぜ、彼女は眼鏡をかけているのか?

おそらく答えは出ない。そして答えを出せないこと自体が、この作品全体の雰囲気を象徴する。独特の世界観の中に存在している亜鉛子の眼鏡が、合わせ鏡のように独特の世界観を象徴する。亜鉛子の眼鏡は、この作品自体の捉えにくさそのものを凝縮して示す、特異点のようなものになっているのだ。眼鏡は認知の特異点の象徴だからこそ「どうして眼鏡なのか?」という問いには論理的な答えが出ない。そこに気がつくと、この作品に散りばめられた認知の特異点の数々に対して、一気に視界が開けていく。高橋亜鉛子が眼鏡っ娘であるということを突き詰めることが、捉えきれない本作を捉える鍵になるのだろう。

書誌情報

同名単行本全一冊。マンガ図書館Zで、無料で読むことができる。
この作品が商業誌で出てくれたことは、眼鏡的に言って、奇跡的な幸せだったのかもしれない。あの頃の『コミックビーム』だからこそ可能だったのかもしれない。
【マンガ図書館Z】新谷明弘『未来さん』
【単行本】新谷明弘『未来さん』アスキー、1998年

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眼鏡文化史研究室

この眼鏡っ娘マンガがすごい!第142回:松川祐里子「シンデレラ志願」

松川祐里子「シンデレラ志願」

白泉社『シルキー』1996年1月号

ある誤解と勘違いが、世間にはびこっている。「少女マンガでは、眼鏡を外すと美人になる」という勘違いである。本コラムは、そんなバカげた勘違いを修正するために活動してきたわけだが、まだ言い足りない。いくらでも具体例を出して、正しい認識を広めていきたい。正しくは、「少女マンガでは、いったん眼鏡を外したとしても、幸せになるために眼鏡をもう一度かけなおす」だ。それを定式化すると、「眼鏡っ娘起承転結」構造となる。

というわけで、本作も眼鏡っ娘起承転結構造を示してくれる良作だ。
主人公の眼鏡っ娘、名波はるかは26歳、彼氏なし。小さい頃から真面目で堅い眼鏡っ娘だった。これが起承転結の「起」。

しかし、ちょっといいなと思っていた男性が、女性を外見だけで判断していることにショックを受けて、綺麗になりたいと思ってしまう。そこにつけ込んで、莫大な金を使わせて服や化粧品を買わせ、自分の価値観に眼鏡っ娘を巻き込む友人。いちおう、見た目はハデになる。これが起承転結の「承」。少女マンガはここで終わると勘違いしている人が多いわけだが、ここまでは起承転結の起承に過ぎない。本題は、ここからだ。眼鏡を外して人生がうまくいくわけがない。

はるかは、綺麗になったと思って有頂天になり、イケメンの男性にホテルに誘われてノコノコとついていくが、無理しているのがバレバレだ。男性には「そんな格好やめちゃえよ、似合わないよ」と言われる始末。これが起承転結の「転」。

男は、はるかを街に連れ出して、もともと持っていた魅力を引き出していく。このときの男のセリフがかっこいい。「慣れないコンタクトなんて外して。君の眼鏡は?」と言いながら、自ら眼鏡をかけてあげるのだ。これだ。眼鏡をかけ直した瞬間、もはや勝利の予感しかしない。こうやって再び眼鏡をかけてハッピーエンドへと向かっていくのが起承転結の「結」だ。

畳みかけるように男は言う。「眼鏡の方が自然だよ。似合ってる」。まさにまさに。全国民の言葉だ。それでも自信がもてない眼鏡っ娘には、こう言うのだ。「それでも僕は、本当の、こっちの眼鏡の方が好きだよ」。一人のメガネスキーが、一人の眼鏡っ娘を救った瞬間だ。素晴らしい!

