回顧(9)第6回:2008年02月29日

おっと、マラソンよりも、第6回のほうが先でしたね。

第6回で特筆すべきことは、ようやく小野寺浩二さんにご参加いただいたことですね。打ち合わせの時は大人しい方に見えたのに、本番ではいきなりトップギアで暴走し始めて凄いことになりましたね。びっくりした。
個人的には、これを機会に南雲鏡二の倫理性について深く考える機会になり、眼鏡統一理論に向けて大きな一歩とすることができました。

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そして、めがねっ娘教団服の実装もこの時からでしたね。あれで勢ぞろいした舞台の怪しさといったら、酷いものでした。むりやり小野寺さんに着せたのは、ひどい暴挙でしたね・・・。
内容としては、鯖江遠足と鯖江修学旅行の報告がメインでした。

回顧(8)めがねマラソン:2008年9月7日

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鯖江でめがねマラソンが開催されていることは知っていたのですが、2008年の第29回に満を持して参加……すると死んでしまいそうなので、見学に行ってきました。このマラソンは、スタートとゴールで眼鏡をかけていないと失格というルール以外は、普通です。第29回には約700人の眼鏡ランナーが参加して、大盛況でした。私は見学ということでコースには出なかったのですが、地元の自民党代議士や鯖江市長などと一緒に、なぜかゴール目の前の来賓席で見学していました。

で、なぜかこの時に「第3回メガネっ娘&メガネ男子コンテスト」に関する打診を受けて、私が背後で動くことになりました。縁というのはどこに転がっているかわからないものですね。

ちなみにメガネマラソンはこの回で終了してしまいました。なんとか最後のイベントに間に合ってよかったとはいえ、そうと知っていれば死んでもコースに出るんだったと、今となってはちょっと悔しいものがあります。

回顧(7)鯖江修学旅行:2007年9月16日

遠足の翌年、2007年9月16日には、第2回メガネっ娘&メガネ男子コンテストに参加するべく、今度は宿泊で鯖江に行きます。しかも東京からバスをチャーターして出動、1泊3日という強行日程でした。そしてここで伝説が生まれることになろうとは、出発時点では誰も予想だにしていなかったのでした。

高速のサービスエリアで着ぐるみさんが大人気だったり、鯖江で夕食に入った店の名前が「ながと」で盛り上がったりといろいろありましたが、最大のクライマックスはやはりコンテストでした。
司会が昨年に引き続き小悪魔的メガネっ娘で、我々が送り込んだ刺客は次々と返り討ちに沈んでいきました。もはやこれまでかと誰もがあきらめたとき、競輪戦士が奇跡を起こした・・・・。何が起こったか誰にも分からなかったが、グランプリを獲得したのは東京からバスツアーに参加し、バス中では手作り梅酒を飲みまくってヘベレケになっていた、ただのオタク、競輪戦士吉井正光だったのだ!
あんなに爆笑したのは、人生でこのただ一回きりのような気がします。あの衝撃の瞬間は、今でも忘れられません。凄かった。

そんな日本一のメガネ男子の称号を勝ち取った競輪戦士は、いまではめがねっ娘教団員として、豊橋競輪場などで元気に布教活動を繰り広げておりますね。

回顧(6)鯖江遠足:2006年11月12日

2006年の秋、第一回「メガネっ娘&メガネ男子コンテスト」が鯖江市で開催されるということで、これを機に鯖江遠足を決行しました。尾田島委員長引率の下、参加者はマンガ家の山本夜羽音さん、眼鏡時空主催者の海渡さん、関西弁中華眼鏡っ娘の紅蘭さん(中の人などいない)、マンガ家の磨伸映一郎さんです。
まあ、現地集合・現地解散だったんですけれどもね。

めがね工房見学や文殊山の大オブジェ下での撮影会を経て、メガネコンテストに臨みました。小悪魔的な眼鏡っ娘司会者にハァハァしながら、我々も参加。コンテストに出場した若かりし磨伸映一郎さんの雄姿も写真に収めておりますが、まあこれは大阪会場に来た人のお楽しみということで?
終了後は鯖江市長も会場に訪れ、尾田島委員長や紅蘭さんと握手を交わしたりしましたが、この市長が『メガネブ!』放映時もまだ市長を務めているとは、この時点では誰も想像していなかったのだった。

その後、めがね会館の立派な会議室で、鯖江市役所の職員さんも交えた眼鏡サミットを行いました。いま思い起こしても、たいへん画期的な場だったと思います。
私は眼鏡マンガを持ち込んでメガネが既に文化になっていることをアピール。夜羽音さんからは「メガネロード」の主張。磨伸さんからは映画の誘致による観光資源創出の提案など、思い思いの発言をしてきました。磨伸さんの提案は、7年後に『メガネブ!』という形で実現することになりましたね。

