この眼鏡っ娘マンガがすごい!第27回:山本直樹「BLUE」

山本直樹「BLUE」

小学館『ビッグコミックスピリッツ』1991年新春増刊号

027_02間違いなくマンガの歴史に名を留める作品だ。内容が眼鏡っ娘で素晴らしいことは言うまでもないのだが、東京都の青少年健全育成条例で有害指定を受け、単行本が回収絶版となり、その事件が契機となって日本全体に表現規制問題の愚かさが知れ渡ったということで、記念碑的な位置づけを持つ作品となっている。本作を有害指定してしまった東京都青少年課の極めて愚かな判断、いや、ある意味では非常に的確な判断が、マンガと性表現に対する多角的な議論を沸騰させた。作者の山本直樹は表現規制に関する様々な集会に呼ばれ、作家の立場からの発言を行った。それは静かで控えめな主張だったが、表現規制を訴える人々の独りよがりの馬鹿馬鹿しさを浮き彫りにするには十分だった。『COMIC BOX』1992年7月号は、山本直樹特集「僕って有害?なんちゃって。」を組んで青少年健全育成条例を批判し、絶版となって入手困難となった本作を再録した。この流れの中で、愚かな東京都の意図をあざ笑うかのように本作は神話的な価値を持つ作品に祭り上げられ、何度も版を継いで語り継がれている。その本作のヒロインが眼鏡っ娘であるということは、眼鏡というアイテムの哲学的意義を考察するうえでも重要な事実である。

027_01というわけで、本作はエロマンガなので、未成年は扱い注意だ。
ヒロインは、高校生眼鏡っ娘=九谷さん。頭もよく運動もできるが、屋上にある天文部の部室で、主人公の灰野くんとセックスを繰り返す。性感を増すために摂取しているのが、Blueという名のクスリだ。というわけで、ビッチの眼鏡っ娘が性交する姿を見て、我々は欲情するわけだが、それで終わっては天下の都条例様がわざわざ有害指定をする意味などない。本作を読み終わったときには、青春とは何か、人生とは何か、大人になるとはどういうことか、どういう生き方が望ましくて、そのために何が犠牲になるのか、いやでもそういうことを考えさせられる。甘酸っぱい後味が残るのだ。天下の都条例様がわざわざ有害指定をしてくださるからには、それくらいの価値がなければならないということだ。いやはや。ご丁寧にも本作をわざわざ有害指定して無用な議論を沸騰させた東京都は、モノを見る目がないことを全国に知らしめてしまったのだった。

027_03作者の山本直樹=森山塔は、眼鏡っ娘マンガの歴史を語る上では絶対に欠かせない超重要人物だ。特に80年代後半から眼鏡っ娘作品を量産しているという事実だけでも、歴史に名が刻まれるべき功績だ。その中でもおそらく最も影響力があったのは単行本『ペギミンH』ではないかと思う。表題作「ペギミンH」でもものすごい眼鏡っ娘:枢馬こけさんが大活躍するが、私が最も興奮したのは同単行本収録の「恋のスーパーパラシューター」だった。物語の冒頭で「そんな君がいちばん好き」と言っている時点で、完全に70年代オトメチック少女マンガのオマージュとなっている。森山塔が意図的に眼鏡っ娘を主題としていたことがよくわかる。
眼鏡暗黒時代の80年代後半から90年代前半、おそらく全国のメガネスキーたちの多くは、森山塔に救われている。ありがとう。

■書誌情報

名作だけあって、版にバリエーションがある。版によってプレミア度が違い、回収絶版になった版は古本で5,000円くらいするが、中身を読むだけなら電子書籍で安く読める。
Kindle版:山本直樹『BLUE』(太田出版、2006年)

「ペギミンH」は再版単行本で読むことができるようだが、どうやら「恋のスーパーパラシューター」は未収録のようだ。
単行本:森山塔『Pegimin H』(Zコミックス)※18禁

