この眼鏡っ娘マンガがすごい!第54回:田渕由美子「聖グリーン★サラダ」

田渕由美子「聖グリーン★サラダ」

集英社『りぼん』1975年12月号

日本人が知っておくべき「新・3大 田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」、最後は『りぼん』1975年12月号に掲載された「聖グリーン★サラダ」です。この作品で「眼鏡っ娘起承転結理論」が決定的な形で完成します。

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まず有権者に訴えたいのは、『りぼん』本誌で田渕由美子の乙女チック人気が爆発したのは1976年はじめだということ。ということは、つまり1975年12月号に発表された本作が、乙女チック人気を決定づけたということ。そしてその作品こそが、まさしく「眼鏡っ娘起承転結理論」の完成形だったということであります。

主人公の「ありみ」は眼鏡っ娘。雅志と一緒にくらしております。しかし雅志と恋人関係というわけではなく、実はありみのお姉さんが雅志と結婚したのですが、そのお姉さんが死んでしまったため、雅志とありみが二人で生活しているのであります。そんな二人の生活の中で、なんということでありましょうか、ありみは眼鏡をかけません。そこで雅志は、男らしく言うのであります。「いつもメガネをかけていたほうがいいね」と。

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しかし、ありみは何故か眼鏡をかけることを断固拒否。「美貌をそこねる」という理由に、我々は不穏な空気を感じて不安になるのであります。しかし実は「美貌をそこねる」という理由は、言い訳にすぎず、本当の理由ではなかったのであります。

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054_03そう。実は、ありみは死んだお姉さんの真似をしていたのであります。奥さんが死んでしまって悲しんでいる雅志のために、お姉さんの代わりになろうと考えていたのであります。なんと健気な眼鏡っ娘。ありみは、雅志がいないところではしっかりと眼鏡をかけているのであります。

雅志は、そんなありみの心遣いによって、心が癒されていきます。お姉さんが生きていたころとまったく変わらない自然な生活。以前と変わらない朝の献立。雅志はありみと結婚してもいいとまで思います。眼鏡っ娘は、眼鏡を外すことによって、愛を獲得したかのように見えるのであります。

しかし、お姉さんの身代わりになって獲得した愛など、まやかしの愛にすぎないのであります。

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おせっかいなおばさんが雅志の元にお見合いの話を持ってくるのですが、ありみと結婚してもいいなどと言って何も気づいていなかった雅志に真実を告げるのであります。ありみがどうして眼鏡をかけようとしなかったのか。さすがに雅志も悟るのであります。

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ありみを縛っていたことに気がついた雅志は、おばさんの持ってきたお見合いに行くことを承諾。二人の不自然な生活に終止符を打つことを決意するのであります。
しかしありみはそれを受け入れることができないのであります。ありみは単にお姉さんの身代わりをして雅志を癒したかったのではなく、本気で雅志のことを好きになっていたのであります。身代わりでいいから少しでも一緒にいたいと思って、必死の思いで眼鏡を外していたのであります。しかし、それがマヤカシの愛にすぎないことに、眼鏡っ娘も気が付いていたのであります。
そこで、眼鏡っ娘は、「ほんとうのわたし」を取り戻すために、ついに眼鏡をかけるのでありました。いよっ、待ってました!

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眼鏡をかけて、ショートカット。朝ごはんの献立も、お姉さんが得意だった洋食ではなく、和食を作るようになるのであります。そんなありみを、雅志は「メガネもよくにあってる」と、しっかり受け止めるのであります。

054_08そして雅志は、お姉さんの身代わりではない、本当のありみと結婚することを決意するのであります。そのときの眼鏡っ娘の表情が、実に素晴らしいのであります。尊い涙なのであります。

眼鏡っ娘マンガ研究家のはいぼくは、言うのです。この作品は、「眼鏡のON/OFF」と「恋愛のON/OFF」が明確に構造化されたうえで、「起承転結」の流れが作られているのだ、と。そしてそれこそが乙女チック少女マンガが作り上げた、人類史上に誇るべき偉大な創作なのだ、と。この作品を読んだ後は、「眼鏡を外して美人」などという作品はジュラ紀に描かれたのかと思えるほど時代錯誤のクソタワケに見えるのだ、と。
その構造を表にすると、起承転結の流れが一目瞭然。

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眼鏡は「かけている/かけていない」のように0か100かのデジタルな性質を持っている特異なアイテムであって、それを「愛」の状態とリンクさせることによって起承転結の物語構造を簡潔に構成することができるのであります。田渕由美子はこれを最も説得力ある形で表現することに成功し、だからこそ時代の最先端を走る作家として絶大な人気を獲得したのであります。

というわけで、この作品を「新・3大 田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」のひとつとさせていただきます。ご清聴、ありがとうございました。