回顧(5)第5回:2006年11月5日

第5回で特筆すべきことは、なんといっても、まゆちゃん登場!
めがねっこアイドルとしての活動は2002年から知っていたのですが、ようやく「委員長」へお呼びすることができました。今では定番となったライブもここから始まっています。まゆちゃんの膝が凄いと、伊藤伸平さんが鼻の下を伸ばしていたのがとても印象的でした。

内容として特筆すべきことは、ここから鯖江との交流を本格的に開始したことです。夜羽音さんの鯖江レポートが皮切りとなったのですが、そのあと劇的な話へ展開することは、この時点では誰も想像していなかったのでした。
メガネというアイテムそのものを深めていこうという意識が芽生え始めたのもこのあたりからです。 iOFT見学レポートなどを行いました。

また、桜坂さんによる「萌え」の変化に関する話はとても刺激的でした。メイドやネコミミといった外面的な「萌え要素」が後退し、ツンデレや素直クールといった内面的萌えが浮上してきたという話でしたが、メガネ萌えについて考える上でもたいへん示唆的な内容でした。

出演者は、恒例の西川魯介さん(まんが者)、伊藤伸平さん(漫画家)に加え、久々出演の山本夜羽音さん(マンガ家)、前回から引き続き登場の桜坂洋さん(小説家)、初登場の神咲まゆみさん(シンガーソングライター)、Cutie Pai(アイドル)、総合司会のアニメ会(国井咲夜、三平×2のお笑いユニット)、さらにはリアル?委員長として『T○Heart』から保科委員長(中の人などいない)と『ガウガウ○ー太』から尾田島委員長(中の人などいない)にも特別参加していただき、盛りだくさんでした。

そしていよいよ鯖江遠足が実現します。

委員長回顧(4)第4回:2006年8月26日

第4回から私が主催で仕切ることになりました。2005年に入ってからメガネ界を取り巻く状況が急速に転回したので、その状況を改めて確認し、メガネ界の将来の展望についてヒントを得られるように内容を構成していこうと考えました。
出演は、伊藤伸平さん(漫画家)、桜坂洋さん(小説家)、児玉さとみさん(声優)、西川魯介さん(まんが者)、野尻抱介さん(SF作家)、益子和隆さん(『ビジョメガネ』企画・編集)、水玉螢之丞さん(イラストレーター)、水野レイさん(人造図書委員長)。

第4回でまず特筆すべきことは、三次元眼鏡についての深まりです。『ビジョメガネ』企画・編集の益子さんのお話は、非常に新鮮で興味深いものでした。反射を嫌ってレンズなし眼鏡を使おうとした巨匠カメラマンに対して「反射も萌えの一部」と一歩も引かない姿勢、グラビアとして見せるための様々な工夫(日常観を出すためにスタジオ内での撮影は行わず、必ず屋外でシチュエーションを考える等)など、二次元にはない新しい視点をたくさん得ることができました。
三次元眼鏡の一般的な広がりを考える上で、『ビジョメガネ』は絶対に忘れてはならない作品ですね。

また、ガチSFの視点からメガネを考えたのも第4回の特徴です。野尻さんと桜坂さんから、未来の眼鏡についていろいろ話をしてもらいました。特にこの時点ではレーシックに対抗する必要が強く生じていたため、野尻さんの話は非常に心強かったです。
野尻さんは、未来においても眼鏡は確実に残ると主張しました。その理由は主に2つで、一つ目は人間の感覚器官が集中する頭部に装着するインターフェイスとしてメガネが優位性を持っているということです。たとえ仮に近眼が克服されるほどに科学技術が進歩したとしても、それと比例するように外部感覚拡張器としての眼鏡も発達し(たとえばドラゴンボールのスカウターのような機能がついたりする)、頭部に装着するメガネというアイテム自体がなくなることはないという予測です。
二つめの理由は、「文明/文化」の関係です。たとえばスペースコロニーは熱を放出するより吸収するのが楽なので、内部気温は高めに設定されるほうが合理的です。そうであればコロニー内では薄着になる方が合理的なはずです。が、機動戦士ガンダムなどを見ても、コロニー内でクールビズが流行しているようには見えません。なぜコロニー内でクールビズにならないか、その理由は「文明(civilization:普遍的なもの)/文化(culture:特殊的なもの)」の違いから説明できます。科学技術が進歩するのに伴って、文化も発達していきます。科学技術がスペースコロニーを可能にしたときも、服を脱ぐ方が合理的だからといって、発達した文化が服飾慣習を廃棄することはないわけです。この理屈から考えて、たとえ近眼が絶滅したとしても、メガネという文化が十分に発達していれば、メガネがなくなることはないわけです。