「恋のスーパーパラシューター」は選集1に収められているらしい。
単行本:森山塔『森山塔選集(1) 』(Fukkan.com)※18禁

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第26回:高野文子「奥村さんのお茄子」

高野文子「奥村さんのお茄子」

マガジンハウス『COMICアレ!』1994年5月号

026_06本作は、サブカル系必読の神作品ということになっている。サブカル必読の作品として、例えば、つげ義春「ねじ式」とか水野英子「ファイヤー!」など、いくつかのカノン(正典)が定まっているわけだが、高野文子の一連の作品もそういうサブカル御用達のカノンとして位置づいていて、その中でも本作は最高傑作と誉れが高い。それゆえに、サブカル系の人々は本作を解読するべく、様々な解釈を施してきている。ちょっとググってみれば、本作の解釈をめぐる考察が大量に引っかかる。しかしそれらの解釈を眺めてみても、私はまったく感心しない。問題の本質を衝いている考察が、一つとして見当たらないのだ。本作の本質は、サブカル系の人々が考察するところには存在しない。本作を読み解くためには「主人公が眼鏡っ娘」であることを前提に据えなければならないのに、誰もそのことに気が付いていないのだ。本質は、眼鏡にあるのだ。

026_07本作の主人公は2人。奥村さんと、眼鏡っ娘の遠久田さん。ところがこの眼鏡っ娘は人間ではなく、どうやら宇宙からやってきたらしい。本体は眼鏡っ娘ではなく、地球人とコミュニケーションをとるためにこの形に形成されたようだ。このとき、眼鏡が脱着可能なものだとは分からなかったらしく、遠久田さんの眼鏡は顔と一体になるように形成されて、外すことができない。これだ。外すことのできない眼鏡!!! だからコーン油がついて眼鏡がくもってしまったときも、外して拭くことができず、布を眼鏡と顔の間に挿入してキレイにすることになる。こんな画は、高野文子以外には描けない。ここまで見ても、眼鏡なしで本作を解釈することの無意味さが分かるはずだ。

026_08さらに眼鏡描写でものすごいのは、遠久田さんの視点を、眼鏡フレーム越しに描いたコマだ。商店街を進む遠久田さんの眼鏡のこちら側から世界を映しだす画。それまでの三人称視点から、遠久田さんの一人称視点への転換。そしてこの転換が画として可能になっているのは、眼鏡があるからだということに気を付けてほしい。もしも画面に眼鏡のフレームが描かれていなかったら、それが三人称視点なのか一人称視点なのかを判断するための材料が存在しない。眼鏡のフレームが画面内に描かれることによって、初めてそれが遠久田さんの一人称視点であることが明らかになる。この視点変更のあり方は、おそらく物語を読み解くうえで欠いてはならないものだろう。

026_09さらに、一人称視点で電柱にぶつかった遠久田さんは、眼鏡が割れていないことを確認した後、こう言うのだ。「メガネはカッオーの、いちぶーですっ」。もはや、本作が眼鏡マンガであることは、ここに確定したといってよい。本作の狙いや意図がどこにあるかは、様々な論者がさまざまに解釈してきたが、いっこうに意味不明のままに終わっているのは、みんな眼鏡を無視してきたからに他ならない。宇宙人が自らを人間に擬するときに三つ編みの眼鏡っ娘を敢えて選択したことには、絶対に重要な意味がある。そして最後の女性、ポストの女性ユキ子さんも眼鏡っ娘であることを確認し、そのまま物語が終わったとき、私はお釈迦様の掌の上で転がされていたような、何とも言い難い不思議な感覚に襲われるのである。

■書誌情報

サブカル系の正典として読み継がれてきており、さらにこの先もマンガの古典的名作として末永く語り継がれていくだろう。マンガマニアを自認するなら、高野文子を知らないことは許されない。よって単行本も新刊で手に入る。

単行本:高野文子『棒がいっぽん』(マガジンハウス、1995年)に所収。amazonレビューを一瞥するだけでも、高野文子のサブカル的位置づけがなんとなく見える。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第25回:小林薫「善意の達人」

小林薫「善意の達人」

角川書店『増刊ASUKA大コメディー』1995年~97年

026_01前回に続いて、戦闘眼鏡っ娘。こっちはコメディーではあるけれど。

眼鏡っ娘を主人公とした少女マンガは、読み切りでは大量にあるけれど、逆に長期連載ものとなるとガクっと減ってしまう。そんな中、単行本5巻分も主人公を張ってくれた坂崎蘭々は大活躍といってよい。