■書誌情報

054_01あんのじょう、収録単行本はプレミアがついてしまっていて、すこしだけ入手難度は高め。眼鏡っ娘マンガの正典に位置づくべき最重要の作品なので、広く読まれるような状況になってほしいなあ。

単行本:田渕由美子『あのころの風景』(りぼんマスコットコミックス、1982年)

愛蔵版:『田渕由美子全作品集 I 摘みたて野の花』(南風社、1992年)

 

 

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第53回:田渕由美子「雪やこんこん」

田渕由美子「雪やこんこん」

1975年『りぼん増刊号』お正月

日本人が知っておくべき「新・3大 田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」、続いては、1975年『りぼんお正月増刊号』に掲載された、「雪やこんこん」です。少女の内面を表すアイテムとして自由自在に眼鏡を描く卓越した技術を味わうことができます。

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053_03まず有権者に訴えたいのは、さすがの田渕由美子も最初から人気があったわけではないということ。デビューからしばらく描いていたのは「乙女チック」ではなく、1960年代からの伝統的な「母もの」と呼ばれるジャンル。掲載される雑誌も、『りぼん』本誌ではなく、もっぱら増刊号。しばらくは修行の時代が続いていたのであります。
そんな田渕由美子が大躍進を遂げるきっかけになったのは、やはり「眼鏡」でありました。本作「雪やこんこん」が掲載されたのは1975年お正月の「増刊号」でありましたが、ここでのブレイクをきっかけに、同年3月には『りぼん』本誌へと進出。そして瞬く間に人気を獲得し、翌年からは表紙に起用されるまでになるのであります。本作の眼鏡っ娘マンガが田渕由美子ブレイクの大きな足掛かりになっているのは間違いないのであります。そして本作の重要性は自他ともに認めるものであり、その証拠に田渕由美子の初単行本の表題は『雪やこんこん』となっており、眼鏡っ娘が見事に表紙を飾っているのであります。

053_04本作でまず注目したいのは、いきなり眼鏡っ娘の唯ちゃんがメガネを外してしまうところ。もしもこれが凡百のクソマンガだったとしたら、そのまま美人と認定されて彼氏ができてしまうところでありますが、そこはさすがに田渕由美子、そんな愚は犯さないのであります。唯は眼鏡を外したことで「昌平なんていうかな早くこないかな」と、幼馴染の昌平くんに褒めてもらえると思い込んでいるのですが、やってきた昌平くんは、そんな唯の期待にはいっさい応えてやらないのであります。眼鏡を外したところでいいことなんてちっとも起こらない。唯は世界の真実をここで思い知るのであります。
そう、眼鏡を外した女をチヤホヤするのは、所詮はただの脇役ども。本当の乙女チック少女マンガのヒーローは、眼鏡を外した女を褒めることなど、絶対にありえないのであります。そんなわけで、唯はもういちど眼鏡をかけなおすのであります、よかったよかった。

053_05しかしそんな眼鏡っ娘を陰から狙っていた香椎先輩に、眼鏡っ娘はいきなり襲われてしまい、眼鏡っ娘大ピンチ。香椎先輩に襲われたとき、唯の眼鏡は弾き飛ばされて、無残にも割れてしまうのであります。物語上、唯の眼鏡が外れるのはこれが2回目。1回目のときは、昌平くんは眼鏡がなかったことに対して、完全スルーで対峙しておりました。しかしこの2回目のときは、昌平くんは優しく「おまえメガネは?」と声をかけているのであります。眼鏡を外して美人になったなどと勘違いしているときにはスルーしてやるべきでありますが、不可抗力で眼鏡がなくなってしまった時には、なにがなんでももう一度きちんと眼鏡を発見しなくてはならないのであります。「コンタクト」などと口走った唯の言動に不自然さを嗅ぎ取った昌平は、唯の眼鏡を探しにでかけるのであります。

053_06そして昌平は、香椎先輩を見つけるのでありますが、その手にあるのは、眼鏡。そして素晴らしいことに、一目見ただけで、それが唯の眼鏡だと気が付くのであります。好きな女の眼鏡がどういうものかは、男として絶対に知っていなければならないのであります。見た瞬間にそれが好きな女の眼鏡であることに気が付かなければならないのであります。まさにそれこそが、乙女チック少女マンガのヒーローとしての存在理由なのであります。

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053_08そうして眼鏡を見つけた昌平は、寂しがっている唯の元へ駆けつけるのでありますが、この登場シーンが、また実にすばらしいのであります。香椎先輩から取り戻した唯の眼鏡を、なんと自らかけて唯の前に登場するのであります。こんなことされたら、惚れてまうやろ! こうして昌平は、眼鏡によって自分と唯の間にかけがえのない絆が結ばれているということを確認するのです。
そして昌平は、自ら唯の顔に眼鏡をかけてあげるのであります。実にうらやましいのであります。こうやって眼鏡っ娘の元に再び眼鏡が戻るということは、破滅しかけた世界がもう一度復活することの象徴なのであります。
眼鏡っ娘研究家のはいぼくは、言うのです。本作は、(眼鏡有)→(眼鏡無)→(眼鏡有)→(眼鏡無)→(眼鏡有)というように進行するが、その眼鏡のON・OFFの切り替えは「起承転結」という物語構造の転換に対応しているのだ、と。そして単に外面的なアイテムだと思われていた眼鏡は、実は物語構造の根幹をコントロールする最も重要な鍵の役割を果たしているのだ、と。まさにこの眼鏡に支えられた内面の描写力によって田渕由美子の人気は大爆発し、本作発表直後から本誌で縦横無尽の大活躍をするようになったのであります。