そしてこの後、かねてからの懸案であった鯖江との交流が具体的に始まり、「委員長」も新たな展開へと突入していきます。

回顧(3)私立眼鏡っ娘学園:2005年05月28日

さて、第二回の後はいろいろな事情でタイミングが合わず、しばらく開催されなかったのですが、2005年に別の主催の方によって眼鏡っ娘トークイベント『私立眼鏡っ娘学園』が行われました。
私もパネリストでお呼ばれして、いろいろ喋ってきました。そしてやはり田丸浩史さんと平野耕太さんが図書委員長を巡って暴走して、めちゃめちゃおもしろかったことが記憶に残っています。
歴史上、このイベントを第3回としてカウントすることにしています。

私立眼鏡っ娘学園で特筆すべきことは、「メガネくん」を正面から話題に取り上げたことでした。『メガネ男子』が35000部の大ヒットを飛ばすなど、2005年に入ってメガネくんブームが訪れたのですが、それに先駆けてメガネくんをフィーチャーしていたわけです。
先月に阿佐ヶ谷ロフトでメガネ男子萌え学会を企画・主催した渡辺由美子さんも、私立眼鏡っ娘学園で報告を行っています。

2005年は、眼鏡界全体にとっても特別な年でした。
そもそも2005年は、眼鏡の聖地である福井県鯖江市に眼鏡産業が誕生してからちょうど100周年にあたるメモリアル・イヤーで、鯖江でも各種イベントが行われていました。
この年に時東ぁみデビューやアンジェラ・アキのデビューが重なり、『ビジョメガネ』が単行本として発行されて大きな話題となり、各種メディアで眼鏡が大々的に特集されるようになり、世間一般にメガネブームが巻き起こります。二次元の世界では2001年ごろからメガネ萌えが大きく目立つようになり始めましたが、三次元の世界で眼鏡が前面に打ち出されるようになったのは2005年秋頃からのことです。
私立眼鏡っ娘学園は、三次元眼鏡の爆発的流行を予見したかのように、ブーム直前に開催されたわけです。いま考えると、新しいテーマを適切に捉えた、絶妙なタイミングだったと言えます。
私個人としても、2005年から毎年鯖江を訪れるようになったり、これまであまり考えることがなかった三次元眼鏡についても深くコミットするようになったりと、眼鏡に対する取り組みがさらに広がる大きなきっかけとなりました。

委員長回顧(2)第二回:2003年1月

第一回の大興奮を受けて、4か月後の翌2003年1月11日には「委員長」第二回が開催されました。しかも昼の部・夜の部・深夜の部という三部構成で、通算16時間くらいメガネについて語るというイベントでした。
いま考えると三部構成なんて気が狂っていたと思いますが、当時は「こんなもんだよな」という程度のノリで、狂っていたことに気がついていませんでしたね。
登壇者は、前回の参加者に加え、「メガネ喫茶」のネタモトである田丸浩史さんも関西から駆けつけ、輪をかけて大変なことになりました。田丸さんはカレーを食べただけで会場の空気を全部もっていく強烈なキャラクターでしたね。ちなみに田丸さんと平野耕太さんが会話したのはこのイベントが初めてだったようでした。私は平野さんから「灰になればいい、サーッ、サーッ」というありがたいお言葉をいただきました。

内容は、私個人としては十年くらい温めてきた眼鏡っ娘「起承転結」理論を発表できたことが記憶に残ってます。さらに西川魯介さんに『屈折リーベ』に関する突っ込んだ話も聞くことができて、眼鏡っ娘倫理学理論の構成についても着想を得ることができました。(具体的には、物語における唐臼の位置づけの考察が大きなヒントに)。こういう場が用意されなければ理論的な霊感を得ることもなかったので、個人的には何物にも代えがたい非常に貴重な体験の場となりました。

他によく覚えているのは、オールキャラ眼鏡っ娘アニメ『G-onらいだーす』の木村真一郎監督が登場したり、シチュエーションドラマで壇上に上がる人がみんな上手だったり、ボンデージ眼鏡美女作家の開田あやさんが現れて田丸さんが悩殺されて「おーっ!おーっ!」しか言わなくなった上に壇上で六条麦さん(マンガ家)が踏まれたり、突如登場した人造図書委員長のメガネっぷりに田丸さんと魯介さんが悩殺されてプレゼント合戦(眼鏡ケースに直筆イラストを描いて、さりげなくメアドも書いていたぞ)で張り合ったり、平野さんが「僕はいくら払ったらいいんですか?10億ですか100億ですか? あー引っ張りてー!」と言いながら図書委員長の三つ編みを眺めていたり、眼鏡を酒に漬けた「メガネ酒」が眼鏡神(「めがみ」と発音していただきたい)に献上されたりしたことですかね。
深夜の部は精神がほとんどアッチの世界に持っていかれてしまい、ほしのえみこさんが辱めを受けながらじっと我慢しているのを見て萌えていたこと以外には細かい内容を思い出せなかったりしますが、朝を迎える頃には壇上もフロアもトランス状態になって「めがね~」と叫ぶだけで皆で大爆笑していた光景は忘れられませんね。

 

読み返してみると……、まあ何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった。実際、頭がどうにかなっていたんだぜ。楽しかったなあ。