坂崎蘭々は高校生眼鏡っ娘。平凡な生活をしていたが、ある日両親が事故で亡くなってしまう。天涯孤独になったかと思われたとき、生き別れになっていた兄二人が莫大な財産と共に現れた。ここから蘭々の波乱万丈な生活が始まるのだった。
二人の非常識な兄が巻き起こす騒動に巻き込まれながらも、蘭々は前向きに明るく乗り越えていく。蘭々は母親譲りのカンフーの達人。勉強もできるうえに戦闘も強い、凛々しい眼鏡っ娘……というよりは、実はそこそこセコくて現金で短気な庶民的キャラクターだったりして、そこがカワイイ。

026_03ただ残念なのは、日常生活では眼鏡をかけているのに、戦闘時には眼鏡を外してコンタクトにしてしまうところだ。もったいない、もったいない、無念なり。まあコンタクトにしてしまったばっかりに、目が痛くなってしまい、3分しかもたないのだが。それなら最初から最後まで眼鏡姿で戦ってほしいと思うのが人情というものだが、そこはコメディだから仕方ないのだろうか。重ね重ね、無念なり。

ところで、作者の小林薫の別の作品「桜子が来る!」の1巻には、脇役キャラで眼鏡っ娘が登場する。この眼鏡っ娘の名前が水戸泉というのだが(彼氏が霧島だったりと90年代の大相撲インスパイア)、そのイジメられエピソードが、なかなかビックリなので、ちょっと言及しておこう。なんと眼鏡をとりあげられ、もてあそばれているのだ!

026_04のび太ですら、眼鏡をとりあげられて「ははは」と笑われながら弄ばれるなんてことはないのに、高校生でこれは酷すぎる。この極悪ゴルフ同好会のチンピラどもは、もちろんこのあと正義の鉄槌を食らう。眼鏡っ娘からメガネを取り上げておもしろがるとは、万死に値することを思い知らせなければなるまいて。一方で眼鏡っ娘は片思いだった霧島くんと結ばれて、ちゃんと幸せになるのだった。うむ。

■書誌情報

古本で容易に手に入る。

単行本セット:小林薫『善意の達人』1~5巻(あすかコミックス、1995年)

単行本:小林薫『桜子が来る!』1巻 (あすかコミックス、1992年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第24回:市東亮子「やじきた学園道中記」

市東亮子「やじきた学園道中記」

秋田書店『ボニータ』1982年9月号~

024_02凛々しく戦う眼鏡っ娘というと、やはりまず真っ先に思い浮かべるのはキタさんだね。

篠北礼子、通称キタさんは高校生眼鏡っ娘。転校する先々で何故か一緒になる「やじ」さんこと矢島順子と一緒に悪いやつらをバッタバッタとなぎ倒す、痛快アクションマンガ。少女マンガ誌に連載されていたのに、不良とかヤクザとか少女マンガに似つかわしくないむくつけき者どもが画面を埋め尽くすが、それでも絶大な人気を誇ったのは、キタさんが眼鏡だったおかげだろう。

キタさんは、立ち居振る舞いがいちいち美しく、言葉の端々にキレがあり、キタさんが喋ると説得力がありすぎて周りもみんなさすが眼鏡っ娘だと感服する。かといって鉄面皮なわけではなく、感情豊かで人間味にもあふれている。もちろん強い。心の底から魅力的な眼鏡っ娘だ。全面的にカッコよすぎる。作品内でもキタさんはモテモテで、迫りくる女どもから身をかわすために散々に苦労するし、キモい男に言い寄られてしまって、男に触られると蕁麻疹が出る体質になってしまった。

まあ残念なことに、眼鏡を装着したままでの戦闘シーンはレアではある。学園生活や隠密行動の時には眼鏡をかけているのだが、戦闘シーンではもったいないことに眼鏡を外してしまう。そこで、キタさんの視力がいくつなのか気になって仕方がないのだが、プロフィール等を精査しても視力はわからない。顔の輪郭に光学屈折の形跡が見えないことから伊達メガネである疑いもあるのだが、ここは正確な視力が知りたいところである。ご存知の方がいたら、ぜひ連絡ください。(あと巨大眼鏡っ娘好きの方々には残念なお知らせだが、身長は169.5cmで、あと一歩で大台に届いていない・・・)