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こうして眼鏡が結ぶ二人の恋を、我々は温かい気持ちで応援することができるのであります。本当に、うらやましい、私もこんな恋がしたいのであります。
というわけで、この作品を「田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」のひとつとさせていただきます。

■書誌情報

微妙にプレミアがついているけれど、手に入らないわけでもない。単行本『雪やこんこん』と、愛蔵版『全作品集Ⅰ』に所収。

単行本:田渕由美子『雪やこんこん』(りぼんマスコットコミックス、1976年)

愛蔵版:『田渕由美子全作品集 I 摘みたて野の花』(南風社、1992年)

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この眼鏡っ娘がすごい!第52回:田渕由美子「ローズ・ラベンダー・ポプリ」

田渕由美子「ローズ・ラベンダー・ポプリ」

集英社『りぼん』1977年8月号

日本人が知っておくべき新・三大「田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」、まず一つ目は1977年『りぼん』8月号に掲載された「ローズ・ラベンダー・ポプリ」です。この作品では乙女チックの最重要概念である「ほんとうのわたし」が、ストレートに表現されている様子を見ることができます。ご覧ください。

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052_01まず有権者に訴えたいのは、田渕由美子が1970年代後半の集英社『りぼん』の看板作家だったということ。その証拠に、田渕由美子は『りぼん』の表紙を何度も担当するのであります。そのデータは、右に掲げた表に一目瞭然。大人気の田渕由美子は、同時期に『りぼん』で活躍した陸奥A子と太刀掛秀子と合わせて「乙女ちっく」と呼ばれ、少女マンガの新時代を牽引した中心作家だったのであります。
そんな田渕由美子の武器は、もちろん「眼鏡」。集英社『りぼん』レーベルから出ている単行本は7冊でありますが、なんとそのうち3冊の表紙が眼鏡っ娘。眼鏡っ娘が43%も表紙を飾るとは、同時期の少女マンガの常識では考えられない、圧倒的な眼鏡力なのであります。りぼん本誌の表紙にはさすがに眼鏡っ娘は少ないものの、1980年に担当した『りぼんオリジナル』の表紙は、なんと5回のうち4回が眼鏡なのであります!

052_02そんな田渕由美子が乙女チック人気絶頂時に発表したのが、この「ローズ・ラベンダー・ポプリ」であります。ヒロインの眼鏡っ娘・中里麦子ちゃんは、周囲からはちょっと風変わりな女の子だと思われているけれど、もうそんなのは慣れっこ。ここで注目していただきたいのは、「わたしのことをわかってくれる人なんてこの世に一人いればそれで十分よ」というセリフであります。これがそれ以前の少女マンガと乙女チックマンガとで決定的に異なる重要ポイントなのであります。従来の少女マンガのヒロインは、全ての人に愛されるようなキャラクターでありました。しかし眼鏡っ娘は、「万人うけ」を断固拒否。「ほんとうのわたし」を貫くことを決意しているのであります。これこそが田渕由美子の乙女チックの真骨頂であり、さらに言えば「眼鏡」が象徴しているのがまさに「ほんとうのわたし」なのであります。「ほんとうのわたし」とは眼鏡をかけているわたしのことであって、そんな私を眼鏡のままに「わかってくれる人」を眼鏡っ娘は待っているのであります。眼鏡を外して「ほんとうのわたしデビュー」などと言っているクソタワケには、田渕由美子の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいのであります。

しかしそんな眼鏡っ娘の態度は、外部には「素直じゃない」とか「意地っぱり」などと受け止められてしまうのであります。本当は眼鏡っ娘もコンプレックスを抱いているのであります。幼馴染の幾島静は、イケメンで頭もよく、そして優しい男の子。密かに幾島くんに恋している眼鏡っ娘は、コンプレックスのために告白することもできずに意地を張ってしまうのであります。「ツンデレ」と「意地っぱり」の違いは、このコンプレックスの有無にあります。コンプレックスゆえに素直になれない意地っ張ぱりの眼鏡っ娘を、しかし最後は幾島くんが受け止めるのであります。眼鏡っ娘を眼鏡のまま受け止めてあげられる男こそが、本当のヒーロー、乙女チックマンガのヒーローにふさわしいのであります! 眼鏡を外さないと女を受け入れられない男は、ただの外道だから地獄に落ちればいいのであります!