こうして眼鏡っ娘は、本物の自分を取り戻す。眼鏡をかけ直すことは、「自己実現」の象徴なのだ。確かに眼鏡を外したら、外見は派手になって、一瞬はチヤホヤされるかもしれない。しかしそんなものは、マヤカシの幸せに過ぎない。本物の、本質的な幸せを手に入れるためには、自分を偽ってはならない。眼鏡とは、「ほんもののわたし」を象徴するアイテムなのだ。

確かに自分を変えていく必要はあるかもしれないが、眼鏡っ娘の言うとおり、「まるっきり自分を変える必要」なんてない。変えていけないのは「自分の本質」だ。眼鏡こそ、自分の本質を象徴するものなのだ。

しかし、人間というものは、なかなか「自分の本質」には気づかない。むしろ自信を失って、自分を完全に変えてしまいたくなるときだってある。眼鏡を外すとは、そういう状態の象徴だ。しかし、自分を偽って、無理をしても、うまくいくわけがない。そういうとき、「無理しなくていいよ。そのままの君でいいんだよ」と言ってくれる人がいてくれたら、なんてありがたいだろう。しかし一方、自分を偽ってうまくいかなかった経験があって、初めて「自分の本質」を深く理解することができるようになるのかもしれない。これが「人間としての成長」というものだ。これには、男も女も関係ない。「眼鏡っ娘起承転結」は、そんな「自己実現」の有り様を見せてくれる。つまり人間の成長というものの普遍的な様式を表しているのだ。だから、「眼鏡を外して美人」などいう物理法則にも人文科学の法則にも反しているバカバカしい迷信は、人類のために消え去っていただきたい。

書誌情報

32頁の短編よみきり。単行本『学園スクープ・キッズ』所収。
ちなみに単行本表題作の「学園スクープ・キッズ」は、ショタ系メガネ男子がヒロインとなっている。

【単行本】松川祐里子『学園スクープ・キッズ』白泉社、1997年

 

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第141回:夏元雅人「海底大戦争」

夏元雅人「海底大戦争」

新声社『コミックゲーメスト』1994年2月号~12月号

主人公の眼鏡っ娘は、27歳。人妻だ。しかも妊娠エンド。おっと、この情報だけで帰ってしまうのは早計というものだ。これがまた、凄い作品なのだ。眼鏡っ娘の魅力こそが地球を救う決定的な鍵だという、素晴らしいメッセージが込められた作品なのだ。

眼鏡っ娘は、高原麗。地球殲滅を企む悪の組織D.A.S(Destroy and Satsujinという凶悪な組織名)と戦う、潜水艦のパイロットだ。夫の仁と一緒に戦っているのだが、ある作戦で、少女を助けるために身代わりとして人質になってしまう。

ガラの悪いグラサン+リーゼントの男に眼鏡っ娘が手込めにされてしまいそうな、絶体絶命の大ピンチだ!

と思いきや、敵のリーゼント男に保護されて、美しいドレスを着せられたりする。リーゼントは、人質にとった眼鏡っ娘に本気で惚れてしまい、寝返るのだった。さすが眼鏡っ娘!

そして物語は最終決戦に。ラスボスは、遺伝子操作によって人間の数十倍の身体能力を手に入れた新人類だった。改造新人類の身体能力の高さに、仁もリーゼントも、まったく歯が立たない。このままでは、地球が破壊されてしまう。ラスボスはついに眼鏡っ娘に襲いかかる。危ない、眼鏡っ娘!

と思ったら、あっけなくラスボスをボコる二人。実は愛する眼鏡っ娘がピンチに陥ったとき、仁の能力はリミッター解除され、尋常じゃないパワーを発揮するのだった。リーゼント男もまた同じ。眼鏡っ娘の魅力が二人の男の真の能力を覚醒させたのだ。そして、地球と人類は救われた。ありがとう仁、ありがとうリーゼント。そしてありがとう、眼鏡っ娘!! 眼鏡っ娘の魅力こそが人類と地球の希望の光であることが徹底的に描かれた作品なのであった。