視力がわからなくとも、キタさんがクールビューティー眼鏡として第一人者であることには間違いはない。活動期間も極めて長く、アニメにもなったりして、眼鏡が凛々しく美しいことを世間に広く知らしめた功績は計り知れない。実際、キタさんのおかげでメガネ属性に目覚めた者は数多いのだ。たとえば蝉丸P氏とか
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■書誌情報

単行本全29巻。Ⅱは連載中。新刊で手に入るし、電子書籍で読むこともできる。

Kindle版:市東亮子『やじきた学園道中記』第1巻

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第23回:米村孝一郎「POSSESSION TRACER」

米村孝一郎「POSSESSION TRACER」

富士見書房『月刊ドラゴンマガジン』1990年12月号~92年5月号

023_01オタク界で眼鏡っ娘萌えが一般化し始めたのは、コミケカタログのサークルカット全調査に基づくと、1995年のことだ。主な要因は2つ考えられて、一つはPlay Station等コンシューマ機のスペック上昇によって眼鏡描写が可能な解像度が実現し、ギャルゲーの中に必ず眼鏡キャラが登場し始めたこと。もう一つはCLAMPが少女マンガの眼鏡センスをオタク界にもたらしたことだった。その事情については別の機会に述べるとして、問題はその前の「暗黒時代」だ。

1980年代、一般作に『Dr.スランプ』という巨大な作品はあったものの、オタク界で眼鏡は非常に不遇な状態にあった。やはり高橋留美子作品に眼鏡っ娘がいなかったことが痛かった。さらにはサンライズアニメや麻宮騎亜作品にも眼鏡っ娘が登場せず、セーラームーンや格闘ゲーでも眼鏡はほぼ無視された。

そんな中、ひそかにエロマンガの世界で森山塔、ゲームの世界でGAINAXが眼鏡萌えの基礎を作り、その芽は『ホットミルク』誌で大きく花開こうとしていたのだが、90年代オタク界隈に眼鏡が前面に出てくるに当たって、本作のビジュアルイメージが果たしたブーストの役割は相当に大きいと思う。

023_02舞台は殺伐とした近未来。主人公の眼鏡っ娘=久音ひづかは、憑依補促能力者として心霊捜査課で活躍する警官。性格に一癖ある同僚たちと警察内部のセクト争いに辟易しつつも、惚れた男のために体を張って事件に立ち向かう。まあ、ぶっちゃけて言えば、この時点では大友克洋から士郎正宗の流れの中に位置づく作品のように見えていた。が、一つだけ完全な違いがあった。ヒロインが眼鏡っ娘であるという一点において、本作は特別だった。こんなカッコいい眼鏡っ娘は、見たことがなかった。ビジュアルはもちろんだが、活動的で前向きで、それでいてお茶目で人間味あふれる、キャラクターとして魅力的な眼鏡っ娘。伊達メガネなところはとても残念ではあるけれど、90年代前半のメガネ停滞感が、本作の存在によって救われているのは間違いない。眼鏡ルネッサンスまで、もう一息我慢の時期である。

同時期、90年代前半に『ホットミルク』の果たした役割については、改めて、るりあ046「ファントムシューター・イオ」や田沼雄一郎「プリンセス・オブ・ダークネス」などを題材に語りたいね。

■書誌情報

単行本:米村孝一郎『Possession Tracer』(富士見ファンタジアコミックス、1992年)

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第22回:大和和紀「フスマランド4.5」

大和和紀「フスマランド4.5」

講談社『週刊少女フレンド』1984年第3号~第8号

022_01本作は「眼鏡っ娘起承転結理論」の代表と言ってもよい重要作品だ。

(起)全寮制の高校に通う主人公のカチコさんは、超がつくカタブツ眼鏡っ娘ちんちくりん。流行にはいっさい目もくれず、朝は毎日乾布摩擦。同級生はみんなカチコさんのことを時代錯誤の情緒欠陥とバカにしていた。しかし、星也くんだけは、そんなカチコさんをバカにせず、優しく接してくれた。カチコさんのなかに星也くんへの仄かな恋心が芽生える。