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最後に素直になれた眼鏡っ娘の涙は、本当に心を打つのであります。コンプレックスを解消するのではなく、それもまた自分の一部であると素直に受け入れることによって、眼鏡っ娘は眼鏡のままに幸せになるのであります。
はいぼくは言うのです。眼鏡というアイテムは「ほんとうのじぶん」という概念と結びつけられることによって、ついに思想の域に達した、と。そして、田渕由美子こそ、眼鏡を単なる外見上のアイテムから少女のアイデンティティを表現する思想へと高めた作家なのだ、と。
というわけでこの作品を、新・3大「田渕由美子の”乙女チック”眼鏡っ娘マンガ」のひとつとさせていただきます。

■書誌情報

人気作家だったので入手先としていくつかの選択肢があるが、残念ながらどれもこれもプレミアがついていて、入手難度はちょっと高め。

単行本:田渕由美子『フランス窓便り』(りぼんマスコットコミックス、1978年)

文庫本:田渕由美子『林檎ものがたり―りぼんおとめチックメモリアル選』(集英社文庫―コミック版、2005年)

愛蔵版:『田渕由美子作品集★1フランス窓便り』(南風社、1996年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第48回:柊あおい「星の瞳のシルエット」

柊あおい「星の瞳のシルエット」

集英社『りぼん』1985年~89年

048_02脇役だからこそ、ひときわ輝く眼鏡っ娘がいる。本作の眼鏡っ娘、沙樹ちゃんは、その代表といえよう。この沙樹ちゃんのおかげで眼鏡DNAが覚醒した者も多い。たとえば、眼鏡友の会/E.Cとか。

さて、 香澄、真理子、眼鏡っ娘の沙樹は、仲良し三人組。いちおう主人公は香澄ちゃんだが、顔がかわいい以外にはたいした取柄がない。そんな香澄ちゃんには久住くんという運命の相手がいるのだが、その久住君を真理子が好きになってしまう。要するに三角関係。そこにプレイボーイの司くん(眼鏡っ娘の幼馴染)が香澄ちゃんを狙って割り込んできた。眼鏡っ娘は、外部から冷静な批評者として行動することになる。

まあ結果としては香澄と久住くんがカップルになるのだが、そんなことはどうでもよい。香澄と久住くんは、よくもまあ連載5年、単行本10巻分も、モヤモヤの関係を続けられたもんだ。見ているこっちの方がイライラする。そう、読者の立場からして、香澄ちゃんにちっとも感情移入できないのだ。一方の真理子にもイライラする。いいかげん、自分の立ち位置に気づけよ!という。感情優先の真理子にもイライラするし、道徳優先の香澄にもイライラする。そこで燦然と輝くのが、もっとも理知的な眼鏡っ娘なのだ。いや、もはや人間として尊敬できる対象が、眼鏡っ娘しかいないのだ。香澄と真理子だけではちっとも進まなかったストーリーが、眼鏡っ娘が出てきた途端に見通しが良くなる。話がすっきりして、気持ちもハレバレする。眼鏡っ娘カタルシス。こうして我々は眼鏡っ娘にハマっていく。

このシステムを、私は「キャラクター有機体構造」と呼んでいる。主人公クラスの登場人物が3人以上いる場合、それぞれのキャラクターに代表的な価値観を割り振って、役割を分担させる。もっとも分かりやすいのが、「星の瞳のシルエット」に見られるような「道徳的(香澄)/感情的(真理子)/理知的(沙樹)」という役割分担だ。すると、物語の中で「道徳的な香澄」と「感情的な真理子」が対立することは、一人の人間の心の中で起こる「道徳的な部分」と「感情的な部分」の対立に代入して理解することができる。このシステムを用いることによって、眼には見えない心の中の動きや関係を、物語という形で眼に見えるように明らかにすることが可能となる。このシステムは「星の瞳のシルエット」が初めて開発したわけではなく、今から2300年前のギリシャで活躍した哲学者プラトンが『国家』という本の中で明らかにしている。少女マンガでは1970年代後半から「キャラクター有機体構造」を採用する作品が増加し、1980年代半ばには大きな支持を得るようになる。その発達は、「熱血/クール/チビ/デブ/女」というガッチャマン型有機体構造が「熱血/クール/女」というウラシマン型有機体構造へと洗練される過程と軌を一にしている。さらに1990年代以降、「キャラクター有機体構造」は、ギャルゲーの中で独特な進化を遂げていくことになるだろう。