ところで本作は、アイレムが1993年にリリースしたシューティングゲーム「海底大戦争」のコミカライズ版だ。ゲームでは、眼鏡っ娘の麗が1プレイヤーで、夫の仁が2プレイヤーということになっている。が、マンガ版では仁が1コンのような立ち位置で、麗と仁のポジションが入れ替わっている。そして私が確認した限り、オリジナルゲームでは麗が眼鏡っ娘という設定は見当たらない(もし設定を知っている方がいたら、ぜひ教えてほしい)。さらにもちろん、眼鏡っ娘が人質に取られることもなければ、胸元が大きく開いたドレスを着ることもなければ、眼鏡っ娘の魅力によって世界が救われることもない。このあたりの設定と展開は、コミカライズ担当者の趣味が反映しているとしか考えようがない。ありがとう、ありがとう。

それから、27歳の人妻という設定は、1994年だからこそあり得た可能性を考慮していいかもしれない。マーケティングによって登場キャラクターを取捨選択するような現在の萌え市場では編集者に通してもらえそうもない設定なわけだが、1994年には「眼鏡っ娘ってこういうものでしょ」という通念や臆断や偏見がまだ形成されていない。本作の眼鏡っ娘も、ステロタイプの眼鏡っ娘の要素はまったく含まれていないと言える。今の時代から見れば、それがとても新鮮に見える。素敵な眼鏡っ娘だ。

書誌情報

同名単行本全一冊。
夏元氏はマンガ以外にもイラストレーターとして活躍している。氏のキャラデザの仕事で、「ガンバード2」という彩京のアーケードゲーム(1998年)に登場するキャラクター「タビア」という眼鏡っ娘も、なかなか破壊力が高い。タビア画像検索。キャラ紹介の「優等生ではあるが、地味で虚弱体質」といったあたりから、キャッチフレーズの「空飛ぶ優等生」や、CVが皆口裕子というあたりまで、どうすればいいんだ。

【単行本】夏元雅人『海底大戦争』ゲーメストコミックス、1995年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第140回:ハラヤヒロ「ハカセのセカイ」

ハラヤヒロ「ハカセのセカイ」

幻冬舎『コミックバーズ』2005年5月号~06年8月号

人間であれば誰しもが一度は「ドラえもんが眼鏡っ娘だったらなぁ」と妄想するものだが、その妄想を具現化してくれたのが、この作品だ。ありがとうございます。

主人公のハカセは眼鏡っ娘。制服の上に白衣を羽織っていて、誰がどう見ても科学者という格好をしている。眼鏡と白衣のコラボレーションが、実に素晴らしい。(科学者という意味では、ドラえもんというよりキテレツを思い起こす方が適切かもしれないかな)

そんな眼鏡っ娘ハカセは、科学部で発明に励んでいる。ハカセのもとに、カタナシくん(のび太ポジションだから、ちゃんとメガネ君だ)が毎回「うわぁあああん!」と泣きながら助けを求めてくるので、様々な発明品を与えてやるのだった。そこから、カネモチ(スネ夫ポジ)やオトコ(ジャイアンポジ)やタカネ(しずかちゃんポジ)などを巻き込んで、大騒動が展開し、だいたいカタナシくんが酷い目に遭って終わる。一話完結で、頭を悩ませることなく、まっすぐに楽しめる作品だ。毎回登場する秘密道具についている謎の四字熟語の名前など、小ネタもおもしろい。というか、ハカセ超かわいい。

というわけで、頭が良く、ちょっと浮き世離れして、どこか抜けている、白衣を着ているマッドサイエンティスト系眼鏡っ娘が好きで、眼鏡っ娘科学者になら自分の体を改造されても構わないような人には、ド直球ド真ん中の作品だ。他の皆様方におかれましても、理系女子には是非ともメガネ標準装備、異論は認めないということで、今後ともご理解のほど、よろしくお願いしたいと存じます。