(承)そんなカチコさんが生活する女子寮の和室は、実は異世界への入り口になっていた。異世界への扉を開く和歌の暗号を唱えたカチコさんは、「フスマランド」へと吸い込まれていく。そこは隠された願望が実現してしまう世界。なんとカチコさんは超美人になってしまった! フスマランドのイケメンたちと、てんわやわんやの大騒動を引き起こすカチコさん。
022_03このときフスマランドでなくなった眼鏡を探すエピソードは、他に類例がなく、おもしろい。たくさんの眼鏡虫の群れに「直立不動!」と命令すると、カチコさんの眼鏡だけピタっと止まる。眼鏡にも持ち主の人格が沁み込んでいたのだ。

(転)ところが大騒動を繰り広げるうちに、フスマランドの住人たちが現実世界に飛び出し始める。カチコさんが美人になった姿も、星也くんにバレてしまう。星也くんは、そんなカチコさんに幻滅する。「きみはほかの女の子とはちがうと思ってた」から星也くんは眼鏡のカチコさんのことが好きだったのだ。しかし眼鏡を外したいという邪悪な心を抱いたカチコさんに対して「人を見る目のない自分がいやになった」と言って、カチコさんから去っていく。

(結)星也は、実は以前からフスマランドに出入りして、大きな木に変身していた。人間不信になって、静かに暮らしたかったのだ。このままだと、星也くんは永久にフスマランドから出てこない。
そこで、カチコさんは自分の意志でフスマランドの魔力を打ち破り、本当の自分に戻る。眼鏡を取り戻す。

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本当の自分を取り戻し、眼鏡をかけたカチコさんを見て、星也くんも本来の姿を取り戻す。眼鏡こそが「本当の自分」の象徴であり、アイデンティティの源である。眼鏡を失った偽りの姿には、偽りの幸せしかやってこない。「ほんとのあたし」は、眼鏡とともにあるのだ。

巨匠、大和和紀だからこそ、安易に眼鏡を外して美人などというくだらない物語は作らず、「眼鏡っ娘起承転結構造」によって世界の真実を描き出す。邪悪なコンタクトレンズのCMに騙されてはいけない。眼鏡を外すのは起承転結の「承」の段階に過ぎない。その先、必ず「転」で価値観の転回が発生し、「結」で「本当の私」を取り戻すために必ず眼鏡をかけなおすことになるだろう。それが世界の真理だ。

■書誌情報

022_02単行本:大和和紀『フスマランド 4.5』(講談社コミックスフレンド、1985年)

文庫本:大和和紀『フスマランド4.5』(KCデラックス―ポケットコミック、1998年)

人気があって数が大量に出回っているので、古本で手に入りやすい。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第21回:藤臣美弥子「0.01のおしゃべり」

藤臣美弥子「0.01のおしゃべり」

小学館『少女コミックCheese!』2000年7月号

021_04ヒロインの眼鏡っ娘高校生=金沢マキは、喫茶店でウェイトレスのアルバイトをしているとき、廉太郎から「そこのメガネっ子」と声をかけられる。マキは眼鏡にコンプレックスを持っていたが、実はデザイナーの廉太郎は眼鏡のモデルを探していて、眼鏡の似合うマキに声をかけたのだった。そこでマキは、素敵な彼氏を紹介してくれるなら、と条件を出す。

021_01廉太郎はマキに彼氏が見つかるまで自分が臨時彼氏になると提案し、マキはモデルになることを承諾する。さっそく商談にマキを連れて行く廉太郎。廉太郎とクライアントは、眼鏡の似合うマキを大絶賛。廉太郎の商談もマキのメガネのおかげで大成功する。マキは眼鏡を褒められるのが信じられない。が、廉太郎は「メガネをかけてるキミがカワイイ」とたたみかける。そうだ、いけ廉太郎! 眼鏡っ娘を褒めまくってメガネに自信を持たせるのだ!

そうして自信を持ったマキは、廉太郎と結ばれる。しかし幸せ絶頂に見えて、実は廉太郎のほうが不安に陥っていた。自分のようなオッサン(27歳)がこんなカワイイ眼鏡っ娘(17歳)と付き合っていいのか、密かに悩んでいたのだ(というか二人はセックスまでしてしまったので、長野県以外では淫行条例にひっかかるのだ)。そこで廉太郎はかっこいい男性をマキに引き合わせ、臨時彼氏は終わりだと告げる。