このような有機体構造において、眼鏡っ娘は一貫して理知的なポジションで働いてきた。有機体構造で動かすキャラクターは、あまり複雑な人格にしないほうがよい。より価値観を純粋に体現したキャラクターであるほど有機体構造の働きが見えやすくなるため、一つのキャラクターの中に複雑な価値観は同居させないほうが物語はうまく運ぶ。というとき、ある集団の中に眼鏡は一人、そして理知的なポジションをとるようになる。これは有機体構造を煮詰めた場合の必然的な結果といえる。もっとも煮詰まった形が「星の瞳のシルエット」であり、だからこそ「理知的」な人間は圧倒的に沙樹ちゃんに心惹かれるしかないのだ。ウダウダしている香澄や空気が読めない真理子は、あんぽんたんのウスノロにしか見えない。

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だからというか。沙樹ちゃんが有機体構造から抜け出して独立した一つの人格として行動したとき、それまでの世界がいっぺんに裏返ってしまうような、途方もないカタルシスを味わうことになる。最後まで有機体構造の枠の中で行動した香澄や真理子があくまでも作者の価値観を代表していたのに対し、沙樹だけは個性ある人格となった。「星の瞳のシルエット」は、沙樹の物語なのだ。

■書誌情報

全国250万乙女のバイブルだけあって、たいへんな人気があり、古本で全巻容易に手に入る。

単行本セット:柊あおい『星の瞳のシルエット』全10巻完結セット (りぼんマスコットコミックス)

ところで、「パンをくわえた遅刻少女」について、そんな実例が少女マンガの中に本当にあるかどうか疑っていた時期があったが。はい、ありました。「星の瞳のシルエット」で、沙樹がパンを咥えて登校していた。数万作の少女マンガを読んできた私であるが、実際にパンを咥えて登校するキャラを見たのは、これを含めて2例しかない。新人賞受賞のとき、一条ゆかりに「古臭い」とコメントされただけのことはある、誰にも真似のできないすごいセンスだ。そこにシビれるあこがれる。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第45回:釣巻和「あづさゆみ」

釣巻和「あづさゆみ」

集英社『Cocohana』2012年3月~13年1月号

甘酸っぱい思春期特有の切なさと温もりを描き切った秀作だ。
ヒロインの蔦乃鳴海は、眼鏡っ娘14歳、中2で三つ編み2本。幼馴染の「はる」からは「なる」と呼ばれている。過疎化が進んで中学校が統廃合され、2年生から電車通学することになった。いつも一緒に仲良く登下校していた二人だったが、お互いを男女として意識し始めてから、関係がギクシャクしはじめる。不器用な二人は、意地を張ってしまい、なかなか素直になれない。昨今ではこういう素直になれないキャラを一律に「ツンデレ」と呼ぶようだが、この作品の澄み切った空気にはぜひとも「意地っ張り」という言葉を適用したい。大人になりつつある自分の心身の変化にとまどう思春期特有の不器用さに対しては、「ツンデレ」という言葉は似つかわしくない。
そして、昔のままではいられない二人の関係に心が揺さぶられた眼鏡っ娘は、「大人になりたい」と強く願う。このときの眼鏡っ娘の表情が、胸に響く。

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自分がまだ「子供」だと自覚した時に、人は強く「大人になりたい」と願う。往々にしてそのときに思った「大人」と実際になってみた「大人」とは違っていることが多いわけだが、そのこと自体はたいした問題ではないだろう。「大人になりたい」という感情が自分の内側から湧き上ってくること自体が、かけがえのない経験になる。

眼鏡の描写にも注目したい。セルフレームの描写が極めて立体的で、眼鏡に圧倒的な存在感を与えることに成功している。見ていて、とても心地よい。そしてフレームを透明にして眼を見せるというマンガでしかできない描写をすることで、表情がさらに豊かに見える。単行本には読み切りで描かれた眼鏡のないバージョンがあるが、それと比較すると、眼鏡があることによって表情がいかに魅力的になっているかが一目瞭然だ。

さて、眼鏡っ娘は、最終的には「はる」くんといい雰囲気になるのだが。「はる」くんは学年一番の頭脳の持ち主のうえに、スポーツもできて、極めつけに優しい。眼鏡っ娘の相手として相応しいわけだが、その「はる」くんが眼鏡フェチである可能性について言及しておきたい。それは下の引用図に見える。

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忘れていった眼鏡を届けるのはいいとして。注目したいのは、眼鏡を手渡しするのではなく、自ら顔にかけてあげて、しかも「よし」と言っているところだ。実際に相手に眼鏡をかけさせたことのある人間ならわかるのだが、これ、簡単にはできないのである。きちんと眼鏡をかけさせることは、実は極めて難易度の高いミッションなのだ。この男は、中2にして、それを易々と達成している。眼鏡をかける練習を日頃から繰り返していなければ、こうはできない。この男は、明らかにメガネストだ。
で、たいへん衝撃的なことに、単行本のオマケ描きおろしで、なるが高校生になってコンタクトにしてしまったことが明らかになった。ガッデム!!!!!!!この大馬鹿野郎が!!!!
眼鏡を外した「なる」は、おそらく「はる」に振られることになる。「はる」は眼鏡の「なる」が特別に好きだったのであって、眼鏡を外した「なる」なんて眼中になくなるだろう。そこで「なる」がどういう選択をするか。これが二人の物語の第二章になるだろう。