書誌情報

同名単行本全一冊。見たことある作風だなあと思っていたら、一迅社のアンソロジーで活躍していた作家の方でした。
【単行本】ハラヤヒロ『ハカセのセカイ』幻冬舎コミックス、2006年

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第139回:岩岡ヒサエ「オトノハコ」

岩岡ヒサエ「オトノハコ」

講談社『Beth』2006年vol.1~07年vol.8

眼鏡っ娘は脇役の部長として登場する。が、ほとんど主人公を食って活躍する。これは眼鏡っ娘の物語だ。

いちおうの主人公きみは、高校生になって、憧れの合唱部に入部する。しかし合唱部は、ほとんど廃部同然の状態だった。その合唱部の部長を務めているのが、眼鏡っ娘だ。物語序盤、部長はかなり不気味に描かれている。

回を追うごとに部長の奇行は加速していく。「キシャー」て。大怪獣か。

が、同時に味も出てくる。一人の人間としての魅力が、尋常ではないほど、画面からにじみ出てくる。合唱への愛情、部員への気配り、目標に向かって挫けない根性、自分たちはできるという信念。一人の人間として自分の足で立っているのは、眼鏡っ娘だけだ。だから、他の部員も部長を信じてついていける。部長の愛情と気配りと根性と信念が、廃部寸前だった合唱部に奇跡を起こす。大感動だ。

で、そんな魅力的な人格に成長した眼鏡っ娘だからだろう。単行本巻末のオマケ4コマまんがで、例のアレが描かれそうになった。そう、「眼鏡を外したら美人になる」という、例の忌まわしいアレだ。感激して部長が泣いて眼鏡を取りそうになったとき、部員は「部長の素顔が見られる!?」ということに強烈な興味を持つ。まあ、オチとしては素顔を見ることはできないわけだが。しかし「眼鏡を取ったら、あんな奇行ばかりの部長が、実は美少女なのか?」という興味関心が確かに描かれていることは間違いない。問題は、どうしてそういう物理的にはあり得ないような関心を持ってしまうかということだ。

まあ、若かった頃は大いに憤慨したものだった。眼鏡を外して美人などということは物理的にありえないと、拳を振り上げて主張したものだった。その思い自体は変わらないが、大人になって丸くなったからかどうか、もう少し冷静に事態を眺められるようになった。事の本質が「眼鏡っ娘が人格的に極めて素晴らしい」というところにあるのではないか、と思うようになってきたのだ。

本作でも、部長は極めて人格的な魅力に溢れている。が、一方で作画上では、大怪獣のように扱われている。この人格と見た目の間のギャップを一身に背負っているのが眼鏡というアイテムなのだ。眼鏡以外では、このギャップを表現することができないのだ。「眼鏡を外して美少女」という例の忌まわしいアレではあるが、それはひょっとしたら眼鏡っ娘が人格的に決定的な魅力を発しているときにこそ沸き上がってくる欲望なのかもしれない。しかし、「眼鏡も人格の一部である」ということを自覚するとき、その欲望は挫折せざるを得ない。本作でも、最終的に部長が眼鏡を外した姿を見ることはできない。なぜなら、眼鏡は彼女の人格の一部だからだ。

人格の一部であるにも関わらず、人格から分割できるアイテム。このあたりに、眼鏡がインスピレーションの源泉となる秘密があるように思う。

書誌情報

同名単行本全一冊。Kindleでは(1)が無料で読めて、(2)が108円。

【単行本】岩岡ヒサエ『オトノハコ 』講談社、2008年

【Kindle版】岩岡ヒサエ『オトノハコ』(1)
【Kindle版】岩岡ヒサエ『オトノハコ』(2)

 

 

 

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眼鏡文化史研究室

9/3昼の部 おすすめ眼鏡っ娘作品一覧

9/3大阪「委員長」昼の部「この眼鏡っ娘マンガがすごい」で、参加者の皆様からプレゼンしていただいた、すごい眼鏡っ娘作品の一覧です。
知らない作品を教えていただいたり、また知っている作品でも新しい見方を提示していただいたりして、眼鏡っ娘観が豊かになる有益な時間となりました。時間が短い中、プレゼンしていただいた皆様、ありがとうございました。
聞いていた方からも好評でしたので、また今後ともこういう形でフロアの皆様からプレゼンしていただくような機会を設けていきたいと考えております。