021_02廉太郎に本気になっていたマキは、別れを告げられて大ショック。思わず廉太郎に眼鏡を投げつけて、その場から駆け去ってしまう。眼鏡を投げつけてしまったので、近眼でまったく周りが見えず、そこらじゅうにぶつかりながら街を走るマキ。このときのメガネなしの顔がヤブ睨みのブサイクで、たいへんよろしい。

追いかけてきた廉太郎は、危なっかしいマキをつかまえて、そして眼鏡をかける。マキにかけさせた眼鏡が、自分がデザインした眼鏡だってところがめちゃめちゃカッコいい。そして廉太郎は、自分に自信がなかったことを素直に告げる。そんな廉太郎に、マキが言ったセリフが本当に素晴らしい。

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「このメガネをかけると、アナタしか見えなくなるんだよ」。たまらんわ。一生のうちに一度は言われてみたいセリフ、ナンバーワンだ!

■書誌情報

単行本:藤臣美弥子『カワイイヒト』 (小学館フラワーコミックス、2000年)所収。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第20回:小野寺浩二「キミとボクとのインフィニティ」

小野寺浩二「キミとボクとのインフィニティ」

竹書房『まんがライフMOMO』連載

まあ、いまさら私が語るまでもないのだが、眼鏡っ娘マンガ界四天王の一人、小野寺浩二のものすごい眼鏡っ娘作品である。
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とりあえず小野寺浩二初心者に何かを薦めるとしたら、本作からがいいような気がする。シャレにならないキチガイどもが大活躍している他の作品から読ませると、ドン引きされるならまだマシで、場合によってはブロックされかねない恐れがある。本作は良質ラブコメ成分が含まれていて、まだ入りやすいんじゃないだろうか。

とはいえ、もちろん手を抜いているわけではなく、良質なラブコメテイストを保ちながら、ものすごい濃度の眼鏡だ。全編が高密度の眼鏡エピソードで充満されているだけでなく、眼鏡のあげかた講座など実践的に役に立つ知識・技能も盛りだくさんで、本作を知らずに眼鏡萌えを僭称することなど許されないという気持ちになってくる。

020_03その中でも特に最も私の心に響いたのは、finalエピソードだ。なぜなら、メガネスキーにとって最も恐ろしい実存的問題に、真正面からぶち当たっていったからだ。
我々メガネスキーは、眼鏡っ娘が好きだ。その心に嘘や偽りはない。しかし眼鏡っ娘が好きだという思いが純粋であれば純粋であるほど、一つの矛盾に悩むことになる。「めがねならだれでもいい」のではないか? 一人の眼鏡っ娘を愛するというとき、相手の人格を尊重するのではなく、眼鏡だから好きなのではないかという疑問。その疑問に体当たりで勝負した西川魯介は『屈折リーベ』という不朽の名作を残したわけだが、本作もその最大のアポリアに逃げることなく取り組み、スペシャルな答えを見せつけてくれた。眼鏡に真剣に取り組んだ作者だからこそ、他の誰にも真似できない答えを見いだせる。生半可な気持ちでは絶対に出てこない解答は、ぜひ自分の目で確かめてほしい。私は感動で打ち震えた。

■書誌情報

020_01現在、電子書籍で読むことができる。

Kindle版:小野寺浩二『キミとボクとのインフィニティ』(バンブーコミックス全1巻、2009年)

本作のノリが大丈夫だったら、ぜひ続いて聖典「妄想戦士ヤマモト」に進んで、小野寺ワールドにのめりこんでいきたい。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第19回:鈴木由美子「Eかもしんない!」

鈴木由美子「Eかもしんない!」

講談社『Fortnightly mimi』1988年No.6~No.20

少女マンガの中には男性が入っていきやすい部類の作品があって、歴史的には眼鏡っ娘はそこを踏み台にして飛躍するきっかけを掴むのだが、残念ながら本作は最も男性が入りにくい部類の作風だと思われる。特に絵柄は男性の好みからはおそらく遠く離れており、読もうというモチベーションが湧きにくい恐れがある。だが、ぜひとも先入観を捨てて手に取ってほしい、絶対に埋もれさせてはいけない傑作の眼鏡っ娘マンガだ、というか、ヒロインの恋愛相手の樹由(きよし)の超絶メガネスキーぶりをなんとしてでも褒め称えなければならないのだ!