■書誌情報

新刊で手に入る。
こういう甘酸っぱい思春期ものは、昔から『ぶ~け』や『別マ』など集英社少女マンガが得意なジャンルなように思う。いくえみりょう、逢坂みえこ、耕野裕子あたりの集英社少女マンガの良質のエッセンスを引き継いだ、とてもセンスのいい作品だ。また男性でも抵抗なく読める絵柄とストーリーのように思う。

単行本:釣巻和『あづさゆみ』(集英社、2013年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第29回:高口里純「獣の条件」

高口里純「獣の条件」

集英社『漫’sプレイボーイ』2010年

029_01稲村まどかは、客観的に見たら、勘違いの痛い不思議ちゃんなんだろうなあ。まあ、眼鏡っ娘なので全面的に許す。というわけで、高校卒業後、女優を目指して上京する眼鏡っ娘。しかし当然そんなに簡単に女優になれるはずがない。そんな折、2つのキッカケが眼鏡っ娘に訪れる。ひとつは、キャバクラにスカウトされたこと。もうひとつは、ボディスタントとして芸能事務所に目をつけられたこと。眼鏡っ娘は、実は脱いだらスゴかったのだった。
ということで、スカウトされてキャバクラ店に向かうのだが、ここのエピソードがなかなか興味深かった。眼鏡を外したら、点目になって、ちっともかわいくないのだ。

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まあそりゃあ、メガネをとったら、こうなるわな。
さて、そうこうあってキャバクラで働くことになった眼鏡っ娘は、自分では自覚していないものの、他に類を見ないモノスゴイ体によって、徐々に周りから一目置かれる存在へと変化していく。

029_03一方、芸能事務所と契約を結んだ眼鏡っ娘は、ボディスタントとして映画の濡れ場を一本こなす。その中で、ちょっとした成長を遂げ、周りからもその特殊な才能を徐々に認識されていく。そしてその特異な存在は、周りにも影響を与え始める。そんな眼鏡っ娘が新たな世界にチャレンジしようとして……唐突に物語は終わってしまった。

高口里純の持ち味といえば、代表作『花のあすか組』にも鮮明に見られるように、キャラクターの独特な存在感の強度にある。独立自尊の個性をこれほど説得力溢れるエピソードで描ける作家は、なかなかいない。その持ち味は、本作でもしっかり発揮されている。主人公の眼鏡っ娘が醸し出す存在の強度は、一歩まちがえばただの不思議ちゃんになるところに、独特な魅力を纏わせる。この魅力的な眼鏡っ娘の今後が気になるところで唐突に物語が終わってしまったのは、とても勿体ないことだと思う。

作品自体は惜しいなあという感じではあるが、ともかく、「眼鏡を外したらブス」という世界の真実を描いたことは記録に留めておきたい。

■書誌情報

単行本:高口里純『獣の条件』(ケータイ週プレCOMIC、2010年)全1巻。

高口里純は、他にレディコミで眼鏡さんをヒロインとした作品をそこそこ描いていて、やはり男に媚びない独立自尊の凛々しい眼鏡姿を見ることができる。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第28回:まつざきあけみ「天使のくれたメガネ」

まつざきあけみ「天使のくれたメガネ」

集英社『増刊マーガレット』1970年1月

028_02ヒロインのユミちゃんは、極度の恥ずかしがり屋。大好きな島くんに話しかけられても、すぐに逃げ出してしまう。そんなユミちゃんの前に、なみだの精が現れて、魔法のメガネをくれた。そのメガネをかけると、なんでも思い通りの夢が見られるというのだ。さっそくメガネをかけてみると、大好きな島くんとラブラブになれた。メガネのおかげだと大喜びするユミちゃん。しかし実は、なみだの精は嘘をついていた。それは魔法のメガネでもなんでもなく、夢の中だと思っているのはユミちゃんだけで、実際は現実世界で島くんとラブラブになっていたのだった!
が、そんなことは全く知らずに、メガネのおかげで夢の中の島くんとラブラブになれたと喜ぶユミちゃん。ところがライバルの優子がイジワルしてきて、なんと魔法のメガネが割れてしまった! 堪忍袋の緒が切れて、怒りにまかせて思わず優子を殴ってしまうユミちゃん。が、憧れの島くんにその場面を見られ、さらに優子を殴ったことを咎められ、しかも「たかがメガネをわったくらいで」と言われてしまう。そう言われてショックを受けたユミちゃんが示したリアクションが、これだ。