 

水上悟志「散人左道」少年画報社 きのはら了さんより

尾瀬あきら「走れ!びーとるず」小学館 ゴージャス和歌山さんより

森川ジョージ「はじめの一歩」講談社 「さ」は鯖江の「さ」さんより

角光「ニコべん!」秋田書店 ktrさんより

小林立「咲-saki-」スクウェア・エニックス valuさんより

古舘春一 「ハイキュー!!」集英社 わんだ~らんど店長さんより

NHK「NHKラジオ 基礎英語2」 眼鏡大元帥さんより

平本アキラ「監獄学園」 トレカ番長さんより

星里もちる「危険がウォーキング」徳間書店 サカキゲンさんより

みず谷なおき「Hello!あんくる」徳間書店 サカキゲンさんより

藤木俊「はじめてのあく」小学館 吉井正光さんより

■藤木俊「進めギガグリーン」小学館 神谷真尋さんより

西尾維新+浅見よう「掟上今日子の備忘録」講談社 そふぁーさんより

磨伸映一郎「月の彼方、永遠の眼鏡」一迅社 さけさんより

■「アイカツスターズ!」バンナム リブロさんより

辻田りり子「恋だの愛だの」白泉社 暇人さんより

都戸利津「嘘解きレトリック」白泉社 暇人さんより

水谷フーカ「14歳の恋」白泉社 暇人さんより

小野ハルカ「桐生先生は恋愛がわからない。」小学館 ナオトリさんより

安仁谷ユイジ「テンペスト」講談社 じりんぬさんより

迂闊「のみじょし」竹書房 山本夜羽音さんより

倉田英之「R.O.D」集英社 倭蒐堂さんより

 

ブログの「この眼鏡っ娘マンガがすごい!」で、私の方から改めて作品をご紹介することもあると思います。重ね重ね、ご参加、ありがとうございました!!

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第138回:聖千秋「VIP & Celeb」

聖千秋「VIP & Celeb」

集英社『コーラス』2002年7月号~12月号

元気で活発で自発的に行動する眼鏡っ娘がヒロイン。テンプレ的なキャラ属性表現がまったくない一方で、眼鏡というアイテムの思想的意味を存分に展開している、見所の多い作品である。

ヒロインの梨沙は、交差点でぶつかった男子に一目惚れする。

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落ちた眼鏡を自分の携帯電話よりも先に拾ってくれたのが、恋のきっかけだった。行動的な梨沙は、その男子にアタックするため、同じ高校に進学する。

しかし高校に進学してから待っていたのは、厳しい格差社会だった。憧れの先輩は雲の上の「VIP」メンバーで、一般生徒が声をかけていいような存在ではなかった。近づこうとすると、取り巻きの女子生徒から攻撃を喰らってしまう。なんとか動物つながりで話ができるようになっても、「メガネザル」に似ていると言われる始末。前途多難である。

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しかしこのメガネザルが二人を繋げる大きな鍵になるのだから、メガネは侮れない。

梨沙は、なんとかVIPの先輩に近づこうと、オシャレをして美しくなる努力を始める。その甲斐があって、だんだんメンバーの一員として認められ始める。
ここで眼鏡を外してしまって表面上は美しくなったように見えて、ガッカリするかもしれない。しかし私には、「これは起承転結の承にすぎない」という予感があった。なぜなら、梨沙が無理に背伸びをして本当の自分を見失っているような描写があったからだ。

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たとえば、先輩に「メガネの跡ついてる」と指摘されるシーンがある。これは、眼鏡を外してお洒落をしたつもりになっているかもしれないが、実際は無理に「本当の自分」を押さえ込んでいるだけということの比喩になっている。眼鏡を上手に使った描写だと感心する。