ヒロインの眼鏡っ娘大学生=秋絵は、血の繋がらない弟の樹由のことが好き。しかし血が繋がっていないとはいえ、弟に告白することもできない。一方、弟の樹由のほうも姉の秋絵のことを好きだった。が、こちらも独り立ちするまでは告白できないと考えており、表面上は普通の姉弟として暮らしている。そんななか、秋絵は弟のことをあきらめて、彼氏を見つけようと眼鏡を外して合コンにでかけようとする。このとき、玄関で秋絵を見送る樹由のメガネスキーぶりが素晴らしい!

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化粧をして合コンに向かう秋絵を呼び止める樹由。「キレイ」と言ってもらえると思って喜ぶ秋絵に、樹由は「メガネ、ほらメガネ忘れてるよ」と言う。しかし樹由の思いは届かず、秋絵はふてくされて玄関を飛び出す。残された樹由の、かわいそうな姿。眼鏡を手に呆然とする姿に、どれだけ眼鏡のことを思っていたか、哀愁が痛いほど伝わってくる。

019_04秋絵が合コンにでかけた後も、樹由は眼鏡を持ったまま、ぼーっと玄関で待ち続ける。どれだけ秋絵に眼鏡をかけてほしかったか。眼鏡を外してしまった秋絵にどれだけガッカリしたか。気持ちは、本当によくわかる。

ま、最終的には樹由の思いが通じて、秋絵は眼鏡をかけなおすんだけどね。よかったよかった。

そして連載第12回目の最終回では、いよいよ樹由と秋絵が結婚する。この結婚式がすばらしい。なんと、秋絵は眼鏡をかけたままウェディングドレスを着るのだ。あの小野寺浩二ですら実現し得なかった眼鏡de結婚式を、この樹由という男はやり遂げるのだ。メガネスキーの本懐である。私も、こうありたい。

■書誌情報

単行本:鈴木由美子『Eかもしんない!』全2巻完結 (講談社コミックス、1987年) 安く手に入るのは、当時人気があって数が大量に出ているから。ちなみに「由美子」という名前の作家は、みんななぜか眼鏡っ娘に優しい傾向がある。

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この眼鏡っ娘マンガがすごい!第18回:たもりただぢ「烏丸学園ガンスモーキーズ」

たもりただぢ「烏丸学園ガンスモーキーズ」

エンターブレイン『TECH GIAN』2005年1月号~2006年8月号

この作品、絵を一瞬見るだけで、眼鏡っ娘マンガだ!とすぐにわかる。誰でもわかる。私は仕事上の都合もあって『TECH GIAN』誌を毎月読んでおり、本作は連載開始時から見ているのだが、初めて見た時は、話の内容に入る前に何度も何度も繰り返し絵をガン見してしまった。激しく魂を揺さぶられる衝撃だった。だって、みんなメガネ(DAIGO流ならMMとなるところ)だったのだ!

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いちおう眼鏡じゃないキャラも数人出てくるのだが、とにかく男も女も眼鏡キャラに満ち溢れた作品だ。主人公も、ヒロインも、頼りになる主人公の味方も、ラスボスも、みんな眼鏡なのだ。そして描かれるキャラクターたちには、眼鏡だからといって何かしらのバイアスがかかったような性格付けは一切なされない。眼鏡だから、眼鏡。そしてガン×ソードの学園アクション。画面の大半が眼鏡で覆い尽くされるアクションマンガは、他に見ることはできないだろう。そして、見どころはアクションだけでなく、眼鏡たちの成長に読後感が爽やかほっこり。全2巻を読み終わった後に、カバーを外して、また眼鏡にほっこり。

ところで、絵柄がたもりただぢに酷似していて、妹?ということになっている路杏るうも、メガネくん×眼鏡っ娘(というか、女装ショタ眼鏡やふたなり眼鏡など、トランスジェンダーで眼鏡×眼鏡)な強烈な作品を残している。一般的にはアブノーマルな設定に注目が集まっているが、その前にまずは眼鏡へのこだわりに注目してほしい作品だ。

■書誌情報

単行本:たもりただぢ『烏丸学園ガンスモーキーズ』全2巻完結(エンターブレイン、2007年) amazonだと中古でしか手に入らないのかな?

単行本:路杏るう『Girl to love』 (メガストア、2002年) 18禁。大判サイズのため、広い画面で綺麗な絵が見られて嬉しい。

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