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「たかがメガネですって!?」って、当然のリアクションだ。魔法のメガネでなく、普通のメガネを割られたときだって、このリアクションだろう。
まあ、最後はユミちゃんも自分の勘違いに気が付き、夢の中ではなく現実世界で島くんと仲良くなったことを知る。そして島くんに対しても素直になれて、ハッピーエンド。しかしユミちゃんは、メガネのおかげで恋が実ったことをちゃんとわきまえていて、メガネに感謝の気持ちを伝えることを忘れなかった。いい子じゃないか。

しかし、まつざきあけみと言えば縦ロールなどゴージャスな絵柄が印象的な作家なんだけど、1970年段階ではこういう絵柄だったのね。あと、本作を通じて、メガネだから容姿が劣るなどという愚かな観念が皆無なところにも注目。1970年時点ではメガネ=ブスという観念は未発達だったことを示している。

■書誌情報

単行本:まつざきあけみ『タイム・デイト』(ペーパームーン・コミックス、1980年)に所収。多少プレミアがついているけど、まだ手に入りやすい部類か。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第16回:くらもちふさこ「うるわしのメガネちゃん」

くらもちふさこ「うるわしのメガネちゃん」

集英社『別冊マーガレット』1975年9月号

016_01前回「メガネちゃんのひとりごと」に続いて、くらもちふさこ作品。眼鏡エピソードという意味では、この作品のほうが純度が高い。

ヒロインの眼鏡っ娘ヨーコは、家が眼鏡屋さん。検眼士の高貴さんに憧れているが、眼鏡がコンプレックスで、告白することもできない。そんななか、高貴さんの弟で本作のメガネスキーヒーロー、幸路が登場する。この幸路が並々ならぬメガネスキーで、彼の行動や発言の一つ一つが心にしみる。まず登場シーンが衝撃的。

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「ヘエ、メガネ屋の娘が近眼かあ」。並みのメガネスキーでは、一生のうちに一度たりともこんな劇的なセリフを吐く機会は与えられない。私も眼鏡屋の娘の眼鏡っ娘と知り合いたい。

016_03そしてヨーコが眼鏡を外そうと間違った決意をしてしまったときに、なんとか眼鏡をかけさせようと説得する姿が素晴らしい。

そして、さらに幸路は、自分がメガネスキーであるとカミングアウトする。かつて好きになった憧れの女性が「メガネをかけていた」ことをことさら強調し、さらに「とてもメガネの似あう人だけど、ヨーコちゃんはもっと似あうと思ってる」と説得を続ける。ふられた理由を、ヨーコには「メガネのせい」だと言われるが、「おれ、かけたほうがひきしまるもん」と、意に介さない。見上げたメガネスキー魂。この男、本物のメガネスキーである。見習いたい。

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しかし幸路の説得の甲斐なく、ヨーコの決心は変わらない。そこで幸路は賭けに出る。もしもヨーコが眼鏡なしで生活することができたら、眼鏡が必要ないことを意味する。しかし不便なことが明らかだったときは、眼鏡は切っても切り離せない関係にあることを意味する。幸路は、ヨーコにとって眼鏡が体の一部であることを証明しようとしたのだ。そのときのモノローグが素晴らしい。

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「かけてほしいなメガネ。あの娘とても似あうんだから」。この男、完全に我々の同志である。
そしてヨーコは台風の中、眼鏡無しで大丈夫なことを証明しようと頑張るが、当然大丈夫じゃない。それどころか命の危険すら感じるような状況で、幸路は陰からヨーコを助ける。この男、自分が眼鏡っ娘のメガネの代わりを務めているのだ。男ならこうありたい。
しかし最後の最後、あと一歩で眼鏡無しになりそうなところで、幸路はヨーコの足を引っ掛けて邪魔をして、世界の真実を告げる。「メガネをかけたままでいいと思う」

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幸路の説得に、ついにヨーコが心を動かされ、メガネを受け入れる。幸路がヨーコにメガネをかけるシーンが非常に美しい。

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メガネをかけることによって「まぶしい世界」が戻ってくる。そしてヨーコはメガネをかけて初めて幸路を自分の目でしっかりと見る。自分のメガネの代わりを務めた男がまぶしく輝いていることを知ったのだ。我らがヒーロー、メガネスキー幸路の眼鏡への情熱が一人の眼鏡っ娘を救った、感動的な眼鏡物語だ。

■書誌情報

「メガネちゃんのひとりごと」と同じく単行本:くらもちふさこ『赤いガラス窓』 (マーガレット・コミックス、1977年)に所収。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第15回:くらもちふさこ「メガネちゃんのひとりごと」

くらもちふさこ「メガネちゃんのひとりごと」

集英社『別冊マーガレット』1972年10月号

015_01くらもちふさこのデビュー作が眼鏡っ娘マンガだったことは、いくら強調しても強調したりない、極めて重要な事実だ。
1980年代のくらもちふさこと言えば、押しも押されぬ少女マンガの看板作家で、特に都会派感覚にあふれるオシャレな作風で一世を風靡した。平成の世でも新たな作風で読者を魅了し続ける、常に進化し続ける超一流作家だ。その天才くらもちふさこは、眼鏡っ娘マンガと共に我々の目の前に現れたのだ。