そして「転」では、やはり眼鏡をかけなおす。

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自分が入ろうとしていたVIPの世界が、そんなに素晴らしいものではないということ。そして自分が無理をしてその世界に入る必要なんてないということ。今まで自分が勘違いをしていたということ。本当の自分というものを見失っていたということ。梨沙は、こういった世界の真実を、一気に理解する。そしてその象徴が、眼鏡をかけるという行為に表れる。そしてこのシーンのモノローグがとても良い。「メガネをかけるとモノがはっきり見えてくる」。眼鏡をかけるという行為が、世界の真実と本当の自分をしっかり理解することの象徴となっているのだ。

そして眼鏡をかけ直した梨沙を、憧れの先輩がしっかり受け止めてくれる。病気になったメガネザルを病院に連れて行ったことが直接のきっかけになっているのも、また良い。

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最初の出会いも眼鏡だし、「見る」という主体性の象徴としての眼鏡もしっかり描かれているし、メガネザルも重要アイテムになっているし、起承転結構造になっているし、眼鏡的な見所が満載の良作である。

書誌情報

同名単行本全一冊。作者の聖千秋は青春のほろ苦さを厭味なく爽やかに描くことが得意な作家だが、密かに眼鏡っ娘キャラも多い。

単行本:聖千秋『VIP & celeb』集英社、2003年

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第137回:伊藤かこ「リップマジックへ誘って」

伊藤かこ「リップマジックへ誘って」

実業之日本社『おまじないコミック』1987年10月号

美しい「眼鏡っ娘起承転結構造」を鑑賞することができる佳作である。

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起:三橋杏子は三つ編みの眼鏡っ娘。勉強が良くできる一方、自分のことをかわいくないと思い込んでいる。その一方で、女性を外見で判断するような低脳男は「こっちからお断り!」で、「知的な男性と知的な恋をする」と夢見ている。現実を知らず、夢を夢見ている状態と言える。現実は「眼鏡をかけているからこそ美しい」のだが、それを認識できていない残念な状態だ。

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承:そこへ悪い男登場。杏子の眼鏡を外し、三つ編みをほどいて、化粧を施し、ファッション誌のモデルに抜擢する。チヤホヤされた杏子はたちまち舞い上がり、「自分を見抜いてくれた」と勘違いして悪い男に惚れてしまう。眼鏡をほったらかしにして、熱心に化粧を始める。だがもちろん、眼鏡っ娘から眼鏡を外すような男は、悪い奴に決まっているのだった。先が見えない不幸ロードまっしぐらだ。

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転:杏子の幼馴染みでヘアメイク担当の慎ちゃん(メガネスキーかつミツアミスキー)は、物事の本質を見抜いていた。眼鏡っ娘に心からの忠告をするが、眼鏡を外して心まで近眼になっている杏子には世界の真実が見えない。慎ちゃんの忠告を無視して悪い男にすがりつくが、最後には騙されていたことを知り、酷く心を傷つけられる。杏子は、ようやく自分が間違っていたことに気がつく。

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054_hyou結:杏子は再び眼鏡をかける。しかしそれは単に「起」の状態に戻ったことを意味しない。眼鏡をかけることで、杏子には世界の姿がよく見えるようになっている。現実をしっかり認識し、自分のことも深いレベルで理解し直している。杏子ははっきりと「眼鏡こそが自分の個性であり魅力である」と認識している。眼鏡をかけるとは、世界と自分を正しく認識するということだ。そして隣には慎ちゃん。眼鏡を外さないこの男は、きっと杏子を幸せにしてくれるだろう。

書誌情報

本編は60頁の短編。単行本『あなたからおしえて』所収。作者の伊藤かこは、他にも良い眼鏡っ娘マンガをいくつか描いている。作者似顔絵の眼鏡もかわいい。

単行本:伊藤かこ『あなたから教えて』実業之日本社、1990年

 

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