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主人公のアコは、眼鏡っ娘。しかし眼鏡にひどくコンプレックスを持っている。東くんに片思いしているが、眼鏡コンプレックスのために告白する勇気もない。
しかし、思いがけずに東くんに自分の思いを伝えてしまう眼鏡っ娘。近眼のため、眼鏡を外していたから、目の前にいたのが東くんだと気が付かなかったのだ。しかし、ここで東くんが見せた態度が、決定的に男前だった。

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「だってメガネかけてるのよ」と涙を見せる眼鏡っ娘に、東くんは「メガネはきみの魅力だぜ」と世界の真実を告げる。東くんのこのセリフによって、眼鏡っ娘のコンプレックスは溶けていったのだった。かっこいいぜ、東くん!

015_04 1972年のデビュー作なのに、既にコマ割りのテクニックがすごい。眼鏡っ娘がメガネを外して近眼なところでは、コマの枠線がふらふら揺れて視界がぼやけていることを表現するなど、当時のプロの水準からみても新しい試みを各所に確認できる。天才の片鱗がデビュー作から見られるのだ。そして、そのデビュー作が眼鏡っ娘マンガであり、しかも「メガネはきみの魅力だぜ」というセリフに明らかなとおり、眼鏡のまま少女が受け入れられるというストーリーであったことは、少女マンガ史を考える上で決定的に重要な事実だ。少女マンガで「メガネを外して美人」などというのは、力のない無能な作家が考えなしに描いているだけだ。力量があるスター作家は、眼鏡っ娘が眼鏡のまま幸せになる作品を描く。本作はその事実を端的に表している、雄弁な証拠と言えよう。

■書誌情報

単行本:くらもちふさこ『赤いガラス窓』 (マーガレット・コミックス、1977年)に所収。amazonではプレミア出品が多いが、まだ手に入りやすい部類か。

あるいは文庫本:くらもちふさこ『わずか5センチのロック』 (集英社文庫)にも所収。こちらのほうが手に入りやすそう。
または大型ムック本『くらもちふさこの本』 (1985年)にも所収されているが、激プレミア。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第11回:太刀掛秀子「まりの君の声が」

太刀掛秀子「まりの君の声が」

集英社『りぼん』1980年4月号~12月号

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とにかく絵がかわいい。太刀掛秀子の描く眼鏡っ娘は、可憐だ。一昨年開催したメガネっ娘居酒屋「委員長」に中村博文氏が出演したが、そのときに太刀掛秀子の絵が好きで、練習のお手本にしたと伺った。言われてみれば、確かに髪の毛や植物の繊細な描線やコマ割りなどの画面構成に面影があるような気がしてくる。70年代少女マンガの集大成とでもいえるような繊細かつ華やかな表現技術、特に絶品の眼鏡描写技術の素晴らしさは、今見ても色あせていない。

011_02本作ヒロインの眼鏡っ娘、西崎まりのは、大学生。あたたかく魅力的な声を持つまりのは、人形劇の世界に魅せられていた。メガネくんの部長と一緒に、大学の人形劇サークルで子供たちのために公演を続ける。そんなまりのに次第に惹きつけられていく主人公のよしみ君だったが……。

1970年代後半から80年ごろまで、集英社『りぼん』誌上を「乙女ちっく」が席巻する。特に「乙女ちっく」の中心にいたのが、陸奥A子、田渕由美子、太刀掛秀子の3人だった。特に眼鏡っ娘の歴史を考えたとき、りぼん「乙女ちっく」は決定的な役割を果たしている。本コラムでも「乙女ちっく」の意義については繰り返し言及することになるだろう。
本作は、「乙女ちっく」が成熟し、作画技術が一つの極点に達したところで描かれている。眼鏡っ娘をヒロインとして9か月間連載されるという、『りぼん』誌上に燦然と輝く眼鏡っ娘マンガの代表作と言ってよいだろう。

011_03しかし同じ「乙女チック」といっても、作風はまったく異なる。陸奥A子は超ポジティブ能天気、田渕由美子は近代的自我の萌芽、太刀掛秀子は繊細シリアス。この作品も、キャラクターの内的な葛藤を繊細に描ききることで、読んでいる最中に身悶えしてしまうような作品に仕上がっている。

そんなわけで、すかっとした娯楽を求めている人には太刀掛秀子作品はお勧めしにくいのだが、キャラクターの葛藤に付き合って一緒に泣いたり笑ったり、じっくり作品を読もうという人には、ぜひ手に取ってほしい作品だ。

■書誌情報

単行本は全2巻。現在、単行本は手に入りにくいが、文庫版(全1巻)はおそらく容易に手に入る。

文庫版:太刀掛秀子『まりのきみの声が』 (集英社文庫)

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